ガナン帝国最後の皇帝ガナサダイがどんな人物だったかを、彼はよく知らない。
ガナサダイは王位のため父を殺し、世界征服を目論み帝国を作り国内外で暴虐の限りを尽くし、その悪名を世界に轟かせた。生前や復活後の様子を聞く限り、冷酷非情で傲慢な野心家であり、しかしながら帝国を恐らく当時随一の軍事国家に変貌させた圧倒的カリスマ性を持つ優れた人間でもあったらしい。
そのくらいは天使界にかつてあった歴史書や噂、実際に見聞きしたことで知っている。だがそれはどれも帝国の外、つまりかの暗黒皇帝を良く思わない者からの視点ばかりで、帝国内からどう思われていたかはほとんど知らない。その配下でまともに喋れる者に、三人しか会えなかったからだ。
だから、彼は皇帝をよく知る者に会いたかった。
「ガナサダイ? そんなの、僕が覚えてるわけないじゃない」
やはりそうですか。彼はさして落胆もせず頷いた。
ガナン帝国城には、気の遠くなるほどの年月眠っていた不思議な本がいる。何でも大賢者のなれの果てらしいのだが、会話による意思疎通が可能なことと、時折彼の言うことに従えばアイテムをくれることを除けばただの本である。しかし本当に大賢者らしいので、時折話を聞きに来るのだが、眠ってばかりいるためほとんど役に立ったことはない。
今回もそうだった。ガナン帝国の内情に詳しい者は、もはやこの地上には存在しない。城内に残された本ならばと荒れた城をよく探索してはみたが、先日見つけた歴史書以外全て風化して、満足に読めるものはなかった。それでどうもこの城ができた頃にはいたらしいこの大賢者に訊きに来たのだが、予想通りずっと寝ていたらしく何も知らないという。
全く期待していなかったため、腹も立たない。
「何でそんなこと知りたいの?」
彼は踵を返そうとして驚いた。いつも用件が済めば眠ってしまうのに、珍しい。
単なる好奇心です、とだけ返す。
「ふーん。こんな血生臭い国を作った人に興味持つなんて、天使っていうのもおかしなもんだね」
「御存じではないですか」
「一応知ってるよ。この国で何があったのか、彼が何をしたかはね。けど、彼自身については知らないよ。僕は人の心は読めないから」
「大賢者様のほどのお方でも、彼は理解しがたかったと」
「理解!」
大賢者は鼻を鳴らしたような音を出した。この本の仕組みはやはり魔法なのだろうか。彼は解体してみたくなるが、惜しい人を亡くすことになりかねないので断念する。
「僕はあくまでも人間だから、人を理解するなんてできないよ。できるのは解釈だけさ」
「ではその解釈をお聞かせ願えませんか? 僕は他者理解や解釈は苦手ですので」
「そういうものなの?」
「天使は、神の僕でしかありませんから」
彼は慎ましやかに答える。大賢者はそんなこと言われてもねえ、と何故か渋る。
「曖昧すぎて話しにくいんだけど。何のために聞きたいのかな?」
「僕の理解できないことを知りたいからです。彼の野望の動機、実際の人物像、生い立ち――貴方のご存じであることを可能な限り教えて頂きたいのです。そしてそこから繋げて聞きたいのは」
彼はここで一息吸う。
「帝国民は皇帝を崇拝もせず、彼に洗脳されてもいなかったにも関わらず、何故非道な命令に従ったのか、ということです」
「ふんふん、なるほど。独裁国家を知りたいわけか」
大賢者が納得したように呟くと、彼は首を縦に振った。
「仰る通りです」
「そりゃあ、君の苦手な人心掌握やらそのあたりから学ばないと駄目だな。やだなあ面倒くさい……あー眠くなってきた」
「ご冗談を」
「ご冗談じゃありません」
大賢者は大きく欠伸をした。
「いいかい、人間は欲望の塊なんだよ。君みたいな余計なものにだけ欲が特化してる一方で肝心なものに無欲な人なんて少なくて、様々なものに執着するのさ。ガナサダイはそういうのを見抜くのが上手くて、頭が良かった。そういうこと」
「揺さぶったのですか」
「さてねえ。自分で考えて」
次第にろれつが回らなくなってきている。これ以上、まともな話はできないだろう。
礼を述べると、寝息が聞こえてきた。彼はこれまでに読んだ彼の政策や罰などを思い返しながら、本棚に背を向ける。しかし部屋を出る直後、はっきりとした声が耳に届いた。
「一つ確かなのは、君は彼から一番遠いところにいるってことだろうね」
※第6回ワンライ参加。
お題「暗黒皇帝ガナサダイ」選択。
20140810