エンドール城下町は華やかな都会である。たくさんの人、大きなカジノ、強力な武器屋と防具屋、できたばかりのゴールド銀行、巨大なコロシアム――人々はこの町に期待と夢を抱いてやってくる。地道な努力の先に栄光を掴むか。はたまた一攫千金を狙うか。夢はエンドールに住む人の数だけあって、この町を賑やかに彩っていた。

 そんな活気ある人々の波に、覚束ない足取りの少年が一人混ざっていた。酒を飲んだ者の足取りではない。どちらかと言うと、疲労困憊して今にも眠ってしまいそうな足の動きである。少年の肩につく緑の髪は、彼が一歩踏み出す度に大きく揺れていた。

 彼こそはヨンシュ――邪神の面の因縁を絶たんとする者だった。


「そこのお兄さん」


 目の下に隈を作った少年に、涼やかな声がかかる。少年はぬうぼうとしながらも声をかけられたことを理解したらしく、顔を声の主の方へふらりと向けた。切れ長の瞳と褐色の肌の艶やかな、異国情緒漂う美女である。彼女はヨンシュの視線が合うと莞爾として手にした水晶玉を掲げて見せた。


「占いは如何ですか。たったの十ゴールドで貴方の未来を見て差し上げましょう」


 みらい、と少年は虚ろな声で繰り返した。


「お願いします……追っているものがあるんです」

「では、占って差し上げましょう」


 女は笑みを消して紫の柳眉を潜め、水晶に目を凝らす。


「貴方の周りには七つの光が見えます。また小さな光ですがやがて導かれ大きな光となり……。えっ!?」


 切れ長の瞳が大きく見開かれた。いきなり占い師然とした神秘的な雰囲気をかなぐり捨てて、女は水晶とヨンシュとをせわしなく見比べた。


「も、もしや貴方は勇者様!」


 ヨンシュは首を横に傾けた。ユウシャではない。ヨンシュ、ヨナサン・シュナウザーだ。

 しかし女は興奮しているらしく、構わず彼の手を水晶玉ごと両手で握った。


「貴方を探していました! 邪悪なる者を倒せる力を秘めた貴方をッ」

「邪悪なる者?」


 ヨンシュの目がギラリと光る。しかしそこへ、間延びした声がかかった。


「ミネアー」

「あっ姉さん!」


 何やらペラペラなもの――空の革袋――と長い濃紫の髪を風に靡かせながら、占い師によく似た美女がやって来た。挑発的な踊り子のレオタードに身を包んでいる。


「姉さん聞いて! ついに勇者様を見つけたのよ! 本物の勇者様よっ!」

「え、勇者? それはいいけどアンタ興奮しすぎたらまた」

「勇者ッ! 興奮せずにはいられないッ!」


 ミネアというらしい女は頬を紅潮させて叫んだかと思うと、がくりと首を前に折った。いや、折れたのだ。

 ヨンシュは慌てて片手を彼女を支えようとして、それより先に横から伸びて来た手が彼女の両肩を掴んだ。


「その水晶玉落としちゃダメよ。それ、この世に二つとないものなんだから」


 女の台詞に、ヨンシュは掌の中の球を強く握りしめた。汗で滑りそうな気がして恐ろしい。ヨンシュはそれを傷つけないように、そうっと道具袋の中に入れた。


「まったくもう、この子ったらいつもこうなのよ。気が昂揚すると神憑り状態になっちゃって」

「カミガカリ?」

「霊が憑くの。さて、今度はどんなのが来るのかしら?」


 女が慣れた様子でそう呟くのを待っていたのか、ミネアの首が勢いよく持ち上がった。唇は薄く開かれ、目は見開かれてヨンシュをじいっと凝視する。彼は思わず後ずさりしようとした。


「ヨンシュっ! ヨンシュなのねッ!?」


 しかし女占い師のつややかな唇から洩れた声が、彼の足を留まらせた。ミステリアスなアルトではない。小鳥のさえずるようなソプラノだ。しかもその声で、自分のあだ名を呼んだ。


「ま、まさか」

「誰よアンタ」


 ヨンシュが狼狽えて呟くのと女が平然と尋ねるのが一緒だった。ミネアの口を借りる者はばっと紫の髪を散らせて問いの飛んできた方を向いた。


「私はお節介焼きのシンシアっ! ヨンシュのことが心配で黄泉の国から帰って来たッ!」

「シンシアっ!? 本当にッ!?」


 信じられない気持ちで、ヨンシュは女占い師の両肩を揺さぶった。しかし彼女の知的な面差しは彼の知るシンシアの顔つきを変えないままだった。


「ヨンシュ、時間がないから聞いて。まだあの男は滅んでいないわ。邪神の面を使った者はあのくらいじゃ死なないのよっ!」

「嘘だろ!? 死んでいたように見えたのに!」

「邪神が憑いた者は強力な肉体を手に入れる! その身体はたとえ地獄の業火に焼かれようと朽ちることはなく、再び不死鳥のように蘇るっ!」

「それじゃあ倒せないじゃないか!」


 少年は悲痛な声を上げた。しかしシンシアは獲物を前にした猛獣に似た舌なめずりをした。


「大丈夫、あれには弱点があるの」

「弱点って何だ」

「それは雷ッ! 邪悪は正義の雷に弱い! そしてヨンシュ、貴方には雷を操る力がある!」

「俺に!?」


 ヨンシュは素っ頓狂な声を上げた。ユウシャだと言われたら次は雷である。一体みんな自分を何だと勘違いしているのだろう。

 シンシアは声を潜めた。


「ヨンシュ、ずっと秘密にしてきたけど貴方の両親は本当の親じゃなかったの。貴方の本当のお母さんは天空人で、人間の男と結婚した。そして生まれたのが貴方、聖なる雷の力を宿す天空の勇者なのよ!」

「な、何を言うだ……」

「でもねヨンシュ。邪神の力を手に入れてしまったあの男、デスピサロにはあなた一人じゃとてもじゃないけど勝てないわ。仲間を集めなさい。その前に仲間を乗せるための馬車を手に入れて。ここからずっと東――砂漠の手前にある宿屋にいい馬車を持った若者がいるわ。彼からそれをもらうのよ」

「シンシア待ってくれ」

「ごめんなさいヨンシュ、もう限界みたい。私はいつも貴方のことを見守ってるわ」

「シンシア! 待ってくれ! シンシアーッ!」


 ミネアの首ががくりと折れた。ヨンシュは彼女をまた揺さぶる。しかし、その唇が開いて小鳥の声でさえずることはもうなかった。


「なんかよく分からないけど、アンタ大変なのね」


 一部始終を聞いていた踊り子が同情したように言う。ヨンシュはなんだか力が抜けてしまい、がくりと項垂れた。


「俺は、いったいどうすれば……」

「今言ってたじゃないの。デスピサロを倒すんでしょ? それならアタシ達と一緒だわ」


 ヨンシュは弾かれたように顔を上げた。踊り子はうって変わって真摯な面持ちをしていた。


「アタシはマーニャ。妹のミネアと父の仇を討つために旅をしてる。その仇がデスピサロって奴と繋がってるらしいのよ」

「デスピサロ……」


 脳裏にあの長い白銀の髪をした男の姿が蘇る。奴は邪神の仮面を持っていた。しかも、生きていた。

 ヨンシュは枯れかけていた気迫が、仇の名と共に湧き出でて来るのを感じた。


「そうだ。俺はデスピサロを倒す」


 彼は決然と言い放つ。


「そして、邪神の面をこの世から一つ残らず葬ってくれる!」






 ヨンシュ達はシンシアの言う通り東を目指した。すると果たして、彼女の言った通り広大な砂漠の手前に宿があり、そこに立派な馬車を持つ若者がいた。しかし彼はとある洞窟での出来事のせいで人間不信に陥っており、馬車を貸すどころではなかった。そこでヨンシュ達は彼のために、その裏切りの洞窟へ「信じる心」を取りに行くことになったのだった。


「この裏切りの洞窟では、その昔たくさんの裏切りがあったと言います」


 ミネアは薄暗い洞窟を足早に進んでいく。その後に続く姉のマーニャは早くももううんざりと言った顔つきだ。彼女は褐色の選手をふらふらと振る。


「あー知ってる知ってる。入った旅人がみんな、宝物を巡って争い合ったんでしょ?」


 ヨンシュは思わず辺りを眺めた。岩肌は黒く、かつての惨劇の跡は見当たらない。いや、その後すらも飲み込んでしまったのか。知らず、ごくりと喉が鳴った。


「ヨナサン知ってた?」

「いや……」

「そういうことがあったのです。そして、死んだ旅人達は――ッ!?」


 その時である。彼らの足下が忽然と消え失せた。彼らが目を見張る間に、視界は黒き未知の領域へと転落していく。ヨンシュは思わず顔を庇い丸くなるが、強かに背を岩へ打ち付け体中の空気を全て吐き出してしまった。


「がっ……」


 それでもヨンシュは浅く息をした。幸い頭は打たなかったが、目の裏が点滅している。

 身体を起こせたのは、それからしばらく経ってからだった。洞窟の更に地下へと落ちてしまったらしい。姉妹の姿はどこにも見当たらない。離れ離れになってしまったようだ。


「早く合流しないと」


 嫌な予感がする。ヨンシュは剣を抜かぬまま、しかし柄に手を添えて道を急いだ。洞窟内は入り組んでおらず、やけに静謐だった。魔物一匹出て来ない。そこがまた怪しかった。

 こめかみを汗が伝う。石を叩く自分のブーツの音がうるさい。警戒は怠らないままに進むと、やがてやや開けた部屋へと出た。その中央に見覚えのある影が二つ浮き上がり、ヨンシュはほうと息を吐いた。


「ヨンシュ、無事だったのね! 良かったわ」

「私達貴方のこと探してたのよ」


 姉妹は口々に言いながら駆け寄って来た。ヨンシュも駆け寄ろうとして、違和感を覚える。

 ヨンシュ? 彼女達はまだ、彼のことをあだ名で呼んだことがなかったはず。

 彼が全身に警戒をみなぎらせたのと、二人の女の双眸が裂けたのが一緒だった。


「――と言うとでも思ったかーっ! ケケケ!」


 姉妹の姿が委縮し、土気色の坊主へと変貌した。目は細く醜く、口は大きくだらしない舌を垂らしている。


「俺達は裏切り小僧! 貴様もこれまでの旅人同様八つ裂きにしてくれるわ!」

「そういうことだったのか……人の心を惑わす悪魔めッ! 散滅すべしッ!」


 ヨンシュは剣を抜く。裏切り小僧たちも、爪を剥き出して襲い掛かって来た。

 小僧たちは強かった。知能が高く、ヨンシュの太刀筋をよく読んで細長い手足を駆使して戦う。魔物のくせに人間のような動きだ――そう思ってヨンシュははっとした。


「お前達……さては人間だったな?」

「その通り! 俺達はかつてここで魔物に騙され、本物の仲間と殺し合いをして死んだのよ!」

「それでこうして裏切り小僧になった!」


 爪と剣がぶつかり、高い音を立てる。裏切り小僧達はヨンシュに容赦なく鋭い鉤爪攻撃を連続しながら叫ぶ。


「裏切り小僧は何度でも生まれる!」

「旅人に裏切りと苦痛をもたらすために!」

「人間は愚かよ! 姿形が似ているだけで騙され、また騙されれば信じられなくなる!」

「お前も人間を疑え! そして魔物になって苦痛を味わうのだ!」


 キイン! 一際けたたましく金属音を上げて、ヨンシュは大きく後ろに退いた。裏切り小僧達はじわじわと彼に詰め寄って来る。ヨンシュは紫の瞳で彼らを凝視し、ややあって剣を鞘へと滑らせた。


「バカな! 何故剣を収める!」

「俺は人間は殺さない」


 魔物達が目に見えて動揺するのに対し、ヨンシュは静かに言った。


「あんたらは今は魔物の姿だが、まだ人間の心を持っている。騙す他人であるはずの旅人の気持ちを思い、苦しいと感じている……他人を思いやる心を持つあんたらは人間だ。俺は、人間は殺さない」

「甘ったれたことを!」


 裏切り小僧らは爪を輝かせヨンシュに飛びかかった。ヨンシュは直立でそれを見つめている。四本の腕が振りあがり、少年の翡翠の胸目がけて突き込まれる。

 しかし鋭利な爪は胸へと吸い込まれることなく、その寸前で止まった。そして標的の彼は、ぴくりとも動いていなかった。


「お前……」


 裏切り小僧は驚きで声を戦慄かせた。


「俺達が途中で手を止めると……そこまで信用して攻撃してこなかったのか! そこまで人間を信用できるのか!」

「ああ、できる」


 ヨンシュは断言した。

 かつて人だった魔物は愕然と立ち尽くしていた。しかし、やがて首を左右に振ると彼らは顔を見合わせた。


「おい兄弟、まだ俺達を人間扱いする奴がいたんだな」

「ああ、もうずっと裏切りばかりでうんざりしていたんが」

「ふふふ……面白い甘ちゃんだ」


 魔物達は大きく相好を崩した。それは、やけに人間臭い表情だった。

 彼らは細い手を合わせた。その中央に眩い光が生まれる。ヨンシュは目の前に手を翳した。彼らの合わせた手の中央に、眩く光るハートが現れていた。


「いいだろう……持って行け! 信じる心だ!」

 魔物が放ったそれを受け取り、ヨンシュはにやりと笑った。

「ありがとう!」






「スゲーッ! 爽やかな気分だぜ。新しいパンツをはいたばかりの正月元旦の朝のようによォーっ!」


 「信じる心」を手に入れたホフマンはそう吠えた。ヨンシュは無事再会できた姉妹と、彼の顔が別人のように晴れやかになるのを微笑ましく見つめる。


「馬車はアンタたちにやろう。その代わり、僕も連れて行ってくれよ! あんたらと一緒なら、何だか道が開ける気がするんだ」

「おう、勿論だぜ」


 ヨンシュとホフマンは堅く握手を交わした。

 信じる心を手に入れたヨンシュ達の旅路は、まだまだ続く。

 

 

 

※第32回ワンライ参加作品/お題「うらぎりこぞう」


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