「寄ってらっしゃい見てらっしゃい! ルイーダの酒場恒例、腕自慢大会の時間ですよ! 見るついでにやらなきゃ損々! さあお客さんやってらっしゃい!」
ざわめきの中を高い声が通る。人々の振り返った先は酒場の中央、まだあどけない面差しの少年が声を張り上げる。
「さあお待ちかね、腕自慢大会! 優勝者にはオーナールイーダ特選の紅白ワインをそれぞれ樽一個分プレゼント! どうです? 参加しませんか!」
面白そうだな、やってみたい、題目は何だ、などと言葉が飛び交う。少年の周囲に旅人達がまき餌につられた魚の群れの如く押し寄せる。それを待っていたかのように、少年は唇の端を吊り上げた。
「ルールは簡単です。こちらをご覧ください」
パチンと指を鳴らす。会場の奥から巨大なハートの形をした石が現れる。少年二人分ほどもあるそれは、直火で炙られたように真っ赤に染まりあがって確かな熱を放っていた。
「こちらにございます、名付けて王女の愛。これを正拳突きで割ることなく穴を開けられた方が優勝です!」
「おい不吉だぞーっ!」
「愛を割ってどうするんだーっ!」
「割るのではありません、風通しを良くするのです。熱い二人の間にはそれもまた時として必要でありましょう」
野次が飛んだが少年はさらりと受け流した。高熱を放つそれのそばにいても、彼のくすんだ茶の髪は汗で湿る気配がない。
「なんだ、それなら簡単だ」
筋肉質な男が立ち上がった。周囲より一つ抜きんでた頭は綺麗に剃りあげられ、頭頂部に明るい紫の髪が一房立っている。彼が前に出ようとすると、自然と人垣が割れた。
「このハッサンが挑戦するぜ!」
「結構。では王女の愛の前へどうぞ」
男が肩を回しながら進み出る。少年は観客に向かって語りかけた。
「さてこれよりまず挑戦しますは旅の武闘家! 港町サンマリーノが生んだ文句なしのいい男! 誰もが認める史上最強最高の大工! ハッサン!」
「いけーっハッサンさーん!」
「かっぽれかっぽれー!」
声援に丸太のような腕を上げて答える笑顔が赤い。照れではない、酒気を帯びているのだ。
ハッサンは酔った者独特の足取りながら、しっかと足を踏ん張り腰を据える。
「喰らえ! 正拳突き!」
目にも留まらぬ褐色の風がハートへと吹き付けた。
「あっちーっ!」
しかし、風は寸前で止まった。男はでかい図体でぴょんぴょんと跳ねて全体を酒場を揺らしながら、突き出したはずの拳に息を吹きかける。
「さすが王女の愛だぜ! 熱くて火傷しちまいそうだ!」
場に大きな笑いが弾けた。ハッサンは給仕から水を受け取り、拳にどばどばとかけて一息吐く。
「おーい兄弟! しっかりしてくれよーッ!」
「んもーっ! ハッサンったら!」
笑いを多分に含んだ声かけが彼を励ました。男は剽軽にぺろりと舌を出して、悪ぃ悪ぃと頭を掻きながら席へと帰っていく。
「私がやるわ!」
明るい女性の声が響き渡った。人ごみを掻き分け掻き分け、躍り出たのは小柄な少女。しかしその姿を認めた少年は莞爾と微笑んだ。
「さあ、次に参りますはこちら! 立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は大魔神! サントハイムの鬼姫、アリーナ王女!」
「こりゃーっ! もっと淑やかな紹介にせんか!」
老人の叱咤が飛ぶが王女は気にも留めない。ただキラキラと輝く紅茶色の瞳に大きなハートが映り込んでいる。その姿はまさに武闘に恋する乙女と言えよう。
「いくわよっ!」
大きく腰を落とし繊手を引く。二の腕が盛り上がり、拳がハートに向けて炸裂した。
「正拳突きィーっ!」
拳がつくか否かといううちに、巨大な心は砕け散った。蛍に似た儚い瞬きが霧散する。
「わーキレイ」
「ひっ姫様ぁぁ!」
「嫁の貰い手がー!」
情けない悲鳴が上がっても王女自身はどこ吹く風。寧ろすっきりしたと言いたげな表情である。
「大丈夫です」
彼女のお付きたちの嘆きに対応したのは、司会の方だった。
「この欠片をまず集めまして……」
どこからともなく現れた黒子達がバラバラに砕けた欠片を集める。ただの黒い石になってしまったそれらを手際よく組立てハート型に支える。そして少年は両手を掲げた。
「皆様に愛の奇蹟をご覧いただきましょう! 三、二、一、です。皆さんご一緒に! せーのっ」
三、二、一!
大合唱が歓声に変わる。黒い心臓は赤き生の輝きを取り戻し、再び脈打ち始めた。その不可思議に観客が湧く。司会に黄色い声と指笛、拍手が向けられた。
「ありがとうございます、皆様ありがとうございます。愛が砕けても大丈夫。また一から組み立てて築き上げればいいのです」
幼い顔に似つかわしくないませたことを言い、少年はまた周囲を見回した。
「さて、他にどなたかいらっしゃいませんか?」
「俺がやる!」
青いグローブを嵌めた手が上がった。視界がここぞと言わんばかりに叫ぶ。
「おーっとここで注目株が立ち上がりました! 峻嶮なるローレシア山脈が育んだ、人呼んで人類の生物兵器! その圧倒的暴力が空気を、流れを、王女の愛を破壊するか!? ロトの落胤剛なる者! ローレシアの王子アレン!」
「おいちょっと待て!」
会場がどっと沸く。王子が前に出てくる。ハッサンほどの筋骨隆々とはいかないまでも、王子というより将軍にふさわしい風格を兼ね備えた体格をしている。しかし、予想外の紹介文句に驚いたのか、年相応らしい狼狽ぶりを見せている。
「王子お願いします、正拳突きです!」
「王子割るなよーっ!」
「かっこいいぞ王子ー!」
「うるせーッ!」
茶化す声を怒鳴りつけて彼は目標に向き直った。息を詰め、なんと両手を突き出す! 途端、ハートが霧となって宙に溶けた。
酒場をどよめきが覆う。司会は楽しそうに声を張り上げる。
「何ということでしょう、愛が消えてしまいました! さすが王子! 剛力も剛力、まさに怪力であります!」
「そっそれよりどうするんだよこれ!」
「ご安心ください」
慌てる王子とは対照的に、涼しげな顔のまま司会は何やら囁いた。すると不思議、消えたはずのハートがたちまち宙のうちにその姿を現した。皆瞬きするも、燦然と熱をもって輝く愛は消えない。
「消えた愛が再び灯ることもあります。またはいっそ何もかも変えてしまうのも手です。それは皆様次第……さて、お次に挑戦なさる方は?」
「あたしがやるよ」
黒いおさげが静かに跳ねた。司会の少年も小柄だがまたそれより小柄だろう少女だ。
「よろしいでしょう、皆様お初にお目にかかります! ルイーダ本店アリアハンの登録! 小さな体に秘めたる未知のパワー! 名もなき挑戦者!」
拍手が彼女を迎えた。その一方で無茶すんなよなどという労わりも聞こえてくる。彼女は各方面へ頭を下げて、一気に顔つきを変える。強気な眦の鋭さが増した。拳法の構えでハートに対峙し、呼気を整える。
「はっ!」
疾風がハートのど真ん中を貫く。赤い中央には――小さく、しかしはっきりと杭で打ったような穴が開いていた。
見物人達が驚きの声を漏らす。それまでの熟れすぎた林檎のような色合いだった愛は、淡い七色に輝いて勝者を祝福していた。
「おめでとうございます! 見事熱くなりすぎた王女の愛が適温に! さあ、景品のワインを」
「あ、待って」
カウンターの裏から巨大な樽が覗くのを見て、優勝者は声を上げた。
「あたしそんなにあっても困るから……それより、このお酒ここにいる全員にあげて。みんなで飲んで欲しい」
大歓声がルイーダの酒場を揺らした。少年は笑顔で鈴を鳴らす。裏方から給仕たちが飛び出して、カウンターに置かれたワイン樽から次々と注いだワインを放出し始めた。ワイングラスが人々の手に渡っていく。
最後に司会がワイングラスを手にし、掲げた。
「では皆様、ご唱和ください。この出会いを祝して――」
乾杯!
グラスを合わせる高い響きがあちこちで和音を奏でる。始まりより一段と明るくなった談笑を聞きながら、司会は微笑んでグラスを置いた。
※第30回ワンライ参加。
お題「正拳突き、力自慢」選択。
20150113