剣は己の身体の延長だ。一部と言っても過言ではない。

 アレフは群がる烏合の衆を腕ともはや一体化した剣で薙ぎ払う。大半は斬られ血飛沫となって地に落ちる。ただ、甲羅の硬い軍隊ガニの上位種と大魔神が残っていた。

 迷うことなく蟹の群れに突進する。ハサミが振り上げられた。振った太刀で跳ね返して甲羅の中心に気合と共に突き込む。今度は一刀両断に断てた。その要領で気を込めて残りを断っていく。目の前の蟹に黒い影が落ちた。はっと飛びのく。巨大な足が落ちてきて、蟹の数匹が潰れた。

 こっちが先か? 大魔神の執拗な追撃を躱しながら考える。だがあの蟹の催眠攻撃は厄介だ。大魔神と向き合っている間に喰らったらまずい。

 やはり蟹を地道に倒しながら大魔神の攻撃を躱し、できることなら足くらい潰してしまおう。剣を手の中で持ち直す。

「動くな」

 背後でした声に咄嗟に従って正解だった。アレフが向かおうとしていた方向、うじゃうじゃと群れる蟹たちがいた場所へ巨大な氷針の雨が降り注いだ。狭い洞窟を揺らして氷針は地を抉る。たちまち仕上がった鋭い氷樹の林に、動く者はない。

「アレフ、横だ!」

 思うより先に身体が反応した。大魔神が歩み寄り、一つに重ねた拳を振り下ろそうとしていた。

 普通ならあの拳の染みになるだろう。だが、相手が悪い。

 一閃で両腕のオブジェが宙を舞う。二閃でトルソーの中央に位置する岩の心臓を切り裂いた。

 音が止む。時が止まったかと錯覚する間に、ゆるやかに石像は後ろへ曲線を描く。そして命が完全に失せた時、巨像は粉々に砕け散った。

 アレフは息を吐く。剣を鞘へと納める彼の耳に、石の欠片が跳ねる音が届く。

 かつて魔神だった砂利の上を男が歩いている。すらりと伸びる体躯、甘い目鼻立ちながら凛として秀麗な顔容、背景の闇に溶け込みそうな逆立つ髪に嵌めた銀のサークレットは仄かに明るい。そんな男が拍手をしながら微笑みかけてきたら、妙齢の乙女ならきっと頬を赤らめはにかむだろう。だがアレフは実直に頭を下げた。

「腕を上げたね。前より重さが増してるのに速い」

「恐れ入ります」

 男の言葉はアレフにとってこの上ない名誉だった。何故なら、彼は幾百という年月が流れても故郷にその名を轟かせる先祖なのだから。

 男はグローブを嵌めた手を上に掲げた。

「見惚れちゃうよ。君みたいな子孫がいて鼻が高いな」

「そんな……」

「アレフは戦闘中でも姿勢がいいね。軸がぶれてないのがよく分かるよ」

「ありがとうございます」

「それが君の強さの証なんだろうな」

 彼は子孫の目を凝と見つめた。アレフは逸らしたくなるのをぐっと堪える。先祖の瞳は遥か南国の海のようで、透き通って美しい。それがかえって気まずい。

 緩く弧を描く口唇が薄く開く。

「いつも綺麗に伸びた君の背中を見ていると、誰に頼ることもなく生きて来たんだろうなと思うよ」

 台詞の意図を測りかね、どう返したものかと考えているうちに彼は次の句を続けた。

「アレフ。全部自分一人で済ませようとしてない?」

 息を飲む。咄嗟に返事ができなかった。

「今の奴ら、硬かったよね。何も剣だけで倒そうとすることはないんだよ」

「申し訳ありません」

「謝ってほしいんじゃないんだ。俺と君とがもう少しお互いのことを確認できる距離で、協力して戦っていたら良かったんじゃないかって言いたいんだよ」

 彼の言う通りである。アレフは魔物の群れが出現した時、いち早く「こちらはお任せ下さい」と言って別行動を選択した。最初から打ち合わせていたら蟹の群れと大魔神に手こずらされることもなかったのだろう。

 アレフは何と言ったものかと迷う。先祖は柔らかく尋ねる。

「相手が俺だったから?」

「いえっ! 私は……俺は、それが癖なんです」

「そうだね、きっとそうなんだ」

 無理もない。そう呟く声が聞こえた時、アレフの視界はぐらりと揺れた。地に着いた己の膝といつの間にか背後に立っていた先祖を順に見て、彼に自分の足を崩されたことに気付いた。

「え、あれ……?」

 アレフは戸惑う。何も衝撃は感じなかった。なのにどうやって。

「引っかかった! アレフはまっすぐすぎるね」

 サタルは子どものように愉快そうに笑っている。子孫は困惑して彼を見上げた。

「サタルさん?」

「ほら、たとえばこうなった時に」

 目の前にグローブが差しだされた。アレフは手を伸ばしかけて戸惑う。しかしサタルは強引に彼の下ろしかけた手を掴んで立ち上がらせた。意外にその手は逞しかった。

「君を助ける誰かが欲しくない?」

「助ける……」

 口に出して言ってみるが、イメージが湧かない。これまで戦いは全て一人でやってきた。苦戦を強いられても粘り強くこなしてきたものの、自分にあの動きができればあの呪文が使えればと自分の不足に幾度も歯噛みした。世界を越えるようになって既に何度か連携をしていたが、周囲と自分を比べてやはり劣等感を抱くばかりである。

 サタルは握った右手を己の胸に添える。

「戦ってるのは君だけじゃなくて、俺達だよ。自分一人がどれだけ頑張れるかよりも、自分達がどう戦えるかが大事なんだ。それにそんなに気張らなくても二人いるんだから、一緒に戦えば攻撃も守備も二倍じゃないか」

 アレフははっとした。戦っているのは自分達。当たり前のことだが、足を引っ張るまい負けるまいという思いで忘れていた。自分が足りなくても他者が補ってくれる。世界を越えてから感じていた息苦しさが、ふと和らぐのを感じた。

 先祖は不敵な笑みを見せる。

「ついでに言えば俺はサポートが得意だから、二倍なんてものじゃなく君の力が三倍四倍に発揮できるようにしてあげるよ」

 アレフは目を見張る。サタルは彼の顔を見て首を傾けた。

「俺って頼りない?」

「いえ! 決してそんなことは!」

「じゃあ頼ってよ。俺はロトだよ? 君の背中くらい守って見せるさ」

 唖然とした。両親が死んでから、彼を守ると言ったのは妻のローラと臣下くらいだった。

「その代わり、俺のことも守ってくれる? 俺は決して強いわけじゃないからね。君が一緒に戦ってくれるなら嬉しい」

 つまり、自分に弱みも含め戦力を全て見せ預けろとこの男は言っているのだ。危険であるはずなのに、それはひどく心惹かれる誘いだった。

「そんな、自分は」

「俺じゃ足手まとい?」

「いいえ!」

「ならいいね」

 サタルは人の良さそうな笑みを浮かべた。

「連携が慣れないなら練習しよう。俺が指示して、一緒に戦う。だんだん慣れていけばいい。きっといいコンビになれるよ、俺達」

 アレフはこの後、改めて先祖に心酔していくことになる。






「待って下さいッ!」

 アレンは全速力で駆けだした。視界の端、廊下の曲がり角に紫のマントがひらりと舞うのが見えた。

「俺の帽子盗ったでしょう!?」

「帽子ってなに? 金の冠ぃ?」

 先祖は尋ねながらも走る足を緩めない。

「ロマリア王かっ! 俺のいつも被ってるゴーグルとメットですよ!」

「あれなら呪われてたから預かってるよ! しばらく被らない方がいいよ!」

「何の呪いですか!」

「被ると性格がむっつりスケベになる!」

「んな呪いあるか!」

「あっむっつりはもとからか!」

「しばくぞゴラッ!」

 軽やかな笑い声はだんだん近くなってくる。振り返った笑顔が引き攣るのが見えた。アレンはタックルするようにして前を走る男を捕らえた。

「やーっと捕まえた! さあ、俺の帽子返して下さい!」

「やだ! これをサマンサに被ってもらうまで離さない!」

「それをやめろっつってんだこのっ!」

「あいたたたたたた分かったやめるやめる!」

 関節技をかけてやると先祖はやっと帽子を離した。アレンは乱暴に奪い取って被る。ゴーグルをつける彼を、サタルはにやにやしながら見ている。

「何ですか、気味が悪い」

「いやー。血は争えないなと思って」

「はあ?」

「君は俺の一番愛しい人に似てるんだ」

「……やめてください、本気で寒気がします」

「酷いな!」

 アレンは大きく後退して距離を取った。サタルは大袈裟に心外そうな顔をして見せている。だが、これくらいで傷つく大先祖じゃないことを末裔はよく知っていた。

 愛しい人ってどの人だよ。アンタ何人一番愛しい人がいるんだよ。などとツッコみたいのを堪える。そんなことを言ったところで真面目に答える先祖ではない。アレンはさっさと自室に戻ろうとした。

「君が生まれてくれて良かったよ」

 ところがそんな声が聞こえてきたものだから、思わず足が止まってしまった。

「何言ってるんスか」

「このサタルめにローレシア王子殿下の栄光を称えさせてくださいまし」

 仰々しくサタルは腰を折る。アレンは呆れてかぶりを振った。

「破壊神を倒すまで、俺そんなこと言われたこと一度もありませんよ」

「それはおかしいな。こんなに良い子なのに」

「嘘くさいこと言わないでください。直系の王族のくせに魔法が使えないからですよ」

 おまけにこの色素のさっぱり抜け落ちたような髪と、本来なら人種的に生まれるはずのない褐色に近い肌だ。悪魔の子ではないかと囁かれているのを聞いた時はさすがに呆れたが、本当にそうだったらと考えたことも一度や二度ではなかった。

「君達の時代は世界のせいでそういう人が多かったんだから仕方ないじゃないか」

「仕方ないって言ってくれる人より、どこの間違いの子かって言う人の方が多かったんですよ」

「それは酷いね」

 アレンは振り返った。先祖の優男然とした面には、珍しく笑みの欠片もなかった。

「今でもそんなことを?」

「え……いえ。少なくとも、表立っては」

 サタルの眉根が寄っている。こんな真面目な様子を見たのはいつぶりだったか。彼はしばし顎に手を当てて考えていたが、やがて口を開いた。

「いいかい。君は俺の知る二人の人間に似ている。一人は俺に剣を教えてくれた人。もう一人は、武術を教えてくれた人だ」

 アレンは息を飲んだ。ロトに剣を教えた人間、武術を教えた人間――それ即ち、彼の得意とするロトの剣技を編み出す祖となった人物たちだった。

「戦士の方は魔法が使えなかった。けれど立派な人だったよ。魔法が使えないなんて欠点にも感じさせない、強い男だった。肌の色が濃くて体つきは逞しい。武闘家は小柄だけど、武術を操らせたら大の男にも負けなかった。綺麗な子なんだけど素直じゃなくてね。そこがまた可愛いんだ」

「アンタ、何を」

「その武闘家は俺の恋人だ」

 アレンは彼が何を言いたいのか分からなかった。サタルはそんな彼の様子を見てとって、つまりと言い直した。

「君のその容姿、性格、どちらも俺の親しい人たちのものを継いだんだろう。多分俺の孫あたりで、彼らの血も入ったんだ」

「そんな……無茶ですよ。何世代離れてると思ってるんですか」

「でも代々伝えたらしい剣術と俺の代から数えても十人しか操れる者がいなかったという気闘術の両方を操る君と、あの二人が似てるのが偶然だとは思えない」

 アレンは言葉に詰まった。そんな都合のいいものがあるものか。それが言えなかった。

 大先祖はにこっと笑う。

「まあそれはどっちでもいいさ。君の顔はアレフに似てるし目の色はローラ姫とそっくり同じだから、それで血統の証明としては十分じゃない?」

「そうですか?」

「俺は君が子孫で嬉しいよ。構いがいがあって面白いし」

「バカにしてるんですか」

「他の誰がこれから何と言おうと、俺は君がいてくれて良かったと思う」

 アレンは大きく溜め息を吐いて、額を打った。

 どこまでが冗談で、どこからが本気なのか分からないお調子者め。思わず舌打ちをした。

「これだからアンタ嫌だ……」

「何で!?」






「疲れてるねえ」

 アーサーが机で突っ伏しているとそんな台詞がかかった。顔を上げれば、優男が琥珀色を称えたカップを片手に差し出していた。あ、この匂い甘いヤツだ。好みの香りを嗅ぎ取ったので受け取る。

「あーサタルさん。こんにちは」

「日頃の業務疲れ? 修業疲れ? それともどっかの青い子と赤い子の通訳疲れ?」

「全部です」

「大変だなあ」

 全くですよ、とぼやいてカップを傾ける。ちょうどいい甘さの紅茶だ。正面に座った大先祖をちらりと窺う。この人、僕の紅茶の好みなんてどこで知ったんだろう。

「アーサーは頑張るね」

「頑張ってるつもりなんですけど、全然前に進めてる気がしません」

 仕事は片づけても片づけてもやってくる。修行は剣も魔法も一筋縄ではいかない。青いのと赤いのは旅をしてた頃からお互いを好きあっていたくせにまだくっつくのくっつかないのを繰り返している。

 気が付けば、アーサーはそういったものを全て目の前の男に吐き出していた。口は決して軽い方ではないし、愚痴の多い方でもない。なのにどうしてそうしてしまったのだろう。自分でも分からなかった。

 サタルはそれによく相槌を打ち同調し、微笑んで聞いた。そしてアーサーが全て語り終えると、このことは他言しないことも約束した。

「……サタルさん」

「なに?」

「もしかして、真実薬入れてませんよね?」

「入れてないよ」

「本当ですかぁ?」

「心外だなあ。俺がそうしてどうするんだよ」

 サタルはくつくつと笑う。いつもこの人は楽しそうだと思う。この常ににこやかな大先祖に、自分の燻っている思いをぶつけてみたらどうなるんだろう。ふと、アーサーはそんなことを思いついた。

 ここまで話してしまったし、言ってみようか。

「僕、羨ましいんです」

 ぽつりと呟いた。

「嫉妬とはちょっと違いますけど。アレンみたいに筋肉がつきやすくて剣や武術の才能があったらとか、サマンサみたいに魔法の才能があったらとか、上手くいかないことがあるとつい思っちゃうんです。二人のことは勿論好きですけど、それと比べた時に僕ってなんてダメなんだろうって」

 すると先祖は顔つきを変えた。甘い笑みのない分、鋭さが増した真摯な表情だった。しかし、威圧感はない。

「君には君の長所と短所があって、彼らには彼らの長所と短所があるってことは分かってるだろう?」

「はい。僕、器用貧乏なんです」

 サタルは指を耳のあたりに沿えて黙り込んだ。アーサーはてっきり形の整ったおざなりな言葉で片付けられるものとおもっていたので、この反応を意外に思った。

「こういうと嫌かもしれないけど……」

 やや間を空けて、迷いを振り切るようにサタルは首を横に振ってから言った。

「アーサーは、俺に似てるのかもしれないな」

「僕が?」

 アーサーは改めて眼前の先祖を凝視する。絵に描いたような美青年だ。身長はアーサーよりやや高く、筋肉量もアーサーよりあって、むさ苦しくなく適当な量であると思う。彼は綺麗で格好良かった。それが、自分と?

「俺はこう見えて、剣をまともに握りだしたのは十五歳くらいの時なんだ。それまで身体が弱くてさっぱり剣術なんてできなくて」

 自分もだ。剣術はあまりやってこなかった。

「魔力量は多いけど使いこなせなくて、失敗ばかりしてた」

 魔力はあった。けれど師につき書物を読んで勉強しても上手に魔法を使えなかった。

「でも、旅に出て少しはちゃんとやるようになって……今ではまあ、それなりにね」

 アーサーは身を乗り出した。

「サタルさん、戦いは好きですか?」

「正直あんまり。物騒なのは苦手」

「旅行は?」

「好きだよ。のんびり色んなところを回りたいね」

「困難や苦労は?」

「やだなあ。楽に平穏に暮らしたいよね」

 アーサーは破顔した。サタルと会話を始めてから、初めてのことだった。

「僕もです!」

「俺達気が合うかもしれないね」

 サタルも口元に笑みを浮かべた。それから人差し指で軽く机を叩く。

「俺は頑張れとか無責任なことは言いたくない。けれど、たまに練習や話を聞くくらいなら付き合うよ」

「本当ですか?」

「うん、勿論。でも他の二人には秘密な。知られたらうるさいだろうから」

 彼らは悪童のように笑い合った。アーサーはその時、ああ、この人と話すのは気が楽だなと思った。






「私、昔はアレンみたいな男の子に生まれたかったなって思ってました」

「どうして?」

「いくらムーンブルクが魔法大国でも、戦いに行くなら身体は丈夫な方がいいと思って」

「勿体ないよ、こんなに美人なのに」

「それより、頑丈な身体の方がいいって思ってたんです」

「まあ気持ちは分かるなあ。俺もアレンみたいに無双したいって思う時あるよ」

「ですよね! 強い身体って憧れだったんです」

「今はどうなの?」

「あまり、そうは思わなくなりました。前は非力な自分が許せなくて仕方なかったけど、今は一人じゃないって思えるようになったんです」

「そうか、良かった。サマンサがアレンみたいなムキムキになっちゃってたら、俺今頃泣いてたと思うよ」

 サマンサはころころと笑った。風が吹いて、豊かな紫の巻き髪が肩口に零れた。

 憩いの宿のテラス席に彼女達は向かい合って座っている。テーブルの上には焼いたお菓子とティーセット。どちらもサマンサが用意したものである。

「サタルさんて、お兄様みたいです」

「嬉しいこと言ってくれるね。俺も君みたいな可愛い子が妹にいたらって思うよ」

 先祖は双眸を細めてそんなことを言う。サマンサは頬がちょっと熱くなるのを感じた。可愛いはあまり言われ慣れていない。

「お、恐れ入ります……」

「いっそ兄妹になっちゃおうか」

「えっ? いいんですか?」

「うん。最初にお兄さんって呼ぶところから始めよう」

 サマンサは息を吸う。だが澄んだ碧眼に自分の姿が映り込んでいるのを認め、うっと詰まってしまう。

「だ、だめ……恥ずかしいです」

「大丈夫だよ。ほら言ってごらん」

「え、えと……お、おにい……」

「うん、いいよいいよ。わー可愛い」

「何やってんスかアンタ」

 低い声がした。サマンサは思わず座ったまま跳ねあがって振り向く。凛々しい眉を思いきり中央に寄せたアレンと、対照的にのどやかに笑むアーサー、興味津々といった顔つきのアレフがいた。

 穴! 穴があったら入りたい! サマンサは動揺のあまり犬だった頃に戻ってどこかもぐれるところを探したいと切に願う。煮えたぎるような彼女の頭に反してサタルの涼しげな声が耳に届く。

「サマンサが妹になってくれるって。いいだろう」

「別に羨ましくねえし」

「そうだよね。妹だったら結婚できないもんねえ」

「なんっ!? ばっ!」

 のんびりとしたアーサーの言葉に、今度はアレンが茹で上がった。口から意味不明な言葉を漏らし、耐え切れずアーサーに掌底を喰らわせようとするが彼は一足先にサタルの後ろへと隠れてしまう。

「アーサー! このやろっ!」

「いい加減ヘタレ卒業しなよ」

 今度はサタルが言い、アレンがもう耐えられんとばかりにその場を蹴った。顔を真っ赤にしたままサタルとアーサー目がけて走る。標的の二人は笑いながらテラス席を飛び出した。

 どうしてアレンは怒ってるんだろう。サマンサは小首を傾げる。分からない。

「義兄弟の契りか。羨ましいな」

 奇妙な追いかけっこをサマンサが眺める横で、アレフがそう呟く。するとこちらに向かって逃げてきていたサタルが走りながら問うた。

「何ならアレフもなる?」

「よろしいのですか!?」

 アレフは顔を輝かせた。しかしたちまち顔を曇らせる。

「はっ、でもそうすると子孫という肩書をなくすことになってしまう。俺はどうしたら……」

 今度は悶々と悩み始めた。サタルは遠く離れたところで、おどけてアレンに手を振っている。アーサーは少し離れた木の影からにやにやと鬼の様子を見ている。アレンはその中間でどっちに行こうかと左右を睨み付けている。

 男の人って、よく分からないけど楽しそうでいいなとサマンサは思った。






「サンドラ! ちょっと見てくれよ!」

 ラウンジで先日の任務について書類をまとめていたところ、騒がしい片割れがやってきた。サンドラは溜め息を堪えて、何? と尋ねてやる。彼は幼子のように瞳を輝かせて手にしたものを見せた。

「可愛い子孫達にプレゼントを用意したんだ。どうかな?」

 両の掌に乗る大きさだが、洞窟で見るようなきちんとした宝箱である。

「小さいわね。四人分ちゃんと入ってるの?」

「入れたよ、道具袋を真似してね。あとはしっかり鍵かけといたからこれをアバカムで開けようとして宝箱がガタガタ震え出して――ふふふ楽しみだなあ」

「バカじゃないの」

 彼が子孫にくだらない悪戯を仕掛けるのはいつものことだが、呆れてしまう。彼のことだ、きっと一筋縄じゃいかないよう幾重にも仕掛けを施しているのだろう。そもそも、まともなプレゼントが入っているかどうか自体怪しいものだ。

「貴方、子孫で遊ぶの好きよね」

「うん、楽しい」

 サタルはあっさりと言う。可哀想な子孫達だ。

「アレフは変な奴だし、アレンはおバカツンデレだし、アーサーはぼやっとしてるけど食えない奴だし、サマンサは鈍感ちゃんで面白い」

「酷いわね」

「いつも本人達にそう言ってるよ」

 この男は他人をおちょくるのが好きなのだ。それでも付き合う彼らも変わっているというか、何というか。そう言うと、サタルは同意した。

「血縁って変なものだよね。こんなに遠いとほとんど他人も同然なのに」

「でも繋がってることは繋がってるでしょ?」

「うん。そのお陰で面白いから、まあ悪くないかな」

 さて、あと何を仕掛けようか――ロトは愉快そうに手の内で小箱を回した。












20150129