無数の鬼火が浮いている。厄介なことになったもんだ、と誰もが思っていた。
 襲いかかってくるのを待ってはいた。しかし何もこの、ちょうど疲労が溜まって刀装も剥がれつつあり、一時撤退しようかと考えていた頃合いでなくたっていいではないか。
 そうは思っても言っていられない。不吉な稲光を背に現れた人ならざる時の役人を前に、彼らは一斉に陣を展開し対処する。
 敵陣の一際速い槍は、遠戦を制した直後長谷部が砕いた。槍同士の戦いでは同じく槍の蜻蛉切と日本号が勝利をもぎ取り、太刀と薙刀を太郎太刀の強烈な斬撃がえぐる。
 ここまでは良かった。しかしその後、敵薙刀の一閃により刀装が壊滅。味方の体力は、これまでの戦での消耗により残り半ば。
 よりによってこの時に、大太刀が兇刃を振り上げる。
「針の穴を、」
 少しでも受け流そうと身構える男士たちの背後。冴え渡る光が、振り下ろされる禍々しき刃に炯々とした反射を投げかけた。
「通すが如くッ!!」
 後にこの掛け声さえ無ければ放たれたことさえ気付かなかっただろうと言われた一撃は、過たず大刃を砕き暗黒に染まる胴体の中央を貫いた。
 敵の黒面が痙攣し、首元から地面へと折れる。それを見届けた後、中央に刺さっていた槍がその身を抜く。
 一転。暗澹たる空が晴れわたりぱっと桜が舞った。その淡い色の花吹雪を一身に浴びた長身は、困ったような声を上げる。
「俺? 俺が一番でいいのか?」
 御手杵は純粋な戸惑いの瞳で、周囲を見回した。







 思うに御手杵という槍は、本人が思う以上に武器らしい。
 初めにそう称したのは、この本丸のうちの誰であっただろうか。
 審神者の技によって顕現されし由緒ある刃のうち、本丸に現れたその時、あるいはそれより以前から人のように振る舞う刀剣は多い。
 たとえば蜻蛉切は武士の心を説き、日本号は酒の酩酊を楽しむ。その景色はいたって様になっており、下手な人でなしより余程人間らしい人情味に溢れている。
 しかし御手杵はどうだろう。
 人のように振舞ってはいる。人の生んだ娯楽も嗜むし、他の男士と戯れる様も楽しげだ。
 だがそれでも門をくぐる時に必要以上に身をかがめすぎてしまったり、自分の視界がやけに低く感じてしまったりと、槍身のみをよすがとしていた頃の感覚が抜けない。そして何より彼が槍らしいと他者に感じさせるのは、己のその長い穂先で如何にして敵を貫き屠るかということにかける、おおらかな彼にしては一種異様にさえ思える程の執心だった。
「あー。退屈だなあ」
 その日の御手杵は、縁側に長い脚を伸ばしてぼんやりと庭に降る雨を眺めていた。
 昨日の戦いで、少々無茶をしていたらしい。帰還するなりただちに手入部屋行きと一日の休養を命じられ、彼はただ徒然を持て余していた。
「おい旦那、寝てなきゃ休みにならんだろう」
 そう声を掛けたのは内番姿の薬研だ。出陣がない時は手入部屋お目付役を仰せつかっている彼は、まるで人の医者のような立ち振る舞いが身についている。
「あんた、結構疲労が溜まってたんだぞ。身体は重くないのか?」
「疲労感っていうのも、悪くないもんなんだよなあ」
 御手杵は答えているようですっとぼけた台詞を返す。しかし薬研は気にせず、彼の隣にどっかりと腰掛けた。
「だが、疲労が溜まると折れるぞ?」
「難儀だなあ」
 溜息を吐く。しかしいつもなら休みとなれば手合わせなり現代の娯楽なりに興じる彼がこうして静かにしているのは、本人にもそれなりの疲労の自覚があるからかもしれない。
 しとしとと雨が降る。細かな雫が空に散るせいか、平時の景色が薄墨を浴びたようにけぶって映る。梅雨でもないのに本丸に雨粒が落ちると花開く不思議な紫陽花の桃や藤色も、軒先から滴る涙を受け止める苔生した大岩の蒼も、なべて押し黙り重たげに地へもたれかかっている。
 そんな景色の中にいるせいだろうか。常ならば無垢な子犬じみた御手杵の明るい色の瞳にも、どこか微睡みそうな気怠さがたゆたっていた。
「なあ。刀の身体だった頃に、他の槍連中と戦に出たことはあるのか?」
 しかしその声は、存外しっかりした調子で語りかけてきた。薬研は細い眉を上げる。
「ない。あの頃は俺っちも、我が身ならぬ身だったからな」
「そうか。俺も見たことがなかった」
 御手杵は庭を見つめたまま答える。先程からまともに薬研の方を向こうとしない。おかげで薬研は、その眠たげな横顔ばかりを見つめる羽目になっている。
「だが、今の姿を見れば往時も大方見当がつく。俺たち刀剣男士は、あくまで本体が主体。本体の一番いい振るい方を、本体に従って人の主より上手くこなせるーーそれがこの身の良いところだ」
 ここで初めて、御手杵の視線がこちらを向いた。華美ではないが精悍に整った目元が、真っ直ぐに薬研を刺してくる。
「日本号の槍さばきは綺麗だよな。迅速で華麗で、不敵で。日の本一の名は伊達じゃない」
 そう言ってから御手杵は、妙な顔つきになった。
「伊達じゃない、当たり前じゃないか黒田だから」
 だけど日の本は、などと口の中でブツブツと呟いている。自分の口にした言葉が妙であったらしい。
「旦那、間違ってないから気にすんな。言葉の綾だ」
「それだ。言葉の綾」
 御手杵は我が意を得たりと薬研を指差す。
「蜻蛉切は一撃に重量があって、さらになにより頑丈だ。あの立派な槍身だからこそ、無傷の常勝を謳われたと」
「あんただって、いい槍だぜ?」
 ありがとな、と御手杵は微かに笑った。人の良さが滲み出る表情だ。
「なあ、薬研は人の身には詳しいのか?」
「んー、そうさな。手入れなんぞはできんが、それなりにな」
「魂の語源を知ってるか?」
 突拍子も無いことを次々に聞いてくる。しかし返答を得たかったわけでは無いらしく、薬研が答える前に自ら解を口にした。
「俺の時代にはもう馴染んじまってた言葉だから分からねえけど、玉ノ火と書くのがもとなんじゃないかという説が有力らしいな」
「言われてみりゃあそうだな。霊は火の玉と相場は決まっている」
「魂は火なんだそうだ。この国だけじゃなくて希臘やら遠方の複数の学者が言ってたことらしいから確かだって、歌仙が言ってた」
「ほう」
「俺の火は、熱いのかなぁ」
 長い指が現し身の胸をさすって握る。まるで、己の魂の輪郭を確かめようとでもするかのように。
「戦ってる時身体が熱くなるのは、魂のせいじゃないんだろ?」
「おおよそ人体のせいだな」
「じゃあそれとは別の、こう、もっと熱くなるけど氷水かけられたみたいな、うーん」
「ゆっくり言葉を選んでくれて構わないぜ、旦那」
「敵を仕留めるか仕留められるかという瀬戸際で感じる、この身のうちから肌ごと消し飛ばすように迸る灼熱ーーあれはどうして起こるんだ?」
 薬研はしばし思案する。見つめる御手杵の双眸は、いたって真摯だ。
「気分が、昂揚してるんじゃないのか」
 命の危機だから。
 薬研はややあって、未だ考えこみつつもそう答えを口にした。
「へえ。じゃああれは、人の身のせいだけではなく魂の熱でもあるのか?」
「どうだかな。俺っちにもはっきりしたことは分からねえし、きっと大将の時代でも本当の本当に正確なところまでは分かってねえだろうよ」
「へえ」
 御手杵は目をやや丸くして、納得しているのかいないのか分かりづらい声色で相槌を打った。
「魂は、自分が尽きそうだってことが分かるのか? だから頑張って燃えようとしてるのかな。散り際にパッと燃え上がる、線香花火みたいに」
「粋な表現をするなあ」
「別に気取ったわけじゃない」
 俺はあの温度を知ってるんだ、と彼は語った。
「覚えてないけど、きっと知ってるんだ」
 薬研の菫の瞳孔が、長い睫毛の下から相手を伺う。
 御手杵は常通りのとぼけた顔で、平然として言う。
「肌がチリ、と焼けて消し飛ぶ、その感覚を俺は知っている」
 薬研は何も言えなかった。
 それは戦の昂揚ではない。
(この槍は己が溶け落ちた温度を覚えている)
 暫時目を瞑る。瞼裏の暗がりで、黄色く熟れた線香花火の先がぼたりと落ちる。
「いつだって、溶けて溢れる瞬間が訪れる予感がしている。熱気が肌を舐め、身体が渇き、意識が薄らぐ、あの温度が魂に焼き付いている」
 御手杵は淡々と、重いでも軽いでもなく滔々と語る。
「そして、余計に思うんだ。刺したいってな」
 まるで「喉が渇いたから水が欲しい」とでも言うかのように、何食わぬ顔でのたまう。
「だが、いざ刺すとなるとあの灼熱は便利な時もあり邪魔な時もあってさ。刺したい余り力んで手元が狂った時なんて、人の身でなければ良かったのにとさえ思ってしまう」
 心底残念そうに、吐息を漏らす。
 僅かな手元の狂いをもたらす人の情さえ、邪魔だと言うのか。
(何も、情が要らないと言っているわけではない)
 分かっている。
 本丸の誰もが彼を優しい奴だと称する。薬研も心からそう思う。
 彼は三槍の中でいっとう地味で、それに引け目を感じている、戦うことに誠実な槍だから。
 少しでも己の穂先を敵に通すために、阻むものを除こうというそれだけの意識なのだろう。
(それでも、切っ先の鋭さがために情を野暮ったく思うのを分かる気がしてしまうのは)
 自分もその温度を、もどかしさを、目の前の槍ほどではないにしろ覚えているからか。
「その瞬間が来るのは、怖いか」
 直入に尋ねてみる。御手杵は驚いた風な顔をしたが、すぐに苦笑する。
「怖くないって言ったら嘘になるな」
 率直な物言いだ。
「どうせ遅かれ早かれ終わりは来る。けど、この身が尽きたとしてもこうして自分の身を振るえることもあるって知れたから。なら、俺はどこで終わったってかまやしない。俺の意識がどこかしらで存在する限り、刺して刺して、刺し通したい」
 視線がつと庭先へ移る。軒から伝う雫が苔生した大岩の窪みに落ち、弾けた。
「火に溶けて鈍らになるくらいなら、俺は折れたい」
 明瞭な、迷いのない口振り。薬研は笑みを零した。
「あんたはいい槍だな」
 しとしとと雨が降っている。細かな雫が空に散るせいか、衣服はおろか髪や睫毛さえ、水気を吸って重くなったように感じられる。
「そう言えば」
 御手杵が、ふと思い出したように呟いた。
「魂は水に濡れるとよくないんだってな。もちろん、俺らの鋼も」
 御手杵は言うなり立ち上がって、薬研を引っ張り起こす。
「錆びちまわないうちに中入ろうぜ。うわっなんだってあんた、こんなに湿ってるんだよ」
「その言い草はねえぜ旦那」
「あれ? あ、そっか。俺のせいか。うえぇ、ごめんなぁ?」
 情けなく眉を八の字にして詫びる青年を前に、少年はひとしきり笑った。

 御手杵は優しく、誰よりも武器らしい槍だ。
 その評に間違いはないと、薬研は思っている。