夢を見ている。

 眼前には、六人の男の背がそびえ立っている。

 また、俺は子供になっていた。それも以前よりさらに幼いようで、あの時の森と同じ森にいるはずなのに、俺の目線にちょうど合うのはもじゃもじゃとした茂みのてっぺんくらいだ。たくさん生えている色の悪い木なんて、めいっぱい見上げても伸びた枝先さえ見えないほどで。

 空が見えない。並び立つ木々の先が窺えない。暗い。今はいつで、どこにいるのだろう。

 俺は迷子だった。どこかに行こうとしているのか、それとも家に帰ろうとしているのか、それすら分からない。ちょろちょろと彷徨っていたら、オークの群れに襲われた。そして殺されそうになったところを、彼らに助けられた。

 どうして助けてくれたのかと尋ねたら、どこの誰だろうと困っている者は助けるのがヒトというものだと返された。幼心に、このご時世に奇特な人間だと思った。

 だがそれでも、彼らは格好よかった。あんなに大きな魔物をあっさり倒してしまえる、見事な剣技に巧みな魔法。それらを駆使して戦う彼らの背中は、理屈抜きに格好良かった。

 ――ああ、勇者だ。

 俺は彼らを知っていた。ヤマト全土の戦士たちが憧れる存在であり、この崩壊寸前の連合国家がまだギリギリ保っていられている理由の一つ。

 全戦士の頂点に立つ、圧倒的な実力者。それが勇者だと聞いていた。

 ――俺も、なりたい。

 その雄姿を目の当たりにした俺がそう思ってしまうのは、必然だった。

 

 

 

 

 

 

 

「ねえまっつん。現実の世界での出来事を夢で見るって、ありえるのかな?」

 オイカワが急にそう切り出すと、仲間たちは一斉に彼へと目を移した。

 彼らは今、焚火を囲んで朝食をとっているところだった。昨日は吹きっさらしの家も道もない平野を歩いてきたのだが、日が沈む頃にちょうどいい木立と泉を発見したので、そこで野宿したのである。

 街のない平野や森の、特に夜は魔物が多く出る。だから野宿する際は、結界と焚火が欠かせない。しかし幸い彼らの中には結界を張るのが得意な聖職者のマツカワがいる上に、木立で薪を集めることも交替で見張りをすることもできたので、昨夜は野宿のわりによく休めていた。

「夢で、何か見たのか?」

 パンを咀嚼して嚥下しきってから、マツカワは聞き返した。オイカワは小首を傾げる。

「最近、よく見るんだよね。妙に生々しいんだけど、夢の中の俺はそれが夢であることを知ってるような、そんな夢。でも、目が覚めるとあんまり中身は思い出せないんだ」

 けど、とオイカワは眼前の光景を眺める。

 彼の正面には、焚火が燃え盛っている。その左手側にはイワイズミ、右手側にはハナマキ、そして対面にはマツカワ。

「けど、今何となく思い出した。この世界に落ちてくる日の朝――こうやって、四人で焚火を囲んでる夢を見た」

 人の配置は違うけれど、それとなく思い出した。あの夢を見た時はイワイズミのことしか分からなかったが、今になってみると、あと二つあった知らないシルエットはこの二人だったような気がするのだ。

「森は大分暗かったから、夜だったんだと思う。最初はまっつんとマッキーしかいなくて、それからイワちゃんが帰って来て、三人ともなんか話し出して」

 その時の声の調子、細かい言葉などの記憶は曖昧だけど。

「話してた内容は、多分魔王のことだった」

 オイカワは、マツカワの双眸を見据える。彼の表情はいつもとさして変わらない。

 しかしこのマツカワという男は、意外と表情豊かなのだ。そうは言っても、他人に比べて大きく表情を動かすことはしない。眉も目も唇も変化の少ない方である。

 だが、数日共に行動していれば分かってくる。彼はオイカワのように感情や思考を大袈裟に表すことはしなくても、その感情や考えは確かに仕草に滲み出ている。

「お前はその夢で、どこにいた?」

 たとえば、今の台詞。問いかけから答えるまでに、普段の会話よりやや間があった。

 たとえば、今の顔。眉は動かさず、その黒い瞳孔はオイカワから外さない。唇がもとから厚いので分かりづらいけど、少し口元に力が入ってる。しかし口調は変わらず、淡々としている。力んだりどもったりはしそうにない。

 それらを総合して推察するに、今の彼はきっと、何かよくよく思案している。オイカワがこの世界に落ちてきて、既に十日が経つ。その間に、彼はマツカワがこのように間をおいてじっくり考えてから答える時が、どういう時かを悟っていた。

 ――この世界の俺のことは、そんなによく考えて慎重に話さないといけないような問題なのかな。

「目の前に焚火とイワちゃんの顔が見えたから、まっつんとマッキーの間に座ってたんだと思うよ」

 オイカワは何食わぬ顔で答える。決して「何考えてるの?」などと急かして聞くことはしない。そう聞いた途端、マツカワのことだ、「別に何でも」とはぐらかしてしまうだろう。

 アオバ城砦を発ってから、既に六日が経つ。幾度も戦いを共にしてきて、信頼も芽生えている。

 しかしマツカワを知れば知るほど、彼がまだオイカワに「知らせたくない何か」を隠し持っているように思えてならなかった。そしてその何かはきっと、自分が知らなくて彼が知っていること。つまり、この世界のオイカワのこと――それも、かつての仲間であった衛兵部隊の誰もが本人に話すのを躊躇するようなことに違いない。

 けれどマツカワは、オイカワに現実での記憶を思い出してほしいわけではなかったのか?

「それから、ちょいちょい見るんだよね。ちっちゃい俺が暗い森――多分この世界のアオバの森なんじゃないかと思うんだけど――の中をうろうろする夢」

 マツカワのことは信頼している。それでも、その魂胆が見えないことに変わりはない。それ以上にこの世界の自分が、分からない。

 だからオイカワは、それとなく探りを入れる。それに答えようとするマツカワの表情の些細な変化を、姿勢を、言葉を頼りに、少しずつ彼の魂胆とこの世界の己を知ろうとする。

「確かに、それはこの世界のお前の記憶なのかもしれないな」

 マツカワは頷いた。もう考えているような様子は窺えない。もう彼の中で、慎重にならなくてはならない場面は終わったようだ。今回のヒントは、これで終了。

「お前とこの世界のお前の間の繋がりが、この世界の記憶を見させてるのかも」

「夢が現実の夢を見るって、変な話だな」

 ハナマキが火でマシュマロを炙りながら言う。謎と言えば、彼のこれも謎だ。ハナマキは朝と晩、必ずどこからともなくマシュマロを出して焼いて食べる習慣がある。マシュマロが大好きなのかと思ったが、本人に聞くところによると「そうじゃなくて代用品」なのらしい。甘くてとろっとした生菓子が本命なのだけれど、旅先では食べられないから代わりにこれで口を慰めているのだという。

 それにしても、そのマシュマロはどれだけ持ってきてるんだろう。連日一個や二個どころじゃなく焼いているところを見ているが、一向に終わる気配がない。

「マッキーはそういうの、見たことないの?」

「俺はあんまり、それっぽい夢は見ないね」

 ハナマキは代用品を刺した棒をくるくると回している。その目は、棒に刺されているふんわりと白い肌が狐色に染まる様を凝視している。話を聞く気はあるのだろうか。ハナマキも、考えの読み取りにくい人間だ。結構マイペースで、でも聡いから人に合わせるのが上手い。

「イワちゃんは?」

「夢なんて、数カ月見てねえ」

 イワイズミはあぐらをかき背筋を伸ばし、こちらを見つめて堂々とそう答えた。その姿勢に、何故かオイカワの胸は温かくなる。

 ああイワちゃん。イワちゃんのそういう裏表のない単細胞っぷりが駄々漏れになるところ、俺結構好きだよ。別にまっつんとマッキーが嫌いとかいうわけじゃなくて、むしろ二人とも頼りになって好きだけど、それとは別で。色々ぐるぐる考え込んでる時にイワちゃんのそういう無駄なキレの良さを見ると、もう本当全てがどうでも良くなるよね。

 そんなオイカワの幼馴染への褒め言葉も、口に出したら間違いなく額を竹串でダーツよろしく狙われるだろうから言わない。だから黙って微笑みを向けてみたところ、イワイズミは思い切り眉間に皺を寄せて「こっち見んな投げるぞ」と先程まで焼き魚を刺していた竹串を向けてきた。

「じゃあオイカワだけ、昔のことを夢で見るようになってるわけ?」

「そうなんだろうな」

「何でコイツだけ?」

 ハナマキがオイカワからマツカワへ視線を転じる。マツカワは肩を竦めた。

「オイカワだからだろ」

「あ、そっか。そうだな、オイカワだもんな」

「なに、こっちの俺ってそんなに魔力強かったの?」

「いや、オイカワだった」

「答えになってないけど」

 すっとぼけたマツカワの答えにオイカワがもっと分かりやすく、と催促する。代わりに応えたのはイワイズミだった。

「自己主張が激しいってことだろ」

「僻み良くない!」

「イワイズミさんエスパー?」

「エスパーハジメ」

「僻み良くないっ、良くないよ!」

 随分早い時期からこうだったイワイズミはともかく、マツカワとハナマキのこのノリの良さは何なのだろうか。まだ出会って十日しか経ってないのに、順応性が高すぎる。

 まさか、こっちの俺もこんな扱いだったのか? その可能性もなきにしもあらずだが、それより自分の親しみやすさのためだと思うことにした。

「ま、それは置いといて。またそういう夢見たら言えよ。もしかしたらこの世界のお前からの、何らかのサインの可能性だってあるんだからな」

 マツカワが話をもとに戻し、言い聞かせる。オイカワはこくりと頷いた。

「積極的に、お話しさせていただきます」

 その後、野営の跡を片付けて出発した。今日はそろそろ、最初の目的地に着くという話だった。そしてその予定通り、一時間も歩けば地平線よりずっと近い位置に高い城壁が見えていた。

「あれがダテコー?」

「ああ。俺もこうして来るのは初めてだけどな」

 ハナマキとマツカワが、オイカワと同じものを視界に捉えて会話する。

 ダテ工業都市。物作りに優れた職人の多く住まう、魔法工学によって発展した城塞都市である。街の周りを特殊加工によって築かれた堅牢な壁で守っており、その壁と兵で魔物を寄せ付けない。

「この街は俺たちが知ってるダテコーと、あんまり変わらなそうだな」

「外から見る限りはね」

 イワイズミと言葉を交わしてから、オイカワはこの世界の住人である二人に問いかける。

「もう、入都願いは受理されたかな?」

「微妙なところだな」

 マツカワは唸った。

「ダテコーは魔法工学がさかんだから、そう易々とは許可してくれないだろ」

「そりゃそうだよね。呪文系や技術系が発達した都市が他市に自分たちの技が漏れることを嫌うのは、当たり前だもん」

 オイカワは眉根を寄せて頷く。つい顰め面をしてしまうのは、彼にも個人的に覚えがあるからだ。

 魔法使いや魔導士など精霊言語による呪文を扱う職や、特殊な技術や道具を扱う技術職は、自分の技を他人に明かすことを嫌がる。何故ならそれは己の手の内を明かすことと同義だからだ。だから基本的に彼らはよほど長い付き合いをする味方でもなければ、その術を他人に教えることがない。

 しかし、時にはそういった暗黙のルールを無視してでも力を手に入れたいような輩もいるのだ。

 ――オイカワさん、魔法矢のコツを教えてください。

 鼓膜に蘇ってきた声変わりの済んでいない少年の声を、オイカワはゆるく首を振って追いやった。

 ハナマキが立ち止まった。全員が足を止めて、彼を振り返る。

「マッキーどうした?」

「なんかいる」

 三白眼は行く手にそびえる城壁を凝視している。オイカワはその視線を追って、城壁の上に四つ人影があることを認めた。

 そのうちの一つ、特に大きな影の一点がぎらりと輝く。太陽は彼らの背後、ただの反射光のわけがない――その正体を悟り軌道を読んだハナマキが叫ぶ。

「イワイズミッ!」

 金属音が響き、火花が散った。イワイズミの大剣が飛来物と接触し、飛んできたそれが二つに断たれカランと地に落ちる。

 銀の弾丸だった。

「ふーん、やっぱりあの人がエースかあ」

 明るい声が振ってきた。

 壁上から四つの人影が飛び降りる。彼らの容姿を間近で確認し、オイカワは双眸を眇めた。

 全身を機械めいた流線の鎧で覆う、年頃の近い男たちだ。オイカワも見たことのある人物だった。特に中心の二人は、面識があるわけではないけれどよく知っている。むしろ、ミャギの衛兵部隊で知らない者の方が珍しいだろう。

「アオネのロックオンを叩き切ってくるなんて、さすがアオバ衛兵部隊の斬り込み隊長ですね」

 その中心の右側が先ほどと同じ声で讃える。癖のない茶髪を右側へと流した、にこやかな美形である。まだ微かにあどけなさの残る顔立ちをしているが体格は逞しく、両腕両足を鎧とは少々異なる独特の装甲で覆っている。

 フタクチケンジ。「鉄壁」と称されるほどの高い守備力で知られるダテ工業都市衛兵部隊において、その中核を担う一人だ。

「オイ新隊長。止めなくていいのか?」

 フタクチの右に佇む男が問う。確かオイカワたちと同学年だったように記憶している。染められた金髪にフタクチより高い背、隆々とした体つき。

「いーんですよ。だってこれ、公式戦じゃないし。つーかご隠居サマは脳味噌使ってないで得意の筋肉使う準備でもしててくださいよ」

「ああ!? てめーフタクチ、それが引退したのに心配して後輩の様子を見に来た先輩を連行してきた奴が言うことか!?」

「だってカマサキさん、『俺のカラダが疼いてやがるぜ……!』って言ってたじゃないですか」

「そんな欲求不満みたいな言い方してねーよ! 暴れたりねーっつったんだよ!」

 フタクチと、カマサキというらしい彼の先輩は言い争いを繰り広げている。声を荒げる先輩に、後輩はすまして首を振って見せる。

「同じデショ。だから暴れる機会をプレゼントしてあげてるんですよ。どーせ他の都市に漏れなく、ウチも三年生はとっくに卒業してるはずなのに行政が機能しないせいで卒業も防衛軍入りもできない宙ぶらりん状態なんですから。とりあえず今まで通り実戦に出たっていいじゃないですか」

「まーそうだけどよ。お前が言うとなーんか腹立つんだよなあ」

「あっカマサキさんおこですか? 脳味噌沸騰しちゃいます? タイヘンだーカマサキさんのゼツメツキグな脳みそが、茹って使い物にならなくなっちゃうー」

「テメッこの」

「カマサキ先輩大丈夫ですか!」

 止まらない先輩後輩の言い合いに乱入してきたのは、これまた大柄な青年だ。金と黒のツーブロックの髪、前述二人を上回る背だけを見れば十分威圧的なはずだが、それより冗談に大真面目な顔で食いついて来たところを見てしまうと、どうにも間の抜けた印象の方が強い。喩えるなら、ありあまるパワーと主人への忠誠が空回ってしまう猪突猛進な大型犬である。

「茹った頭は簡単にはもとに戻らないらしいッス! 先輩、水分! ホカリ飲みましょう!」

「おめーはマジレスしてんじゃねえよコガネガワ」

 コガネガワというらしい大型犬はダテの城門を指さす。彼をねめつけたフタクチがこめかみを揉んだ。

 アオバ城砦四人組は、無言で彼らの即席コントを眺めていた。いつもならば揉めている隙に一撃二撃と加えてやるところなのだが、今回ばかりはそうはいかない。

 それをあちらもよく分かっているのだろう。フタクチがこちらへ視線を戻して、にっこりと愛想の良い笑みを浮かべた。

「こんにちは。アオバ城砦都市衛兵部隊の皆さんで合ってますか?」

「そうだけど、随分なご挨拶だね? 入都許可は正式に申請してあったはずだけどな」

「もちろんそういうのは来てますけど、このご時世に『ハイそうですか』って即通すワケないじゃないスか」

 オイカワが皮肉を織り交ぜて返しても、フタクチは怯まない。それどころか、明るい声色に挑発を含ませてくる。

「それに、その理由が理由ですからね。『真実の鏡』を作ってくれないか、なんて」

「報酬はちゃんと出すぞ」

「金さえもらえりゃいいってモンじゃねーんだよ」

 カマサキが鼻を鳴らした。男らしい太い眉根が中心に寄る。

「アレはな、ホイホイ作れるモンでもどんどんくれてやれるモンでもねえんだよ。しかもそれを、『魔王と対峙するために使う』と来たもんだ」

「だから、俺たちダテコー衛兵部隊が見極めてあげますよ。アンタらがあの鏡を手にするのに値する戦士か」

 フタクチがにぃと笑って、これまで一言も喋らないでいる左隣の男の肩を叩いた。

「な、アオネ」

 オイカワのその男へ注ぐ眼差しが、無意識に鋭くなる。張った頬骨、眉がなく唇を硬く横に引き結んだ、見るからに厳つい強面の大男だ。しかしそれより特徴的なのは、両手の肩から下を覆う魔工義手である。

 アオネタカノブ。現在防御力国内トップという噂の囁かれる戦士で、「ダテの鉄壁」におけるもう一人の中核。

「去年つぶれちまった春の武道大会ミャギ予選。本当なら俺たち、アンタらと当たるはずだったんだ」

 このところ姿が見えないって噂だった三年の、それも精鋭が来てくれるなんて嬉しいなあ。

 フタクチはそう嘯いて、装甲に覆われた両拳を打ち合わせた。

「一年遅れの春大としゃれこもうじゃないですか」

 にこやかな仮面の口元から白い牙が零れる。その瞬間、張りつめた場の緊張が弾けた。

 両者が同時に動き出す。高い不協和音。まず衝突したのはイワイズミとアオネ。クロスして掲げた両腕で大剣を受け止めたアオネに、戦士は目を丸くする。

 ――出た、ダテの魔工防具!

 オイカワは一線から退きながら考える。

 ダテ工業都市衛兵部隊に「ダテの鉄壁」という二つ名のつく要因は、二つある。一つ目は隊員全員に騎士の職業経験があり、誰もが防壁スキルを駆使できること。そして二つ目は、彼らが身に着ける武具防具だ。ダテは豊富な資源と採掘技術、そしてその加工に優れた工業都市。ダテで作られた防具は特殊なものが多く、その使用にはそれに見合った修練が要るらしい。そのためにダテの装備品は身内の限られた戦士にしか扱えないが、使いこなせれば頼もしい相棒となってくれるという噂だった。

 イワイズミは固まらず、すぐさま突き出されてきたアオネの片腕をいなして首元に剣を突きつける。アオネの突き出さなかった腕がそれを受け止め、ぐるりと回して剣を逸らす。イワイズミはそれを逆手に半身を捩じり、その側頭部へ上段蹴りを放った。しかしアオネは身体を低くして躱す。

 空ぶったところで驚くようなイワイズミではない。すぐさま地に大剣を刺して軸とし、宙がえりして距離をとってから挑みかかる。斬りつける大剣、防ぐ手甲。その様をじっくり眺めるオイカワは、アオネの右人差し指の先端に目をつける。

 アオネのロックオンのことは聞いていた。彼の機械でできた両手の指先は魔弾銃になっており、敵チームを見つける度にその右手の人差し指で相手のエースを狙い打つ。実際その弾丸一発は相手の命を奪うつもりのない宣戦布告のようなものらしく、そのせいで人が死んだという話は聞いたことがない。しかしこの奇行はミャギ内であまりにも有名であり、アオネのエースクラッシャーとしての恐ろしさを語る時は、必ずこの話をするのが通例だった。それはこちらの世界でも変わらなそうだ。

 ――さっきの弾丸はあっさり斬れた。でも今は鎧に傷一つ付けられてない。イワちゃんの攻撃は、ミスリルだってぶっ壊すのに。

 思うにあの防具がイワイズミの攻撃を受けても傷つく様子がないのは、防具自体の堅さというより装備者の技術のせいだろう。あの金属が何でできているのか知らないが、恐らく魔法の呪が込められた剣と似たようなもので、本人の騎士としての技術が反映されやすいよう作られているに違いない。見れば、アオネ以外の鎧も同じ材質でできているようだ。隣でハナマキと打ち合うフタクチ、マツカワと打ち合うカマサキを見ても鎧に傷がついていない。

 おまけにあの、動きの速さ! イワイズミとアオネは、まるで剣舞でも行っているかのようにくるくると立ち回りながら、激しく剣と腕とをぶつかり合わせている。端から見ればアオネが防戦一方であるように見えるだろうがとんでもない、まずイワイズミの攻撃を受けることができ、かつその動きについていけていること自体が生半可ではないのだ。しかも、あんな重装備を身に纏っているというのに。

 守備力を下げることはできないだろうか。オイカワは敵全体の様子を窺い、守備力低下呪文を詠唱しようとしてはたと動きを止めた。

 打ち合う三組の背後。あの巨体の後輩、コガネガワがこちらに向けて大弓を引き絞っている。

 ――いや、まさかとは思うけどあのバリバリの動きはまさか。

 コガネガワが弦を放す。すると魔法矢が四本、異なる方向へ飛び出してそれぞれアオバ城砦メンバーのもとへと飛んだ。

「うげっ!」

「おおっ!?」

 そのうちハナマキを狙おうとした矢はその手前にいたフタクチを、マツカワを狙おうとしたものは同じくカマサキを掠め、その上対象にも難なく躱されてしまう。残り二本、イワイズミとオイカワを狙ったものも地に落ちてしまった。

「コガネガワあああっ!」

 フタクチが怒号を飛ばした。

「てめー軽率にアローすんなっつっただろうが!」

「すんませんっ! でもアローカッコいいからやりたいんス!!」

 コガネガワは大声で謝った。その姿勢はどう見てもふざけているわけではなく大真面目である。

    アローとは、基本的に隠れて射る狩人の技だ。物陰に潜んで射たり、上級者ともなれば弓も持たず片手だけで魔法矢を飛ばしたりするのが定石である。

「すっごい分かりやすいアローモーションだったねー」

 オイカワは笑いを隠さず揶揄う。コガネガワが真っ赤になってプルプル震え、一時彼の傍へ引いたフタクチがこちらへ向けて舌打ちする。

 打ち合っていた敵が引いたため、オイカワの隣にハナマキが戻って来た。ダテコー側を警戒する目はそのままの彼に、声をかける。

「お疲れマッキー。どう?」

「今一歩踏み切れない。堅い」

 ハナマキは額に滲んだ汗を拭い、フタクチを見やる。彼の右手には片刃刀、もう一方の手には短刀がある。

「アイツ、スピードとバネを活かしたカウンターが滅茶苦茶上手い。こっちが下手に勢いつけすぎれば、その勢いをそのままこっちに返される」

「魔法は?」

「使ってこないけど、こっちも使いづらい感じ」

 アイツら呪文の反射もできる。そう呟いたハナマキにオイカワの口元が引き攣り、げ、と苦笑を漏らす。

「マッキー試してみたの?」

「さっきあの見え透いたアローが来た直後に、試しに小さいの一つ使ってみた。やっぱり撥ね返された」

「さっすがダテコー。抜かりないな」

 「防御こそ最大の攻撃」。それがダテコー衛兵部隊の基本理念だ。相手の攻撃を決まらせない、むしろその勢いを利用し、仕留めて見せる。それを徹底した結果、ついたあだ名が「ダテの鉄壁」である。

 このいかなる攻撃をも殺す高く厚い壁を前に、どれだけの攻撃手が心を折られていったことか。

「じゃあ守備力を下げるにも、魔法では無理だね」

「こっち側を上げていくしかねえな」

「上げて物理で攻めつつ、壁の隙間を少しずつ広げる」

 オイカワはまずイワイズミに、次にフタクチに小言を言われているコガネガワへ流し目をくれて、眼前の仲間へ悪ガキめいた笑みを投げかける。

「イケるね、マッキー?」

 ハナマキは隊長と同じ笑みを浮かべ、拳を掲げた。オイカワはそこへ己の拳をぶつける。

「ぬぅんッ!!」

 力む声と、不自然な足下の揺れ。弾かれたようにオイカワが顔を上げる。マツカワの対峙する相手、カマサキが大地に拳を叩きつけていた。

 足下を駆け抜けていく、目に見えぬ波紋。得体の知れない気配を感じ取ったオイカワとハナマキは、咄嗟に散開する。

 カマサキの拳が埋まった個所から地面がめくれ上がった。岩盤が隆起し、地面からせり上がる刃の群となってアオバ城砦一同に襲い掛かる。これにはマツカワだけでなく、イワイズミもアオネとの距離をとって持ち場を離れた。

「うらああっ!!」

 雄叫びと共に、カマサキの拳は眼前に盛り上がって来た岩の塊を順次殴りつけていく。砕けた岩は人の頭ほどの大きさの鏃となって、なおも形を成し続ける岩刃の隙間を逃げ惑う者たちを襲う。

 オイカワは飛んで跳ねて足下や宙から襲い来る刃を避けていたが、運悪く眼前に石の鏃が迫ってきてしまう。咄嗟に長剣で弾くも逸らしきれず、利き腕に灼けつくような痛みが走った。

 ――重いっ!

 鮮血を散らした利き手を庇いながら、オイカワは一時後退する。

「どーだコラァッ!」

 己が生成した岩磐彫刻群の上に仁王立ちし、カマサキは腕組みをした。すっかり険しい岩山のようになってしまった眼下を眺め、ナックル付きの手甲でその分厚い胸を叩く。

「これぞ、筋肉と錬金術による匠のコラボレーションッ!」

「おおおっ! カマサキ先輩かっけーッス!」

「カマサキさん、恥晒すのやめてください」

 いち早く退避していた後輩その一が賛美し、その二が罵倒する。単純な先輩はンだとフタクチィ! とあっさり挑発に乗る。

「めっずらし。前線に出てくる錬金術師なんて、初めて見た」

 オイカワは離れた位置の岩盤の影から彼を仰ぐ。驚いているのは確かなのだが、思わず口角が上がるのを押さえきれない。

 錬金術師は物質の法則研究に明け暮れる学者だ。その研究の一環で魔法や魔術、魔法薬の生成を含めた薬学に手を出すこともあるが、それを戦闘のために用いる者は滅多にいない。それは彼らの多くが根っからの研究者気質であることが多いからということと、彼らの術だけでは戦場で生き残るのが容易ではないことが要因なのだろう。

「アイツ、学者肌なんてモンじゃねーよ。根っからの肉体派だ」

 オイカワの隣にやって来たマツカワが、やはり錬金術師を見上げて呆れたように言う。道師の肩は荒く上下しており、顎を伝った汗が血のところどころ滲んだ僧服に吸い込まれた。

「使って来る魔法は錬金術を応用した性質変化のヤツ――今の岩が隆起するみたいな――だけだ。普通ならこんな風な使い方したらへばるんだろうが、本人の筋肉量と体力が半端じゃねえから、見事決まっちまってる」

 まっつん回復した方がと促す前に、左肩のあたりに気配を感じてオイカワはぎょっとする。振り向けば、イワイズミが先程まで自分が見上げていたのと同じ方へ視線を向けていた。

 いつも男らしく勇ましい眼差しが、今は鋭さとは異なる丸い輝きでキラキラしている気がする。これはひょっとして、とオイカワは胸中で呟く。

「すっげぇ。カッケーな……!」

 案の定、イワイズミは開口一番そう言った。あーやっぱり来たかこれ。目がもうすっかり少年時代だ。

「へえ、ハジメくんはもしかしてあーゆーのがお好み?」

 いつの間にやらマツカワの隣からひょっこり顔を見せたハナマキが問う。オイカワは額に手を当てて溜め息を吐いた。

「イワちゃんはね、ゴリラと言われると怒るけどゴジラと言われると喜ぶような、そういうヤツなんだよ」

 マツカワとハナマキが同時に噴きだした。

 要は「怪獣大決戦」的な大暴れと、伝説の大怪獣ゴジラを連想させるようなゴツゴツしたデザインが大好きなのだ。

「うし、気合入って来た!」

 俺に勝負させろ、とイワイズミが未だフタクチと言い争っているカマサキを見上げて舌なめずりをする。その横顔が、少年時代の憧れを昇華させた戦士のそれになっているのを認めたマツカワが頷く。

「いいけど、アオネがくっついてくるだろ」

「あ、そうか」

「俺が囮になるよ」

 どうしたものかという表情になったイワイズミだったが、マツカワの提案に顔を輝かせた。

「いいのか?」

「もちろん。でも、うまいこと合わせろよ?」

「おう!」

「オッケーオッケー。じゃあこうしようか」

 オイカワが小声で三人に囁きかける。その内容に耳を傾け理解した三人は、一様に好戦的な笑みを浮かべた。マツカワがそれでいこうと代表して告げる。

「お前にしちゃあカワイイ作戦だな」

「オイカワさんの心は神のごとき優しさで溢れてるからね」

「冗談は顔だけにしろよ」

「イワちゃんそんなに羨ましがらないでよ。神の奇跡の間違いデショ」

「神の設計ミス」

「内外共に」

「何なのみんな。そんなに僻むなよ! みんなだってイイ男だよ! 俺ほどじゃないけでゅふ」

 真正面から顔面を掴まれて、オイカワの口から美青年らしからぬ潰れた蛙のような声が漏れた。

「行くぞー」

「うぇーい」

 おまけに視界をイワイズミの手で潰されていてよく分からないのだが、イワイズミの声かけのあと、後頭部二方向からあと二人のものらしき緩い返事と掌が押し付けられる。三方向から顔を押しこくられている。

「ねえ何これ円陣? 円陣のつもりなの? ずるい俺も入れてよー」

「入ってるだろうが中心に」

「誤魔化されないからね! ねえ俺も――」

 不平を漏らすと、三方向から髪を掻き交ぜられて手が離れた。反動で俯いた顔を上げると、明るくなった視界に映る三人はにっと歯を見せて笑っている。

 前から思ってたけど、イワちゃんだって笑い方が悪そうな時あるよ。ほら、今の顔とか。マッキーとまっつんは言わずもがなだけど。

 オイカワは以前彼が口にした台詞を思い出してそう言ってやろうかと思ったが、今の自分の顔が言うと格好良くないだろうなと考え直してやめた。代わりに、自分も精一杯共犯の笑みを浮かべる。

 くそ、俺の扱い上手いなコイツら。ちょろいな俺。

「さて、どこから行くよイワイズミさん?」

「真正面」

「男前ここに極まれり」

 こちらに背を向けたマツカワの問いかけにイワイズミが即答し、ハナマキが神妙な顔つきで茶化す。

 マツカワがそれぞれの傷痕に片手を翳し、軽い処置を済ませる。そして物理攻撃役二人は背を向けたままひらりと片手を振り、音もなく岩陰から飛び出していった。

「じゃ、俺らも行きますか」

「アイサー」

 オイカワにハナマキが応じ、軽やかに隆起した岩でできた細い道を駆けだす。その背中を見送って、オイカワは反対方向に走り出した。

 誰にも気づかれないよう、足音を潜めて移動する。一定間隔を置いてできている岩刃の切れ目から覗くと、あの高台でイワイズミとマツカワ、そしてカマサキとアオネが二対二の肉弾戦を繰り広げているのが見えた。アオバが誇るエースと道師は上手く立ち回っているようで、イワイズミは希望通りカマサキと勝負できているらしい。アオネの方はマツカワに阻まれながらも、カマサキの援護をしようと尽力している。

 四人が展開する大立ち回りの周囲を、風を切る音と共に銀の輝きが舞っている。ハナマキの投げナイフだ。その銀の軌跡を追うように、見覚えのない翡翠色が弧を描く。オイカワが目を凝らすと、盛り上がる岩のすれすれを滑空するそれを人影がキャッチした。その正体を悟り、オイカワは合点する。

 鎖鎌だ。操り手はフタクチ。どうも彼の左腕の装甲に仕込まれていたらしい。

 フタクチは周囲を見渡している。俺を探しているな。オイカワはその目つきから悟る。ハナマキの居場所なら、ナイフの放たれた位置から分かっているはず。

 オイカワは左手を発射台に見立て、右手を引く。両手の間に灼熱を放つ一本の矢が出来上がっていく。

 さあ、気付け。光が輪郭を明確にし安定したのを確認して、オイカワは岩の隙間から矢を放った。鳶の声のごとき高い音を奏で、魔力の籠った神速の矢は一直線にアオネのもとへ飛来する。いち早く気づいたフタクチが瞠目した。アオネは矢に背を向けているから、気付かない。

 フタクチは仲間の前に立ちふさがる。前方へ伸ばした両手、白と緑の滑らかな手甲に覆われたそれが即座に煌き防壁を築く。

 速い。精度も素晴らしい。しかし、オイカワの双眸と唇は意地悪く三日月を描く。

「その一枚じゃあ、俺の矢は防げないよ」

 薄緑に煌めく防壁と灼熱の矢がぶつかった。フタクチの甘い顔立ちが、勢いを失わない矢を睨み歯を食いしばる。

 防壁に自信のない者なら、受け流してしまったかもしれない。しかし彼は守備に長けた戦士であり、だからこそ彼の背後にアオネだけでなくもう一人いることに気づいていた。今下手に逸らせばそのどちらかか、最悪両方に当たってしまいかねない。

 ――こんなん当たったら、装備の修理どころじゃすまねえ……っ!

 踏ん張った踵が、ズズ、と地面を抉る。指先が焦げる。フタクチはなおも壁に力を注ぎ込む。

「馬鹿野郎っ!」

 突然逞しい手が背中を支え、視界の左側に自分と同じ色の籠手が現れる。甲に描かれた錬成陣を一瞥して、フタクチはつい笑みを零した。

「現役のひよっ子が身体壊すような無茶すんじゃねえッ!」

「……自分も入隊前のクセに、何言ってるんスか」

 声を荒げる先輩に、フタクチは憎まれ口で応える。

 二人分の壁を前にして、矢はようやく弾け飛んだ。それと時を過たずして、足下の窪地から純白の太い光線が迸り出る。光線は碧空に刺さり留まったように見えたが、刹那の静止の後、鋭い光の雨を降らせた。

 魔法矢の土砂降り、シャインスコール。自分たちのところへ降る分は、近くに寄って来たアオネが即座に壁を築いて防いでくれた。

 アオネがフタクチを見下ろして、ぺこりと頭を下げる。先程の矢の件だろう。いいってとフタクチは首を振り、改めて天から降る矢の群を眺める。

「やっぱりアイツ、このくらい容赦なく豪快にやっちまった方がいいな」

 無言でアオネも首肯する。ダテコーの新戦力コガネガワは身体能力と体格に恵まれているが、技術がまだ圧倒的に不足している。次第に自分で力加減を調整のできるよう育てていくつもりだが、今はその馬鹿力を存分に活かした方が良いだろう。

「先輩すんませんッ! フォロー入れませんでしたッ!」

 窪地から本人がよじ登って来る。フタクチは彼に手招きする。

「いや、今のはこれでいいだろ。それより、問題は次だ」

 背中合わせになった全員の目が、荒れた岩山の景色を眺めまわす。敵の戦士はすっかり姿をくらまし、息を潜めていた。ひだのように不規則に張り巡らされた岩壁。先程まではこちらが武器としていたそれを、今はあちらが防御に使っている。コガネガワの攻撃である程度見晴らしは良くなったが、人が四人も隠れるには十分だ。

 散るべきか? いや、だが下手に散開して先程のように一人ずつを狙われたらどうする。

 しかしあまり兵をまとめて置くのは良くない。強烈な一撃で仕留めにかかられる可能性がある。

 フタクチは内心舌打ちをした。やはりアオバ城砦。国内総合力随一の魔法戦士オイカワトオルをトップに頂く、駆け引き上手の強豪部隊であるだけのことはある。敵地であるにも関わらず不測の事態への対応が速い上に、嫌な状況を作ってくる。

「少し距離を置きましょう。何かに気づいたら、合図で」

 フタクチの指示で、四人は少々離れて立つ。

 己のブーツが砂利を踏む音しか聞こえない。

 ――落ち着け。俺が敵なら、どうする?

 自分たちの今の状態は、有利でもあり不利でもある。戦場全体の様子は見て取りやすいが、これだけ見晴らしがいいと良い的だ。

 つまり、次にあちらが攻めてくるとすれば。

 ――来る。

 どこから来るか読むのも容易かった。

「コガネガワッ」

「ハイッ!!」

 後輩が構えたところへ、先程よりなお眩い閃光が突き刺さる。フタクチとアオネで彼を挟み、三人がかりの防壁で弾き返した。

 目も眩む光がふっと消える。眩さに焼けた視界が暗くなる。目が利きづらくて瞬きした。だが、それにしては暗すぎる――フタクチの顔から血の気が引いた。

「カマサキさ――」

「くそッ!」

 咄嗟に手の空いている先輩を呼べば、間に合った。アオネがコガネガワの襟首を引っ掴んで引き倒し、ちょうどそこへ上空から落ちてこようとした敵エースの大剣を、落下地点に入り込んだカマサキが受け止めた。爆竹もかくやという火花が散り、それを見たコガネガワの顔色が青くなる。

 あのままそこに立っていたら、今頃真っ二つだっただろう。

「ッ!」

 カマサキたちとは真逆の方向から、甲高い金属の音色が響いた。アオネが反対側から襲い掛かって来た僧服の男の杖を殴っている。男はくるりと得物を回し、逆側で打ちかかる。

 ――あのアオバ城砦が、いまさら打撃だけで突っ込んでくるワケねえ。

 一対一だと終わりが見えないということは、先程まででもう悟っているはずだ。

 ちょうどその時、碧空の中で微かに瞬くものが見えた。よく凝視して、フタクチは透き通る無色のブーメランが弧を描いているのを発見する。迷いなく左腕の鎖鎌を外し、投げつけて撃墜した。

「目敏いな」

 聞きなれない低い声が鼓膜に届く。声の主を探れば、アオネと打ち合っている男が目を細めていた。

 一つ差のはずなのに大分年上に見えるその顔が、笑っている。

「でも、残念」

 その男の言葉を、別の声がそっくりそのまま同時になぞる。ゾッとして身を翻す。

 高台のふちに、最初に自分と手合せした明るい髪色の男が佇んでいた。

「そっち、囮だから」

 無表情に告げられた台詞。それで、己の鼓膜を金属のぶつかり合う音とは全く別の音が擽っていることに気づく。

 フタクチの双眸が、その音の正体を映す。

 自分たちの中心――カマサキもアオネもコガネガワも、そして自分も背を向けて生まれた、小さな空間。

 そこで、転がってきた小さな丸いモノが火花を散らしている。

「散れッ!」

 フタクチは叫び、大地を蹴った。

 背後でドカンと空気が震えた。戦いで穿たれた低い地面を二転三転し、フタクチは膝をついて身体を起こした。己のいた場所を見上げれば、白煙が上がっている。少し遅れて、男二人の悲鳴が聞こえた。どちらも聞き覚えがある。

 すぐ近くにアオネが転がってきた。彼はすぐ受身をとって立ち上がると、白煙とは逆方向を向いて構えた。フタクチもすぐその方向を向き、腰に帯びた刀の柄に手を添える。

 アオバ衛兵部隊隊長、オイカワが満面の笑みで佇んでいた。

「運がいいなぁ。強者は運も味方にするんだね」

 運がイイ? フタクチは胸中で復唱して唾を吐きたくなる。

 見なくたって分かる。左後ろに一人、右後ろに一人ずつ隊員を置き包囲しておいて、よく言うものだ。

「ウチの連中に何したんスか」

「安心してよ。ただの催涙弾だから」

「アンタが言うと信じらんないッス」

「ひどい、誠実に本当のことを教えてあげたのに」

 あからさまに傷ついたような表情をしてくるのが、顔立ちが整っている分余計大袈裟に見えて最高にウザい。

「天然成分百パーセント、ヤバいもんは本当に入ってないから大丈夫だ」

 右後ろから声が落ちてくる。顔を上向けて仰げば、あの明るい髪色の男が岩の上に腰掛け長い足を組み、こちらを見下ろしていた。

「ただ主成分はトウガラシだから、しばらく目と鼻と口の粘膜が痛むだろうけど」

「俺たちを通してくれたらすぐ治してあげられるよ。このマッキーが作ったモノだからね」

「こっちにも一人、戦いに興奮しててうっかり吸い込んだ奴がいるからなるべく早く治療したいんだけどな」

「ちょっとまっつん! 格好つかなくなるようなこと言うのやめて」

 左後ろの僧服の男がしれっと暴露するのを、オイカワは声を高くして非難する。しかしマツカワは依然として気だるげな表情を動かさないまま、フタクチたちに語りかける。

「俺たちにこの街を侵略する気はない。技術を盗むつもりもないし、予算を横取りする気もなければ街を壊そうとも思わない。ただ、『真実の鏡』だけが欲しい」

 それも、もらうわけじゃなくて貸してくれるだけだっていい。

 彼の説く声は、淡々として低い。オイカワの浮ついた華やかな調子とは正反対の、小夜嵐を呼ぶ茫洋とした冷気のような語り方。

「必要なら誓約書だって書く。血印が要りようなら押すし、鏡作るために足りねえもんがあるなら取って来るわ。だから」

 声が、夜闇の底を撫でるが如く一層低くなる。

「中に入れてくれませんかね」

 フタクチは柄を握りしめた。

 その時だった。

「うわーっ!?」

 これまでこの場になかった叫び声が聞こえた。フタクチとアオネがはっとして顔を上げる。

「何だコレ!? こんなんできるのって――ああーっカマチッ!」

「やっぱり連れ出されてたな」

 来訪者は二人いるらしい。どちらも男らしく、何やらごにょごにょと言い合っていたが、やがて足音が一人分だけこちらに近づいて来た。

「おーまーえーらーッ!」

 岩壁の間を走って来たのは、小柄な男だった。一歩踏み出す度に短く癖の強い黒髪がぴょこぴょこと揺れる、ヒトの良さそうな丸顔である。頭にはゴーグル、薄緑の作業着のような服を身に纏っているところをみると、技術者だろうか。

 彼はぽかんと突っ立っているアオバ城砦メンバーにすみませんすみませんと頭を下げてから、包囲されているダテコーの戦士達に詰め寄った。

「普通にもてなせって言っただろ、何してんだよぉ!」

「別に、演練してもらってただけですよ」

 フタクチはそっぽを向いて口笛を吹いている。アオネはこちらをじっと彼を見下ろして、頭を小さく俯けた。

「あーもう本当にうちの隊員がすいません、すいません……!」

 乱入者はオイカワ、ハナマキ、マツカワに向かって三度、折り目正しく頭を下げる。間近でその顔を見て、オイカワはあっと声を上げた。

 思い出した。この顔は、自分の世界でも見たことがある。

「ダテコーの、前隊長くん?」

「そうです!」

 モニワカナメです、と小柄な彼は名乗った。

「本当にお待たせした上に、うちの部員が失礼を働いて申し訳ありません! アオバ城砦衛兵部隊さんからは入都申請もらってたんですけど、流行り病のこともあって街がまともに機能してくれなくて、どうにかこうにか上と交渉してたんです。でももう少しだから待ってくれるよう伝えてって、コイツらに言ったんですけど」

 モニワはまた、じとりと後輩たちを睨んだ。大柄な後輩二人は先程とまったく変わらず、反省している様子が見られない。

「あの、交渉して来てくれたってことはつまり」

「はい!」

 オイカワの問いに、モニワは破顔して告げた。

「ダテ工業都市は、アオバ城砦都市衛兵部隊の皆さんの入都を歓迎します!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーっ指先焦げてる!」

「俺のせいじゃないですよ。あの人がガチアローしてくるのが悪い」

「そもそも仕掛けたのはお前だろ! 魔工防具だって万能じゃないんだからなっ? あんまりやんちゃするなよっ」

「まあまあ、無事だったんだからいいじゃないスか」

「そーじゃなく――ってこらアオネ! ちゃんと見せなさい!」

 前をいくダテコー衛兵部隊前隊長の声が、鼓膜にせわしなく干渉してくる。しかしオイカワは重厚な城門の先に広がった光景を目の当たりにして、その内容を気にかけるどころではなくなっていた。

「高っ!」

 一般男性より背の高いオイカワでも圧倒されるような、天高く積み上げられた煉瓦の迷路が彼らを出迎えた。家並みは全て繋がっており、その間を舗装された道が細く走っている。まるで街全体が一つの石の家のようだ。

「へー、城みたいな街だなあ」

「城なんだろ。ここは城塞都市なんだから」

 感心した風のハナマキにマツカワがかけた言葉を聞いて、オイカワはそうだったと思い出し納得した。つい発達した魔法工学のイメージが先だってしまい失念するが、ダテ工業都市は城塞都市なのだ。

 アオバ城砦都市は周りをアオバの森という名の天然要塞で囲ってこそいるものの、もともとの街の作り自体は決して軍事方面に特化しているわけではない。万が一敵が森を越えて攻め入って来た時も有利に戦えるような設備は揃えられているし、衛兵たちも街中での戦闘の知識だって頭に入れてあるものの、彼らの戦いの場所は基本的にその外、森なのだ。

 しかし、ダテ工業都市は違う。街全体が、最初から戦に備えた作りの要塞になっているのである。入り組んだ構造、細い路地、建物の随所に穿たれた覗き窓、そしてほぼ城壁同然の建物の遙か上方にパイプの如く渡され、張り巡らされている空中通路。

「おおー、たっかい! 空狭い!」

 すれ違う人々がオイカワの言動を聞き怪訝な顔をするが、彼は気にしない。至極興味深い街並みに興奮していた。

 これは前情報なしに攻め入ったら、まず玉砕するな。オイカワはつい、戦略家の目で街を眺めてしまう。道が狭すぎて、兵も武器もあまり詰め込めない。うまいこと潜みながら攻め進んでいくにしても、身を隠す場所がなく左右の家並みや空中の連絡通路の目から逃れることは不可能だ。あっという間に狙撃の的にされてしまうだろう。地上の攻略は相当難しい。

 ならば、上は? 街全体が城塞だから、もちろん空は天井で覆われている。しかしところどころに明かり穴――光を入れるための穴だ。これのおかげで、この半屋外の街は燈明がなくとも十分に明るい――が空いており、その大きさは地上から見上げると握り拳程度にしか感じられないが、きっと大の大人が同時に十人程度飛び込んでも通れるだろう。

 だが、あれはきっと飛び込めまい。握り拳程度の丸い青空を双眸に映し、オイカワは考える。先程の激しい攻防を繰り広げた戦士たちに加え、ここまで見事な構造を擁するこの街が、あんなにあからさまな隙を何の対策もなしに見せるわけがない。何か、侵入者を許さない仕掛けが施されているように思われた。

「すごいでしょう。これぞ我らが誇る魔法工学のなせる景観です」

 後輩に小言を言っていたモニワが、頭だけをこちらに向けて得意そうに胸を張った。フタクチが一瞬彼を振り返り、小馬鹿にするような笑みを口元に乗せたのをオイカワは見た。

「どうしても砦を築くとなると、技術や人手、資源の関係で周りに壁を巡らせるか要所だけを守るかのどちらかになってしまうことが多いのですが、ウチは古くから職人連中が集まってましたから。だから、住人全てを匿えるような形で街を造れたんです」

「なるほど、だから凄い作りなんだね!   時計の中でも歩いてるみたいだ」

「でしょう? そうでしょう?」

 モニワはさらに嬉しそうに顔を綻ばせて、繰り返し頷く。よほど故郷への愛着が強いのか、単純に魔法工学が好きなのか。同い年のはずだが子供のような純然たる誇らしさと喜びを隠さない彼を、オイカワは面白くも微笑ましくも思った。

 まっすぐなようでいて微妙な曲線を描く道をあちらに曲がりこちらに曲がりとしているうちに、一行はある扉の前で止まった。一見すると他のこれまで通り過ぎた建物についていたドアと変わらないようだが、よく観察してみると浮彫が施してある。オイカワも見たことのある、ダテコー衛兵部隊の紋章だ。

「ここがウチの詰所です」

 狭いですけどどうぞ、とモニワが扉を開けてくれる。促されるままに中へ足を踏み入れれば、手入れ油と汗からなる男らしさ溢れる匂いが彼らを包み込んだ。まあ、男だらけの衛兵部隊の詰所となればどこもこんなものだろう。それより、ここの油の匂いは少し変わっている気がする。

 あんまり街の余計なことを知りすぎたら、あとで面倒なことになるかも。そんな懸念を抱きながらも、オイカワの旺盛な好奇心はついつい視線に現れてしまう。まあどうせそう簡単にやられないしやり返せばいいヨネと気楽に考え直して、詰所を観察した。長方形のその空間は意外と広いが、雑然としている。中央には作戦会議から暇つぶしの駄弁りにまで使われるのだろう大きな長机と椅子、奥には「ダテの鉄壁」と書かれた幕が、その下にはダテコー衛兵部隊の緑白のエンブレムが飾られ、その左右を甲冑の置物が守っている。それ以外は空の武器置き場に工具箱、散乱する工具から始まり、ルーレットやらダンベルやら継ぎ接ぎのなされた筋骨隆々な男の人形――カマサキさん六号機と名札がついている――やらといった雑多な道具が室内のあちらこちらで羽を伸ばしていた。

「面白そうなものがいっぱいあるね」

「タカくん、よそのお家のダーツで勝手に遊ぼうとしちゃいけません」

「ごめんなさいママ」

 マツカワとハナマキが寸劇を展開する横で、モニワは散らかっててすいませんと縮こまりながら、そそくさと部屋の左手前隅にある扉の横のボタンを押した。フタクチとアオネも彼の後に続くのを見て、オイカワも寄っていく。

「何してるの?」

「ああ、エレベーターを呼んだんです」

 えれべえたあ。オイカワはその聞きなれない音の羅列を、ぎこちなく舌に乗せてみる。モニワは彼がそれを知らないということを悟ったのか、別の言葉で言い換えた。

「箱型人間昇降機です」

「え、っと。人間を運ぶの?」

「はい。見てみればすぐ分かりますよ」

 モニワが説明し終えたちょうどそのタイミングで、チンと鈴のような音が鳴った。彼はドアに向き直り、取っ手を引く。その向こうは透明な筒のようになっていて、その中央を縄のようなものが上下していた。

 その筒の下から、短い筒のような箱が縄につられてぬっとせり上がって来た。オイカワは仰天して身を引く。しかしモニワは平然と目の前で止まった筒が開くのを待ち、その中にいた人物を見てああ、と気楽な声を上げた。

「ササやん。みんなはどう?」

「もらった薬が効いて、今はよく寝てるよ」

 ちょっと寝言にしちゃあ激しめに唸ってるけどな、と答えたのは、先程モニワと共に外の様子を見に来たササヤという三年生である。彼はオイカワとモニワたちが会話している間に、他の隊員を呼んでハナマキ特製催涙弾の餌食となった三人を運んでいたのだった。

 ササヤの乗っている箱にまずダテコーの三人が入り、次いでオイカワたちアオバの三人も恐る恐るそこへ仲間入りしたために、箱はぎゅうぎゅう詰めになった。それでも箱はぴったりと閉じ、不安な揺れを感じさせることもなく動き始める。オイカワはガラス張りになっている横の面に額と両手をくっつけて外を見る。上っている。これはその名の通り、人間を乗せて上下に行ったり来たりできる道具なのらしい。

「ありがとうな。頑丈な身体だけが取り柄の奴らだから、あの程度のショックで済んで良かった。薬もすぐ効いたし」

「いえいえ、こちらこそウチのハジメがお世話になりまして」

 背後からササヤとハナマキのシュールな会話が聞こえる。あれマッキーいつ息子から親デビュー果たしたのとオイカワがどうでもいいことを突っ込もうとしたところで、また鈴が鳴り筒が開いた。

 ぞろぞろと筒から降りる。ササヤだけが留まり、昇降機はまた彼を乗せて上昇していった。それを見送って、オイカワはほうと感嘆の溜め息を吐く。

「ダテコーの詰所、すごいねぇ! 俺もえれべえたあ欲しいなー」

「詰所だけじゃなくて、ウチにはこんな感じの魔道具がいっぱいあるんですよ。築城するより前からある伝説級の大道具から俺みたいな新米が作ったようなのまで、街のいたる所にたくさん」

 笑いながら語っていたモニワの表情が、窓の外を見てふと曇る。オイカワもそちらを窺う。硝子の向こうには用途の分からない糸に吊られる鉄のフックに似た道具が、風に煽られきゅるきゅると軋んだ音を立てながら揺れている。

「それでも、今は三割しか稼働させられていないんです」

 自らの力で動けなくなった道具を見つめるモニワの横顔は、先程まで屈託なく笑っていた人物と同じだとは思えないほどに寂しそうだった。

 ――まさか、この街も。

 オイカワが口を開こうとしたところで、生意気な声が遮った。

「モニワさん、客室でいいんスよね?」

 一番手前の部屋を開けたフタクチが、こちらに向かって問う。いいよとモニワは頷きかけて、あっと目を丸くした。

「そうだったお前ら医務室行けよ! サクナミに傷チェックしてもらって来い!」

「モニワさんがさっきチェックしてくれたじゃないですか」

「あれは軽くだっただろ。ちゃんと診てもらって来いよ、ほら!」

「嫌です」

「アオネ!」

 もと隊長の命令に、しかしアオネはぶんぶんと首を横に振った。フタクチの方も、先輩にこれまでになく真摯な眼差しを向けて抗議する。

「俺だって隊長なんですよ。これからの話、するんでしょう? なら、俺たちも聞かないと」

「……体調が悪そうだったら、すぐ話切って医務室行くからな」

「過保護ッスね、モニワさん」

 フタクチは苦笑いをして、彼を客室の中へ先に通した。次にアオネが入って、それからオイカワたちに入室するよう促す。来客時に使われるそこは、さすがに小綺麗に片づけられていた。

 落ち着いた色調の木机を挟んだ二つのソファーに、男達は腰を下ろす。窓を背にした方にフタクチ、モニワ、アオネが、戸を背にした方にハナマキ、オイカワ、マツカワが、それぞれ向き合う形になった。

「さて、と。お待たせしました」

 本題に入りましょうか、とモニワは柔らかく切り出した。場の空気が俄かに張りつめる。

モニワは先ほどまでのせわしなさなど微塵も感じさせない鷹揚な手つきで、作業着の懐から書簡を取り出した。

「こちらが、アオバ城砦衛兵部隊さんからウチ宛てにくださったお手紙ですね」

 蜜蝋を押された封筒から一枚の紙を取り出し、卓上を滑らせてオイカワらに差しだす。そこに書かれている内容は間違いなくこちらが出したものと一致しており、オイカワは頷いた。

「はい、間違いないです」

「くどいようですが確認させてください」

 モニワは卓上の書簡を手で示しながら、オイカワたちの顔を凝視して尋ねる。

「そちらのご要望は、真実の鏡製造の依頼――そして依頼主はアオバ城砦都市そのものではなくアオバ城砦衛兵部隊であり、依頼先はダテ工業都市ではなくダテ工業都市衛兵部隊である、と。ここまで、確かに相違ありませんね?」

 ゆっくりと、一語一句を噛み締めるように発音する。彼の人の良さそうな丸い目はどこまでもまっすぐで、笑みを消したオイカワの瞳孔を覗き込んでも揺るがなかった。

 ――ふぅん。頼りなさそうだけど、ちゃんと隊長の顔もできるんだ。

 これは、予想していたよりずっと有意義な交渉ができそうだ。オイカワは胸中で独り言ちて、莞爾と笑みを浮かべる。

「ええ、その通りです」

「ならば三つ、お伺いしたいことがあります。よろしいですか」

 オイカワたちは頷いた。モニワは、慎重に問う。

「一つ目。何故都市ではなく、衛兵部隊の皆さんが主体の依頼となっているのでしょうか。真実の鏡がどういうものか、皆さんだってご存じでしょう? アレは神代の昔、大神が始祖にその製法を教えたもうたという真視の鏡に由来するものだという伝承がまことしやかに伝わっている、超一級の魔道具です。その製造法は国家機密、個人での所有は固く禁じられ、都市が所有するにしても都市名義での申請が必要だったはず。製造するならば、正式な製造許可証を持って、都市名義で申し込むのが普通でしょう。それを何故、このような形で依頼したのでしょうか?」

 モニワは「正式な」の語句を強調して、アオバ城砦衛兵部隊メンバーの顔を見回した。彼らが先を促すような視線を返したのを認めると、浅く息を吐いて続ける。

「二つ目。何故ウチに頼むんですか? 工業都市は全国どこでもあるでしょう。ウチであるにしても、どうして衛兵部隊に? いくら俺たちが魔法工学の都市を守る衛兵部隊だからといっても、物を作ることが本業じゃないことくらい分かってますよね? 職人を紹介して欲しいというのならば、考えますけれど」

「三つ目の質問は、何でしょう?」

 マツカワは答えず、ただ先を訊ねる。モニワの丸い目に燻るような光がちらついたのを、オイカワは見逃さなかった。

「皆さんは、造った真実の鏡を魔王と対峙するために使うのだということでしたね? ですが、残念ながら俺は魔王がどんな存在か知りません。どうしてそれと真実の鏡を用いて皆さんが対峙しなくちゃいけないのかが、分からないんです。だから事の次第を、一から教えてほしい」

「一から、全部?」

「もちろん。だって、そのくらいのコトでしょう?」

 とぼけて問い返したオイカワに、モニワは柔らかい口調は保ちながらも笑みの欠片も見せずに答える。

「本来ならば、これは引退した俺が口を出すべきじゃないことくらい承知してます。ダテ工業都市衛兵部隊は、もうこの後輩たちのものです。俺は隊長じゃないし、出身者であるというだけで隊員かどうかさえ微妙なところです。だけど」

 元隊長は大きく息を吸って、吐いた。吐息は深く長く、出し切る瞬間に震える余韻を残して消える。

「だからこそ、黙って見てられなかった。だってこの依頼が本当に、この文面通り嘘偽りないのだとしたら」

 声が揺らいだ。卓上の書簡に置かれたモニワの拳が、白い羊皮紙に皺を作る。

「アンタらはウチの部隊に、国家造反の罪を負わせようとしている……そういうことになるじゃないですか」

 オイカワとモニワの視線が、正面からかち合う。純朴そうな顔立ちの中、小さな瞳孔は今度こそ間違いなく怒りを露わにしている。オイカワは己の唇の端が、知らず吊り上がっているのを自覚した。

 そう、その通り。彼が指摘する通りなのだ。

 オイカワたちが一年前挑んで敗れ、そしてこれからまた立ち向かおうとしている敵は、夢の世界という幻想郷を創りあげられるほど、幻術に長けた存在なのである。全てのまやかしを暴くという真実の鏡がないと、前回のごとくまた魂を夢の世界に飛ばされてしまう。だからかのアイテムを手に入れなければならず、またそのために、どうしても連合国家の法を掠めざるを得ないのだった。

「さっすが元主将クン。コトの重大さが、よく分かってるみたいだね」

「ダテコーにアンタみたいな人がいるなんて知らなかった。意外だな」

 てっきり売られた喧嘩は拳で買うって言われるかと思ってたけど。マツカワがそう言いながら、モニワの左右を見やる。フタクチもアオネも、眦を吊り上げ敵意を剥き出しにしている。モニワは自嘲するような笑みを浮かべた。

「俺は魔工技師だから、あんまり前線に出なかったんですよ。仲間に庇ってもらって、後方で魔道具を使った支援や防具の整備をしているばっかりの人間だったから、まともな戦力じゃなかった」

 フタクチがムッとして何かを言いかける。だがモニワは彼の口を掌で覆って、卓上の書簡を反対の手で取った。

「これはまだ、衛兵部隊以外の人間には見せていません。ですが上に見せれば、すぐあなた方がウチに共犯を持ちかけてきたことを証明するための証拠になるでしょうね」

 モニワは紙をひらひらとそよがせる。脅されている。地味な見た目の割に、よく分かってるじゃん。膝の上で握ったオイカワの掌が湿ってきた。額も俄かに熱くなり、発汗しているのが分かる。しかし同時に、脊髄と脳をゾクゾクと痺れるような興奮と快感が駆け抜けていくのを感じていた。

 こちらが危険なことを持ちかけていると知りながら、モニワはこの案件を秘匿してオイカワたちを招き入れ、脅しかけてきた。

 これはつまり、あちらもこちらに対して益を見出しているという事実の証明だ。

 予想外の危機の訪れと予定調和の予感に、オイカワの心はきりもみしつつも踊るようだった。

 ――まっつん、うまくやってよ?

「悪かった。騙そうとしたわけじゃないんだ」

 オイカワの心の声に応えるように、マツカワが口を開いた。

「いっぱいいっぱいなのはこっちも同じでね。まどろっこしい手なんて打ってられなかったんだ」

 肩を竦め、参ったと言いたげに首を横に振る。

「アンタの言う通り。俺たちが持ちかけようとしているのはアンタらにとっても俺たちにとっても、相当危険なことだ。だからその紙も、アンタらの関心を引いてここに入るために形にしたけど、本当ならばない方がいい」

「じゃあ」

 モニワは短い言葉で、暗に要旨を口にするよう催促する。マツカワは両膝に肘をつき、組んだ手の甲に顎を乗せて告げた。

「取引をしたい」

 客間の中を視線が交錯する。そのどれもがつついたら火傷しそうな導火線めいた緊張を孕んでいたが、両者共に引き下がる気配はまったくない。

 マツカワはその思案するような姿勢のまま、向かいのソファーに腰掛ける中央のブレインを窺う。

「俺たちはある理由から、真実の鏡が欲しい。その理由はこれから話すから、受けるかどうかはそれを聞いて考えてくれ。代わりにアンタらが鏡を造るのを手伝ってくれれば、俺たちは自分の懐がすっからかんにならない限りで、アンタらが欲しいものをやる」

「たとえば?」

 モニワが冷静に問う。マツカワは首を捻った。

「協定と言いたいところだが、形が残るものは後々まずい。資金も同じ理由で駄目だ。だから消費できるものがいいだろう。そうだな……資源、とか?」

 元隊長の吊り上がっていた太い眉が、マツカワの提案を聞いた途端微かに緩やかな弧を描いた。こちらの読みは当たったらしい。食いつきは良さそうだ。

彼は口元を引き締めたまま、首を縦に振る。

「それなら、検討します。乗るかどうかはあなた方の話を聞いてから、ですよね?」

「そう。じゃあ、聞く?」

「聞きます」

 マツカワは依然として茫洋としているのか鋭いのか分かりづらい眼差しを、虚空に漂わせる。こればかりはオイカワもハナマキも覚えていない話なので、彼に語ってもらうより他にない。

「そもそもはね。ウチの都市にいた、ある魔族がやらかしたことだったんですよ」

 彼は唐突に語り出した。ダテコーの三人は面食らっている様子である。無理ないなとオイカワも思う。自分も既にここへ来る道中で聞かせてもらったが、その時もマツカワの語り出しはこんな風に突拍子もなく、かつ井戸端会議でもするかのような軽い調子だった。

「去年の、春の大会予選よりちょっと前くらいだったかな。アオバ城砦にあった二つの宝、夢見の雫と真実の鏡を用いて、その魔族はある実験をしようとしたんですわ。その実験がどんなモンかって言うとね――」

 夢見の雫は、アオバ城砦にその入り口を封じられている魔窟・夢見の洞窟の奥深くに湧き出でる夢見の泉から汲むことのできる水である。それを摂取したありとあらゆる生きとし生ける者に己の望む夢を見せてくれるという、使いようによっては毒にも薬にもなり得る精霊界の生薬だ。

 一方の真実の鏡は、先程モニワの話にもあったように神話の時代に起源を持つと伝えられる伝説の代物で、この世のあらゆる事象における真の姿を現実に映し出すことができるという、破魔の神具だった。

 この対照的な効能を持つアイテム二つを、その魔族はこともあろうに融合させようとしたのだという。

「まあこんだけ正反対のはたらきを持つ強いアイテムが、くっつくわけないだろ。反発してぶっ壊れるのがいいところで、普通のヤツなら途中で諦めるだろうな。なんだけど、そいつある意味ヤバいヤツでな。研究して研究して、ついに自分の魂を繋ぎにして、見事融合させちゃったんだよね」

「じ、自分の魂を?」

「マジキチじゃないスか」

 瞠目したモニワの声が、裏返った。フタクチも台詞こそ茶化すようだが、声と顔は呆気に取られている。アオネでさえ、口を引き結んだまま目を丸くした。

 オイカワはホントありえないよねえと相槌を打ちながら、それとなく尋ねる。

「でも、理論上は可能なんじゃない? 魔族の魂って精霊に近いし、形も変化しやすいんデショ? 多くの魔族が持ってる変身能力もこれに由来するんだよね? なら、その要領で合成獣に化けるみたいに他のモノとモノに魂を宿して変化することができれば、合体させられるってことだろ?」

「理屈で言うのは簡単だけど、それって物凄く大変なことだよ」

 顎に手を当てて考え込むモニワは、あまりにも動揺しているのか敬語を付けるのを忘れてしまっている。顔色も、心なしか白いようだ。

「過去にも魔族の魂を使った新生物や新兵器の開発をやった例はあるんだ。でもどれも失敗したか、取り返しのつかない事態になって……だから魔族の魂を使った配合実験は、禁じられるようになった」

「取り返しのつかない事態って、どんな?」

 ずっと黙っていたハナマキが、久しぶりに声を上げる。彼の三白眼は相変わらず沈着なままで、その視線に平静を思い出したのか、モニワはもとの調子を取り戻して答えた。

「俗に言う、『悪魔憑き』みたいなモノが生まれてしまったんです」

「悪魔憑き……強い憎悪を持つ魔物や上位の魔族を殺した時に、相手の怨霊に取り憑かれちゃうっていうやつだよね」

 オイカワは書物で得た知識や耳にした噂を思い出す。悪魔憑きになった者は強大な力を手に入れる代わりに、ヒトの心や自我を失ってしまうという話だ。時折力の強い魔族を殺しても自我を保っていられる者もいて、そういった人種は悪魔憑きとは見なされず英雄として崇められ、人々から多種多様な栄誉ある呼称で讃えられる。ドラゴンスレイヤーだとか、英雄王だとか、あとは勇者とか。

「ただの悪魔憑きならまだマシなんですけど。完全に怨念の塊みたいな危険な精霊になっちゃったり、その実験が行われた場所が呪われちゃったり、伝染病みたいに複数の生物に乗り移ることもあったりして、そうなると手がつけられないんだそうです」

「じゃあその夢見の雫と真実の鏡を合体させちゃったっていう魔族も、相当ヤバいことになったワケなんですか?」

 フタクチが訊ねると、モニワは顔を歪めて首を振った。

「相当どころじゃないんじゃないか? だって魂と物質の融合に加えて、自分の魂を使ってるんだぞ? 正気の沙汰じゃない」

 それからマツカワを見やって、恐る恐る問いかける。

「その魔族は、どうなったんです?」

「俺にもよく分からない」

 マツカワはかぶりを振る。

「そのあたりのことは、どうにもよく思い出せないんだ。けど、実験が終わった直後からだったと思う。急に、街の人間が眠ったまま目覚めなくなった」

 ちょうどその頃、眠り病が流行り始めたのだ。アオバ城砦を起点として、各地からみるみるうちに生気が失せていった。

「調査していくうちに、俺たちは夢の世界っていう生物の夢が集まった世界がこの世に創られたことを知った。それでやっと、アイツが何をしたのかを悟ったんだよ」

 マツカワの口調に、苦々しいものが混じる。

「アイツは自分の魂を土台にして、夢見の雫を真実の鏡に流し込み、夢を真実にしようとしたんだ。真実を具現化するはずの真実の鏡は夢見の雫が見せる夢を具現化するようになった。これでアイツがへっぽこ魔族だったら、術は本人にかかるだけだったんだろうが、ヤツはなまじ力が強かった。その影響は全国に広まって――人々の魂を吸い寄せる魔族の魂からなる夢の世界と、それを統べる魂の持ち主こと魔王が生まれた」

「俺たちはその魔王になった魔族をよく知っていた。こうなった以上、アイツを知っている俺たちがヤツを倒すしかないと思った。だから四人でアイツを倒す計画を立てて、戦いを挑んだ」

 そして、負けた。

 そこから先は、繰り返しオイカワたちが聞いてきた内容だった。魔王に敗北した自分たちは、肉体と魂を引き離され、魂を夢の世界に飛ばされてしまったこと。マツカワは既に肉体を取り戻すことができたが、オイカワたち三人はいまだ肉体の行方を掴めないこと。自分たちは今、夢の世界で作られた仮初の記憶のまま、元の身体に戻るべく魔王攻略を目指して旅をしていること。

マツカワの語るうちに、いつしかダテコーの三対の瞳は敵対心を放り投げてしまっていた。それぞれ色合いは多少異なるが、どれも驚愕と疑心と困惑とが顔を見せては引っ込んでぐるぐると巡っている。

「ちょっと雰囲気違うなと思ったら、そういうワケだったんスか。アオネも生体反応が薄いって言ってたし」

「え、そんな。オイカワ君、記憶なかったの?」

 フタクチとアオネは改めてこちらを観察している。モニワはおっかなびっくり、向かい合うオイカワを覗き込む。オイカワは苦笑した。

「そうみたい。今までみんなが夢の世界って呼ぶ場所にいて、そっちが本当の現実だと思ってたから、記憶があるのかないのかもよく分からないんだよね」

 ダテコーのみんなの名前は、夢の世界と被ってたから分かったけど。正直に言えば、モニワは納得したように頷いた。

「そんなわけで、俺たちは魔王と対抗するために真実の鏡が必要なんだよ。ウチの街にあったのは、夢の世界に化けちゃったからな。新しいのが必要なわけだ」

マツカワがそう締めくくって、視線が彼に集中した。こちらを見つめるモニワを見据え、彼は問う。

「どうする? 俺たちに協力してくれれば、資源集めにも協力するし鏡造ってくれたことも黙ってるし、ついでに上手くいけば世界がもとに戻るぞ」

「もとに戻っても、また争いの絶えない世界だろうけどね」

 重そうなマツカワの瞳が、僅かに開かれた。モニワはへらりと笑う。

「この世界は、魔王が夢の世界を創ってヒトの魂を征服しちゃう前から物騒だったからな。むしろ、魔王が台頭してから静かすぎるくらいだよ。街の外も、中も」

 太い眉を下げて屈託なく破顔してから、ほのかな笑みをちらつかせたまま顔を俯かせた。素朴な顔立ちに薄く影が落ち、もともと決して大きくはない体躯がさらに小さく映る。

「俺は、あんまり戦場が好きじゃない。魔法工学は好きだけど、戦争のために使われる魔法工学はキライだ。でも、それよりずっと、魔道具の動く音や人の声のしない街の方が嫌だな」

「モニワさん、アンタ何言って」

「聞いてくれフタクチ、アオネ」

 その気になれば掻き消せるような、穏やかな声だった。だがフタクチは口を噤んだ。アオネも硬直してしまったように、丸く小さな先輩の背を凝視している。

「お前らも知ってるだろ。ウチの街ももう六割近い住人が眠り病にかかっていて、街が停止してるんだ。魔道具を動かすためのエネルギーが足りない、造るための資源が足りない、作り手も働き手も目覚めなければ、防衛軍だってもう結構な数のメンバーが眠っちゃってる。今はまだ、魔物達もなりを潜めているからいい。でもこのままいけば、この街は遠からず終わりを迎える。そうなる前にどうにかしたい。そのための方法が転がり込んできたなら、取る行動は一つだ」

 頭を上げる。影を取り払い、凛として背筋を伸ばす元隊長の横顔に、後輩たちは息を飲む。

「取引に応じます」

モニワは毅然として告げた。オイカワが不敵な笑みでもって応える。

「いいね。じゃあ、『魔法使いの杯』を交わそうか」

 その言葉を合図に、ハナマキがポーチに利き手を差し込む。中から出てきたのは親指の先程度しかない小さなグラスと、薬指程度の丈しかない小瓶だった。

 ハナマキは小瓶のコルクを抜き、その細い口を唇へつけないままに傾ける。中からどろりとした紅褐色の液体が一筋溶けだし、薄い口唇の中へと零れた。

 すぐに小瓶の傾きを戻して、ハナマキはコルクを閉める。仄かに色付いた口の端を赤く濡れた舌でちろりと拭い、大丈夫そうだねと笑った。

「これ、知ってる?」

 グラスをオイカワとモニワの前にそれぞれ差しだしながら、彼は尋ねる。モニワはこくりと首を縦に振る。

 魔法使いの杯とは、古くから伝わる約束の儀式だ。ある特別な約束をしたい二人が薔薇の花弁と葡萄酒に触媒を混ぜて煮詰めた『魔法使いの酒』を飲みながら精霊言語で誓いを述べ、腹の底を共有するのである。

「約束を守れば、酒は祝福を授けてくれる。けど約束が守られなければ、体の中がこの酒と同じようなグズグズのドロドロになって、死ぬんだろ」

フタクチが大きく目を見開く。モニワは笑って杯を掲げた。

「いいよ。このくらいの方が破られる心配もしなくていいし、心置きなく仕事できるから」

「おっ、カッコイイね。俺には負けるけど」

 同級の隊長二人が軽口を叩きあっている間に、ハナマキが羊皮紙へと先程取り決めた約束事を書き留めた。精霊言語で書かれたそれをオイカワとモニワは確認して、内容に間違いないことを認める。

「≪誓約の精霊よ。今ここに生まれた新たなる誓いを聞きたまえ≫」

 ハナマキが詠唱を開始した。羊皮紙に刻まれた文字が、パラパラとアイボリーに輝きながら浮かび上がり、紙を離れてコルクの外された小瓶の中へ飛び込んでいく。全ての文字が吸い込まれきると、暗い赤褐色だった小瓶は明るいロゼに煌めいていた。

 ハナマキはそれを、オイカワとモニワが手にした二つのグラスに注ぐ。グラスに薄紅が満ち、同期の隊長たちは硝子同士を触れ合わせてから一気に煽った。

「≪誓いを立てし者よ、名を名乗れ≫」

「≪青き木の一葉、オイカワトオル。同胞イワイズミハジメ、マツカワイッセイ、ハナマキタカヒロを代表して、我らが杯を干す。誓い果たされぬ時は、この血肉赤き薔薇酒とならん≫」

 オイカワがまず名乗る。流暢な発音にハナマキは頷き、次にモニワに向けて語り掛ける。

「≪誓いを立てし者よ、名を名乗れ≫」

「≪硬き壁の一石、モニワカナメ。同胞カマサキヤスシ、ササヤタケヒトを代表して、我らが杯を干す。誓い果たされぬ時は、この血肉赤き薔薇酒とならん≫」

「――――ッ!」

 声を上げそうになったのを、フタクチは懸命に堪えた。精霊言語での誓いを邪魔すれば、術者も誓う者も精霊からの裁きを受けかねない。そうは分かっていても、彼の色味の失せた綺麗な唇は、音もなくどうしての四文字を形どった。

「≪精霊は聞き遂げた≫」

 ハナマキがそっと紡ぎ、締める。

「何で」

 アオネがモニワを見下ろして、愕然と呟いた。直後、フタクチが低い位置にある胸ぐらを掴んで揺さぶり始める。

「モニワさん話が違いますッ! 俺たちも一緒にやるって言ったじゃないですかッ!」

「落ちつけって! 別にお前らに手伝ってもらわないわけじゃないよ」

「何でですか! 俺たちが未熟だからですか、世話がかかるからですか!? 俺たちは全員で鉄壁なんじゃないんですか!?」

「何だよ、手がかかるなんて今更だろ」

 モニワはおかしそうに笑っている。取り乱した後輩の手を襟から外し、なだめるように軽くその手を叩いた。

「そうじゃなくて、お前らが『全員で鉄壁だ』ってずっと言ってくれるからだよ。不作揃いだって言われる俺たちを、引退しても慕ってくれて、認めてくれる。普段絶対言わないけど、カマチもササやんもすごく嬉しがってたんだ」

 だからこれは、俺たちからのちょっとしたお返し。

 そう言って、モニワは顔を歪めた二人の後輩の頭をくしゃりと撫でた。

「お前らは外敵から街を守ってくれ。俺たちも、街を守るために頑張る。頼んだぞ」

 モニワはソファーから立ち上がり、あとはカマチたちが起きた後にと告げて部屋を出ていった。客室にはオイカワたちアオバ城砦の三人と、鉄壁の中核たちが残される。

 フタクチの握り締めた拳が、ソファーを抉った。綺麗な顔立ちは激情に堪えるかのように歪なまま、押し殺した声を絞り出す。

「馬鹿じゃないですか……俺たちが、誰のために戦ってると、思ってッ……!」

 拳が、もう一度柔らかいソファーを叩く。その隣のアオネは俯き、微動だにしない。

「そんなに心配しなくても、俺たちは――」

「別に心配なんかしてません。自分に腹が立ってるだけです」

 オイカワが声をかけると、ぴしゃりと言い返された。フタクチは顔を上げる。唇が泣き笑いのようにひしゃげた。

「いつだってそうだ。いくら頑丈な防具でも壊れる時は壊れるし、危険に晒されない戦場なんてあるわけがない。そんなの、子供だって分かることです。それでもあの人は、自分の万全に整備した防具を身に着けて出ていった後輩が両腕を失って帰って来たのを見て『ごめんな』って泣くような、どうしようもないヒトなんです。そんなどうしようもない泣き虫のクセに、先輩ぶって見せるんですよ」

 馬鹿です、ホント馬鹿ですよ。そう繰り返し罵る彼の目元は、乱雑な言葉では隠し切れないほどの敬愛と憤りと口惜しさで潤んでいる。

     その瞳が、キッとこちらを睨んだ。

「あの人たちに何かあってみろ。魔界の果てでも追いかけて行って、たとえこの身体が人間でいられなくなったとしても、その心臓ぶっ潰してやる」

 肝に銘じておくよ。そう返しながら、オイカワは故郷の後輩たちのことを思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢を見ている。

 視界の下側から中央に向けて、手が伸びていた。子供と呼ぶには逞しく、大人と呼ぶにはまた丸みを帯びた、発展途上の手である。

 前方へと伸ばした左手は、人差し指を伸ばして銃のような形を作っている。俺の視線は、自然と人差し指の銃口が狙うものへ吸い寄せられる。豊かに葉を茂らせた木、その枝にぶら下がる、赤くてつやつやとした円。林檎である。

 人差し指の先が、俄かに輝き始める。朧げな光が集い、ふよふよと縦に細長く伸び始めた。光は手を中心として、上下になだらかな弧を描く。指先がその弓なり状の弧を絞るように力を入れると、今度は縦に伸びたそれと垂直に交わるように、手前側へ光が集まってくる。光の棒はじわり、じわりとこちらへ向かってまっすぐ伸びてきたが、その棒が視界の下方を分断しようとしたところで異変が起きた。作りかけのそれ、未熟な光の矢が指先から飛び出してしまったのだ。

 わっ、と声が上がった。矢は狙っていた果実の上、重い実でしなった太い枝を貫通する。林檎は枝ごと落下した。赤い円を下にして落ちていく枝。霞む細い木肌を、第三者の手が掴んだ。

「あっぶねえな。人でも通りかかったらどうすんだ」

 イワちゃんだった。前見た時よりも背丈はずっと大きくなっていて、声も低く変わっている。身に纏うのはキタガワ第一の修練着だ。

 イワちゃんは枝から林檎をもぎ取り、ガブリとかぶりついた。

 大丈夫だよ、ちゃんと人が来ないか見てたもん。

 近くでそう訴える声が聞こえた。声はさらに喋り続ける。

 それよりイワちゃん見てた? 俺、弓無しで引けるようになってきたんだ。

「おう。見てた見てた」

 今のはちょっと失敗しちゃったけど、もっと凄い威力の矢がイイところに行くこともあるんだ。でももっともっと、精度も威力も上げたいな。イワちゃん、そこ退いてよ。また狙うから。

「そんなもんにしとけよ。魔法とか魔法矢もいいけどよ、体術の方も忘れるなよな。戦いの基本だぞ?」

 分かってるよ。声は不貞腐れたように答える。

「なら一回休んで、休憩代わりに打ち合い稽古付き合えよ。それから組手にも」

 模擬試合だねっ? うん、うんいいよ!

 声は一転して、嬉しそうに答えた。

 今日は負けないからね! 負けたら素振り百回してやるから!

「よし。その言葉、忘れんなよな」

 イワちゃんが唇の端を吊り上げる。

 視界の隅、手前から先程と同じ手が伸びる。その手にする剣に見覚えがある。俺も昔使ってたヤツだ。そう思ったところで、俺の視界は白く霞んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 神代の昔。今より俗界と精霊界が近かったその頃、人間と魔族と精霊はさして険悪な仲ではなかったらしい。精霊と人間はそれぞれ見えざる力と見える力で助け合い、またそのどちらも持つ魔族は両者を助け、または仲介してうまく共生していたのだという。

 助けられる度、彼らはその好意に対する感謝の品物を贈り合った。人間は美味な果実や美しい枝木などを、精霊は精霊界に所縁ある魔法の品を差し出した。

 そういった贈与のやりとりの中で得たものの一つが、真実の鏡の製法だった。

「俺たち俗界の生物である人間には確認のしようがないから分からないけど、精霊界には全ての真実を映し出す真視の鏡というものがあるんだって。真実の鏡は、その真視の鏡の子機であり――ああ、分かりづらいか――分裂体であり、真視の鏡の効能を俗界にも伝えてくれる魔道具なんだ」

 建国神話にも出てくる有名な神具だけど意外とそこまで知ってる人は少ないらしいよね、とモニワは語った。

 神具がむやみに製造されることがないようその製法は秘匿されているが、たとえ一般に公開されていたとしても、量産されることはないだろうと彼は言った。なぜならば、その原材料の入手および加工方法が極めて難しいからだ。

「真実の鏡には、二つ材料がいる。一つは真珠金と呼ばれる貴金属で、もう一つは星の粉っていう魔法の品だ。両方とも滅多に見かけないものだけど、幸い採れそうな場所に心当たりがある。星の砂はウチの領土外にあるからそっちだけで手に入れてもらわなくちゃならないけど、真珠金の方は領土内だから俺たちで案内できる。カマチたちが回復したら、一緒に行こうか」

 その誘いに頷いたのが一昨日のことである。

 そして今、オイカワは首が痛くなるほど頭を上向けていた。仰いで仰いでも、荒れた岩肌の壁しか視野に映らない。頂上が霞み碧空に溶け込んでいるそれは、絶壁と称するにふさわしかった。

「高っ……」

 げっそりした調子で漏らす。昨日ダテコーの街並みを見上げた時に発したのとまったく同じセリフだが、気分には天と地ほども差がある。

「え……これ、マジで登るの?」

「うん」

 モニワは苦笑いで頷いた。

「真珠金はこの運命の壁の、てっぺんにあるって言われてるんだ」

 オイカワたちアオバ城砦衛兵部隊四人にモニワ、カマサキ、ササヤのダテコー三年生を加えた七人は、ダテ工業都市の北に位置する峻峰、通称「運命の壁」を前にしていた。幅は三十キロメートルにもわたり、かつ見上げた者が皆絶句してしまうような高さを誇るこの山は、地面とちょうど九十度に交わるかのごとく切り立っている。その景観はまるで巨人の家を造るための巨大な煉瓦が立っているようで、所々に空く洞窟以外の場所で生物を見ることは適わないらしい。

「運命の壁、ねえ」

 ハナマキが左手を腰に、右手を目の上にかざしながら笑う。

「イイ名前だね。行く末が見えないところなんてぴったりだ」

「マッキー、ネガティブ禁止」

「禁止されたところ悪いけど、これわりと真面目にやばいよ。盗賊の俺でも先が見えない」

「あれ、本当に?」

「うん。どういうわけか、渡り鳥の目を使っても終着点が見えない」

 彼は首肯し、皮肉げな笑みを引っ込めて険しい壁面を睨んだ。高所低所、あちらこちらに口を空けている洞窟を、目で繋ごうとするように辿る。

「渡り鳥の目って、空から鳥が地上を見下ろすような感じで、上空に視点を飛ばすことで下の様子を見る技じゃん? だから広い平野で遠くにある街を探すのとかは得意なんだけど、入り組んだ建物の中を見るのは苦手。要は視点の移動が難しい技なんだよね」

 ハナマキは眼前の絶壁を指し示す。

「この壁、とてもじゃないけど登り続けられないだろ。だからところどころ空いてるあの洞窟を上手く利用していけないかなって思って今見てみたけど、ヤベェよ。洞窟と外を見比べるのにいちいち視点切り替えて移動させなくちゃだから探知が難しいし、ちょいちょい洞窟の奥にワープスポットがあるけどそれがどこに繋がるかもわからない。これ、相当手こずるな」

「でっ、でも、地図はあるんだよね?」

 オイカワが救いを求めてモニワを振り返る。ダテコー衛兵部隊元隊長は申し訳なさそうに太い眉を下げ、手にした羊皮紙を見せる。

「あるにはあるけど、途中までしかないんだ」

「えっ、何で!? 運命の壁ってダテコーの資源採掘の中心なんでしょ!?」

「うん。でも発掘は三分の一くらいまでの高さで十分できるからてっぺんまで登る必要なくて、みんなこの先に登らなかったんだよ。むしろ、てっぺんは登るの禁止されてたからね」

 モニワの答えに、オイカワの口の端が引き攣る。

「なんだ、三分の一も分かってるなら上出来じゃねえか」

 一方、そう声を上げたのはイワイズミである。彼は壁を仁王立ちで見上げて、繰り返し力強く頷いた。

「登ればいつか着くだろ。なあ?」

「その通りだ」

 答えたのは、彼の隣に並ぶカマサキだ。彼は逞しい胸筋の前で腕組みをして、そびえ立つ難所を仰視している。

「四の五の言ってるより、登った方が早ェ」

「うし。そうとなりゃ行くぞ」

「おうよ。俺たちの筋肉、見せてやろうぜ!」

「根性もな!」

 二人は目と目を合わせて互いの意志の固さを確認し合うと、壁に向き合いズンズンと登り始めた。その背中を追ったモニワが、慌てて叫ぶ。

「ちょっと、そっちじゃないよ!」

「なあ、なんかアイツらやけに通じ合ってない?」

 正しい道は右手の洞窟からだと訴えるモニワの声を聞き、先にそちらへ足を向けながらマツカワが共に歩く男に訊ねる。彼の言う通り、イワイズミとカマサキはモニワとササヤに壁から引きずり降ろされても、律儀に二人並んで正しい方向へと進もうとしていた。

「ああ、それはね。俺の催涙弾がきっかけなんだって」

 ハナマキはなんてことなさそうに答える。

「もともとあの街に入る前の戦いで最初に手合せした時から、お互いの戦闘スタイルに惹かれあってはいたらしいんだけど。俺が催涙弾投げたのに、アイツら戦いに夢中になっちゃって逃げるのが遅れて犠牲になっただろ? あの後一緒に医務室のベッドでウンウン唸りながら互いを確かめ合い認め合い、漢と漢のアツくカタい絆を結んだそうだ」

「ハナマキくん、言い方がヒワイ」

「アイツらが本当にそう言ってたんだって」

「あの純な二人にそんなコト言わせちゃったの?」

「俺も罪な男だぜ」

「マッキーとまっつんは何言ってるの?」

 珍妙な会話を聞きかねて、オイカワが口を挟む。マツカワとハナマキはそろって彼を振り返った。無表情のまま、先にマツカワが答える。

「イワイズミの超絶信頼関係を結ぶ相手が、お前じゃなくなるんじゃないかって話」

「なんか答え方違くない?」

「イワイズミの相棒の座を奪われて、さぞかし悔しいだろうオイカワくん」

「いや別に、奪われたとも思ってないからね?」

「超絶信頼関係なんてあってもなくても、イワイズミのお前だけに対する当たりの強さは変わらないぞ」

「安心して泣け」

「何なの! まっつんとマッキーは俺をどうしたいの!?」

 オイカワは思わず声を大きくして詰め寄る。だが交互に語り掛けるだけ語り掛けておきながら、マツカワとハナマキはしれっとして進行方向へ顔を戻した。

 何だろう、この二人の息の合いっぷりは。面白いのは面白いのだが、やたらオイカワの胸を一方的に刺して来るのが解せない。

「うるせえぞボケカワ!」

 さらにそこへ、先を行くイワイズミからトドメが飛んできた。オイカワは反射的にむくれる。

 イワイズミに他市であれ仲の良い友達ができるのはいいことだ。マツカワとハナマキの仲が良いのもいいことだ。だが。

「今のは俺のせいじゃないもん!」

 オイカワは叫びながら洞窟の中へ飛び込み、奥で梯子階段を上ろうとしているイワイズミに突っかかりに行こうとした。しかし岩壁の中へ飛び込んだ途端、喚こうとした口が固まる。喉から、壊れた笛のような音が弱々しく漏れた。

 墓だ。入口から差し込む日光の届き切らない広大な岩の洞に、所狭しと矮小で粗末な土の塚が並んでいる。

「こ、これって」

「そう」

 生唾を飲むオイカワに、モニワが頷く。

「遥か昔からこの山の頂上にあると伝わる黄金の楽園を求めた人々の、成れの果てだよ」

 亡者の沈黙が、一瞬で一行の陽気さを飲み込んだ。

 冥府の闇が口を開けたかのような岩の洞を、一行は無言で横切る。モニワの先導のもと、そのまま奥に吊るされた梯子を上りきった。一階上は陽射しの差し込む隙間のない完全な闇で、モニワの翳す角灯でどうにか周囲の岩肌を窺えるような有様だった。

「怖気づいたか」

 イワイズミがぼそりと隣に佇む幼馴染に問う。オイカワは挑むように隣を睨んだ。

「そりゃそうデショ。だってあんなおびただしい数の墓標、初めて見たし」

 でも、行く。そう呟いたオイカワに、イワイズミは唇の片端を吊り上げる。

「イワちゃんこそビビってるんじゃないの?」

「ああ。おかげで、余計進みたくなったわ」

 答える戦士の声にも表情にも、虚勢はない。今度はオイカワが片方の口角を持ち上げた。

彼らは無言で、互いの拳を突き合わせた。

「しばらくぶりに来たけど、どうかなあ」

「『鉱物の源』が枯れてなければ、あるだろ」

 モニワが狭い洞窟内を観察しながら独り言ちる。その傍に追随したササヤが、槌を肩にもたせかけながら同様に景色を観察している。彼の台詞を聞いたイワイズミが、怪訝そうな顔をする。

「鉱物の源?」

「大地の力が湧き出る場所だ。精霊界にいる大地の精霊の影響が色濃く出る珍しい場所でな、そういう鉱物の源からはその名の通り、鉱物がじゃんじゃん湧いて来る」

 カマサキが答えた。好奇心を刺激されたオイカワが、先程の憤慨も忘れて問いかける。

「すごいよねぇ。鉱物の源って、どんな山にもあるものなの?」

「いや、そんなことはねえな。大概は地中の奥深くにあって、湧き出た鉱物を近くにも遠くにも万遍なく流しちまうから普通は見つけられねえ。だがこの運命の壁は、本当なら地中深くにあったはずの鉱物の源が、偶然上に押し上げられる形で隆起してできた山なのらしくてな。だからここだけは他に比べて、鉱物が形成されやすいんだよ」

「へえ、そういう事情があるんだ」

 オイカワは相槌を打ちながら、こんなイイコトを聞いてしまっていいのだろうかと内心疑問を抱く。勝手に鉱物が湧き出てくる夢のような場所があると知ってしまったら、たとえ領土外だって資源を採りに忍び込みたくなるだろうし、場所ごと手に入れたいと思う輩だって決して少なくはないだろうに。

「でもね、ここは世界広しといえどダテコーにしか発掘できない場所だと思うよ」

 オイカワはぎくりとした。モニワは彼の考えていることを察したのか否か、にやりと笑っている。

「いつも見張りに目を光らせてるからね。それにその目を掻い潜ることができたとしても、生きて資源を手に入れられるかどうかは別問題だ」

 ちょっと見てて、とモニワは告げて壁に近寄った。下方に岩とは異なる色付いたきらめきがちらついている。金属的な黒に輝いているから、きっと鉄だろう。

 モニワは背に括り付けていたツルハシを手に持ちかえる。木製の柄を両手でしっかと握り、尖った先端をその金属の原石へと振り下ろした。

「ほげっ!?」

 オイカワは素っ頓狂な声を漏らした。ツルハシが鉄鉱石の上を抉った途端、そこから砂が水のように勢いよく流れ出てきたのである。

 砂はゲル状のように一つにまとまってモニワの足を這い上がろうとしたが、ずるずると滑り落ちてしまう。その明確な意思を持った動きと砂とは思えない形状を認めたイワイズミが、剣を構えて上擦った声を上げる。

「す、スライム?」

「おう。岩スライムだ」

 カマサキが応じた。なおもモニワの足を這い上がろうとするスライムを足先でつつく。途端、岩スライムはモニワを上ろうとするのをやめた。代わりに刺激してきたカマサキがいる方向を探し、そこらをズルズルと這いまわり始める。

「保護色で見えづらいな」

「そう。この岩スライムは運命の壁のそこらじゅうに擬態して張り付いてるんだけど、これが普通の壁と見分けるのが結構難しい」

 砂色をしたゲルがうぞうぞと這うのを眺めるマツカワの言葉に、ササヤが反応した。

「しかもコイツらは、鉱物の源から鉱物と一緒に湧いて出る。だから鉱物にくっついてることが大半で、そのせいで『宝石の番人』なんて呼ばれることもあるんだ。初心者が鉱物を採ろうとしてうっかりこれに攻撃なんてしちまうと――」

「うぎゃあッ」

 ちょうどよいタイミングで、岩スライムがオイカワの足を掠めた。己で掠めたにも関わらず、岩スライムは攻撃された戸でも思ったのか彼に突撃する。オイカワが奇声を発しながら長剣を叩きつける。しかし鋭い刃はゲルに埋まることなく、硬質な音を立てて跳ね返された。

「か、硬いっ!?」

 オイカワは瞠目した。岩スライムは一度後退り、ぶるぶると震えている。それとなく身体が赤くなっている気がするが、傷ついた様子はない。

「大概あまりの硬さに驚くことになる。柔らかそうな見た目をしてるんだが、鉱物の源から生まれたモンだから金属には滅法強い」

「ちなみに今ちょっと赤くなって震えてるけど、これ威嚇な。標的をロックオンした時によくやる」

「そういうことは早く言ってよ!」

 説明するササヤとカマサキは、急に移動スピードを上げた岩スライムに追い掛け回されるオイカワを面白そうに観察している。鉄鉱石を彫り出しきったモニワが立ち上がり、珍しそうに岩スライムを凝視する残りのアオバ城砦一行に語る。

「ほら、こんな感じでね。何も知らない人間がやるとエライことになるから、コツを知ってる人じゃないと五体満足で発掘できないんだよ」

「ちょ、ちょっと助けてよ!?」

「最近はあんまり聞かないけど、昔はよくあったよな。無鉄砲な山賊がここに忍び込んで鉱物に手ェ出して、岩スライムに絞殺される事件」

「ねえ聞いてる!?」

「あー、あったあった。岩スライムは窒息させてくるのが基本だから、余計素人にはキツくて」

「その素人が今目の前にいますけど!?」

 モニワ、カマサキ、ササヤは過去を振り返っていて、オイカワには目もくれない。オイカワは未だにこちらを眺めている同郷の仲間たちを縋るように見る。

「ねえイワちゃん!」

「魔物相手に必死に逃げ回るオイカワなんて、久しぶりに見たな」

 ところが幼馴染は感心したように腕を組んでいて、こちらを助けに来る気配が全くない。さらには彼の後ろに控えるマツカワとハナマキも、やる気なく手を振って声かけをするだけである。

「オイカワ頑張れー」

「お前ならいけるぞー」

「そろそろ泣いていい?」

 まだ運命の壁攻略は始まったばかりだというのに、これはいかがなものだろうか。一時的な共同戦線のためとは言え仲間の数は二倍近くになっているはずなのに、オイカワの孤独はより一層深まったように感じられる。

「くそっ、いいよもう! オイカワさんできる子だから、一人でどうにかしてやるもんねっ」

 舌打ちをして、オイカワは片手を上向けて広げた。掌上に火の玉が宿る。青く揺らめくそれを、振り返りスライム目がけて投げつけた。

「おおっ」

 砂色のゲルが青炎に飲まれ、ジュッと音を立てて消えた。モニワたちダテコー衛兵部隊から、感嘆の声が上がる。

「すげー!」

「分裂のヒマも与えないで一撃かぁ」

「これなら資源集めも捗りそうだ。いやあ助かる!」

「三人とも、もしかして今わざと倒し方教えなかったデショ?」

「いや、教えようと思ったんだけど先に倒しちゃったから」

 ごめんごめん、と謝るモニワはあくまで笑顔である。もしかしたら後輩の装備を焦がされたことを根に持っているのかもしれない、とオイカワは何となく思った。

 オイカワは少し大袈裟に眉間に皺を寄せ、人差し指を彼らに突きつける。

「忘れないでよ? 街の魔道具を動かすのに必要なエネルギー源になる資源を集めるのと、真実の鏡を作るための材料集め。イーブンなんだからね?」

「分かってるって。魔法使いの杯まで交わしてんだ。破るわけねえだろ」

 彼の念押しに、カマサキが豪快に笑って応じる。モニワが先に進もうと促し、彼の案内のもとふたたび歩を進め始めた。

 ダテコーの面々は繁くこの場所に通っているだけあって、足取りは淀みなかった。日の光の差し込まない曲がりくねった道をすいすいと進み、洞窟を抜けきればそこから険しい斜面を登りまた別の洞窟に潜っていく。そうしながら、時折壁面に顔を覗かせる鉱物を発見するのも忘れない。採掘する手際も見事なもので、オイカワたちが出現する魔物を引き受ける間にさっさと腰に提げたダテコー特製資源収集用革袋に取得物をしまいこみ、魔物との戦いにも参加する姿には、こなれた雰囲気と貫禄とが漂っていた。

「採掘すごい上手いけど、衛兵部隊もここによく潜ってたの?」

 地図に描かれた道のりの終盤に差しかかろうかという頃に、オイカワは訊ねてみた。ちょうど鉱石を採りきってあとは魔物を片付けるだけのところであり、採掘を担当していたモニワは顔を上げて頷いた。

「うん。俺たちは特に、もともと戦闘じゃなくて物作りがメインの職業だから」

 手にした鋼を袋に詰め、彼は眼前で戦う同級生へ視線を転じる。

 モニワが魔道具の専門家こと魔工技師であるのと同じように、他二人も物を作ることに長けた職についていた。カマサキは錬金術師、ササヤは鍛冶職人である。だがカマサキの錬金術を駆使した戦法は攻防どちらにも優れており、またササヤは人の上半身ほどもある槌を器用に操り、職人とは思えない攻撃の腕を発揮している。

 身内でもないオイカワが傍目に見ても、二人とも物作りが本業とは思えない立派な戦士だ。それでも彼らを見つめるモニワの笑みは、ランタンによる陰影だけでない翳りを帯びていた。

「俺たちの世代は、全体的にウチの防衛軍が求めるような体格のデカい騎士スキル使いがいなくて。その中でも俺たちはまだマシな方だったから衛兵部隊に入れたワケなんだけど、それでも決して伝統を受け継げるような素材じゃなかった」

 ダテコー衛兵部隊において、騎士職はこなしていることが前提であり、それを本職とすることは滅多にない。だから皆、防壁スキルを持つ他職として前線で力を発揮することを求められた。

 その中でモニワたちは、戦士として武器の扱いを極めるにも武道家として体術の腕を磨くにも、呪文職について魔法に専念するにも中途半端だった。それならばそこそこの攻撃力がありダテの基本である魔法工学にも通じていて、かつ本人達の関心も高い職人職がいいだろうということで、それぞれ今の職に就いたのである。

「顧問は、俺たちを見限るようなことはしないでいてくれたよ。俺たちには俺たちの戦い方があるって言ってくれた。でも先輩たちや衛兵部隊以外の人たちからは、戦力としては全然期待してもらえなくてさ。一個上の先輩たちが引退するまで、マネージャーみたいなことばっかりやってたよ」

 運命の壁での採掘もその一環で始めたことで、最初は嫌で嫌でしょうがなかった。鉱石の採掘が疎ましかったわけでも、物を作ることや自分たちの職業を嫌っていたわけでもない。だが周囲から中途半端で鉄壁となるには足りない世代として憐憫の眼差しを向けられるのが、どうしようもなく惨めで耐え難かった。

 無論、先輩たちが自分たちを役立たずだとか足手まといだなどと罵ったことはない。前線で守ってもらったことも幾度もあった。しかし味方として期待されずただ庇われるだけの存在として扱われるのは、理不尽に敵の前へと放り出されその身をもって盾となれと言われるより、よほど苦痛だった。

 回顧するモニワの表情が、ふとおもむきを変える。

「でも、だからって戦わないわけにはいかないだろ? 魔物は毎日攻めてくるんだから。だから俺たちは俺たちなりに、カッコよくなくても鉄壁っぽくなくても街を守ってやろうって決めて、資源集めも先輩の戦いのサポートも頑張ったんだ。そうしてるうちに、アイツらが入部してきて」

 一つ下の後輩たちはモニワたちと違い、体格的にも騎士としての技術にも優れていた。しかしかなりアクの強い個性派揃いで、世話役のモニワたちはひどく手を焼かされた。

「コノヤローって思うこともあったし――っていうか未だにそう思うこともあるけど、アイツら散々生意気言いながらも俺たちのこと慕ってくれて、仲間として頼りにしてくれて」

 モニワは目を糸のように細める。語り出した当初帯びていた翳りはすっかりなりを潜め、いつの間にかその微笑みに後輩への温かい情が満ちていた。

「それからは、資源集めも嫌じゃなくなったなあ。だから採掘も上手くなったのかも」

「なんだなんだ、いきなりデレか?」

 道の割れ目から飛び出し戦いに乱入してきた食人花を仕留めたササヤが、双眸を弓なりに眇めニヤニヤとしてモニワの肩を抱く。純朴な顔立ちが赤く染まり、慌てて左右に振られた。

「ち、違ぇよ! 別に採掘の話してただけだからっ。それより先っ、先行くぞ!」

 モニワはササヤの背中を押して勢いよく前進する。その後ろから、ササヤと似た笑みを浮かべたカマサキが続いていった。

「そう言えば、ユダたちもよく採掘行ってたな」

「え、ユダっちが?」

 ダテコー衛兵部隊トリオの後を追うハナマキが口にした台詞に、オイカワは目を丸くする。その驚きに答えたのは、四人の中で唯一魔王戦前の記憶があるマツカワだった。

「ああ。お前らの記憶がまだあった頃から、金がなくて防具が作れないって時にシドとサワウチと三人でよく原材料を集めに行ってたよ。贔屓の鍛冶屋に割安で装備作ってもらって、前線に立つ俺たちに『使え』って回してくれた」

「糸紡ぎしてるところも触媒の採取してるところも見たけど、あれも前から?」

「そう。ウチも予算がなくて、切りつめられるところは切りつめなくちゃだったからなあ」

 アオバ城砦での日々を振り返る同級生の会話に、オイカワは驚愕を隠せない。なにせオイカワのいた世界のアオバ城砦では、戦い自体がなかったからいくら予算が減っていても装備品に苦労することがなかったのだ。

 同じ記憶を持っているイワイズミへ視線を投げると、彼もオイカワと同様の信じられないといった表情を浮かべていた。

「なんだ。国内四強のアオバ城砦でも、そんな状態なんだな」

 カマサキが振り返って会話に加わる。マツカワが肩を竦めた。

「そりゃそうだ。衛兵部隊なんて、今時みんなそんなもんだろ。そうじゃないのはきっと、王都の連中くらいだろうよ」

「ここんとこ毎年武道大会優勝だもんなー。賞金も予算も総取りなんて、いくら人口がいて国内の有力な連中もたくさん養わなくちゃなんねーからってずりぃわ」

 カマサキとマツカワは、オイカワの知らない衛兵部隊事情を次から次へと話題にのぼらせる。第五次人魔大戦後連合国家が疲弊しているせいもあり、傘下の諸国への支援金が減少の一途を辿っていること。衛兵部隊は特に取り分が少ないこと。それでも戦況は激化する一方にあったため、より強い者が多額の賞金を手にすることができる武道大会が設けられたこと。そしてここ数年のミャギ国においては、絶対的な天才エースを擁している王都シラトリザワが優勝を勝ち取り続けていること。そのためにミャギの諸市衛兵部隊は、慢性的な金銭不足に喘いでいること。

 しかしオイカワの頭は、次第にその内容を追うことができなくなっていた。

 ――シラトリザワ。

 ――王都「シラトリザワ」の、絶対的な「天才」エース。

 マツカワだったかカマサキだったか。どちらかが発した「シラトリザワ」と「天才」の二語が、オイカワの鼓膜に反響し脳内を駆け巡る。

 ――この世界にも、アイツがいる?

「しっかりしろ」

 肩を叩かれて、オイカワは我に返った。イワイズミが険しい顔つきでこちらを見つめている。幼馴染は肩を掴んだまま、声を落として耳元で囁いた。

「今はあの野郎とツラ合わせてるワケじゃねえだろ。自分のことどうにかしねーと、あの野郎の横っ面はっ倒すこともできねえぞ」

「……分かってるよ」

 声を絞り出してみて、オイカワは自分の呼吸がかなり浅くなっていたことに気づいた。

 そうだ。イワイズミの言う通りだ。地平線にたちのぼる蜃気楼を眺めていて砂漠に迷ってしまっては、どうしようもない。オイカワが今一番にすべきことは己の正体とこの世界の実体を、そしてこの世界のどこかにいるというもう一人の自分を知ることである。

 ――だけどこの俺がもしこの世界の俺の見ている夢で、この世界の俺が本当の現実の俺なのだとしたら。この世界の俺も、もしかして。そしてその夢である俺は。

「地図の終わりに着いたよ」

 モニワの声が、オイカワを現実に引き戻した。彼らは崩壊しかけた石階段の前に立っていた。

「ここから先は、俺たちダテコーの人間でも立ち入ったことがない。この先に進んでいって帰って来なくなった人間も、俺たちはたくさん知ってる」

 オイカワは眼前に佇む、同じ衛兵部隊隊長だった男の背中を見つめる。オイカワより小さく、幅のない背中だ。

 何故彼はここにいるのだろう。ふとオイカワの脳裏に、そんな脈絡のない疑問が浮かぶ。それから同時に、何故自分もまたここにいるのだろうと考えた。

 しかしそういった問いかけは、振り向いた彼の顔を一瞥するなりすぐに霧散する。

「それでも、本当に行く?」

 モニワは真摯な眼差しをオイカワに注いだ。その強張りを残しながらも引き結ばれた口元、精一杯力を込めた眉を見て、オイカワは彼の己を語る時の自虐的な笑みと、後輩について語る時の嬉しそうな笑みを思い返す。そして彼らに何かあったら容赦しないと告げたその後輩の赤い瞳を思い出す。

 さらに郷里を発つ己を見送った切羽詰まった眼差したちが、それに「帰ってくる」と告げたイワイズミの言葉が、あの時隣に並び肩を並べている仲間たちの存在が、その仲間たちと切り抜けてきた戦場の昂揚が、オイカワの胸に蘇ってくる。

 どうしてここにいるのかなんて、馬鹿な疑問だったな。彼は胸中でつい先程の己を嘲笑う。

「もちろん」

 オイカワはにやりと笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「食料が尽きました」

 ハナマキが正座して告げた途端、連日の野宿続きの上に寝起きであるせいでこの世の終わりを目前に控えたようだった場の空気が、この世の終わりを三度見てきたような重さにまで落ち込んだ。

 食料が尽きることは、ゆうべから知っていた。知ってはいたが、改めて言われると気分が沈む。

「存じておりました」

 もう何と答えたらいいものか分からないがとりあえず何か言った方がいいだろうと判断したオイカワが、膝を詰めて正座して答える。ハナマキは落ち込んだ気色さえ見せない、完璧に意思の抜け落ちた表情で言う。

「このままだと俺は今すぐこのクソほども役に立たねえ渡り鳥の目を使って最寄りの屋外に飛び出して、その勢いのまま考えうる限り一番簡単な母なる大地への帰還を果たそうと父なる天に願いを込めてこの身をもってこの壁を爆破させ――」

「マッキーお願いだからやめて!! マッキーのせいじゃないからっ! 誰もマッキーのこと責めてないからっ!!」

 オイカワがひしとハナマキに抱き付く。その拍子に二人して地面に倒れ込んだが、ハナマキの三白眼は洞窟の暗がりを見つめるでもなく漂うだけで何の反応も示さない。見かねたイワイズミが「ハナマキがかわいそうだからよせ」とオイカワを引き剥がして起こした。それでもなお身を起こそうとしないハナマキを、マツカワが引っ張り起こして自分の肩にもたれかけさせる。この間、ハナマキはゴム人形のようにされるがままだった。

 連日身を清められていない薄汚れた男達がランタンの照らす狭い橙色の中でかたまる光景はむさ苦しいことこの上なかったが、それを端から濁った眼で見守るダテコー出身の三人にそんなことを指摘する心のゆとりはない。と言うより、三日前マウントを取りあって喧嘩し始めたオイカワとイワイズミのコンビに既に指摘したのだが、オイカワに「俺っていうイケメンがいる空間はむさ苦しくならないの! ヒゲだってみんな俺が持ってきた剃刀のおかげで剃れてるんだからムサくないデショ!?」と返され反論するのも馬鹿らしくなったので、もう言わないことにしていた。

「なあ。今日で運命の壁に入ってから何日経った?」

 イワイズミが訊ねる。彼に手首を掴まれていたオイカワがぱっと手を振りほどいて、腰に下げた懐中時計を見て溜め息を吐く。

「五日だよ。俺たちが知らないうちに丸一日以上寝込んだりしてなければね」

 正直なところ、外に出て太陽の光を浴びることが少ないので時間の感覚はほとんどなくなっていた。だがたまに時計を確認してみている限りでは、少なくとも五日が経過していることは確かだった。

「食べ物はどうにかなるだろ。食べられそうな植物とかキノコとかむしってきたのが、結構溜まってきたぞ」

 ササヤが革袋に詰まった色味の暗い草やキノコを示して見せる。それを幼馴染コンビとダテコー組とが覗き込んで、頷き合った。

「問題は水だな。カマチどう? 作れない?」

「この辺りからじゃあ作れそうにねえよ。いざとなったら、尿をもとに再生成するしかねえ」

 カマサキの潔すぎる発言に、全員が呻いた。これまで反応の薄かったハナマキでさえ、両手で顔を覆って血を吐くような声を漏らす。

「そんなことするくらいなら、自分の魔法で水出して飲む……っ」

「魔法で出した水って、飲んで大丈夫なの?」

「知らないけど、大丈夫だったら今頃水を革袋に入れて持ち歩く魔法使いはいないと思う」

 マツカワは、オイカワの答えに納得したように首を縦に振った。彼に肩を抱かれたハナマキが、顔を覆ったまま首を横に振る。

「それなら、岩スライムを飲むっ……!」

「ハナマキ」

 小刻みに震えるように横に揺れるココア色の頭を、マツカワの手があやすのに似た手つきで軽く叩いた。オイカワは困って眉を寄せる。

 分かってはいたが、ハナマキの消耗が激しい。彼は精神的疲労を負いがちな呪文職である上に、ここの攻略を始めてからずっと渡り鳥の目を頻繁に使いっぱなしだったのだ。しかもその渡り鳥の目を駆使しながら地図を作りつつ進んできたのに、一向に頂上にも帰り道にも辿り着ける気配がないのである。

 ハナマキの憔悴している様子から、彼が自分を責めはじめているのは明白だ。無論彼に責任はなく、むしろ謝りたいのは他に道筋を探る技術を持たない自分たちの方なのだがハナマキはきっと聞くまい。

 食料や体力的な問題も心配だが、ここで彼に精神的に折れられてしまうと今後がキツい。どうにかして解決方法を探さなければ。

 オイカワはこれまで作ってきた地図を取り出し、見直す。道が間違っている様子はなかった。ワープスポットも全て飛び込んで繋がりを把握している。それでも、頂上へ登るための道が見つからない。

「もう外に出て登ろうぜ。根性出せばどうにかなるだろ」

「そうだそうだ! クライミングしようぜ、上に道が続く限り」

「あれが道に見えるのはお前らだけだと思う」

 無茶を言うイワイズミとカマサキに、マツカワが冷静な言葉を返す。彼の言う通りだ。昨日ようやっと頂上に一番近いと思われる洞窟の入り口に辿り着いたが、そこから仰ぎ見た視界に映ったのは、雲に飲み込まれる岩壁だけだったのである。あれには全員、足の力が抜けた。

 だが、しかし。オイカワは刹那躊躇ってから口を開いた。

「もう、そうしちゃおうか」

 誰もが反射的に、胡乱な目を向けてきた。この精根尽き果てようという時に無駄な冗談は止せとでも言いたげな視線である。けれども、この秀才の顔に笑みの一片もないことを見て取ると、胡乱な眼差しは次第に驚愕と疑い、そして懸念に色を変えた。

 マツカワが眉を跳ね上げて尋ねる。

「正気か?」

「残念ながら、超正気」

 オイカワは視線をダテコーの面々へと移した。

「ここの頂上へ続く道が立ち入り禁止になったのは、何でだっけ?」

「何でって、前にも言っただろ」

 モニワは完全にオイカワの気が触れはじめたものと思っているのか、労わるような調子で言い聞かせる。

「この山の頂上に登ろうとした人間が、ことごとく命を落としたからだよ。誰が言いだしたのか、俺たちの街には古くからこの山のてっぺんには黄金の楽園があるという言い伝えがあった。それを信じたたくさんの人間がこの絶壁を登って、そして帰って来なくなった。ある者は魔物に襲われて、ある者は崖から滑り落ちて、またある者は道に迷って衰弱して――だから身元が分かるようなキレイな身体で帰って来られた人は、稀だったって」

「そう、誰一人として命のあるまま帰ってくることはできなかった。でも一人だけ、頂上に着くことができたんじゃないかと言われているヒトがいた。そうだよね?」

 オイカワの尋ねる意図が分からないまでも、モニワは頷く。

「うん。百五十五年前、第五次人魔大戦で防衛軍が壊滅寸前までいった時に、防衛軍入りもさせてもらえなかったとある身体の弱い若者が、不滅の防具の素材を求めて単身この運命の壁に挑んだ。後日それを知った彼の養成学校時代の友人たちが、心配して彼を探しにこの山まで来た。そしたら」

 戸惑いがちだった表情は、話すにつれ熱い気色を濃くしていく。前のめりになったモニワは一呼吸置いてから、まるで自分もその光景を見たかのような少し上擦った声で語った。

「あの、俺たちも入って来た洞窟の入り口に、その若者が倒れてたんだ。うん、うつ伏せで片手を前に伸ばした状態で事切れていたらしいよ。身体もすり傷に切り傷だらけだったけど五体満足の綺麗な状態で、顔はいい夢でも見てるみたいに、ちょっと笑っててさ。そこまででも十分異常だけど、驚きだったのはその後」

 語り手の円らな瞳に、ぎらつく輝きが宿る。

「彼の荷物袋から、見たことのない鉱物がたくさん出てきたんだ。さらに伸ばされた掌の中には、不思議な力を帯びた石が硬く握られていて――それをもとにして今のダテコーの魔工防具が作られて、第五次人魔大戦を生き延びることができたんだけど、今肝心なのはそこじゃない。彼の袋の中には、伝説の真珠金も入ってたんだ」

「だから、運命の壁で真珠金が摂れると思ったんだよね?」

 だが熱くなる語り手に対して、聞き手は事務的に感じられるまでの冷静な口調で確認する。その温度差に、モニワは熱くなっていた自分にやっと気づき、つと丸い目を見開いてから照れたように苦笑する。

「うん。この状況だとあんまり信じられないかもしれないけど、これはダテコーの公式な記録にも俺たちの祖先の記憶にもある確かな話で――」

「信憑性は今更疑わないよ。今気になるのは、それじゃない」

 モニワは口を噤んだ。オイカワの端麗な面立ちに、笑みはない。容姿の美しい人間の無表情が、その端正さゆえにこちらが一歩後退りたくなるような迫力を醸し出すこともあるという例を、モニワは初めて体感した。

 このダンジョンに潜る前からずっとへらへらしていたオイカワの雰囲気が、がらりと変わっている。その変化が笑みが消えたことだけに起因しているのではないのは明らかだが、だからと言って他にどこが変わったとは言い表しづらい。だが強いてその変化を形容するならば。

 ――空気が、鋭い。感情とは全く違うところで、何かにひどく集中しているかのような。

「そのヒトの職業って何だった?」

「聖騎士だ」

 オイカワの事務的な質問は続く。カマサキが答え、その簡潔な回答にササヤが付け足す。

「そうは言っても身体が弱かったから、晩年は白魔導士同然だったらしいけどな」

「何か閃いたのか」

 イワイズミが察する。オイカワは頷いて、再び眼差しをダテコーの三人へ向ける。

「ねえ。どうしてそのヒトは、その特別な石を握って倒れてたんだと思う?」

「え?」

 突拍子もない質問に、モニワたちは顔を見合わせた。

「そりゃあ、戦況を一気に覆せるような凄ぇもんだったからじゃねえの?」

「大事なモノは手に持っておきたいって思ったんだろ」

「そのヒト、自分が戦力になれないことをすごく気にしてたらしいし……」

「そこまで大切なものなら、俺だったらなおさら懐にしまっておくな」

 カマサキ、ササヤ、モニワと続いた回答を、オイカワはばっさりと切った。

「戦闘に慣れてない聖騎士なら、きっと片手にモノを持ったまま上手に襲ってくる魔物をいなすことなんてできないよ。そうできる自信もなかっただろうし」

「じゃあ、どういうことなんだ」

「必要だったんだ……」

 問うたマツカワは思わぬ方向から返答が来て、驚いた風にそちらを見る。しかし答えたハナマキは、焦点の定まりきらぬ瞳をオイカワの方へ向けたまま、虚ろな声色を響かせた。

「わざわざ命取りになるかもしれないような隙を作ってまで、そんなモノを手にしてる理由なんて、それしかない。その石がないと、先に進めなかったんだろ」

「俺もそうだと思う」

 オイカワは首肯した。

「ここまで歩いて来た感じ、この運命の壁が聖騎士なのに白魔導士同然になっちゃってたような体力も戦闘手段もないヒトに攻略できるところだとは思えない。運だけで切り抜けるなんて、もっと無理だ。だからきっとそのヒトは、過度に力を使うこともなく頂上まで登る方法を見つけたんだ。そうに違いない」

 語るオイカワの脳裏を、ある映像が掠める。それは五日前運命の壁に突入したばかりの頃、岩スライムに襲われた記憶だった。

 ゲル状の砂じみた魔物は、オイカワを追いかけその剣を弾き返すことはできた。しかしモニワの鎧を登ることや、己を蹴飛ばしたカマサキを追いかけることはできなかった。

「絶対警戒されるだろうけど、命がかかってるから単刀直入に聞くよ。その――」

 オイカワの人差し指が、ダテコーの面々が纏う鎧を指す。

「魔工防具って、どういう仕組みになってるの? この運命の壁から生まれた岩スライムは俺たちの剣や鎧には干渉できてたのに、魔工防具にはうまく干渉できてないみたいだったけど」

 モニワたちは、愕然と立ち尽くした。ポカンと口を開けたまま微動だにしない彼らを、オイカワは拍子抜けして眺める。

 てっきり、街の秘密を訊ねられたことに立腹すると思っていたのだが。

「……ねえ」

「……ああ」

 オイカワが再度声をかけたのと、モニワが力の抜けた声を漏らしたのはほぼ同時だった。彼らの重なった声を皮切りに、工業都市の職人たちは頭を押さえて唸り始めた。

「馬鹿だ、俺たち馬鹿だろ」

「何で今までこんな当たり前のことに気づかなかったんだ」

「あーくそっ!」

 モニワが己を罵り、ササヤが嘆き、カマサキが憤慨した声を上げている。しかしオイカワたちアオバ城砦メンバーには、彼らがどうして突然このような言動をし始めたのか理解できない。それは彼らにそのきっかけをもたらしたオイカワにとっても同じことで、先程までの怜悧な眼差しはどこへやら、恐る恐るモニワたちに話しかける。

「ねえ、もしかして頂上への行き方が分かったの?」

「分かった。すっかり分かったよ」

 モニワが頭を掻きながら、忌々しそうに首を横に振る。それから同期二人の顔を窺い、互いの苦々しい表情を見て互いに笑みを零した。

「よく考えてみればそうだったんだね。そもそも俺たちの魔道具は、この運命の壁から生まれたものだったんだ」

「鉱物の採掘以外で壁に傷つけるななんてご法度、今更気にするこたァなかったんだな」

「難所だ、難所だから攻略は難しいし無理かもしれないってことに囚われ過ぎて、全然何も考えられてなかった」

 三人は身内にしか分からない会話をしていたが、やがてくるりと頭をオイカワの方へ回した。オイカワは目を丸くしている。

「ちなみにお前は、俺たちの魔道具のことを聞いてどうさせるつもりだったんだ?」

「え? どうって、外壁に足場を作ってもらおうと思っただけだけど」

「足場ァ?」

「三人の鎧は、俺たちのとは違って岩スライムを寄せ付けなかったデショ? 俺はそれが、三人の鎧のもとになってる金属のせいなんじゃないかと思ってたんだ。きっと装備者の防壁の術を伝えやすい、しなやかな金属でできてるんじゃないかって。だからその金属がこの壁から派生したものだって知って、ならば同じ要領で防壁の術を使って壁を加工して足場を作れないかなって考えてた」

 カマサキは黙ってオイカワの説明を聞いていた。彼の言葉が終わると、黙って耳を傾けていた同期たちにむっつりとして言う。

「アオバ城砦がすげー厄介だって言われる理由が、よく分かったわ」

「俺も分かってたつもりだったけど、さらに分かったと思う」

「今後コイツの前で迂闊なこと喋るのよそうな」

「ねえ、命かかってるんだからね? 分かってる?」

 オイカワは念押しとばかりに強調する。仲間たちとひそひそ囁き合っていたモニワは、彼を振り返り眉を下げて笑った。この五日で一番のほがらかな笑みに、閉塞感にふさぎ込みかけていたアオバ城砦メンバーは目を瞬かせる。

「大丈夫。ちゃんと目的は果たすよ。カマチ」

「おう」

 リーダーの呼び声に、カマサキは進み出る。己より低い位置にある頭を見下ろして、彼は問う。

「もしもの時は、安くしてくれるよな?」

「もう魔鉱石は十分採ったから、カマチの分くらいならタダで作れるよ」

「上等だ」

 カマサキは満足そうに笑って、己の鎧を脱ぎ始めた。イワイズミが訊ねる。

「何してるんだ?」

「見てりゃ分かるぜ」

 友にカマサキは楽しそうに答え、錬成陣の彫られた籠手以外の全ての部品を脱ぎきる。地に並べられたそれに、モニワとササヤが腰に下げた荷物袋からぽいぽいとアイテムを取り出して重ねていく。鉄に鋼、オイカワたちには名前の分からない鉱石が数種、四角い金属の箱めいたモノが三つ、魔導石――魔法使いが己の魔力を底上げするための道具だ――が五つ、それにツルハシが三本。

 アイテムが己が鎧の上に積まれたのを確認すると、カマサキはササヤから借りたナイフでその周囲に円を描いていく。奇怪な紋様のごとき文字列と複数の円からなるそれは、紛れもなく魔方陣だ。

 繊細で美しいその円陣を描き終わると、カマサキはそのゴツイ両拳を円に突きこんだ。途端、陣から閃光が溢れ視界を灼く。オイカワは咄嗟に両目を腕で庇った。

「おー、いい出来だ」

 ササヤの感心した声。眩い閃光が失せたのを確認したオイカワは、腕を退ける。そして、驚きがそのまま声に漏れ出た。

「わっ、何これ!」

 魔方陣があったはずの場所に、立派な馬車ほどの大きさがある機械が現れていた。その羽根を広げた鳥に似た金属の身体は、よく見るとカマサキの鎧と同じ色をしている。嘴に相当する部分は、巨大なツルハシのように尖っていた。

「かっけーなオイ! 何なんだこれ!?」

 イワイズミが子供のように瞳を輝かせている。それまでの疲労を忘れた様子で機体に近寄り観察する彼に、カマサキは胸を張って答えた。

「ふふん。カマチャンダーバード二号よ」

「名前……」

「それは言っちゃいけないお約束」

 ハナマキが呆れた声を発し、マツカワがたしなめている。だが二人とも、死にかかっていた眼差しに気力が戻りつつあった。

「さっ、乗って乗って!」

 モニワが心なしかウキウキとしながら機体の背面にあるドアを開け、一行を促す。あれよあれよと全員が乗せられ、オイカワたちが精密に作られた機内をしげしげと眺めているうちに、職人たちは透明な窓になっている機体の顔面部分の下に据えられた操縦席に座った。

「俺は操縦、ササやんとカマチは機体の安定に集中で」

 モニワがこちらには耳慣れない単語を使いながら指示を出し、ササヤとカマサキが応と返す。

「動力OK」

「ツルハシ動作、アーム動作確認」

「防壁エネルギー充電中、あと二十秒」

 窓の下に機体と合体する形で据えられた机、そこに付いているステンドグラスのような色とりどりのボタンを、三人は短い言葉をかけあいながら次々に押していく。オイカワははじめこそその動きを目で捉えようとしていたが、あまりの速さに参ってしまった。

「アイツら何やってるんだ?」

「コレを動かそうとしてるんじゃない?」

「って言うか動かしてどうするんだよ」

「それはこれから説明が――」

 イワイズミにハナマキが推測で答え、さらにマツカワの疑問がそこに乗り、オイカワがそろそろ説明をダテコーの面々に求めようとする。その時、それまでピアニストよろしく指を動かしていた三人の動きがぴたりと止まった。

「発進ッ!」

 中央に座ったモニワが左手側にあるレバーを引く。巨大な虫の羽音のような、獣の唸り声のようなブゥンという振動と同時に、オイカワの身体が軽くなった。しかしまたすぐに身体が沈み込み、彼は自分ごと機体が浮上したのを察した。

「えっ、ちょっとちょっとどこ行くの!?」

「決まってるじゃん」

 狼狽して操縦席の背もたれに掴みかかったオイカワを振り返り、モニワが白い歯を見せて前方の壁面を指さした。

「文字通り、『運命』を切り拓きに行くんだ」

 直後、機体が岩壁に激突した。急速に迫った岩肌に、オイカワたちは衝撃を覚悟して身を硬くする。しかし予測した揺れはいつまでも訪れず、それどころか暗くなった窓に久方ぶりの光が差し込んだ。

「えっ、えええ?」

 オイカワの素っ頓狂な声に、モニワたち操縦席の三人の歓声が重なった。イワイズミもマツカワとハナマキも、眼前に広がった光景に言葉を忘れる。

 岩壁を突き抜けた先は、もう薄暗い洞窟などではなかった。パステルカラーの淡い光の交錯する、南海のごとき澄んだ水中を、彼らは漂っていた。

「これが、鉱物の源か!」

 ササヤが興奮した様子で操縦席を立ち、窓に映る景色を凝視する。彼の目と鼻の先を、藍と淡い黄、翠の水泡がキラキラと瞬きながらのぼっていった。

 しかし、泡にしては随分硬質な輝き方をする。訝しく思ったオイカワはそれを目で追って、その正体を悟りあっと声を上げた。

「サファイアだ!」

 隣で同じようにそれを仰いでいたハナマキが正体を口にする。周囲を窺えば、眼前を過ぎ去っていったような水泡のごとき宝石たちが、あちらこちらで瑞々しい輝きを放っていた。

「ここで色んなところから流れてきた地脈がぶつかり合って、鉱物が生まれるんだ」

 モニワが説明しているのとも己に言い聞かせているのともしれない、感嘆に震える口調で言う。彼はレバーを握ったまま、潤む瞳いっぱいに源を映し出している。

「俺たちの使っている金属製の道具は全部、ここから生まれたんだ。だからこのよそのヒトには傷つけることさえできない運命の壁から、俺たちは採掘することができる。運命の壁から、資源を分けてもらえる。だって俺たちは元々この壁と一体――俺たちを取り巻く道具は全部、この運命の壁から切り出したモノなんだから!」

 だから魔道具は、壁の内部にさえ干渉できるんだ!

 モニワの円らな双眸が輝いている。弾む声で、彼は続けた。

「他市製の武器や鉱具を使ったことがなかったから、全然気づかなかった。ああ、くそっ。どうして気付かなかったんだろう! 切り拓くカギは、こんなに近くにあったのに!」

 言葉だけを聞けば悔しそうだが、その表情は喜びに満ちている。彼は首を回し、オイカワたちに頭を下げた。

「ありがとう。おかげで凄いモノを発見できた。これで街は復旧できる!」

「どういたしまして。でも、約束は忘れてないよね?」

 オイカワが微笑みながらも釘を刺す。モニワは繰り返し頷いた。

「もちろん。街の人たちが目覚めてくれないと、完全な復旧なんて言えないだろ。眠り病がどうにかなるかもしれないなら、最後まで協力するよ」

「おい、悠長にしてる時間はねえぞ」

 カマサキが険しい顔つきで言った。大きなパネルに触れる彼の腕は隆起し、太い筋を走らせている。

「圧がすげえ。あんまりのんびりしてると潰れちまいそうだ」

「マッキー」

 オイカワが隣の仲間を見やる。

「真珠金は、来る前に写真で見たよね?」

「さすがにこれで見つけられなかったら、俺盗賊やめるわ」

 ハナマキはやつれた顔に微かな笑みを乗せてから、瞼を閉じた。寸時の静寂。後、閉ざされていた瞼から色の薄い光彩が戻ってくる。

「あった。上だ」

「上? どんくらい?」

「てっぺん。でも外じゃない。この鉱物の源の中だ」

「ちっ、上かよ。キッツイな!」

 そう言いながらも、カマサキはにっと強気に笑って両手に一層力を込めた。ササヤも同様に手元のパネルに力を込める。彼らの作り出した防壁が機体を巡り、モニワがレバーを手繰った。

 機体がせり立ち、ぐんと上昇した。オイカワたちは操縦席の背もたれにしがみつく。こういった乗り物に慣れない自分たちでも、身体にまとわりつくような重い抵抗から、この機体が結構な無茶をしていることが察せられた。

「これ、防壁の手助けはして大丈夫?」

「むしろ頼むッ!」

「まっつん、そっちお願い。俺はこっちで」

 マツカワが頷きカマサキのパネルに手を翳し、オイカワはササヤの方へと回った。

 機体の上昇速度が上がり、身体にかかる負荷が僅かに軽くなる。それでも洞窟での長丁場で疲れ果てた全身が軋んでいるのは変わりない。

「もし俺たちが鉱物の源に生身で飛び出したら、どうなるんだ?」

「知らないけど、鉱物のシロップ漬けになって、ゆくゆくは岩スライム……っ?」

「それはやだ!」

 イワイズミの問いかけに対して歯を食いしばりながら発せられたモニワの回答を聞き、オイカワは叫んだ。自分がイケメン以外の生物になるのは堪えられない。防壁を張る手に力がこもる。

 機体はグングンと上へ進んでいく。しかし進むにつれて、機体のあちこちから不吉な音が響いて来る。

「あそこ! あれだ!」

 ハナマキが指さした先に、燦然と輝く何かが見えた。不思議と明るい瑠璃色の海の天辺に、白金と白銀の光が飴細工のように絡み合って、複雑な幾何学模様を成している。そしてその光の糸が絡み合った中心に、水の反射のように輝く塊が揺らめいていた。

 機体はもうそのすぐ近くまで来ている。何か、棒でも伸ばせば絡めとれそうだ。

「アームで掴み取る!」

モニワが手前にあるハンドルを引く。しかし、その丸い顔がすぐ曇った。

「あれ、引けないっ?」

 ハンドルが伸びなかった。モニワは力いっぱい引いているようだが、機体に負荷がかかっている上に操縦も同時にしているため、どうにも機体に収納された腕部分が伸びないのらしい。

「いっイワちゃんっ! こ――」

 壊れない程度に引っ張って。

 オイカワがそう言葉をかけようとする前に、本人が動いていた。

「うらあッ!!」

 イワイズミは加減なくハンドルを引いた。鳥の足に相当する部分から、二股のハサミが勢いよく飛び出した。

 機械の手は周りを漂う宝石を蹴散らして、陽光のような輝きを絡めとった。

「っと、届いたッ!」

「もっ、もう無理……ッ」

「え、ちょっ、カマチ? うっうわああああ」

 湧き立ちかけた声は、途中で悲鳴に変わった。機体の翼がもげたのだ。

 一対の羽根を失った鳥は、上昇する術をなくし煌めく鉱物の海に沈んでいく。七人の人間を乗せた胴体は、急速に落下して仄暗い地の底へと消える。その紺碧の地底には、翼を失った彼らがそれでもなお離さなかった真珠金の残滓が、星のごとく微かに瞬いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「面会謝絶です」

「いや、もう無理あるからね?」

 ぶすくれた顔つきで病室の前に立ちはだかるフタクチに、オイカワは刺々しいほどのにこやかな笑顔で立ち向かう。

「俺たち知ってるんだよ? カマサキ君今日の午前にもうバーベル上げしてたんでしょ? 超元気じゃん」

「脳みその方は元気じゃないです。なんせすっからかんなんですから」

「それ元気関係ないよね」

「とにかく駄目なもんは駄目なんで――っげ」

「くぉらフタクチィっ!」

 病室のドアが突然開き、フタクチの後頭部が鈍い音を立てた。殴打された頭をさすりながらフタクチが振り返る。扉の隙間からカマサキのいかつい顔と、色の薄い病人着の似合わない逞しい上半身が覗いていた。

「別にコイツらだって俺たちを連れ出しに来たわけじゃねえんだから、いい加減今日は大丈夫だっつっただろうが!」

「うるさいです。病室では静かにしてくださいカマサキさん」

「てめえもだろ!」

「あーもうっ、止めろアオネ!」

 病室の中から呆れた第三者の声が響いてきた。すると扉から魔工義手が二本伸び、カマサキとフタクチの首根を掴んで彼らを引きずりながら病室に消えた。

 オイカワは扉を引く。両脇に二つずつベッドの並んだ清潔感のある病室に、ダテコー衛兵部隊のメンバーがそろっていた。

「ごめん。もう十分元気なのに、みんな心配性で」

 前隊長モニワは右奥のベッドに腰掛け、上半身を起こした状態でオイカワたちを迎えた。その隣のベッドにはササヤが横になっており、二人ともまだ身体に巻いた包帯が取れていなかったが顔色は良さそうだった。

 彼らの向かいには、まだ包帯が取れていないのに既に元気そうなカマサキと、こちらを面白くなさそうな目つきで眺めているフタクチ、そして彼らの首根を掴んだままのアオネが立っている。

「こっちこそ押しかけて悪いな。それより身体は、本当に大丈夫か?」

 イワイズミが案ずる言葉をかけると、おかげですっかりとモニワは破顔する。

「いやー、よく生き延びられたよなあ。大破しながらも鉱物の源から脱出できたし、頂上にはたどり着けなかったけど、真珠金も手に入ったし」

「資源もざっくざくで、良かった良かった」

「退院できたら、鎧の修理とかたんまりやってもらいますけどね」

「それくらい、なんてことねえな!」

 豪快に笑いながら、カマサキがフタクチの背を叩く。生意気な後輩は思い切り眉根を寄せたが、その眉間に皺は寄っていなかった。

「でも、まだ誓約は果たせてないからな。星の砂が手に入っても入らなくても、一報入れてくれ。俺たちはここで、鏡を作れそうな職人を当たってるから」

 モニワの言葉に、オイカワはよろしくと手を振った。マツカワが首を傾ける。

「眠り病、ひどいんだろ? 大丈夫なのか?」

「大丈夫だ。どうにかなる」

 ササヤが答え、モニワと意味深な笑みを交わした。彼ららしくない笑い方にマツカワは不思議そうな表情を浮かべたが、深くは追求せず、頼んだの一言だけを口にした。

「また会おうぜ」

「ああ」

 カマサキとイワイズミが拳をぶつけ合う。彼らを横目に見て、オイカワが茶々を入れる。

「脳筋の別れは暑苦しいねえーあだっ」

イワイズミの頭がオイカワの肩にめり込んだ。彼らはぎゃいぎゃいと騒ぎながら、病室の入口へと向かって行く。発つ気配を感じたモニワが、口を開いた。

「どうしてウチがこんな危ない賭けに誘われたのか謎だったけど」

 病室の視線が、彼へと集まる。騒いでいた幼馴染二人でさえ、騒ぎをいったん収めてこの気弱そうな前隊長の顔を注視した。

「それでも……この賭けに乗って良かったよ」

 今のところは、ね。

 前隊長は眉の端を下げて笑った。見れば後輩二人こそ硬い表情のままであるものの、カマサキとササヤは微笑んでいる。

 イワイズミとオイカワは、黙って彼らに笑いかけた。イワイズミが先に背を向けて、ひらひらと手を振る。オイカワはその背をどつきながら、病室を出ていく。その後に、じゃあと頭を下げたハナマキが続いた。その背が病室から消えきってから、マツカワが閉まりかけた扉のノブに手をかける。

「そう言えば」

 ふと、マツカワが思い出したように呟いた。てっきりこのまますぐいなくなるものと思っていたダテコーの面々は、予想外の言葉に目を丸くする。

「最初、どうして正式な申請を出さなかったのかって聞いてきたよな?」

 せっかくだから今答えようか。マツカワは身体を正面にしたまま、顔だけを彼らに向ける。その表情は、いつものごとく能面のようだった。

「あれはな。流行り病やら何やらで機能してるかどうか分からない上なんかより、同じ前線に立つヤツの方が、よく分かっててより速く動いてくれるだろうって考えたからだ」

「突拍子もない上に、博打だなあ」

 瞬時言葉に詰まったモニワが、ゆるゆると吐息を漏らして苦笑する。

「俺たちが連合政権にチクるんじゃないかって、考えなかったの?」

「まさか。チクられたらその時はその時だけど、まずないだろうって思ってたよ」

 マツカワの目が彼らから逸れ、いずことも知れない虚空を眺める。まるでぼんやりしているというより、回顧するような目つきだった。

「仲間を守りたい。でも危険な目に遭いたくない。街を守りたい。でも戦場が怖い。強くなりたい。でも他の誰かがやってくれればいいのにとも思う。敵を上手に仕留められた満足感と、自分の仕出かした命の簒奪への罪悪感。今日一日生き延びられた安心と、明日一日で死ぬのではないかという恐怖」

 マツカワの小さな瞳孔が、つとモニワへと帰る。その漆黒の円には自分たちの顔が寸分の狂いもなく映り込んでおり、思わずモニワは身を強張らせた。

「知ってるだろ、アンタらもそういう気持ちを。少ない軍支援金を獲りあう間柄であっても、俺たちが自分と生まれ育ってきた環境を守るために戦場に立ってきた、まだ青臭い戦士であることに変わりはない。だからこそ、乗るだろうと思った」

 マツカワは言い切って口を噤んだ。

 病室に、戸惑いとも混乱ともつかない空気が満ちる。返答に困るダテコーの面々は顔を見合わせ、やがてササヤが己のうなじを掻きながら苦笑して溜め息を吐いた。

「策士なのか大雑把なのか、分かりづらいな」

「はは、よく言われる」

 マツカワは小さく笑った。

「俺たちはまだ子供だから、どうしようもないことを『どうしようもない』で終わりにしたくないんだよ」

 アオバ城砦の最後の一人は、唐突な告白を終えて今度こそドアノブに手をかけた。その気配を感じ、彼が今開けようとしている扉の反対側に背を預けていた人物は、そっと冷えたそれから身体を離した。

「マッキー?」

「どうしたんだ」

 オイカワとイワイズミが、怪訝そうに声をかけてきた。ハナマキはかぶりを振る。先に部屋を出て言葉を交わし合っていた彼らには、今のマツカワたちのやりとりが聞こえていなかったらしい。

「何でもないよ」

 いつものように軽く返した時、閉まっていたドアが開いてマツカワが現れた。

「さあ、行こうか」

 気だるげな声が促す。オイカワは反対に、唇の両端を強いて吊り上げて微笑んだ。

 次に求めるは、真実の鏡を磨き上げる魔法の品『星の砂』。

 それがある場所をモニワたちから聞いた、その後からだろうか。

 頭の片隅を、ヒトの形をした黒い影がよぎるようになっていた。

「堕ちた強豪、飛べない鴉たちの街――カラスノ“元”空中都市へ」

 

 

 

(2話 終)