『第二○七番審神者本丸日誌』
六月三十日 晴れ 記録者:平野藤四郎
 

 今日も、誰一人欠けることなく楽しい一日を過ごすことができました。
 楽しいと言えば、今日は「すごい面白かったから詳しく書いとけ」と鶴丸さんに言われるような出来事があったので、その通り仔細に記録しておこうと思います。
 その出来事は何かというと、本丸全体会合です。今回も主様はいらっしゃれなかったので、初期刀の陸奥守さん、近侍の長谷部さんを中心に、本丸全ての刀剣を集めての会議となりました。
 全体会議は通常、火急の用や大事な指示伝達がある際に開催されます。それは僕達もよく知っているので、心もち緊張して会議の始まりを迎えました。
「今回の議題は、一つ。先日の『極』実装に関する要望をお聞きになった主からの、返答およびご指示を伝達することだ」
 ですから司会役の長谷部さんがよく通る声でそう告げた時は、少しほっとしました。強敵の襲来じゃなくて良かったです。
 でも僕達の緊張は、その後陸奥守さんが主からの文を読み上げていく中で、再び戻って来てしまったのです。
「『拝啓、本丸の皆々様、いかがお過ごしでしょうか。私は今、審神者会の仕事でハワイに来ています。お土産にマカダミアナッツチョコを買っていくので、楽しみにしていてくださいね。
 さて、本題に移りましょう。今回私がこうして皆さんを集めることになったのは、一部の短刀の『極』実装に伴って上がった質問や要望に答えるためです。『極』実装に伴い、多くから『自分たちも装備や能力の強化を図りたい』という声が寄せられました。このことについて、私は本丸審神者として大変嬉しく、同時に誇らしく感じます。
 しかし、悲しいことに私は審神者会の末端。『極』の実装は刀剣男士本体に関わる問題であるため、私個人の独断により先行実装することは審神者会の定めた掟や政府の意図に反するものとなり、懲罰の対象になります。よって、上役の許可なしに『極』実装をすることはできません。個々の能力および装備強化は、上役の指示待ちになってしまうのが現状です』」
 ですが、と陸奥守さんは続けます。蛇足かもしれませんが、「あんなに共通語をネイティブに話す陸奥守さんは初めて見た」と、今僕が日誌を書く横で秋田が騒いでいるので、それもここに付け足して書いておきます。
 事実、陸奥守さんはこれまでになく真摯に、主からの文を読んでいるようでありながら遥か彼方西方浄土を見つめているかのような表情で、しかも染み渡るような声で朗読をしていたのでちょっと怖かったです。
「『だからといってこのままご期待に沿えるかどうか分からない状態で皆さんをお待たせさせるのは、私としても非常に心苦しく思います。合戦上で身体を張って戦ってくださる皆様に、最高の状態を提供したいというのは、審神者なら誰しも思うことでしょう。つきましては、皆さんの本体に害を及ぼすことがなく法にも引っかからない、安心安全な戦力増強方法をご提案したく、ここに示させていただきます』」
 陸奥守さんは手にした原稿読み終わると、すっと目を長谷部さんに移しました。長谷部さんは頷き、広間に座した僕たち刀剣男士全員に聞こえるよう、声を張り上げます。
「ではここで、主の提案される方法を示すための被験者を召喚する」
「被験者」
「被験者」
 薬研兄さんと宗三さんが、真顔で復唱しました。構わず、長谷部さんは高らかに呼びました。
「第一部隊隊長、三日月宗近」
「おお、俺か」
 最前列から朗らかな声。三日月さんがすっくと立ち上がります。濃紺の衣をさらさらとなびかせながら、彼は長谷部さんの隣に並びました。
「ではまず、この変身刀装を持て」
 長谷部さんが、僕達の見たことがない刀装を取り出しました。主が以前スーツに着けていらっしゃった、「ブローチ」に似ています。可愛らしく、きらきらと輝く赤いハートの形をしていました。
「次に『ムーン・プリズム・パワー・メイクアップ』と叫べ」
 隣の鶴丸さんが噴きだしました。
 僕は南蛮語かなと思っていたのですが、これは後で文系の歌仙さんに聞いたところによると和製英語という言語にあたるそうです。どちらにしても僕には意味が分かりませんでした。
 そしてそれはもちろん、三日月さんも同じだったようです。
「はて、すまぬ。俺は南蛮の言葉が苦手でな、よく聞き取れんかった。何と言ったか」
「ムーン・プリズム・パワー・メイクアップ、だ」
「むーん、ぷりずん、ぱわー?」
「プリズンではない。それでは監獄だ」
 長谷部さんが訂正します。長谷部さんは、日本各地方のお国言葉だけでなく「ロッカコク語」というものを話せるそうです。
「むーん・ぷりずむ・ぱわー・めーくあっぷ!」
 つたないながらも三日月さんが謳い上げます。
 すると、どうでしょう。広間に目も開けていられないほどの眩い光が満ちました。三日月さんの持つ変身刀装が、輝いたようでした。
 次に僕が目を開けた時、三日月さんの様子は一変していました。と言っても、顔立ちや体つきはまったく変わりません。衣装が激変していたのです。
 三日月さんの上半身は、西洋の水兵が纏う衣装によく似た衣服に包まれていました。緩急がついていながら引き締まった身体の線を引き立てる純白の生地。襟には水兵独特の青いスカーフのような布がたっぷりとあしらわれ、胸の中央には大きな赤リボンが、そのさらに中央にさきほどの変身刀装が輝いていました。袖は肩のみを覆う天女の羽衣に似た薄い生地で、風にふわふわとなびきます。そして下半身は、物凄く短い袴――ではなく、いわゆる「ミニスカート」と呼ばれる、かろうじて臀部を隠せる衣装が、金魚の尾びれのように優雅かつ悪戯に舞っています。
 僕は三日月さんの着ている服を、知っていました。現代の少女が着る、セーラー服と言われるものです。
「変身成功だな。これであなたは、美刀剣男士セーラームネチカだ」
「あなやー」
「政府も時空も絡まない、宇宙の惑星の力を借りた戦力増強法だそうだ」
「はっはっは」
「いやいやいやちょっと待てよ」
 満足そうな長谷部さんに、突然変異した衣装に目を丸くして笑う三日月さん。愕然としている広間の中で唯一通常通りの空気を醸し出している二人に、和泉守さんが叫びました。
「何だよその格好!? 服の面積少なすぎじゃねえか! こんなので戦場でやっていけるのかよ!」
「その質問に関しては、あらかじめ主が用意してくださった回答があるので発表する」
「想定してたのかよ」
 和泉守さんの呟きを余所に、再び主代弁役を務める陸奥守さんが進み出て口を開きました。
「『ファンタジー世界において、被覆面積の少ない装備品にはその分より強力な加護がかけられているというのは一般常識です。リアルファンタジー世界と審神者の力をなめないでください』」
「なんか腹立つな」
 和泉守さんは、正直者だなと思います。
「てゆーかその服、セーラームーソじゃない?」
 可愛らしいものに詳しい乱兄さんが、三日月さんの服装をそう称しました。
 長谷部さんが頷きました。
「そのようだ。何でも主の仰ることによれば、『この格好が惑星の力を一番引き寄せる』とのことで採用となった」
「どうですか三日月さん。惑星パワー集まってますか?」
「おお、そうらしいな」
 興味津々な鯰尾兄さんに、三日月さんはにっこり笑って頷きます。
「その惑星ぱわあ? というものの力なのだろうな。足がすーすーする」
「それ足露出してるせいなんじゃないかな。ねえ清光?」
 隣の加州さんを窺った大和守さんは、直後にうわっ顔キモッと漏らしました。お二人は僕の前にいたので顔が見えなかったのですが、僕にも加州さんの「黄金比……」という針山地獄から響いて来るような怨嗟の声だけは聞こえました。
「これが主の用意して下さった、『極』に代わる戦力増強手段だ」
 長谷部さんがそう言うと、広間に集まった皆さんがそれぞれ何とも形容しがたい顔をしました。
 ちなみにその時の皆さんの顔は、厚兄さんに言わせると「マジかよこの本丸イカれてるぜ」というものだったそうです。
「戦力増強を願う者は、惑星の数にも限りがあるから早めに申し出ろ――と言いたいところだが、主の仰ることにはまだこれは試作品段階らしく、全員分は用意できなかったそうだ」
 この長谷部さんの台詞を聞いた皆さんの顔は、厚兄さんに言わせると「よかった助かった」という雰囲気に変化したそうです。
「しかし安心しろ。主のお計らいにより、お前たちがいざ実装した時にすぐこの刀装を扱えるよう、サンプルをあと四つもらってきた。これを明日一日、主の指定した四振に使ってもらう。それを見て、今後実装した時の参考にしてほしい」
 この時、厚兄さんに言わせると「自分じゃありませんように」という雰囲気が広場中に広がりました。実際僕も「極」の身ではありますが、「自分じゃありませんように」とつい思ってしまいました。
 ですが長谷部さんは臆する様子などまったく見せず、事務的な連絡を続けます。
「なお全員に注意しておくが、対象の者がセーラー男士に変身している時は、必ず彼らを本名ではなくセーラー男士名で呼べ」
「それ、何の意味があるんだい?」
 にっかり青江さんが訊ねました。すぐさま長谷部さんが答えます。
「それぞれの守護する惑星の運気が上がり、セーラー男士の力が強まる」
 「細○数子かよ」と厚兄さんが突っ込みました。僕は厚兄さんの台詞の意味が分からなかったのですが、どうも的確なツッコミであったらしく、薬研兄さんは笑い転げていました。
「では選ばれた四振と、そのセーラー男士名を発表する」
 弛緩した雰囲気も束の間。広間に緊張が走ります。
 長谷部さんが、硬い声で呼びます。
「一振目。一期一振。セーラー男士名は『セーラーイチニィ』、水星を司る」
「いち兄!?」
 粟田口の叫びがそろいました。僕も叫びました。
 でも当のいち兄は、最前列で硬直したままでした。
「二振目。鯰尾藤四郎。セーラー男士名は『セーラーナマーズ』、火星を司る」
「ええ、俺ぇ!?」
「異議あり!」
 鯰尾兄さんが己を指さします。その後ろで、勢いよく手が上がりました。堀川さんです。
「気が強くて黒髪ロングの美形って言ったら、兼さんじゃないんですか!?」
「バッバカ国広余計なことを――」
「それについては主の回答が用意されている」
「この質問も想定されてたのかよ!?」
 動揺しまくりの和泉守さんに対して、相変わらず西方浄土を見つめたままの陸奥守さんが平坦に文を読み上げます。
「『セーラーナマーズを口に出して発音してみましょう』」
「セーラーナマーズ……」
 堀川さんが発音する。陸奥守さんが、言葉を重ねます。
「『この原作に忠実な音の響きに、逆らえると思いますか?』」
「くそぉっ」
「いや、何で悔しそうにするんだよ!?」
 歯を食いしばったらしい堀川さんに、和泉守さんが混乱しています。
 しかし長谷部さんは動じず、発表を続けます。
「三振目。御手杵。セーラー男士名は『セーラーテギネー』、木星を司る」
「うぇぇぇえ!?」
 後ろの方で裏返った悲鳴が聞こえました。当の本人、御手杵さんです。
 座っていても頭一つ飛びぬけている長身は、仰け反って驚きを露わにしています。さらに彼の両脇に座る長身の男たち、同じく三名槍である蜻蛉切さんと日本号さんがその肩を叩きます。
「頑張るのだぞ」
「頑張れよー」
「薄情者ォ!」
 御手杵さんが両サイドを見ますが、蜻蛉切さんとも日本号さんとも微妙に視線がかち合いません。二人とも励ますような優しげな微笑を向けてこそいますが、目があらぬ方を向いています。
「最後、四振目は山姥切国広。セーラー男士名は『セーラーマーンバ』、金星を司る」
「俺が写しだからか! パロディだって言いたいのか!?」
「陸奥守」
「『金髪だし綺麗だからです。審神者より』」
「綺麗って言うな……っ」
 山姥切さんの立ち上がっての抗議は、それを予期していたらしい長谷部さんと陸奥守さんと、何より陸奥守さんの口にした主による回答により、玉砕されました。山姥切さんは、力尽きたように床に膝をつきました。
「以上だ。最後の伝達事項になるが、今選ばれた五人のセーラー男士には、力を発揮するための呪文の使用が義務付けられている。この後その文言を教えるから、俺のもとに集まるように」
 では、解散。
 長谷部さんの堅い声は、選ばれた孤独な戦士たちに激戦の開始を告げる、無情なゴングのようでした。
 その後選ばれたメンバーをよそに選ばれなかったメンバーで何のかんのとあちこちで騒いでいたのですが、それは省略します。とりあえず僕は、いち兄の肉体精神両方の無事を祈って明日に備えたいと思います。
 おやすみなさい。
 
 
 
 
 
翌日、第一部隊
 
 
 
「皆、気を抜くでないぞ」
 第一部隊隊長三日月宗近は俺たちにそう声をかけた。それはきっと昼間とはいえ市街地だから、物陰から出てくる敵に対して気をつけろだとかそういうことなのだろうけれど、こっちとしては敵よりも今味方の方に気を抜けないと思っていることを、この部隊長は知っているのだろうか。
 昨日、長谷部が主からの面白い賜り物を三日月と一期に渡した。変身刀装だ。俺はこの得体の知れない刀装が、セーラー服への衣装変化の他にどんな驚きの効果をもたらすのかが、気になって気になって仕方がない。
「鶴さん、そわそわしすぎ」
 光坊に苦笑されたが、でも仕方ないじゃないか。俺は驚きを求めないと死ぬ類の付喪神なんだから。
「明らかにセーラームーソをやらせたいだけだろう主が、どこまでクオリティを追求してくるのかが気になってな!」
「身も蓋もないなぁ」
 光坊が苦笑した時だった。
 近くの建物の陰から耳障りな音をが聞こえ、そこから六つの黒影が飛び出してきた。
 敵襲だ!
「むーん・ぷりずむ・ぱわー・めーくあっぷ!」
「まーきゅりー・ぱわー・めーくあっぷ!」
 幸い敵から俺たち第一部隊までは距離があった。奴らが接近する前に三日月と一期が拙い詠唱を口にする。しかし刀装は律儀にそれに反応したのか、閃光を放った。
 溢れた煌めきが二人の周囲を包み、その輪郭をみるみるうちに変えていく。袖が縮む、袴とズボンの丈が短くなりふわっと広がる、すらりと長い素足が伸びる……。
「愛と正義のセーラー服美刀剣男士セーラームネチカ。月に代わって俺が仕置くぞ」
「あっ愛と知性のセーラー服美刀剣男士セーラーイチニィっ……冷や水被ってお覚悟めされよ!」
 やがて出来上がった青と水色のセーラー男士二振は、各々元ネタの決めポーズを取った。どちらもかしましい小娘も羨むだろう、しなやかな筋肉のついた長い足を際立たせるポージングである。
「いやあ、こいつは驚いた」
「はは、まったくですな」
「精神ダメージがでかそうな決め台詞だ」
「ははは」
 俺の隣で蜻蛉切が笑う。温かい顔つきではあるが、声が乾ききっている。
「予想していた以上に恥ずかしいですな」
  一期一振が照れ臭そうに身を縮こませる。その両手は刀の柄を握りながらもミニスカートの裾を引っ張るのをやめられないらしく、居心地悪そうにもじもじしている。
 まあ、奴の反応ももっともだ。俺だってあんなに短い袴を履いたら、動きやすいのはいいが腹が冷えそうだと思う。
 だが。だがしかし、だ。
「いち兄の女子力が迸ってる……」
 ついに実の弟乱藤四郎が、照れに染まったりんごほっぺでスカートの裾を押さえる兄を見つめ、冷静にそう評した。
 そう、一期一振の動作がいちいち淑やかすぎる気がする。俺も一度主の付き添いで現代に行ったことがあるが、そこで見たセーラー服の乙女たちは同じくらいのスカート丈で今にも溢れそうな尻肉をどうにか覆い隠しつつ、夏真っ盛りで暑苦しいコンクリートの森をずしずし闊歩していた。あのセーラー乙女たちより、この刀剣男士の方がはるかに乙女らしいのはいかなるものか。
「あんなに図体のでかい乙女がいるわけがないのに、乙女に見えるな」
「あれが一期さんのロイヤルパワーのなせる技……」
「あのような衣服まで着こなしてしまうとは。さすが豊臣の刀だ」
 俺と光坊と蜻蛉切は、セーラーイチニィを遠目に見て頭を使っていない会話をした。念のため言っておくが、これは俺たちの頭がすっからかんであるせいではない。脳が視神経によって伝達されてきた「図体はデカくて筋肉もついてるのに乙女に見えるの刀剣男士」という現実の映像をうまく処理できていないからだ。まったく、人の身というのは難儀なものだぜ。
「はっはっは。なに、たまには人のおなごの真似事をしてみるのも愉快なものだな」
 その一方で三日月宗近、もといセーラームネチカは恥じらう素振りも見せず快笑している。そこはさすが、天下五剣らしい鷹揚さだ。しかもセーラー服もばっちり似合っている。あまりに堂々たる似合いぶりに、もはや最初から三日月宗近という刀はセーラー服姿の刀剣男士だったのではないかと思えてくるほどだ。
「では早速、この変身刀装の力を試してみるとするか」
 夜半の瞳に六つの影が映りこんだ。彼の言うところを察したのか。異様な風態のセーラー男士たちに慄いていたらしい敵兵たちが、おもむろに身を震わせる。
 カチャリ。三日月が本体を握り直した。俺は固唾を呑んで見守る。
「むーん・あい・あくしょん」
 しかし三日月は動かず、たどたどしく言った。
 途端、その両目から灼熱の光線が迸り敵兵を射抜いた。
 ーーは?
 目を瞠る俺たちの前で、敵兵はもれなく爆発した。そりゃあもう、ハリウッド仕込みかってくらいに見事な爆炎を上げて、爆発四散した。
「おお。これが俺の司る月の光の力か」
「素晴らしい威力です、セーラームネチカ殿」
「うむ、よきかな」
 セーラー二人組は和やかに談笑しているが、俺たちは敵部隊がいたはずの場所から目が離せない。その一角は敵の姿が消失しているのはもちろん、焦土ではなくただの炭と化していた。
「こいつは驚いたぜ……天下五剣が、まさか目から怪光線を出すとはな」
「てっきりヨー夕”とかアナキソみたいな、光の剣を使ったカッコいいアクションをしてくれるものだと思ってたんだけど」
「やだなあ燭台切さん。セーラームーソは少女漫画だよ? SF映画が混ざるわけないじゃない」
「フォースは、我々と共になかったようですね」
 俺たちがくだらない会話をしている間にも、セーラームネチカとセーラーイチニィは刀装の力を使って次々と現れた敵を屠っていく。ムネチカの主攻撃は目から発される三日月型の怪光線で決まったようだが、イチニィはシャボンみたいな謎の泡々を発しての目潰し攻撃の活用法を見出そうとしているらしい。時折前方から、「そら、目潰しですな」という台詞と敵の断末魔が聞こえてくる。ちょっと珍しいことをしてはしゃいでる風の前者と、正真正銘の断末魔を上げている後者の温度差が激しすぎて風邪を引きそうだぜ。
「いやあ、助けが必要だった場合は僕が変身しろって言われてたけど、必要なさそうで良かったよ」
 光坊が聞き捨てならぬことを言った。
「え、光坊もセーラー服着る予定だったのか?」
「長谷部殿は、刀装は五つだと言っていなかったか?」
 俺と蜻蛉切が怪訝な声を上げると、光坊は慌てて首を横に振った。
「いやいや、まあその通りだし僕はセーラー服なんて着ないよ! ただ、実はあの他にも刀装がいくつかあってね。僕もその中の一つ、タキシードの衣装に変身するものを渡されたんだよ」
「ええータキシード!? いいなあ、見たーい!」
「うーん。タキシードはいいけど、名前がーーセーラー男士名ならぬタキシード男士名が、ちょっと格好良くなくてね」
「どんななんだ?」
「タキシード眼帯って言うんだけど」
  俺は笑った。タキシード眼帯が憤慨してたけど、大いに笑った。





翌日、第二部隊
 
 
 
「マーズ・パワー・メーイクアーップっ!」
「じゅっジュピター・パワー・メイクアップっ!」
 灼光が合戦場を焼く。白い光の中から姿を現したのは、二人のセーラー男士だ。
「愛と情熱のセーラー服美刀剣男士セーラーナマーズ! 火星に代わって投石だっ!」
「愛と勇気のセーラー服美刀剣男士セーラーテギネー。後悔するくらい突きまくるぞ!」
 赤いセーラー服の鯰尾と緑のセーラー服の御手杵。二人がそれぞれポーズを取る。鯰尾はノリノリだが、御手杵の方は頬の肉が引き攣っている。
「やーんっ、かっわいいじゃないのーっ!」
 次郎太刀がヒューヒューと声援を送る。その横を、彼らをちらりとも見ない同田貫が奇声を上げながら駆け抜けていった。実は戦闘が既に始まっていた。
「いや、掛け声とかかけてないで戦った方が早くね?」
 俺は思わず、率直な本音を口に乗せてしまう。すると隣に控えていた国広が、俺を見上げて同情するような笑みを浮かべた。
「残念だよね。兼さんにもきっと似合ったと思うけどなあ」
「お前は何の話をしてるんだよ」
「馬糞はー嫌いなヤツに投げーる!」
 鯰尾ならぬセーラーナマーズが、現れた槍兵に燃え盛る火炎玉を投擲している。紫がかって艶めく黒髪、くりくりきらきらと宝石めいた瞳に絹の肌、赤襟のセーラーは脇差男士らしい細身を一層女らしくさせていて、だから奴の全体を見れば十分美少女であるはずなのだが。
 花嫁じみた純白のグローブに握られた、火炎とかぐわしい香りとを同時に立ちのぼらせる馬糞が、全てを台無しにしている。
「セーラーナマーズ、嬉しそうだね。内番以外で、やっと馬糞を実戦に活用できたって言ってたもんなあ」
「あの馬糞、どこから湧いてくるんだ?」
 国広はニコニコしているが、俺は鯰尾の手に無限に湧いてくる燃え盛る馬糞がどこからやってくるのかが気になって気になって、戦闘どころではなかった。
 だが俺がそんな状態でも、戦闘は滞りなく進んでいる。それはきっとセーラー男士より敵に夢中な同田貫や、声援を送りながらデカイ本体を振り回す次郎太刀のおかげでもあるのだろうが、贔屓目でも思い込みでもなくセーラー男士の働きによるところが大きかった。
 まず、ナマーズの燃える馬糞ーーちゃんと技名がついていて「ファイヤー馬糞」というらしいがそのままじゃねえかーーが意外と強力だ。どのくらい強いかというと、阿津賀志山の兵が一撃で消し飛ぶ。これにはさしもの同田貫もぎょっとしていた。
 さらに地味なようだが、御手杵もといセーラーテギネーの活躍もなかなかだった。
「えーと……わが守護木星、嵐を起こせ、雲を呼べ、雷を降らせよ!」
 テギネーが唱えて本体を掲げる。たちまち湿った風が吹き空に暗雲が立ち込め、黒い空を稲光が引き裂いた。
「おおっ、初めて戦闘で嵐を呼べたぞ」
「どういう意味だ」
 雷に打たれた敵部隊が丸々弾け飛んだのより雷を呼べたことにテギネーは感心しきりな様子だが、俺にはついていけない。テギネーはその後もよく嵐を呼んでいた。
 そんなわけで敵はもっぱらセーラーナマーズとセーラーテギネーがかっ飛ばしてくれるから、俺は部隊の後方で大将よろしくお喋りと洒落込むことができていた。
「アイツらもよくあんな格好で戦えるよな」
 俺は改めて、また雷を呼んだ槍を見やる。
「特に御手杵。アイツ頭身高いから絶対嫌がるだろうと思ってたんだが」
 現に今も緑のプリーツが風にはためいて、色々とギリギリな状態だ。
「蜻蛉切さんが慰めたのが大きかったんだと思うよ」
「へえ、さすが蜻蛉切だな」
 それにしても国広はよく知っている。俺が低いところにある顔を見下ろすと、奴は詳細説明をせがまれたとでも思ったのか、聞いていないことまで語ってくれた。
「御手杵さんは『俺無理ぃぃ刺すしか能ねえからぁぁぁ』って泣いてたんだけど」
「目に浮かぶな」
「それに対して蜻蛉切さんは『大丈夫だ。想像してみろ。セーラー服を着た自分と、セーラー服を着た日本号が隣り合っているところを』って言ったんだ」
「…………」
「そしたら御手杵さんはぴたりと泣き止んで、『俺の方がマシだな』って言って出陣の踏ん切りをつけたんだよ」
「…………」
 俺は御手杵の戦う姿を凝視する。
 確かに考え直してみれば、御手杵は槍男士の中では一番ひょろっとしているから、すげぇタッパのある現代女子に見えないこともない。スタイルも純粋な女らしいかと問われれば微妙だが、悪くない。手足も長いし。
「ちなみにその時日本号さんは二人と同じ部屋にいたよ」
「そんな扱いされてていいのかよ正三位」
 だが俺も、セーラー服の正三位よりセーラー服の御手杵の方がずっと可愛げがあると思う。
「でも、ああいう筋骨逞しい男が女装をするところに性的嗜好を覚える者も少なくないぞ」
 聞こえるはずのない、しかも国広が語るにしては変態くさい内容を真面目に語る声がして、俺は飛び上がった。いつの間にか、背後に鶯丸が佇んでいた。
「鶯丸、お前どこから!?」
「今の俺は鶯丸ではない。時を司るセーラー男士セーラーウグイスだ」
  言われてみれば、鶯丸は黒襟黒スカートのセーラー服を纏っていた。コイツも細身な類いだからか、違和感を覚えず気づかなかったのだ。
 自分の目が、セーラー野郎どものせいでどんどん変になってる気がする。俺は内心げんなりする。
「セーラーナマーズとセーラーテギネーが困っていたら助けろと言われて来たんだが、まったく困りそうにないなあ。これでは俺が困ってしまう」
「え、まだセーラー男士の枠ってあったの?」
 国広の目の色が変わった。やめろ食いつくな。
 だがセーラーウグイスは、相も変わらず涼しい顔をして答える。
「五つ、な。だが実は皆の前で発表されるより前に、使い手が決まってしまってたんだ。そのうちの一人が俺だ」
「じゃあ最初からその五人が仮装すりゃ良かったんじゃねーの?」
 けれどもセーラーウグイスは俺のツッコミもなんのその、赤いセーラー男士と緑のセーラー男士の炎と雷吹き荒れる戦場を眺め、肩をすくめた。
「しかしこれだと、俺の出番はなさそうだな。そうだ。俺がこれまで見た中で一番の大包平エピソードを教えてやろうか?」
「帰れよ」
 
 
 
 
 
翌日、第三部隊
 
 
 
「愛とび、っ」
 山姥切の蒼白な唇がわななく。動きが止まってしまった唇を、彼は手で押さえる。
「だめだ、言えない……っ」
「気にすんなよ、山姥切の旦那」
 薬研が彼の身に纏うボロ布に手をかけ、首を横に振り前へと進み出る。
「なぁに、そんな強敵じゃねえさ。長谷部の旦那と大将との約束じゃあ、今回の出陣で一回だけ、その変身刀装ってヤツを起動すればいいんだろう? ゆっくりやりゃあいいさ。俺たちが適当に遊んでる合間に、な」
  薬研はウインクして本体を抜き放つと、山姥切の前に躍り出た。単身敵部隊と向かい合う薬研の両隣に、宗三と日本号が並ぶ。
「厚は旦那を頼む」
「任せろ」
 兄弟が先陣切って飛び出した。その背中を見送りながら、俺は戦況を分析する。
 薬研はああ言ったが、多勢に無勢だ。先程から、何故か四方を囲む林から敵部隊がわんさか湧いてくる。大した強さの連中じゃねえから折られやしないだろうが、前線に立ってくれている三人の負傷が心配だ。
 かと言って、山姥切に無理強いするほどじゃねえしなあ。思案する俺の前を、黒いものが遮る。
 大倶利伽羅だった。大倶利伽羅は山姥切を見下ろして、口を開いた。
「俺は馴れ合うつもりはない。だが同じように変身刀装などというふざけたものを与えられた身として、同情する」
「ええっ!?」
 俺は驚愕して声を上げた。山姥切の旦那も、目を見開いて大倶利伽羅を仰ぐ。
「どういうことだ?」
「俺はお前をサポートすべく送り込まれた、未発表の変身刀装を持つ一人だ」
「な、なんだと!?」
 山姥切は大真面目に驚いている。だが俺は、何も言えなかった。ツッコミどころ満載な大倶利伽羅の台詞、謎の少年漫画的展開を迎えてしまった今の状況、そして大倶利伽羅の台詞のせいで俺を襲うことになった、「変身刀装を持つ大倶利伽羅」のビジョン。その三つが、特に最後のが脳みそをガツンと殴ってきたので、俺は噴き出さないようにするために必死で口元を押さえていた。
 だって想像してみろよ。
 大倶利伽羅の、セーラー服姿だぜ?
「お前が力を使わないならば、俺がこの司る土星の力を解き放とう。だがその時は、俺は巨大な力の代償で重傷を余儀なくされるだろうな」
 そうなったら、俺を置いて行け。
 告げて大倶利伽羅は背中を向けた。なんだか急に話が重くなった。加えて同時に大倶利伽羅の片腕に封印されし倶利伽羅龍が暴れだしそうな展開になり始めたので、俺の表情筋もどうしたらいいのかわからなくなってしまう。
 しかし、そこはさすがいつも真摯な山姥切だ。顔を上げ、大倶利伽羅の学ランの裾を引いた。
「待て。そういうわけにはいかない。国広の傑作として、俺は……っ!」
 山姥切の双眸が、蒼炎に揺らめいた。
 これは、勇気の輝きだーー俺がそんなどこぞのバトル漫画ででもありそうなセリフを思い浮かべている間に、山姥切が立ち上がる。
「ヴィーナス・パワー・メイクアップ!」
 山姥切は高らかに叫んだ。
 昨日見た三日月を包んだ光とよく似た煌めきが、山姥切の輪郭をなぞり変身させていく。ボロ布が消え、山吹が花開く。
 大きなどよめきが起こった。見れば、俺たちの四方八方を囲んでいた敵兵たちが、光輝く山姥切に近い方からドミノ倒しで地に伏していく。
「なっ、何だこりゃあ!?」
 あまりの異変に、薬研が振り返った。
 視線の先には、山吹の花がごときセーラー衣装を着こなす可憐な刀剣男士が佇んでいた。
「愛と美貌のセーラー服美刀剣男士セーラーマーンバ。愛の神罰、落とさせてもらうぞ!」
 俺の頬を何かが伝った。腕で拭ってみたら湿っていた。どうやら、あまりの同情から泣いてしまったらしい。
 つらい。あんな格好でこんな台詞を内気な山姥切に言わせるなんて、あまりに酷だ。
 セーラーマーンバは萎縮する敵部隊に向けて、果敢に一歩踏み出した。
 そして、そのまま倒れた。
「……え?」
「おい、しっかりしろ!」
 薬研が駆け寄り、山姥切ともう一人倒れていた誰かを助け起こす。大倶利伽羅だった。セーラー服と学ランが倒れている景色は、とても時間遡行先のものとは思えない。
 医学の心得がある兄弟は二人の顔を覗き込み、苦しそうに顔を俯けた。
「ダメだ、重傷だ」
「何でだよ!?」
  変身した山姥切はともかく、何で変身してない大倶利伽羅までそうなるんだ。
「俺が思うに、これはきっと『恥ずか死』というヤツだ」
「恥ずか死」
「ったく、大将め。だから言ったんだ。この刀装は恥ずかしがり屋の付喪神にゃあ物凄い霊的負担をかけるから、人選には気を配れって」
「お前も一枚噛んでたのかよ」
「おいおい、呑気なこと言ってる場合じゃねえぞ」
  日本号が槍を構え、戦火のごとき真紅に燃える瞳を辺りへ配る。山姥切が散らしてくれた敵兵たちを乗り越え、新たな歴史修正主義者たちが近づこうとしていた。
「早いとこズラからねえとやべーんじゃねえのか?  戦線離脱したヤツが二人もいるなら、撤退した方が無難だ」
「同意したいのは山々ですが」
  宗三が群がる敵らに流し目をくれ、微かに首を横に振る。
「この間合いでの時間遡行は厳しいでしょう。今すぐは無理です。時間と空間を稼がないと」
「まあまあ旦那がた。そう焦るなって」
  しかし薬研は、どういうわけか焦る素振りを微塵も見せない。いまだ飄々としている。
「重傷者が二人いた所で、俺らならそうすぐに戦線崩壊しやしないさ。どんと構えて行こうぜ」
「しかし薬研、ここに僕たちは来すぎています。万が一この状態を、検非違使に襲われたら」
「安心しろ」
  宗三の懸念を、薬研は一笑に伏す。
「助けなら、もう来た」
  俺らの背後を仰いだ勝気な紫水晶に、見慣れぬ影が過ぎる。俺たちは視線を巡らせた。それにつられたのか、歴史修正主義者たちまで俺たちの視線の先を追う。
  場の視線が一点に集中した。その一点とは高い杉の頂点に立つ、二つの人影だった。
  そのタイミングを図っていたかのように、視線を浴びた影の一つが声を発した。
「ふふっ、やっぱり早々とやられちゃったね」
「ふん。こうなるだろうと思っていた」
  聞き覚えのある声だ。そして、見覚えのあるミニスカートだ。俺の顔から血の気が引いていくのが、自分でもよくわかった。
  二つの人影は、大きく跳躍した。歴史修正主義者たちが呆気にとられてその軌道を目で追う。影たちは俺たちの間近に着地した。必然的に、曖昧だったシルエットが露わになる。
  一つは深緑の長髪を背中に流し同じ色のセーラー服を身につけた、透き通るように肌の白い痩身。口元には怪しげな笑み。もう一つは不思議な光沢を放つ煤色の髪と青紫の瞳が硬質な輝きを宿している、ダークブルーのセーラー。どちらも色こそ違うが揃いのティアラと胸リボンを付けていて、さらに脚の曲線が付け根の辺りからよくわかるような、しかもその滑らかな曲線美がさらに引き立つような扇のごとく広がるミニスカートが彼らの性別を隠すことに成功していてーー
  もういい、端的に言おう。セーラー姿のにっかり青江とへし切り長谷部だ。
「新たな主命に従って、セーラーハセベス華麗に活躍」
「新たな主命に従って、セーラーニッカリーン優雅に活躍」
   しかも歴史修正主義者たちに向かって、決め台詞まで放ちやがった。やめてくれ。頑張って普段の第一線で戦うお前らの勇姿と今の姿を分断しようとしている俺の努力を無駄にするな。その外見でいつもの声でそんな台詞を喋られたら、イメージコントロールなんてできたもんじゃない。
 「助かるぜ、旦那がた。手間かけさせて悪いな」
「構わん。想定内だ」
 薬研はまったく平常通りで、セーラーハセベスに詫びる。ハセベスの方も口調や表情がいつも通りすぎるために、かえって辛い。「あの長谷部が平然とセーラー服を着てる」っていう現実と「長谷部はセーラー服が似合う」っていう事実の衝撃がデカすぎて、俺たちが辛い。
「小夜が乱藤四郎から借りてきたセーラームーソを、ちらりとでも見るんじゃありませんでした…」
 宗三が虚ろな表情で呟く。俺も頷く。セーラームーソなら、乱が騒ぐから少しだけ知っている。
「微妙に色調の系統が似てる上に、顔のシャープさやらガタイの良ささえ除けば大体あの通りだもんな」
「大事故ですよ。今後小夜があの漫画を見ているのを発見した時に、僕はどんな顔をしたらいいんですか」
「俺多分笑っちゃって読めねえわ」
「思う存分笑いなよ」
 俺たちの会話を聞きつけたにっかり青江が乗ってきた。こいつもこいつでセーラー服姿に違和感がないのが怖いんだが、こいつならばセーラー服くらい寝巻きにしててもおかしくなさそうなので、まだ現実として受け入れられる。
「長谷部は主命なら、何だってやりこなすからねえ。元ネタの凄さもまだよく分かってないのに」
「あの男のこういう無駄にハイスペックなところ、腹立つんですよね」
 宗三はズケズケと言い放つ。しかしその話題の奴はまったくそれを聞いていなかったらしく、薬研から戦況を聞き終えると目付きを鋭くしてにっかりを睨む。
「おいニッカリーン。やるぞ」
「はいはい。ハセベスは攻めたがりだねえ」
 にっかりならぬセーラーニッカリーンは、くすくすと笑みをこぼす。ハセベスは眉根を寄せた。
「当たり前だろうが。何のために来たと思っている?」
「ガツガツするのもいいけど、あんまりやりすぎると息切れしちゃうよ?」
「俺はそんなにやわじゃない」
「でもまあ、ハセベスの言うことももっともか。焦らしすぎると萎えちゃうよね」
 際どくも空回る会話が途切れる。ニッカリーンの弧を描く瞳が、敵部隊の上を優しく撫でた。
「僕から手を出してあげよう」
 両手を掲げる。新緑のセーラーに添えられた胸リボンの中央で、刀装が深海色に煌めく。その輝きに応じるかのように、掲げた両手の上に巨大な渦を巻く水球が現れた。
「深き水底に沈め」
 水球が放たれた。地にぶつかったそれは水場もないのに波の刃となって、幾重にも泡と波紋を散らしながら敵を飲み込み潰していく。圧倒的なマリンブルーの下で、押し潰された兵らの身体から紫の霞が散るのが見えた。
 ーー普通に強い。
 俺はたちまち大損害を被った敵陣と、損害を与えたセーラー服装備の仲間の背中とを見比べて、他人事のように思った。
「ふふふ、ぐちゃぐちゃに濡れちゃったね?」
「下がっていろニッカリーン」
 あとは俺がケリをつける。
 そう高圧的に言いつけたハセベスの顔つきは、俺もよく知っているものだった。
 早く戦いで自分の力を証明したくて仕方がない。そんな高揚した心情がよく分かる、瞳孔の開いた薄ら笑いだ。
 紺のセーラー服が霞んだ。それと阿鼻叫喚の幕開けは同時だった。
 俺たちのいる位置以外、敵のいる箇所を満遍なく抉り取るように狂風の刃が吹き荒れた。黄金に瞬く真空の剣が、絶えず繰り出されているらしい。
 まったく、見事な快進撃だ。捲り上がるミニスカートから本丸トップクラスの機動力を叩き出すおみ足さえ丸出しになってなければ、男だって見惚れてもおかしくない格好良さだっただろう。
「おお、旦那しっかり使いこなしてるなあ」
 それこそ文字通り風のように舞うセーラーハセベスに感心しているのは薬研だけだ。コイツは本当に度量が広いなあと、我が兄弟ながら思う。
 だって見ろよ、その隣の日本号と宗三の顔を。日本号の目は据わりきってるし、宗三の瞳孔なんて完全に死人のソレだぜ?
 二人とも、きっと在りし日の長谷部を忍んでるんだろうな。黒田時代の長谷部と、織田時代の長谷部を、それぞれあのセーラーハセベスと重ね合わせてーー俺も考えていたら虚しくなってきた。
 やっぱり長谷部はな、人を愛しすぎるんだよ。それが長谷部のいいところでもあり悪いところでもあるんだけど、今回の場合間違いなくこれはその悪い例だ。
 日本号が呻いて、額を押さえる。
「なあ、あいつはどうかしちまったのか? それとも、どうかしちまったと感じる俺が間違ってるのか?」
 その疑問ももっともだ。俺は労わりの気持ちを込めて首を横に振った。
「そう思う気持ちは間違ってないよ。けど、旦那だって知ってるだろ? 長谷部は主命が絡む時、いつだって正気だったじゃないか」
 日本号はしばらく無言で血の旋風を巻き起こすセーラーハセベスを眺めていたが、やがてふと我に返ったように腕に下げていた酒瓶の栓を抜いた。
「呑まなきゃやってらんねえや」
 台詞が完全に、現実逃避する酔いどれのそれだ。
 だが酒瓶を傾けようとした手は、瓶の口が唇に触れる寸前で止まった。手だけじゃない、目も一箇所を見たまま固まっている。
 俺もその焦点を追う。案の定目線は長谷部の旦那に向かっていた。だけど別に、変わった様子なんてない。今まで通り、セーラーハセベスが機動力を最高に生かして乱舞してるだけでーー
「あ」
 ハセベスが高く飛び上がって急降下した。捲れ上がりすぎたスカートのその下を見て、俺は気付いた。
「はせべぇッ!」
 日本号が激昂した。
「てめぇ、セーラー服にふんどしを合わせる奴がいるかバッキャローッ!!」
「そう言えばあの男、最近の下着の種類は主が最初に買い与えてくれたトランクスしか知らないのでしたね」
「旦那なりに、セーラー服からトランクスがチラリしたらまずいと思ってこうしたんだろうな」
 宗三と薬研が、どこかしみじみとした調子で空を仰ぐ。
 あー、まじか。そうだったのか。
 俺は頭を掻いた。
「長谷部を、下着屋に連れて行ってあげないと」
 俺がぼそりと漏らすと、見守っていた全員が頷いた。
 出陣の帰り道、俺たちは下着屋に寄って長谷部の下着を選んだ。結構楽しかった。





『第二○七番審神者本丸日誌』
七月二日 晴れ 記録者:今剣

きょうは あるじさま が かえってきたので おみやげの まかだみあなっつ ちょこ を たべながら むつのかみ が あるじさまを てんぴぼし する ところ を みていました。

まかだみあなっつ ちょこ は こうばしくて おいしくて てんぴぼし は たのしかった です。

でも ぼくは また せーらーだんしを みて ぜつぼうする みんな の 顔 を みたいです。

とても たのしかった です。