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「あっ、点い──うわあっ」

 画面が復活し、上げかけた審神者の歓声はすぐに悲鳴へと変わった。画面いっぱいを白刃が過ぎていったのだ。へし切長谷部の端正な横顔、見開いた眦が横へ流れるのを別の刃が追いかけ閃く。二種の刃紋が激しく絡み合う、その合間を縫って審神者は呼び掛けた。

「にっかり!」

『やあ、待たせたねえ』

 すぐににっかり青江の愉しげな声が応えた。

『すまなかった。でも成果は上がったよ』

『主人すまんち!』

 少年の声が響いた途端、厚藤四郎が顔を跳ね上げた。

「博多!」

『厚兄、すまんかったばい。俺……』

「話は後で詳しく聞こう」

 石切丸が頷き、画面に向けて声を張り上げる。

「撒けるかい」

『やってるよ。僕らを誰だと思ってるのさ──博多ッ』

『あいさー!』

 返事と共に銃声が弾けた。粉塵が立ちこめ、長谷部の姿が消える。画面が絵具を直線上になすりつけたが如くめまぐるしく変わり、やがて薄暗く何もない四畳間に落ち着く。視界は襖に近寄りしゃがみ込む博多藤四郎を映したまましばらく動かなかったが、博多が頷くと同時ににっかり青江が口を開いた。

『撒けたよ。今だけかもしれないけれどね』

「話せるか」

『ああ』

 まずにっかり青江が己に起こったことを話す。蔵を覗き込もうとした後、背後からへし切長谷部に斬りつけられて気を失い、気付けば鍛刀場で博多藤四郎とへし切長谷部が対峙していた。

 次いで博多藤四郎が話す。長谷部が本丸にやって来た事を全体通達より前に誰かから聞き、無性に彼に会わなければならないという衝動に駆られ、催眠剤を調達して牢に忍び込んだ。そこから記憶が途切れているが、気付けば屋敷で寝ていて、へし切長谷部と共にこの屋敷の住人として活動することに何の違和感も抱いていなかった。

『俺は何か忘れてる気はしとった。ばってん、俺は主人の神紋ば見るまでこの屋敷の住人になりきっとった。情けなか』

「仕方ない、無事であったことが一番だよ。お陰で分かったこともある」

 手元の端末にメモを取りながら、審神者は石切丸を仰ぐ。御神刀は言葉を継いだ。

「この屋敷にいるものは、本当に憑依することによって獲物を手駒にしてから糧にするんだね。そして、憑依されたものはこの屋敷を本当の家だと思って尽くすと」

『憑依』

 博多藤四郎は眉根を潜め、首を振った。

『うんにゃ、そげな甘かもんやなかとよ。本当に、あの家で過ごしとったかのごつ、記憶の出てきたっちゃん』

「記憶?」

『たとえば』

 いつも長谷部の藤を眺める後ろ姿を見ていたこと。

 屋敷の彼方此方を手入れして回ったこと。

 一つの動作をするごとに、これまでも同じ事をしてきたような気になっていた。

『既視感やったとよ』

「ふむ。確かに憑依にしては対象によく根付いているね」

 石切丸が顎をさするところへ、厚藤四郎が問いかける。

「普通、憑依ってそういうもんじゃないのか?」

「憑依っていうのは、対象が我に返らないように、完全に自我を押しつぶしちゃうことが多いんだよ」

『そうだね。これは憑依とは違うだろう』

 にっかり青江が言う。石切丸が画面外の彼へ問いかける。

「じゃあ、君はこれをなんと喩える?」

「僕かい? 僕ならば」

 ──寄生。

 青江の声に、もう一つ別の声が被さった。博多はおろか、青江よりもなお低い。

 ぎょっとする審神者等の見つめる先、画面がぐるりと回った。仰天して振り向く博多の傍に、奇妙な男がいた。ひょろりと背が高く、骨と皮程に痩せている。ざんばら頭と顔にかかった白い面布とを併せて見れば、雑な手入れを受けた筆のような印象である。

『新しい客人か、歓迎しよう。おっと斬らないでくれよ。実のある会話がしたいだろう? 斬ったらあんたらの質問に答えられなくなってしまう』

 即座に本体を突き立てようとした博多はすんでの所で動きを止めた。青江の声がする。

『貴方は誰かな』

『私は研究者の残骸だ』

『残骸?』

『そうだ。私はお喋りが好きな人間だったようだが、ここでまともに喋ることの出来ない最期を迎えたらしい。その無念で動いている』

『うん、つまりは幽霊って事だね』

「冷静だなあ」

 審神者はつい零した。これ程円滑な意思疎通の出来る自称幽霊も珍しい。そのせいか、非常事態であるせいか。機械室にいる誰もが、全く驚きも怯えもしていなかった。

『でも君、この屋敷に捕らえられた審神者だろう? それにしては意識がしっかりしてるね』

『それなんだが』

 面布の男は側頭部を掻く。

『私自身のことは全く思い出せないんだ。ここで調べ物をして死んだってことと、調査内容は覚えているんだが、私が誰で、どんな名前だったかすら思い出せない。だから私は残骸なんだ』

「審神者だよね」

「そうだろう」

 石切丸が囁き、審神者も男の出で立ちを観察して肯定する。

「あの面布は政府から支給されるものだ。服装も審神者にしては珍しい格好だけど、ちょうど行方不明になった九番目の審神者のものに似てる」

 政府の研究者であったが、好奇心からへし切長谷部と日本号を引き取って研究したという審神者に違いない。

 男は喋り続けている。

『人間はいい、身体がそれなりに熟していて活きが良ければこうして話し考えることができる。言葉はいいぞ。考えたことを形にして世に出現させることができる。概念を形にして他者に知らしめることができる。そうして他者を、ひいては彼らと我々の世界を変えることさえ出来る。私が此処に居られるのもずっと言葉を考え続けていたお蔭だ。この屋敷では少しずつ失せていく』

 次第に男の声は熱を帯びてきた。首を傾けながら両手を広げ、まくしたててくる。

『肝心なのは強い心、外界との結びつき、第三者の存在、そうしないと屋敷に飲まれてしまう、そうしていれば屋敷にいても乗っ取られきらないで済む、ある程度独立した自我を保てる、だから私はずっとこう思っていたんだ、私の知ったことを誰かに話したい、誰かに会いたい、人間と会いたい、人間と話したい、人間と会いたい、会いたい、会いたい、話したい、話したい、話したい、会いたい、会いたい、会いたい、話したい、話したい、話したい、会いたい、会いたい、会いたい、話したい、話したい、話したい、会いたい、会いたい、会いたい、話したい、話したい、話したい、会いたい、会いたい、会いたい、話したい、話したい、話したい、会いたい、会いたい、会いたい、話したい、話したい、話したい、会いたい、会いたい、会いたい、話したい、話したい、話したい、会いたい、会いたい、会いたい、話したい、話したい、話したい、会いたい、会いたい、会いたい、話したい、話したい、話したい、会いたい、会いたい、会いたい、話したい、話したい、話したい、会いたい、会いたい、会いたい、話したい、話したい、話したい、話したい、話したい、会いたい、会いたい、会いたい、話したい、話したい、話したい、会いたい、会いたい、会いたい、話したい、話したい、話したい、会いたい、会いたい、会いたい、話したい、話したい、話したい、会いたい、会いたい、会いたい、話したい、話したい、話したい、会いたい、会いたい、会いたい、話したい、話したい、話したい、会いたい、会いたい、会いたい、話したい、話したい、話したい、会いたい、会いたい、会いたい、話したい、話したい、話したい、会いたい、会いたい、会いたい、話したい、話したい、話したい、会いたい、会いたい、会いたい、話したい、話したい、話したい、会いたい、会いたい、会いたい、話したい、話したい、話したい、会いたい、会いた、い、会いたい、話したい、話したい、話したい、会いたい、会いたい、会い、たい、話したい、会いた、い、会いたい、会いたい、会、いたい、会いたい、会い、たい、会い、会、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、人間と、い、人間と、人間と、いたい、人間と、いた人間と、いい人間と、いたいいたい人間と、人間と、人間ところで君等は何者かな? 人間の声がするね?』

 男の首を傾げる角度が九十度を過ぎ、痙攣し始めた。男の輪郭が二重にぼやけたかと思うと太い一重になり、不安定に揺れ始める。モニターの端が軋んだ音を立てた。

「……っ」

「まずいな」

 石切丸が審神者の口を手で塞ぎ、顔を顰める。

「青江が応じざるを得なかったと言うことは、此奴は無視すると厄介になる荒御魂だ。しかも博多と青江から主の存在を感じ取っている。無視せず、彼がこだわっている会話を続けながら、気を逸らせて切り抜けた方がいい。青江、いけるかい?」

『ああ』

 青江が短く応じ、博多が己の口を袖で覆った。画面の外からまた青江の声がする。

『君はこの屋敷で人間に会ったのかい?』

『会ってない』

 男の声から粘ついた気配が消えた。首の角度が九十度まで戻る。

『誰にも会わなかった。居るには居るけど、彼等は出て来られない。形を持てない。肉の器が無いから』

『彼等は何処に居るんだい』

『この屋敷にとって、彼等が居るに然るべきところ』

 男の首が自然な位置まで戻ってきた。抑揚もなく、淡々と答えていく。

『彼等は何処に居るべきなのかな』

『その役割に相応しい場所に』

『彼等の役割の名前は?』

『思い出せない。だがきっと、私はその名を使っていたことがある』

 審神者だ。審神者の居る部屋は、決まっている。

『彼等の部屋は何処にある? 君は知っているかい』

『無論だともさ』

 男は告げる。

『人が捕らえられるに然るべきところだ』

『それは何処だい。蔵かな』

『この屋敷の在りし日はそうだった』

 だが今は違う、と言う。

『今は人を捕らえるに然るべきところだ』

『牢があるのかい』

『牢だと思えば何処でも牢になる』

 男の首が真直ぐに戻った。直立不動の姿勢で、口だけが動き続けているのだろうか、面布が震えている。

『簡単なことだ。日のもとの国の人間ならば誰でも思いつく。人を捕らえるに然るべき所、そこに彼等は居る。残骸のもとも其処に居る。肉の器を待っている。しかし彼等の器は来ない。何故ならばひひひひひひひひひひひひ』

 突如、首がぐるりと一回転した。そして明後日の方を向き、

『人だ』

 笑った。

 機械室が殺気立った。厚藤四郎が刀を構えた。石切丸が審神者を広げた袖で覆った。それから辺りを見回した。

 何も来なかった。機械室は暗がりに沈み、数多の画面は静かに青い光を放っている。その中から男だけが消え失せていた。

「彼は?」

『消えた』

 青江が端的に答える。

『問い方がまずかったか』

「いや、彼は此処にもそっちにもいないんだろう? 良かったんじゃないかな。また一つ、手掛かりも増えた」

 石切丸が審神者を離す。もう良いのだと察した審神者は口を開く。

「人を捕らえるに然るべき所か」

「まどろっこしい言い方だな」

 厚藤四郎と顔を見合わせて考え込む。

「でも、牢は無いんだろ? じゃあ何処なんだ」

 ギィ。

 画面の向こうではない、此方の扉が軋んだ。

 全員が振り向いた。

「な、何だい」

 扉の向こうから歌仙兼定が覗いていた。殺意の篭った目を向けられ戸惑っている様を見て、一同は緊張を解いた。厚藤四郎が大きく息を吐く。

「なんだ、歌仙か」

『どうした?』

「何でもない、歌仙だったよ」

「幾つ心臓があっても足りないな」

「何だい、僕だって驚いたんだからね。何かあったんだろう。聞かせておくれよ」

 厚が語って聞かせる。歌仙ははじめ唇を横に引き結んで話を聞いていたが、男が審神者部屋の場所について答えたくだりから顔色が変わった。最後に男が人と呟いて消えたことを話しても、あまり気に留めていないようだった。彼は己が身を抱きしめるように腕を組み、顎に手を添えた。

「屋敷が、人を捕らえるに然るべきところ」

 歌仙は繰り返した。語尾が震えていた。

「分かるのか」

 審神者が色を失った顔を覗き込む。歌仙は微かに目を逸らし、呟く。

「分かったと言っていいのか……しかしそれではあまりに、あまりにも……」

『話しておくれよ』

 機械越しに青江が促す。

『こっちはもうどう動いたらいいか、見当がつかないんだ。此処に隠れていても、そのうちきっと長谷部に見つかってしまう。心当たりがあるなら、教えてくれないか』

「歌仙」

 話せるかと審神者が問いかける。歌仙は審神者の目を見た。

「君は、気付かないのかい」

「え?」

「きっと君なら気付くと……いや、もう気付いているんじゃないかと思っていたんだ。言わないのは僕等を慮ってのことか、または僕の考えが見当違いなんじゃないかと思っていた」

 違ったんだねと歌仙は微笑んだ。それから他の刀剣等へ順に目を移す。

「顕現年数の長い君も、神剣の貴殿さえ気付かない──僕の考えが違っていればいいと思っているよ。でも、合っているならばこれは、本当にとんでもない」

 歌仙はまた不自然に言葉を区切る。己の立つ床を見下ろして、息を深く吐く。そして遂に、口を開いた。

「僕はずっと、この屋敷は神域としておかしいと思っていた。最初のきっかけは、この庭の砂紋だった」

 歌仙は部屋の中央に歩み寄る。其処には巨大なモニターデスクがあり、これまでににっかり青江の目に映った過去の映像が流れていた。歌仙は宙に浮くパネルを操作し、初期の映像を流す。青江が本丸の周辺を一周していた頃のものだ。

「京極のが屋敷を一周しているのを眺めながら、なんとなく引っかかっていた。昨夜審神者部屋の場所を考えながら、最初から映像を見ていたのだけれど」

 白い指が操作盤を操り、左手に折々の花と青松白砂、右手側に藤棚の延々と続く景色がコマ送りになる。ようやっと歌仙は首を回して、此方を伺っていた一同と目を合わせた。

「分かるかい? 一番外側を、ずっと同じひと筋が流れ続けているんだ」

 審神者は瞬きを堪えて観察した。よく見ればその通りで、複雑な砂紋の外側の一筋が、絶えることなく屋敷の周辺を巡っているのである。

「陰陽五行思想は知っているよね」

 皆の様子を眺めながら、歌仙は続ける。

「昔、大陸からこの思想を得た人の祖は、陰と陽の消長、木火土金水の相生相剋によって世の事象は起こるものと考えた。物質だけでなく、形なき物までもこの思想に組み込んだ」

 たとえば季節。春は木、夏は火、秋は金、冬は水、季節の変わり目は土に属する。

 たとえば方角。東は木、南は火、西は金、北は水、中央が土に属する。

「この見立てに基づいて、古の天子は四神相応の地を治めるべしと考えたこともあった。四神は分かるよね」

「青龍、白虎、玄武、朱雀、五番目は麒麟か黄竜」

 審神者は答える。

「青龍は木の霊獣だから東、朱雀は火の霊獣だから南、白虎が金の霊獣だから西、玄武は水の霊獣だから北にいる、そういう地を天子は治めるべしっていうやつだろ」

「そう。ところで『作庭記』を知っているかな」

「いや」

「我が国最古と称される庭作りの指南書だよ。五行思想を根底におき、自然の法則に沿った、人の住みやすい美しい庭造りを説いている。その中で、庭園内の水の流し方についてこう記されている」

 歌仙は諳じる。

 ──東より南へむかへて西へ流すを順流とす。西より東へ流すはこれを逆流とす。

 ──青龍の水をもちて、もろもろの悪気を白虎の道へ洗ひ出す故なり。

 察せてきた。

「白砂の枯山水における役割は水だったよね」

「よく覚えていたね。ちなみにお小夜の話によると、長谷部はこの屋敷にはそれはそれは見事な遣水やら池泉があると言ったそうだが」

 一同は沈黙した。三振と一人は時を同じくして背後を見る。メインモニターの前、其処には暗闇に浮かび上がる屋敷の縮小版立体模型映像があった。審神者は指を鳴らす。地図が回転し始めた。

「長谷部が、なんて言ったって?」

「周囲を注連縄と藤棚で囲まれた、広い広い長方形の敷地。その南に聳える大きな武家屋敷から、東の修練場、西の畑、遠い昔河原左大臣の誇ったが如き遣水、百花からなる庭園、そしてその果ての、鍛刀場と魯と、立派な蔵」

 ひたすらに回転する模型映像を眺める。にっかり青江の潜入によって仕上がってきたこれと大方一致する。だがしかし。

「遣水なんてなかった」

「お小夜が嘘を吐くとは思えない。それに、長谷部もどうしてそんな些末な嘘を言うだろうか」

 青年は頭を抱えた。まあそれは後で考えるのでもいいだろうと歌仙は呟いて、本題に戻す。

「ところがこの庭はどうだ。水そのものこそないが、枯山水で同じ役割を担う白川砂が外側を一周している」

 ミニチュアの庭は回っている。審神者は想像する。

 外へ出ることのない水。悪気を洗い流す水が、ずっと屋敷の周りを巡っている。

 回転する庭を眺める審神者の脳裏に、屋敷の随所で見られた同じ挙動を繰り返す刀剣の姿が浮かんだ。

「内側は凝った模様をしているだけに、一番外だけ単純な模様をしているのに違和感があった。君はどう思う? これは偶然だろうか」

 審神者は考え込む。歌仙は液晶を見上げ、すぐに目を落とす。

「『作庭記』に記された庭作りのルールはそれだけじゃない」

 庭の回転が止まる。歌仙の指が長方形の一角を指す。そこには背の高い石が一つ、少し離れた位置に小さな石が三つある。

「にっかりが最初に降り立った所に、巨大な立石があっただろう。これは良くないんだ」

「どうして?」

「送られてきた映像の太陽の軌道から察するに、この立石は屋敷の北東に位置している」

 審神者は眉根を寄せた。鬼門に巨石。そう言われれば、何も知らない人間でもいい気はしない。

「北東の四尺を超える立石は鬼を呼び寄せる。しかしその手前に三仏を置けば安心なのだが、これだけ立派な庭なんだ。他にも置き場所はあるだろうに、何故わざわざそこなのか」

 これもそうだと次に指差したのは一の丸近くの石である。渦巻く白砂の中心に黒々と聳え立つそれは随分威圧的に思えた。

「この臥石は縁よりも高いだろう。縁近くにはそれより低い石を置くものだ。何故ならよくないものが入ってくるからね」

 歌仙は溜息を吐いて庭の彼方此方に立つ石を指す。

「そのくせあからさまに縁起のいい石組もしてるんだ。蓬莱に鶴亀、七五三、陰陽。縁起のいいのは結構だけれども、やたら置けばいいというものでもない。さらにこれが自然石を逆向きに置いたものだったらなおさらいけないよ」

「どうして?」

「自然でいられなくなるだろう」

 歌仙はさも当然と言いたげだが、審神者には分からない。それくらいこの付き合いの長い初期刀も分かるだろうに話を先に進める。

「さっき見た臥石の周辺に榊があったね」

「ああ」

「こういう、人がいつも向かいそうな所に榊を置くのは良くない。それからここの植栽は酷い」

 歌仙はあれもこれもと指差してみせる。

「東には花を、西には散るものをと橘氏は言った。何故わざわざ逆にするんだ。それだけじゃない。東西南北に其々植えるべきでない木を植えている」

 審神者は首を傾げることしか出来ない。何となく言いたいことは分かるような気もするが、庭園には詳しくないのだ。

 しきりに捻られる青年の頭に、歌仙は軽く手を添える。

「君たちの時代の人間はそんなものどうでもいいと言うだろうね。だがこの庭は古い。ましてや古い神の住まう家がこうだなんて」

 言いかけて、つと目を開いた。やや動いた眦はしかしすぐに弛緩する。

「いや、神の住まう家だからこそなのか」

 独り言ち、吐息を漏らす。審神者は耐えきれずに口を開いた。

「それが、審神者部屋と関係があるのか?」

「大有りだよ」

 先に知っておいて欲しかったんだ。

 歌仙は俯いた。同じ高さにある白皙を凝視する審神者の鼓膜を、腹の底を揺らすが如き鳴動が揺すぶる。動力源が充電を始めたのだろう。

 沈んでいた碧眼が上向く。

「禁じ手がある」

 指で、宙に四角を描く。

「方形円形の土地の中央に屋を設けて留まっていれば、其処の主人は拘束される。何故ならば」

 囗の中心に「人」の字を描く。

「囚獄の『囚』の字になるからだ」

 屋敷の中心。

 審神者はデスクモニターに飛びついた。厚藤四郎と石切丸も覗き込んだ。

「二の丸だ。変な形だとは思ってたんだ。この中の一室が、審神者部屋になる」

「主、指示を」

「待ってくれ」

 デスクから身体を起こし、審神者は一振佇んだままの歌仙を窺う。

「まだ続きがあるんだろう?」

 歌仙は頷いた。謎が解けたのに、モニターに照らされた顔は青白いままだった。

「君達の時代の人間にも、家のものの配置が然るべきか否かを気にする者はいるだろう。縁起が良いとか、これは良くないからやってはいけないとか、言うだろう。古来からどうして人はそのように縁起を担ぎたがるか分かるかい」

「幸せになりたいから?」

「人間である君にとって幸せとは何かな」

 審神者は唸る。鳴動と重なって、不思議と喉に小気味好く響いた。

「病なく、健やかに共に暮らせることとか」

 刀はにこりと微笑み、君が言うならばそういうことなのだろうと言った。

「分かるかな。古来人間は、幸福に暮らせる安寧の地を求めた。だが理想の土地はそう簡単に手に入らない。そこで石組や植栽、池泉を四神になぞらえて敷地に据えることでもって、四神具足の地としたんだ。そこには人間が末永く世を満喫できるようにとの願いがあるのかもしれない」

 ならば、その逆をすればどうなると思う。

 穏やかな声が一段と低くなる。

「この庭は滅茶苦茶だ。一見すれば確かに素晴らしい。石に白砂の黒白の世界を基盤として、萬の草花が華やかに魅せ合う至高の庭に思えるだろうな。だが見るものが見れば分かる」

 この庭は人間に向かない。

「これは、命あるものが儚くなる庭だ」

 鼓膜を揺する低い振動が微弱になっていく。審神者は人間離れした美しい指が、半透明の方形の庭をなぞるのを見る。

 ふちに沿って、周囲をぐるりと一回り。

「そして儚くなったものは、出て行くことを許されない」

 鳴動が止まる。不意に静寂が訪れ、審神者は早まる己の心音を聞きながら思う。

 歌仙の言う通りだ。

 自然に則った庭作りは人の健康長寿を保証するものとされた。だから、自然でない庭作りは人を短命にする。

 しかし生じた死と穢れは屋敷の外へ出られない。何故なら、庭の水を表現する白砂は屋敷の周囲を一周して、外に出ることがないからだ。

 美しくも死にまみれ、停止した空間で同じ事象を繰り返し続ける人喰い屋敷。

 彼の庭の見立ては、多くの審神者と刀剣男士が滅び、亡くなったものが留まり続けているこの家の在り方と一致している。

 なるほど。

 思いながら、だが審神者は釈然としなかった。

 確かに歌仙の説明はこれまでに見て来た庭の性質の法則性を補強するに相応しかった。けれど、それが何だというのだろう。既に分かっていたことを再度確認しただけでは無いのか。

 「ああ」

 石切丸が吐息を漏らした。

「そうか、そういうことか」

「この神域のおかしさが分かったかい」

 歌仙が問い掛けると、石切丸は頷いた。厚は二振を交互に見やる。

「何だよ、どういうことだ?」

 審神者も同じ気持ちだった。歌仙の言う通り、庭作りがこの家の性質をそのまま表している。その性質が、在り方がおかしいという話ではなかったのか。

「神域として、奇妙なんだ」

 石切丸は前半を強調した。

「この世ならざる神域、来し方の清庭として、この屋敷の性質を考えてみれば分かる」

 歌仙兼定が後を継いだ。

「この屋敷がおかしいのは──」