「Trick or treat!」

 いきなり年上の恋人が発した言葉に、シカマルは呆気にとられた。
 仕事が終わった後、いつものように食事をしに来た。場所は付き合い始めてからよく利用するようになった居酒屋。ここは個室が多く、人目を気にする必要がなくて都合が良いのだ。

「……急にどうした?」
「どうした、じゃない。今日が何の日か分かってるだろ?」
「そりゃ分かってるけど、あんたが知ってるとは思わなかった」

 ハロウィンだろ? そう言うと、彼女は頷いた。

「風の国にはない習慣だと思ってた」
「うちの国にも少しは異国の文化くらい入ってくる。砂隠れの里で、これまで便乗する者があまりいなかっただけだ」

 なるほど。知識は持っているが実際に普及はしてないということらしい。

「で、菓子をくれるのか?」
「なかったら悪戯すんのか?」

 テマリはその言葉が予想外だったのかぐっと詰まった。シカマルはその顔を見てほくそ笑む。これはこれで面白い。

「……悪戯されたいのか、お前は」
「痛くねー悪戯なら悪くねぇかなって」
「被虐嗜好か」
「あんた以外にはされたくねーよ」
「そういうのを世間ではそう呼ぶんだ」
「へー」

 でも弄られるよりは弄る方が好きだけどな。そう思いながらも、それを口には出さない。何故なら、今口に出したら彼女は自分がからかわれているということに気付いてしまうかもしれないからだ。
 面倒臭いから、無理矢理にでも自分の指導権を常にキープしようなんてことはしない。ただ肝心なところだけ、それまで主流だった相手のペースを利用して自分の方に引き込む。それが、シカマルの恋人との駆け引きにおける常套手段だった。

「つか仮装は?」
「そんなもんするか!」
「しねーの? ハロウィンと言ったら仮装だろー」
「いい年して仮装なんかして何が楽しい!?」
「オレが楽しい」

 テマリは額に手を当てて俯いた。おっと、照れたか? テマリはからかわれるのに慣れてないから、見ているこちらとしてはそういう時の反応がとても楽しい。勿論馬鹿にする意味ではなく、愛しいという意味合いで。
 テマリがおもむろに顔を上げた。

「お前に仮装の趣味があったとは……」

 って、そっちかよ!? どうやら勘違いをしているらしいので訂正を入れる。

「違ぇよ。オレが仮装なんてするかよ、めんどくせー。あんたの仮装を見るオレが楽しいって意味だ」
「何だ、そっちか」
「あたりめーだろ」
「私だって仮装なんてしないぞ。大体衣装がない」
「綺麗な着物着て胸元はだけさせて、赤い布団の上から招いてくれりゃーそれでいい」

 その瞬間、何かがシカマルの横を抜けた。間一髪で避けて振り向いてみれば、使用前の割り箸が障子に刺さっている。

「おい箸投げんなよ!? 障子破けたぞ!」
「元から穴が開いていた場所を狙ったから問題ない! それより……!」

 視線を前に戻すと、真っ赤になった彼女がこちらを睨み付けていた。

「そんな格好するわけないだろう!? それはただの遊女だ! コスプレだ!」
「仮装はコスプレと変わりねーだろ! じゃどんな格好すんだよ!?」
「それはっ……動物の着ぐるみとか」
「それこそいい年した女がする格好じゃねーだろ!?」
「うるさい! 我愛羅が着たそうにしてたんだ!」
「マジかよ!?」

 一瞬犬の着ぐるみを物欲しそうな目で、だがしかし無表情に見つめる我愛羅が脳裏に浮かんでしまった。意外と違和感がないから恐ろしい。そういうところが、砂隠れで「格好良くてクールででもどこか可愛い」と若い女達の間で人気になっている理由でもあるのかもしれない。

「でもまあ……我愛羅なら似合わないこともないかもな」
「そう思って、今カンクロウがこっそり我愛羅のために着ぐるみを制作中だ」
「作ってんのかよあいつ」
「カンクロウはうちで一番裁縫が上手い」

 確かにそうか。傀儡師だし。思わず納得してしまったが、想像してみると何とも言えない気持ちになる。
 夜な夜な弟のために可愛らしい犬の着ぐるみを縫うカンクロウ。苦労の末にでき上がった着ぐるみを、達成感に満ちた表情を浮かべてカンクロウはそっと差し出す。受け取った我愛羅が、心持ち顔を綻ばせる。さっそく着ぐるみに着替えに行く我愛羅。それを微笑ましげに見守るカンクロウとテマリ。犬の着ぐるみを着て、嬉しそうに微笑みながら鏡の前をうろうろする我愛羅。
 ……非常に心温まる風影一家の図である。であるが、同時に物凄く――普段の様子を知っているだけに、とても口では言い表せないほどシュールだ。
 我愛羅が木ノ葉隠れとの友好を深める行事として、仮装パーティーを提案しませんように。でもって火影様が乗りませんように。シカマルはこっそり天に祈りを捧げた。

「できあがったら写真を見せてやろう」
「……あんたら、初期と比べるとほんっとに仲良くなったよな」
「ん? 何だって?」
「いや、何でもない」

 シカマルは生暖かい笑みを浮かべたままグラスを煽った。テマリは不思議そうな顔で彼を見つめていたが、先程までの会話の流れを思い出したのかまた眉根を寄せた。

「とにかく、仮装はしないぞ」
「えー」
「えーじゃない。異国人が異文化に触れるのに完璧な形にこだわっていたら、異文化なんて世界に広まらないだろう。まずは触りだけでも倣ってみることが大事なんじゃないか」
「へいへいそうすか。さすが砂の使者様っすね」
「へいじゃない。返事は一回」
「はーい」

 テマリは眉を吊り上げたが、すぐに下ろして笑い出した。こうして見ると、この人も昔に比べて随分柔らかい表情ができるようになったな、とシカマルは感じる。いいことである。

「で、悪戯は?」
「……そんなにして欲しいのか」
「別にして欲しいわけじゃねーよ」

 彼女は難しそうな顔をして考え込み始めた。そこまで真剣にならなくてもいいのに。シカマルは笑いそうになるのを堪えて、いつものだるそうな顔を作る。
 やがてテマリは真面目な顔で、彼をじっと見据えた。

「目を瞑れ」

 そうきたか。はいはい仰せのままに、と内心ではそう呟きながらも、表面上は大人しく従う。何をするつもりなのだろう。期待と少しの高揚感を押さえながら待っていると、やがて衣擦れの音がして。
 ピン、と額を弾かれた。

「……ぶっ」
「わ、笑うな!」

 シカマルは堪えきれなくなって噴き出した。赤らんだテマリにすかさず頭を叩かれる。痛い。痛いがそれより。

「ちょっ……悪戯がデコピンって!」
「思いつかなかったんだよ、悪いか!」
「悪くねーよ、けどさ……ははっ」
「笑うな!」
「悪ぃ悪ぃ」

 謝るも、笑いは収まらない。顔ににやにやが出てしまっているのが自分でもよく分かる。テマリは頬を赤く染めたままこちらを睨んでいる。

「ったく……あんた可愛いな」
「可愛くない!」
「褒めてやったのに否定すんなよ」

 ふいっとそっぽを向かれてしまった。拗ねてしまったらしい。仕方ないから奥の手を出すとしよう。もっとふて腐れてしまうかもしれないが。

「ほらよ」
「……え?」

 シカマルが卓上に置いたものを見て、テマリの目が丸くなった。

「甘栗……?」
「やるよ。あんたにって思って持ってきたんだ」
「お前……菓子持ってたのか」
「別にハロウィンを意識してたつもりはねーけどな」

 家に置いてあったものをもらって持ってきただけだ。有名な所のだし、外れはないだろうと当たりをつけて。
 テマリは甘栗とシカマルとを交互に見てから、むっとしたように目を半眼にした。

「騙したな」
「騙してねーよ。菓子がないとは言ってねーだろ」
「口の上手いヤツだ」

 テマリはぶつぶつと文句を言いながらも甘栗の袋に手を伸ばした。どうやら甘栗で機嫌を直してくれそうだ。持ってきて良かった、とシカマルは胸をなで下ろす。
 彼女が鞄に甘栗を大事そうにしまうのを目で追いながら、彼は口を開いた。

「Trick or treat」
「……へ?」

 ぽかん、とテマリの口が開く。その丸くなった瞳が自分を追っていることを感じながら、シカマルは立ち上がってテマリの隣に移動した。己を映す翠玉を見つめ返して、もう一度繰り返す。

「Trick or treat」
「う、うん」
「大丈夫か? 意味分かってるか?」
「お菓子をくれなきゃ、悪戯するぞ……?」

 自分で意味を答えてからやっとその意味を飲み込んだらしく、はっとして逃れようとするが遅い。彼女が身を引くより早く、シカマルの手がその両肩を捕らえた。

「ちなみにオレがさっきあげた甘栗はナシな」
「あ、えーとじゃあ……あ!」

 次第に狭まる距離を腕でどうにかしようともがきながら、テマリが声を上げる。

「あ、飴玉ならあるぞ! 昼間アカデミーの子供達にあげた余りだけどっ……」
「いらね」

 シカマルは一言で切り捨て、彼女の腕をすり抜けてその背に腕を回した。

「それよりあんたが欲しい」

 完全に、目の前にいる人の形をした菓子は硬直した。
 普段からちょっとした言動や仕草で、自分の心を甘く溶かしてしまう人だ。この世のどんな名菓も、目の前の女には敵わない。
 菓子も悪戯もオレにとっちゃ同じもんだ。
 そんな言葉は、極上の菓子を味わううちに口の中で消えた。




20121027 執筆、支部投稿

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