【鳴】愛奴流桝汰亜☆シカマル②




 午後一時五十三分。
 スターの喧しい腹の虫を満足させ、首都高の渋滞を回避することにも成功した地味なバンは、予定の時刻七分前に目的地へと辿り着いた。木ノ葉ビルディングのあるオフィス街とは明らかに趣を異にする、一軒家が建ち並ぶここは、都内人なら誰でも憧れる高級住宅街である。
 その中でもひときわ広い庭を持つ平屋の家に入り込んだ。
「我愛羅!」
 玄関を開けて顔を現したのは、濃い赤毛に白皙の美男子である。硝子玉に似た碧の瞳が、駆け寄る親友の姿を映して細まる。
「ナルト、久しぶりだな」
「やっぱり生の我愛羅が一番カッケーってばよーっ」
 あの映画に出た我愛羅を見た、その舞台映像のこの角度が良かった、あっちの番組も見た、などととめどなくナルトは喋る。微笑んで相槌を打ってばかりの我愛羅を見かねてシカマルが口を挟もうとしたところで、玄関の戸が再度開いた。
「そんなところで立ち話なんてしてねえで、入ってきたらどうだ?」
 我愛羅より色味の渋い茶髪、四角張った顔立ち。兄のカンクロウである。
「もう茶も入れてあるぜ」
「悪ぃな」
「お邪魔するってばよ!」
 ナルトがすたこらと上がりこみ、我愛羅が続く。しんがりのシカマルが脱いだ靴を整えているうちに、客間の方からナルトと我愛羅、そして彼の姉であるテマリの会話がもう届きはじめる。
 過ぎ去りしジュニア時代ならば、考えられなかった状況だ。
「昔だったら考えられねえじゃん?」
 同じことを考えていたらしい。先を行こうとしたカンクロウが振り返り、同意を求めてきた。シカマルも薄く笑む。
「ああ」
 二人揃って当時を回顧する。
 五年前、ナルトがまだ『A-R.operation』のメンバーだった頃。そして歌舞伎座の若き影、我愛羅が今よりずっと「穏やかでなかった」頃。
「撮影現場が殺伐として仕方ねえってスタッフから苦情が出てた時期もあったが、今となっちゃあただの昔話だ」
「あの時の我愛羅は、期待を背負わされすぎていた。無理もねえ話じゃん」
 我愛羅たち「砂之一家」は古典芸能の名家である。そもそもは日本舞踊の家元であるのだが、歌舞伎、文楽といった諸芸にも優れた人材を輩出しているために、古典芸能界に砂の一族ありと称されてきた。
 しかし現代社会における古典文化への関心は、年々薄れゆくばかりだ。これまで通り劇場での活動を続けるだけでは、一族の先が危ぶまれる。そこで宣伝効果の高いテレビ業界や映画界といった方向にも進出できる、若く優れた人材の育成を試みた。その中でも出産前から最も緻密に育て上げられ、成功を収めた人間が我愛羅である。
「腹の中にいた時から長唄に義太夫にって聴かせて、無事五体を持って生まれた後はとにかく稽古付けだ。歌舞伎は勿論、普通の演劇もやらせた。歌もやらせた。教養を付けようと、古代から現代に至るまでに著名と言われる本は大体読ませた。それで、小さいガキが弾けねー方がおかしいじゃん」
「そうだな」
「お袋があいつを産んですぐに死んでなくて、親父も亡くなってなけりゃあ違ったんだろうに」
 カンクロウは談笑の聞こえてくる客間を見つめていた。その眼差しは伏せがちなまつ毛のせいでやや翳っていたが、ふと顔が上向いて瞳孔に光が射す。
「だが、ナルトのおかげで救われた。境遇の近いアイツが本気でぶつかって、本気で共感してくれたから……今の自分があるんだって、我愛羅が言ってたじゃん」
「…………」
「テマリも俺も、それから我愛羅も。アイツには、本当に感謝している」
「急に何だよ。そういうのは俺じゃなくて、本人に言ってやれ」
「言えねーからお前に言ってんじゃん。後で伝えといてくれよ」
「めんどくせーなあ」
 シカマルは頭を掻いた。カンクロウは歯を見せて笑う。
「今は、明るいこれからの話をしなくちゃなんねーじゃん? だから同じ裏方として、頼むじゃん」
「まだ明るくなるか分かんねえし、あんたまだ現役の人形遣いだろ」
「今回は、マネジメントじゃん」
 二人は客間に入っていく。出迎えたのはテマリ一人だった。一人茶受けから菓子を摘む彼女に、拍子抜けしたカンクロウが尋ねる。
「あれ、我愛羅たちは?」
「早速舞台で確認したい動きがあるとか言って、今出て行ったばかりだ」
「ったく、先に話すことがあるのに……しょうがねぇ。見てくるじゃん」
「よろしく」
 カンクロウは、客間を通り抜けて廊下へと出ていく。テマリは小気味良い音を立てて煎餅を齧りながら、片手で新しい湯飲みに茶を注ぐ。
「まあ、座って飲め。それがナルトの湯飲みだから、その隣でいいだろ」
「あんたな……へいへい」
 シカマルはこれまた片手で押しやられた中身の入った湯飲みを持って、彼女の向かいに座った。
啜ってみれば、まあ美味い。ぞんざいに入れていたが、きっと入れ慣れているのだろう。
 思い返してみれば、この家で振舞われる茶はいつも美味かった。入れ手はその時によって彼女やカンクロウであったり、ごく稀に我愛羅であったりと違ったが、濃すぎず薄すぎず、深みのある渋みを仄かな甘さが引き立てる程良い加減に変わりはなかったと記憶している。
 古典文化を継承し追究する、厳格な家柄だ。男であれ女であれ、己の生活の手段とする技以外のものも、一様によく躾けられてきたのだろう。
 シカマルは、ふくよかな唇が欠片一つこぼさずに煎餅を食む様を眺める。女の唇だ。煎餅の欠片を付けるような真似はせず、ささくれ一つなくつややかだが、濃い紅色を差さない唇。
「今回の件だがな」
 見ていたそれが動く。言葉遣いはやはり男のそれに近い。カンクロウはこれでも家にいる時は「姉さん」の口ぶりになるんだと言うが、シカマルはまだ聞いたことがない。
「お色直しを二度やるのはどうだろう? ナルトも我愛羅も、ファンは若い女揃いだ。大枚叩いてでも見たがるはずだ」
「良い案だな」
 早速仕事の話が来た。これだからこの女とは話しやすい。シカマルはすぐに返す。
「古典通りの着方が一度、現代風の着崩しが一度、最後は舞台内容に合わせて、ってところか」
「そうだ。それならば、伝統に煩い連中も程々に納得するだろ」
「色やデザインはどうする? 女のファンは色違いにして揃えたものが好きだから、それでどうだ?」
「ああ、一度はそれでいこう。だが、せっかくの着物だ。同じテーマで共通点を持たせながら、それぞれらしい独自の着こなしをするのもなかなか映えるぞ?」
「なるほどな」
 シカマルは顎に手を当てる。やはり女の意見を聞けると仕事の進みが速い。
「そういう趣旨でいいかナルトたちに確認取って、早いとこプロに依頼しちまった方がいいな。ツテはあるか?」
「ああ。一人いいデザイナーを知っているから依頼してみよう。仕立てはいつもうちが贔屓にしてるところでどうだ? 融通が利くぞ」
「デザイナーの方、紹介してくれ。これまでの仕事内容が聞きたい」
 テマリはすぐに資料を広げ、写真を示して説明する。シカマルも真剣に聞き入る。
 シカマルたちは今、現代劇と歌舞伎のコラボレーションを主題とした舞台を企画している。主役になるのは勿論、実力派アイドルと名高いうずまきナルトと、歌舞伎界の貴公子こと砂之我愛羅だ。
 二人のことを詳しく知らぬ人間はこの企画をただのタイアップだと評しているそうだが、詳しい人間は非常に楽しみにしている。何故なら、ナルトと我愛羅の関係はそれだけのものではないと知っているからである。
 二人の関係の始まりは、まだ『A-R.operation』が解散する前にまで遡る。「厨二N試験」の特番企画時に砂之三兄弟がゲストとして参加し、過去に類を見ない真剣勝負を繰り広げた。それでもテマリとカンクロウはまだ互いに落とし所のある結果として終わったのだが、そうはいかなかったのが我愛羅である。
 その頃の我愛羅は幼くして家と業界を負う、孤独な役者だった。家の大人からは芸の道を邁進することを強制され、それ以外の業界人からは遠巻きにされる。ストレスによる不眠で顔色の悪いのを、鬼気迫る演技を、化け物のようだと称される。
 どこに行っても四面楚歌。誰も受け入れてもらえぬ彼が他者を受け入れられるわけもなく、おそるおそる差し伸べられた兄弟の手さえ跳ね除けるような子に育っていた。
 それが終始和やかで呑気な木ノ葉芸能の子供たちに出会って、ささくれだった気持ちを逆撫でされたのだ。途中まではカメラを意識して抑えていたものの、何もかもが正反対、明るく開けっぴろげなうずまきナルトとの対決で遂に爆発した。
 勝負内容は「叩いて被ってじゃんけんぽん」。普通にやれば笑いで終わるような内容である。しかし二人は途中からカメラを無視して、諸々剥き出しな言葉の応酬を始めた。互いの芸風、目標意識、そして生い立ちのことにまで及んだ罵り合いは、やがて殴り合いへと変化した。
 番組スタッフも出演者もこぞって止めに入ろうとした。しかしちょうど収録を見に来ていた木ノ葉芸能社長・猿飛ヒルゼンが止めさせず、皆が息を飲んで見守る中、ナルトと我愛羅は痣をつけ鼻血を流しながらも、最後に和解した。両親が無く周囲からも白眼視される、我愛羅の生い立ちを聞いたナルトが、涙した。己と同じだと告白した。それが決定打だった。
 さすがにこの時の映像はお蔵入りとなり、後日改めて収録を行うことになった。しかし三年後に共演した映画のインタビューにて我愛羅がその時の件に触れ、ナルトとは以来親友だと明かしたことから、業界人だけでなく彼らのファンも知るエピソードとなった。作り物ではない彼らの人となりと友情を示すこの話は、ファンの口からさらに彼らを知らぬ人に伝えられ、彼ら二人のファンがぐんと増えた。
 だからその共演を利益抜きにして期待している人間が、業界にも世間にもわんさかといるのである。
「赤字の古典芸能が顧客増加のためにアイドルを引っ張ってきたと言われようが、事務所の売名だと言われようが、そんな野次も出なくなっちまうくれぇのものを見せてやれば良い。ナルトにも我愛羅にも、一時凌ぎじゃねえ実力と関係性がある。俺たちはその見せ方をよく練って、楽しませてやりゃあいい」
 衣装の件から脚本と舞台演出の大筋確認、PR方法と話が転がったところで、シカマルが言う。テマリは首肯する。
「そうだ。そのためには、ナルトに歌舞伎の動きを教えてやらんとな」
「我愛羅に教えさせるのは避けた方がいい。アイツも演じるんだから、それだと荷が重くなる」
「分かっている。私が引き受けよう」
 テマリは古典舞踊の師匠だ。最近は後進の教育と我愛羅のサポートのために自ら舞台に立つことは少ないが、我愛羅同様テレビメディアへの進出を責務として課せられてきたので、知名度はそれなりに高い。
「助かるぜ。アイツ、飲み込むのは遅いからな」
「男舞だから多少異なるところもあるが、そもそも舞踊も歌舞伎もルーツは同じだ。基礎基本ならば教えられるだろう」
 徹底的に仕込んでやると不敵な笑みを浮かべるテマリに、シカマルの口元はつい強張る。扇を手に舞うテマリはどこからどう見ても女らしいが、その心意気と指導法は猛々しい武将のようなのだ。
「……顔に傷だけはつけるなよ?」
「ふふふ」
「おい」
 婉然と笑う顔が空恐ろしい。
「お前もやるか? 砂之家の舞踊指導は、木ノ葉の生ぬるいアイドル育成とはわけが違うぞ」
「まあ、そうだろうな。アンタを見てりゃあ分かる」
 シカマルは彼女を眺めて、言った。
「アンタはそのままアイドルできるだけのものを持ってるからな。それもその、指導ってヤツのおかげなんだろ」
 テマリの笑みが固まった。だが本当に僅かな硬直であったために、シカマルは気付かず言葉を続ける。
「多少お転婆な気はあるが姿勢はいい、身の振りも基本ができてる。最近の女アイドルの中にゃあ、正面からカメラで撮るってのにミニスカートで足開くような奴もいるからな。いちいち注意してやらねえとで、面倒くせえんだ。しかしアンタの場合、身に付いた仕草がそうもきちんとしてれば問題ねえだろ」
 シカマルが指させば、テマリは弾かれたようにピッと背筋を伸ばし膝に手を置いた。
「あんた、ボイストレーニングもしたんだろ?」
「あ、ああ」
「声の通りがいい。張りのあって綺麗な良い声だ。歌も上手いから、ソロでいけるかもしれねえなって思ってたんだよ」
 テマリの頬がさっと色付く。だがシカマルは見ておらず、目線を床に落として考え込んでいる。
「だが、アンタの性格的にアイドルはどうなんだろうな……」
「ア?」
「ちっ、違ぇよ。そうじゃなくて」
 そこで目を上げたシカマルは、テマリの顔の赤さに慌てて首を振った。
「アイドルなんて、てめえの面の良さを鼻にかけたクソめんどくせー女ばっかりだからな。おまけに本ッ当に気の強ぇくせにそれを隠す猫被りが多いと来てやがる。だからアンタはどちらかと言うと、歌手の方が向いてそうだ。あの系統の路線だと思う」
「あの、って」
「中口モモナみたいな」
「誰だそれは」
「知らねえのかよ」
 引く問い返されたシカマルは顔を顰めた。
 シカマルとてアイドルのマネージャーをやっているが、そもそもアイドルに取り立てて関心があるわけではない。一応マネージャーとして働いていくために、これまでにとられてきたアイドルやタレントの商業戦略については調べたが、女の、しかも歌手の知識については人並みである。
「有名だろ。『一冬の経験』『西ウィング』」
「曲は知ってる。どんな見た目なんだ?」
 テマリは彼以上に、そういった業界に関心がなかったらしい。シカマルは溜息を吐く。
「しょうがねえなあ」
 タブレットを操って適当に画像検索し、出てきた一覧をテマリへ差し出す。彼女は適当にタップして画像を流し見ていく。
「ふーん。随分古いんだな」
「あの時代にしちゃあ珍しく、歌唱力はあったぞ。だから今でも若いファンがいるし、持ち歌はカラオケの鉄板曲だ」
「ほう、そうなのか。今度少し、まともに聞いて──」
 タップする指が止まった。翠の瞳も、液晶画面に据えられたまま微動だしなくなる。そこには当時風のふわりとした黒髪をなびかせる美少女が映っていたのだが、彼女が見ていたのはそこではなかった。
 余談だが、そのアイドルが活躍した当時のPR法として、デビューしたてのアイドルにキャッチフレーズをつけるというのがあった。それを通じて新人たちを消費者に覚えてもらおうという目論見でつけたものだから、当然キャッチコピーはインパクトのあるものになる。
「こっこここのっ、こ、んなっ」
「は? 何て言──」
 シカマルの言葉の続きは、声にならなかった。IQ200の額に、投げつけられたタブレットが刺さる。そのままソファーの背もたれを越え、後ろ向きに倒れていくシカマル。タブレットが床を転がり、画面を上にして止まった。
 そこには、微笑む美少女の隣に「ちょっとえっちな新美娘」の字が踊っていた。
「誰がッ、破廉恥かッ!」
 顔を真っ赤に染めて叫ぶテマリ。しかしシカマルは、突如頭部を襲った激痛に悶えていて聞いていない。
 叫ぶ女、無言の男。見つめる影が、部屋の外に一つ。
「何でそうなるじゃん……」
 訝しがるナルトと我愛羅にもう少し舞台で練習をしていていいからとまで声を掛けて見守っていたカンクロウは、呆れた声を漏らすしかなかった。





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シカマルマネ(無自覚に煽っていくタイプ)