【刀】末世パロ⑦

◆駄菓子屋本舗粟田口

 同田貫正国には、己が迷子であるという自覚があった。どこをどういったものか、ならず者等を一人残さず追うことに拘りすぎたせいで、いつの間にか周囲の景色は雑然としたオフィス街から寂しげな下町へと変わっていた。
 ここはどこだ。同田貫は首都で暮らし始めてそれなりに長いが、この景色にはあまり覚えがない。
 そもそも東京は生き物のように変化し続ける都市であった。かつては莫大な数の住人を糧にして様々に衣替えするが如くその姿を変えていたが、近年は事情が変わってきた。
 切っ掛けは科学技術を駆使した世界戦争だった。戦禍は国の社会構造を、倫理観を、人々の暮らしぶりを手酷く捻じ曲げた。首都にも深く刻まれた傷痕は、終戦から三十年経った今も全く癒えない。何故ならば国家の財が尽きたからだ。資本主義に依存しきった社会が、財源無しに立ち直れるわけがない。元々資源のないこの国が巻き返せるわけもなく、貧困から倒産に失業が相次いで失踪者が急増する。そうなれば都心には、彼らが残して行った空っぽのビルや無人の家屋が、まるで行き場を失った幽鬼の群れさながらに立ち尽くすことになったのだった。
 だから今の東京の景観は「変化し続ける都市」であることに変わりはないものの、かつてとはその形態が異なる。言うなれば、生ける屍の都市になったのだ。失踪者が減らず廃屋の増える一方で、どうにかこの鉄骨地獄で生き延びようという人間が入って来ては落ちぶれ、露頭や廃屋を根城と定めては人間として生活するために畜生の所業を繰り返す。ごく一部の可もなく不可もない市民は、安全第一芋虫よろしく身を縮めて暮らしている。だから発展的な変化などし続けるはずもない。
 そうした暗澹たる都市の現状をつらつらと述べあげて、何が言いたいのか。つまるところ、急激に変化し衰えていく東京の景観を、同田貫はいちいち覚えていられないということだ。東京は狭いとよく言われるが、それでもちっぽけな人間には広い。生活圏外の場所など覚えていられるわけがない。
 御手杵に訊ねるにもどこかに行ってしまった。更に同田貫は通信機を忘れていた。もはや相棒と合流するのは、今彼らが根城代わりにしている蜻蛉切の家にでも戻らない限り不可能だろう。そもそも蜻蛉切の家がどちらにあるかもわからない、という問題もあるのだが。
(まあ、駅でも見つけりゃどうにかなるだろ)
 幸いなことに、同田貫は生きて戦が出来ればいいタイプの刀剣男士だった。だから迷子になったという自覚こそあったがさして困りもせず、とりあえずあてずっぽうに歩いて帰ることを決めた。
「しっかし、シケた町だな」
 同田貫はぶらぶらと歩きながら独り言ちる。茶色い木の肌をした家々が行儀よく隣り合う街並みは、強いて言うなら寺町に似ている気がする。道幅も狭いがオフィス街の路地裏とは違い、どこか懐かしい情緒がある。それだからこそ、所々の軒先に吊るされた提灯の破れ目や曲がった表札が哀しい。
 もう深夜にも近い時刻であるせいか人影は全くない。かろうじて人が住んでいるらしい家屋の灯りも消え、冷たい月あかりの下、動く者は自分以外にいなかった。
 いないと思っていた。
「同田貫」
「うおッ!?」
 突如脇から第三者の声がして、同田貫は反射的に刀を抜きながらバックステップを踏みつつそちらに向き直った。だが狭い軒脇で蠢いた人影が月光のもと輪郭を露わにするなり、同田貫の肩から力が抜けて目が丸くなった。
 そこにいたのは白髪に赤い隈取、顔の下半分を黒いマスクで覆う青年だった。
「鳴狐じゃねえか!」
「ややっ! これはこれはお懐かしゅうございますねぇ同田貫どの!」
 鳴狐の肩の後ろから、ひょこりと小さな顔が現れる。御供の狐だ。狐は小さな口を開閉させて甲高い声で喋った。同田貫は眉を跳ね上げる。
「お前、現世でも喋れるのかよ」
「左様でござりまする! 鳴狐とわたくしめは一心同体。鳴狐が刀剣男士であり続ける限り、わたくしめもまた共にあるのでございます!」
 よく喋る。同田貫が面白半分呆れ半分でその口がぱくぱく動くのを見つめていると、鳴狐にすっと手を引かれた。
「寄って行こう」
「おい、ちょっと待てよ」
 鳴狐は同田貫の制止も聞かず、狭い軒の間を潜り抜けていく。寄って行こうって何だ、寄るって何だ、俺はまだ返事してねえぞ――抗議していた同田貫は、細道を抜けて急に視界が開けるなり、言葉を忘れた。
 急に、時空を超えたのかと思われるような懐かしい景色が広がっていた。退廃的な世紀末の街並みが失せ、小さな庭とこじんまりとした木造家屋が現れた。これまで見た下町のものにそっくりの古風な佇まいだが、手の入りようが違う。庭には雑草一つなく、柿の木が一本と同田貫の知らない花が花壇やプランターに植えられている。玄関の引き戸は昭和に流行った木の枠に曇り硝子の使用で、綺麗に拭き上げられている。屋根瓦も苔生していなければ、玄関先に下げられた剥き出しの丸い電球も煌々と夜の闇を丸く切り抜いて塵一つない石の玄関先を照らしていて、一見して、暮らしそのものに時間を割いていた昔の暮らしぶりをしている家であることが察せられた。
 玄関の上、正面に大きく看板が掲げられている。日に晒された跡こそあるが雨風の汚れはあまりないそれには、「駄菓子屋本舗粟田口」とある。
 手を引かれるままに、同田貫は玄関を潜った。ガララとレールを走る振動に、板硝子が木枠に擦れる音。その先にはまた、時代錯誤な風景が現れた。
 現代ならあまり考えられない柱の多い店先には、所狭しと菓子が並べられていた。それもただの菓子ではない、所謂駄菓子である。棚に並んだ小さなカラーバスケットいっぱいに、近ごろとんと見かけなくなったものが溢れている。十円チョコにきなこ棒、麩菓子にラムネ、小さなお札チョコもあれば大きく膨らんだカルメまである。店の隅の冷蔵ケースには、あの薄緑にビー玉を浮かべたサイダーの瓶や粉ジュースが。柱には赤や黄の網に入れられたビー玉やおはじきがじゃらじゃらと、天井には翼竜の玩具や紙風船が吊るされている。
「只今戻りましたぞ!」
「おかえりぃ~」
 お供が甲高い声を張り上げると、一段高くなった畳の向こうから軽い足跡が複数聞こえてきた。すぐに暖簾の下に細い脚が三組現れ、暖簾から童の顔が三つ覗く。
 同田貫は彼らの顔を見て、予想は出来ていたがこれまた懐かしいのが来たなと思う。やって来たのは粟田口短刀、厚と乱と秋田の藤四郎三振だった。
 三振はそれぞれ鳴狐らに何か声をかけようとしたようだったが、その後ろの同田貫を見てぽかんと口を開いた。驚愕一色に染まっている彼らを眺め、同田貫は内心首を傾げる。そんなに自分がいるのは珍しいだろうか。
「……同田貫?」
「同田貫さん! 同田貫さんだ!」
「いちにぃー! キツネがタヌキ拾って来たー!」
「待て誰が狸だ! おい!」
 厚が疑わしげな声を上げたのを皮切りに、秋田が叫び始めた。次いで乱が短いスカートを翻して兄を呼ばいながら奥へ戻って行く。声を荒げかけた同田貫は、しかし明らかに童等より重い足音が足早に迫ってきて、しかもその主が思いの外早く暖簾を潜って破顔したので、毒気を抜かれてしまった。
「同田貫殿!」
 まるっきり本丸にいた頃と変わらぬ内番着で現れた粟田口の長兄は、懐かしいですなと嬉しそうにはにかんだ。




「厳しい時代になりました」
 一期一振の溜め息が、手にした湯飲みの茶を揺らす。
 迷子になったと伝えたところ、彼はでは一晩泊まっていかれると良いでしょう、なに連絡ならば我が家の電話をお使い下さいと快く申し出てくれた。それを受け入れて早速蜻蛉切の家に電話したが留守だった。また明日かけ直せばいいだろうと受話器を置き、座敷へと上げられて茶を振る舞われ今に至る。
 茶の間に一期一振と二人きり、差し向かいで菓子と茶を嗜む。鳴狐は短刀達の寝るのに付き添うため、姿を見せなかった。
「私と鶴丸殿、鶯丸殿、江雪殿は、縁ありまして今世で刀剣男士として目覚めたばかりの頃、近隣におりました。私達は色々なことを話し合いました。何故我等付喪神が審神者のもとに顕現されていないのか。何故この人の体だったはずのものは、我等が覚醒した途端かつてのような強靭さを取り戻したのか。そして何故、生まれ変わるにしてもまた付喪神としての自我と神格を持ったまま顕現されたのか……」
 淡い色の髪が、左右に揺れた。
「分かるはずがありませんでした。それでも我等は、審神者無しに人間を基として我等が顕現されたことを考えると、どうにもこれは天の意なのではないかという推量をするに至りました」
「江雪殿は、今度こそ乱世を鎮めよということではと言いました。鶯丸殿は、これまでとは様子の異なる敵が現れたからではと言いました。鶴丸殿は、人から我等が切り離されたということは何か人をも敵に回さねばならぬ事態が起きるのではないかと言いました」
「どうして現世にこのような形で在るのかを確かめるため、私達は生活の方便を成り立たせながら情報を集めることにしました。江雪殿は和睦を追求するため信仰の道へ、鶯丸殿は知識と知恵を求めて学術研究の道へ、鶴丸殿は人の動きが気になるからと社会の裏道へ入りました。たまに連絡を取り合っていますが、未だに答えは出ていません。耳に入るのは、人の世の如何に荒れ果てたかということだけです」
 同田貫は一期一振が話す間、その顔を見つめていた。よく喋る割に、ずっと俯いたままだった。
「同田貫殿は、この状況をどう考えているんですか?」
「俺は何も考えちゃいねえ。少しでも長く、武器として生きようとしてるだけだ」
「勇ましいですな。羨ましい」
 垂れていた首を上げて控えめに微笑む太刀の、色素の薄い瞳が笑みを形取っている。同田貫は細まったそれから視線を逃さずに問うた。
「あんたはどうなんだ?」
「私ですか?」
「あんた、まだ自分の考えは一つも言ってねえだろ。何で自分がここにいるか、その様子なら考えたことがねえわけじゃねえんだろ?」
 一期の瞳孔が左右に揺れた。唇を開いて、何か言いかけてやめて閉じ、しかしまた開く。それを何度か繰り返していたが、やがて彼は意を決したように居住まいを正して言った。
「私は……罰当たりを承知で言いますならば、今度こそ我等が自らの心のままに戦うためではないかと思いました」
 決然とした表情をただ黙って眺め、同田貫は続きを促す。
「私はかつて歴史を守るための戦いに身を投じていた頃から、思っていたのです。正当な歴史を守るという建前はまだ良しとしましょう。ですが、誤った歴史の必須条件というわけでもないのに散ることを余儀無くされる命に納得が出来なかった。だから私は、この現世で散ることを余儀無くされる命のない歴史を作れと、そういう命を帯びて我等は顕現されたのではと考えています」
「その『散ることを余儀無くされる命』ってのは、あんたの弟達のことか」
 膝の上で握り締めた手に浮く筋が、僅かに跳ねた。それを見逃さず同田貫は言う。
「別に俺ァ軽蔑はしねえよ。俺は刀ってのは武器なんだから強くありゃあいいとは思ってるが、戦や人斬りを好めとは他人に言わねえ」
 それからにやりと笑って続けた。
「それとも何だ、俺にぶった切って欲しかったか? 『散ることを余儀無くされる命に市井の人間や時間遡行軍は入らねえのか、薄情者』って?」
「……これは失礼しました。見透かされていましたか」
 一期は苦々しいものを滲ませて、微笑んだ。
「同田貫殿の言う通りです。自由になる身体を得て、私は自分本位などうしようもない付喪神になってしまいました。私は弟達を再び失うことが恐ろしい。その反面立派に経験を積んで一人でやっていけるだろう彼等を、己の管理下から外すことを恐れる自分を情けなくも思うのです」
 今度はもう、顔が俯向くことはなかった。一期一振は首を左右に振る。
「他の皆さんはもっとこの件を本来の、もっと大きな次元で考えているのに。私と来たらまず第一に考えるのは身辺のこと。『過去を守るだけでなく、この現世をより良く作る』などと大義名分を申しても、私の中にあるのは弟達のこと、私の親しい人のことばかりなのです」
「だから葛藤して、俺にぶった切って欲しくなったわけだ」
「申し訳ない」
「構わねえ。だが、意外だったな」
 あんたはそういうこと、思ってても黙ってるのかと思ってた。
 同田貫は正直に言う。一期一振自身もまた、私もかつてならこのようなことは言わなかったでしょうなと同意する。
「私は現世に生まれ、つくづく思ったのです。他者に命を捧げる絶対服従の忠誠とは、なんと楽な行為であったのかと」
 あの頃は全ての行動の動機を審神者に原因付けられていたから。一期はかつてを振り返る。
「刀剣男士と名乗ってはいても、私は貴方のような確固たる自分の信念がなかった」
「俺達は刀なんだから、戦うために使われてなんぼだろ」
「そうなのです。私達は刀です。だからこそ……何故心など宿してしまったのかと疑問に思う」
 一期一振は、羽織るパーカーの胸元を掴んだ。ヒビ割れたような皺が寄る。同田貫の眉間にも皺が寄る。
「戦は心がなきゃ出来ねえよ」
「意外なことを言いますね」
「ああ? そうかァ?」
 同田貫は乱雑に頭を掻く。こういった問答は苦手だ。
「戦ってもんは頭使うだろうが。あんたみたいにそもそも何で今目の前にいる奴と戦うのかってところから考える奴は多いし、俺みたいな野郎でも敵の太刀筋くらいは読む。そうすりゃあ質はどうでも頭を使ったことになる」
 一期一振は真摯に聞いている。同田貫は唸りながら言葉を絞り出す。
「アー、あんたが何を悩んでるのか俺ァ分かんねえけどよ。目の前にあるもんに接しようとして、初めて俺達はてめえに心があることを自覚するだろ? だから、あんたの戦の動機が弟だろうがなんだろうがいいんじゃねえの? 寧ろ会ったこともねえ奴のために軽く命かけられるような野郎の方が、俺は信じらんねえな」
 一期一振はしばし何やら考え込んでいるようだった。
「私は貴方を見くびっていたようです」
「アア?」
「貴方の質実剛健は、確かなものであったと」
「そーかい」
 同田貫は煎餅の袋を開け、一枚を噛み砕いた。
「戦は強けりゃいいんだ。あんたは強い。それでいいだろ」
「ははは、光栄ですな」
 一期一振は笑った。ここに来て初めての軽やかな笑みだ。
「私は近頃、全く本体を使っていないのですが」
「俺みたいな実戦刀は合戦場で如何に人を斬るかしか考えねえが、戦は刀を使って人を斬るのが全てじゃねえ。目に見えねえもんを切る野郎もいる。霊を斬る奴とか、あと相手の気に食わねえ信念を切るって奴もいるだろ。刀を抜かねえで斬る奴もいる」
 あんたも刀は使わねえでも戦ってるだろ、と同田貫は煎餅を咀嚼しつつ言う。
「だからな。結局俺達はてめえの手に血が付いてても付いてなくても、何かしら殺めてるもんなんだぜ。他人にしろてめえにしろ、同じようにな」
 柱時計の針が、何時の間にか子の刻を刺そうとしている。一期と同田貫は就寝支度をする前に、風呂に入ることにした。
 風呂場に案内して貰いながら、灯りの落ちた駄菓子屋の店先前を通る。暗い中、玄関の曇り硝子差し込む月明かりにぼうと浮かび上がる駄菓子達は、まるで発掘されるのを待っている宝の山のようだった。
「この御時世でも、菓子屋で食って行けるもんなんだな」
「貧しさを知る人々にこそ、このような店は長く愛して貰えるのでしょう」
 暖簾を分けて店内を眺める同田貫に、一期一振は言う。
「安価な菓子で少しでも安らぎを得られるならばと商売を始めたのですが、これが意外にも客足が切れません。最近では鳴狐殿に遠くまで菓子の調達や発掘をお願いできるほどの余裕も出来ました」
「ほー」
 同田貫は改めて店内を見渡す。棒つきキャンディ、ココアシガレット、ドロップの缶、スーパーボール、昆虫採取キット、バターケーキ。色とりどりの駄菓子に玩具の山。
「よく分かんねえが、この店はあんたらしいと思うぜ」
「同田貫殿には敵いませんな」
 一期一振は笑った。



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定期的に頭の中でαsαk!の某曲の「赤い赤い!体が赤いよ!」って言ってるっぽい声が叫んでるんだけど、あれそもそも歌詞が分からないから本当にそう言ってるのかも分からないけど赤い、赤い赤い赤いよ!体が赤いよ!