【刀】末世パロ⑥

◆鶴の恩返し
 
「さーけーはーのーめーのーめー」
 乱痴気騒ぎをBGMに、黒田節を歌いながら悠々と夜のネオン街を背にする大男が一人。言うまでもなく日本号である。
 彼は今まさにネオン街を抜けてきたところだったが、何もこの時間まで遊び呆けていたわけではない。残業をしていたのだ。日中、不注意で長谷部の仕上げた書類にほうじ茶を零したのが原因である。だが彼の機嫌は、決して悪くはなかった。
 月夜の闇に微睡むビルの合間を、子守唄にしては男臭い黒田節がたゆたう。日本号は何も、歌と名のつくものをこれしか知らないわけではない。ただ酒を飲むとなった時口を突いて出るのが、決まってこの歌なのである。
 早く浮わついたアルコールの香りを嗅ぎたい。日本号は下水と廃ガスの入り混じった路地裏の匂いから気を逸らそうとして、ふと気付いた。
 微かだが、嗅ぎ慣れた臭気がする。
 視界の端を闇より黒い漆黒が過ぎった気がして、日本号は咄嗟にその場から飛び退いた。彼の足があった地面に留紺の光を纏う何かが叩きつけられ、更にそれを不気味な縹色に輝く刃が貫いた。
「はっはァッ!」
 すぐさま距離を取りその掌中に本体を呼び起こした日本号は、眼前にゆらりと立ち塞がった巨大な影を見て笑った。つい、普段はあまりしない獰猛に歯を剥き出した笑み方をしてしまう。
 だって仕方ないだろう。
「時間遡行軍なんざ暫く見ねえと思っていたが」
 その声に応えるように、天から留紺の雪が降ってきた。かつて時を駆けていたのだろうその雪は、命の名残を煌めかせながら塵と化す。
「よりによって、久方ぶりの戦の相手が検非違使か!」
 バラバラと降り注ぐ塵を作った張本人だろう時の役人は、手にした大太刀で煩そうに塵を振り払う。此方を凝視する縹の瞳孔を睥睨し、日本号は挑発した。
「いいぜ、かかって来いよ。天下三名槍を恐れねえならな!」
 その台詞を解したのか。検非違使は正面から打ち込んできた。
 上段に振り上げられた大太刀、その軌道、左右に迫る壁、余白。紫紺の双眸は瞬時にそれらを見て取ると、身を屈め前方へと飛び込む。
 唸り声をあげて空を薙いだ刃が男のこめかみを削ぐ。鮮血が散る。だが日本号は止まらず、下から穂先を払い上げた。鋭い薄刃は硬き鎧を裂き腱を断ち、過たず深く刻まれた傷に耐えなかった太い片足が折れる。日本号は勝気に口の片端を歪ませ、降り抜いた刃の切っ先で地に突き、本体をバネにして宙へと舞い上がった。
 巨大な図体と巨大な得物の叩き出す破壊力は恐ろしい。だがこうした敵の放つ高威力の攻撃は、大概にして振りが遅い。ましてやこの狭い路地で、敵として機動に優れる日本号を選んでしまっては、自ら己の首を締めてもらいに来たも同然だった。
 ごとり、と湿った音を立てて首がアスファルトを転がる。噎せ返る程に濃厚な血の香り。瞬く間に敵の頭上を取り命を狩った日本号の刃は、斃れる死体の頚から流れるのと同じ黒い雫を滴らせた。穂先の吸った生血が、それを見下す双眸を鮮烈な赤に染め上げていく。
「足りねえ」
 零した声は息一つ切れていないのに、ひどくがさついていた。
 基本的に、時を駆ける者は隊を組む。刀剣男士も時間遡行軍も検非違使もそこは変わらない。
 となれば。不意に視界に影が差す。そのこめかみを伝う血と同じ色をした瞳が天を仰ぎ、高層建築の四角い頭から飛び降りる異形の影を三種、映した。
 日本号は先へ駆けだした。落ちてきたものを一度に処理するには、この場所は少々狭い。さして高くはないが、折角の一張羅を布屑に変えたくない。そんな時は三十六計逃げるに如かず。幸い日本号は目的地によく足を運んでいるために、この辺りの地理には通じていた。
 二股四つ角三叉路五叉路。歪曲して複雑に絡み合う道を正確に、記憶にある通りに辿る。走り続ければ、自然と練度や機動の差で追手同士の距離が離れる。それを利用して曲がり角を過ぎる度に待ち伏せ、一体ずつ敵を仕留めた。
 最後の五叉路で殿の槍使いを屠る。一息ついて辺りを見回せば、目的地はすぐそこだ。細い路地を二三抜けた先に、ビルの狭間に紛れ込んだ一軒のバーが見えた。どうやら無事たどり着けそうだ。
(だが何故、いきなりこいつらが出てきたんだ?)
 日本号は足下に伏す異形の役人を眺めて思案する。
 最近は時間遡行なんて全くしていない。時間遡行軍に会ったのも何年ぶりだろうというくらいである。現代にも時折遡行軍が現れるとは聞いたことがあったが、日本号自身は刀剣男士としての自覚を得てから全く会ったことがなかった。
「ま、酒の席のネタにするか」
 日本号は独り言ち本体を担ぐと、点滅する蜂蜜のネオン眩い看板目指して歩み寄る。店に近づくにつれ暗闇が遠ざかり、その軒先を目と鼻の先にして淡い安堵を覚えた時だった。
 やけに冷たい風が、ひやりと頬を撫でてきた。そちらを一瞥した日本号は、己のまさに目と鼻の先を刃が過っていったのに気付いた。
(え?)
 視線だけで刃の先を窺う。何度も目にしてきた検非違使の長が、そこに佇んでいた。
 気配なんて微塵も感じなかった。耄碌したか、いやそんなことを言っている場合ではない。日本号は身を引きながら本体を翳して凶刃を遮る。甲高い金属音が耳に痛いが、同じくこの音を聴けば黙っていられないはずの店内から誰かが出てくる様子は無い。
「おいおい。正三位様に無体を働くたァ、いい度胸じゃねーか」
 毒づきつつ、さり気なく店から敵を遠ざける。刺突を躱しに躱して敵の動きの癖を読み、見切った瞬間に得物を突き出した。僅かに捻りを加えた日本号の一撃は同時に繰り出されて来た敵刃の威力を相殺し打ち負かして、喉元を突き持ち主ごと跳ね飛ばす。そのまま追撃しようとした日本号は、背中に熱い衝撃を受けてよろめいた。
「くっ、そがッ!」
 振り向いた先を睨んだ赤い双眸は、予想していなかった光景に見開かれる。
 彼のすぐ背後には薙刀の役人が一体。その後に、検非違使の小隊が丸々一個控えていたのだ。
(何だ、何だこれは)
 いくら己の偵察値が低いとはいえ、これは奇妙だ。何故気配もなくこんなにも検非違使が現れる? そして何故、バーの中にいるだろう刀剣男士共は、こいつらの気配に気付いて出て来ないんだ。
 悩んでいる暇はない。低空を薙ぐ薙刀を飛び上がり躱して突き殺し、新たにやって来た太刀を下げる役人が刀を鞘走らせる前に殺し、反対側から突撃してきた鎧武者を石突で殴る。
 押しては寄せる波の如き敵陣をさばくのに、日本号は必死になった。こうなっては衣装の傷など構ってはいられず、本体を振り回して奮闘する。
 しかし、やはりおかしい。
(何で敵の数が減らねえ?)
 日本号は既に四体を殺した。だが戦いながら己の周囲にいる敵を数えてみるに、減っていないのだ。六体の検非違使に包囲されている。
 足元には確かに自分が屠った身体が四体ある。となると、やはり増えているのだ。
「キリがねえなッ」
 必ず何か原因があるはず。日本号は目を凝らそうとしたが、入り込んだ汗と血が視界を遮る。目を拭った腕に、新しい傷口が刻まれる鋭い痛みが走った。即座に得物を向けるがもう遅い。
 思いがけず迫っていた鎧武者の穂先が、目の前で輝いている。その落ちくぼんだ眼窩から放たれる眼光が、その長い業物と共に至近距離から日本号を射抜こうとしていた。
 あ、やべえ。存亡の危機が差し迫っているはずなのに、日本号の頭は拍子抜けするくらい冷静に己の死を見つめる。
(殉職って二階級特進だよな? あいつ、怒るだろうなあ)
 酒ばかり飲んでいる貴様が、何故俺より上位になるんだ。そう言って怒る相棒の顔が浮かんで、死ぬ前に思うのがそれかよと日本号は苦笑した。
「あれ、日本号じゃねえの?」
 だが日本号の頭は、いつまで経っても貫かれなかった。それどころか、ここで聞くはずのない呑気な声が聞こえる。
 からん、と眉間を貫こうとしていた槍が落ちた。我に返った日本号の視界、その中央。鎧武者の喉元から突き出た細長い刃が、月光のもと冴え冴えとした輝きを放っていた。
 武者が崩れ落ちる。その向こうに佇んでいた男を一目見て、日本号は開いた口が塞がらなくなった。
「御手杵!? お前、何でこんな所に」
「あー後ろ後ろ!」
 御手杵は問いに答えず、日本号の肩越しに迫っていた薙刀を弾き飛ばした。日本号も身体を返して、迫っていた敵を蹴散らす。御手杵と並んで得物を駆使しながら、再び先程と同じ問いを投げる。
「お前、こんな所で何してる」
「決まってるだろ、喧嘩だ」
 御手杵は大真面目に、抽象的に過ぎる答えを返す。だが日本号の表情を見て納得していないことに気付いたのか、自ら言葉を付け足した。
「同田貫とこの辺りに住んでる顧客を訊ねに来たんだが、色々あってこの辺りの歌舞伎者と喧嘩になってあれこれしてるうちにはぐれちまったんだよなあ」
 通信機持たせてるはずなのに繋がらねえんだよ、これだから全く、と御手杵は愚痴る。それを聞いて、日本号は彼の相棒に通信機不携帯の癖があることを思い出した。
「はっ、前と変わらず喧嘩稼業に勤しんでるようで、なにより、だッ」
 日本号は言いながら、迫って来た太刀の役人を一突きにする。黒いジャンバーが翻り、その胸ポケットから光沢のある手帳が覗いたのを御手杵は見た。勿論その拍子に刻まれた紋も見逃さない。
「しっかしあんた、本当に警察官になってたのか」
「らしくねえってか?」
「まさか。あんたらしいよ」
 御手杵は一度牽制代わりの突きを喰らわせてから後方へ下がり、へらりと笑った。
「どこで暮らそうとどこに籍を置こうと、あんたは日ノ本一の槍。矜持も名誉も、その名を冠するあんたの中にはいつだって備わってるんだからな」
「おっ、分かってんじゃねえか」
「だから西でそれなりの良いとこのお坊ちゃんだったはずなのに出奔してようが、それなりに良い商社で正社員になれたのに辞めて大陸で危ねえ商売始めちまってようが、こっちに帰って来ても俺みたいなのと一緒に繁華街で暴れてようが、首都高で暴走族とデスチェイスしてようが、下町でチンピラから金巻き上げてようが、警察入って一応公僕名乗ってるクセにまったく僕感がなかろうが、日本号様は日本号様なんだろ」
「おいこら。銃刀法違反で逮捕すんぞ」
 味方が増えたお陰か、敵の波が切れた。その隙に日本号も一度下がり、余計なことを言う知己を睨む。だが御手杵はしれっとして銃刀法は廃止されてるだろと言い返してきた。やはり知っていたか。こいつもすっとぼけているようで、戦ごとに関しては抜け目ない。
「どっちにしろ、この状況じゃ逮捕も何もねえけどな」
 ぼそりと呟いた御手杵の言う通りだった。
 暗がりに縹色の火の玉が一対、また一対と灯る。それらが暗闇から彷徨い出て店の灯りに照らされると、途端に検非違使の輪郭を露わにするのだった。
「湧いて出て来るみてえだ」
「どうなってるんだ、これ」
「俺が知りてえよ」
 会話を続けながらも、二人は周囲への警戒を怠らない。店の前以外は、なべて闇である。それもただの宵闇にしては不自然な暗さだ。
「都会の夜って、こんなに暗かったか?」
「いや。そんなことはねえな」
 御手杵も日本号も、異常な気配を感じていた。
 そう、彼らは重油に浸したような闇に包まれていた。この重く見通しのつかない闇には覚えがある。
「俺の勘違いじゃなければ」
 御手杵の人の良さげな顔立ちが、警戒に引き締まっている。
「これ、昔検非違使が出る時に必ず起きた時空の歪みに似てないか?」
「俺も今、ちょうどその可能性を考えていた」
 日本号はすっかり元の紫紺に戻った双眸を眇め、思い起こす。
「最初俺が一体目の検非違使に出会した時、こんなに暗くはなかった。こうなったのはこの店の前に来てからだ」
「罠か?」
「だろうな。恐らく検非違使が出現するための時空の歪みが断続的に続いてるんだろう」
 互いに得物を構えながら、躙り寄る敵と背後に神経を尖らせる。
「背後からは何も来ねえから、あの正面の方の暗がりからだけ湧いて出るのかもしれねえよ?」
「いや分かんねえぞ。そう見せかけて、背後から急にぶすりってな」
「うええ。俺は刺すしか能がねえから、そうなったら頼むぞ」
「馬鹿野郎、それこそお前の専売特許だろ刺せよ。つかまず、お前の方が索敵得意だろうが」
「得意じゃねえよ。あんたが苦手すぎるだけで」
「言い争っている場合ではないぞ」
 突如、太い声が割って入った。その方を返り見た二槍は、現れた姿を目にし同時に破顔する。
「蜻蛉切! 久しぶりだな!」
「今世では初めましてになるのか。無事で何よりだ」
 暗闇から進み出た三名槍最後の一本は、日本号に破顔を返した。一方、御手杵はとぼけた顔で尋ねる。
「あれ、あんた追っかけて来てくれてたのか」
「同田貫殿が通信機を忘れたようだったから、届けに来たのだが」
 温和な槍は、すぐさま武者らしい目つきでその先の敵を見据えた。
「思いがけない事態に巻き込まれているようだな」
 自分も助太刀しよう。即座に穂先を敵に向けた生真面目な槍に、日本号は肩を竦める。
「そりゃあ有難いがね。この状況、力任せじゃあどうにもならねえぜ? 何たって、検非違使が無限に湧いて来るんだからな」
「その状況をどうにかするための方法を聞いてきたのだ」
 西と東の槍は顔を見合わせた。御手杵が神妙に問う。
「蜻蛉切。あんた何を知ってるんだ? 俺達は今、どうなってる?」
「すまないが詳しい話は後だ。急いては事を仕損ずるが、悠長にしていても面倒なことになる」
 外で検非違使達の動きを止めてくれている者がいる。敵の前だから仔細は明かせないが、彼がこうして尽力してくれている間にどうにかしなければならない。
 そう説く蜻蛉切は真剣な面持ちである。確かに現在、検非違使達は店の前の灯りから退き、闇に潜んでいる。蜻蛉切とて偽者ではなく、感じる神気は彼自身のものだ。そして蜻蛉切は偽りを嫌う武士である。日本号と御手杵は彼を信頼することにし、先を促した。
「すでに察しているかもしれないが、ここは今検非違使が出現する時空の歪みに捕らわれている。これから解き放たれるには、検非違使が出現する一瞬にだけ放たれる光を穿たなければならない」
「その光ってあれか。日の出みたいなやつか?」
 かつて出陣先でさんざっぱら見た光景を思い返し、御手杵が首を傾げる。蜻蛉切は頷いた。
「その通り。検非違使の一個小隊を観察した結果によると、我らの時間遡行と同様に隊員全員が同じ光の元から姿を現しているらしい。その光の元が時空の歪みの根源なのだろう、だからそこを突けば状況の打開に繋がるはずだ、と聞いた」
「なるほどな。やってみる価値はあるな」
 日本号が担いでいた本体を両手持ちにする。躊躇いの色が濃かった表情から迷いが消え、真直ぐな瞳は検非違使達のその向こうを凝視している。
「俺がその歪みの元を狙う。お前らは検非違使をぶっとばせ」
 「ゴーグルは持っているか?」
「無けりゃあ名乗り出ねえよ」
「何でそんなの持ってるんだ?」
「そりゃあお前、こういう身だからな」
 日本号はゴーグルと共に己の警察手帳も取り出して開き、身分証を見せる。途端蜻蛉切も御手杵も、納得した顔で頷いた。
「ああ、それで素性をすぐ隠せるようなものを持っているのか」
「あんたの外見じゃすぐバレるだろ」
「うるせえな」
「俺達にバラしちゃっていいのか?」
「あ? 別に問題ねえだろ。俺達三名槍なんだからよ」
 日本号は断言した。理由として至極当然、と言いたげなその口調に、御手杵も蜻蛉切も思わず笑みを零す。
「そうだな、我らは三名槍だからな」
「えー、いいのかよ公安警察? ぬるくねえ?」
「いいだろ。お互い、裏できな臭ぇことやってるからな。お前らが俺の素性を漏らせば、俺は御手杵がこの前のアパート焼失大量バラバラ殺人事件の真犯人だってことを捜査一課にリークするし、それを蜻蛉切が匿ってることもバラす」
「うわっ、公安汚ねー! お前だって昔散々あんなことやってたくせに」
「むう、自分も巻き添えか」
 日本号は意地悪く眉を吊り上げ、御手杵は唇を尖らせ、蜻蛉切は渋い顔をする。だが刹那繕った表情は崩れ、三人は揃って悪童めいた笑みを浮かべた。
 警備員、軍人、警察官。職も違えば置かれた環境も違えど、そんなことは今に始まったことではない。三名槍は昔から一つ処に集まったことなど無く、性格、戦術、嗜好、能力、どれ一つとしてぴったりと重なるものがなかった。だがそんな自分達だからこそ、三名槍の呼び声に気負いを感じ、誇りを抱いて生きていけるのだ。
 「天下三名槍」は、これを誰かが三本に言うと必ず其々否定するのだが、実質三本にとって運命共同体に近い概念だった。
「じゃあ各々方、やるか?」
 御手杵が張り切る。
「三名槍が揃ったら、戦うもんらしいからな」
 日本号は不敵な姿勢を崩さない。
「そうだな」
  蜻蛉切は穏やかに微笑む。
 三本の切っ先がかち合った。高く澄んだ和音を奏で、御手杵と蜻蛉切が、日本号が駆け出した。
 それと時を同じくして検非違使達も動く。御手杵と蜻蛉切が我先にと先陣を切る敵らと斬り結ぶ。日本号はそのやや後で、ゴーグル越しに目を光らせていた。
 狙うは敵が現れる発生の光。だが一体目が出てきた段階で突き込むのは、思慮に欠けている。自分の辿るべき道を、隙を見極めねば。
「どうした、近寄れんかッ!」
 蜻蛉切が吼える。猛々しい三河武士の周囲には、既に二体が伏せられている。御手杵の方も二体目にかかっているから、もう部隊の半分が消された計算だ。もう次の戦士が出てきてもおかしくない頃合い。
 そう計算した日本号の目が、闇の奥で輝く光を見つけた。光は最初一点に生じ、それから左右に切れ込みが走るように細く広がる。御手杵が称したような暁に似て、あまり明るくはないが眩い。
 本体を、いつもより気持ち水平に構える。紫紺の瞳は検非違使が出現する度瞬く輝きを見つめ続け、やがて己の穂先とそれを繋ぐ線しか映さなくなる。
 御手杵と蜻蛉切は敵を屠り続ける。二人が合わせて六体目を倒しきった時、日本号は柄を握る力を強めた。
 己の刃の先に、一筋の「道」が見える。
(掴んだ)
 目標を捉えた。そう自覚するより速く、日本号は拓けた道に己の本体を滑らせる。
 ぴた、と時が止まった気がした。
(ああ、これはいける)
 日本号は確証を感覚で掴み取った。己の意のままに身体が動く時、理想に適う攻め方が出来た時、世界は止まって見える。
 青い穂先はゆっくりと直線状の「道」を辿る。道の先にはまだ何もなく、辿り着く所は目視出来ない。だが日本号の穂先だけは知っている。
 導かれるままに滑る槍は、永遠に滑り続けるかのように思われた。だが何事にも終わりは必ず来る。
 刃のその僅か髪一筋の先。そこに瞬間、ぽっと火が灯った。
 日本号はそれに、切っ先でそっと触れる。
 紅い光が破裂した。そう認識した時には空間に亀裂が入るのを感じた。世界が急速に廻り始めた。日本号にとって永遠にも感じられた時間は、実際には一秒にも満たなかった(他二人はこの時の彼の刺突を「疾風迅雷の如し」と称した)のだが、これを境に生ける検非違使共は散り散りに逃げ出し、宵闇は透き通る天鵞絨の如き柔らかさを取り戻して天に星々が帰ってきた。現世は元ある姿を取り戻したのだ。
「上手くいったんだな」
「うぃー、やっとか」
 いつも似たような調子で喋る癖のある御手杵の声にさえ感嘆が滲み、日本号も疲労の濃い溜息を漏らした。酩酊した時によく出る声だが、今回だけはただの疲労困憊の表れとしか取れないに違いない。
「素晴らしい一撃だったぞ、日本号!」
 蜻蛉切が上気した顔で褒め称えてくる。まあなと返そうとして、その前に彼にこの知識を与え送り出した人物の名を問わねばと思い出した。
「蜻蛉切、お前の言ってた」
「待たせたな」
 日本号の台詞に、軽やかな男の声が被った。
 聞き覚えが、非常に聞き覚えがある。
 思わず口を噤み声の主を探した日本号の眼前、バー「party knight」の屋根の上から白い影が舞い降りた。黒いシャツに細身の白スーツ。それと同色の髪と肌に、満月に似た金色の眼。
 ああ、なるほどな。隣で何か悟ったらしい御手杵の平坦な呟きが耳に入ったが、日本号はそれところではない。
「鶴丸のジイさん!」
「いやあ、巻き込んで悪かった」
 儚げな風貌の優男は、しかし外見に反する軽快で小気味良い明朗な口調で話し始めた。
「実はここの所ずーっと時間遡行軍につけられててな。面倒だから今日ここに帰ってくるという情報を流して、つけて来る連中を一網打尽にしてやろうと思ってたんだが」
 ここで彼は、呆れとも簡単ともつかぬ吐息を漏らした。
「まさか検非違使が来た上に、奴さん、間違えてきみ達をターゲットだと認識するとは! 偶然とは言え済まなかった」
 しかも罠を張られるとは思わなんだ。鶴丸はそう言ってからからと笑う。
「人避け建物避けの陣を張ったのは良かったんだが、歪みの解除に手間取らされてな。蜻蛉切が来てくれたからこの時間で済んだが、そうでなかったらもっとかかっていたかもしれん。まったく。俺については兎も角、こういう驚きは勘弁して貰いたいものだな」
「そりゃあ俺の台詞だよ!!」
 日本号は叫んだ。
 だがその声は、不幸なことにちょうど沈黙を保っていた店の戸口から現れた燭台切の「何これぇ!?」という叫びと被った。更に続けて不幸なことに、燭台切が長らく失踪していた組長を発見した安堵から即座に駆け寄り高練度高打撃力と歓喜の念を比例させて背中を叩いたせいで、鶴丸国永は崩れ落ちて動かなくなった。
 そのために日本号が巻き込まれた理不尽を直接彼に訴え事情説明を聞けたのは、丸々半日が経った後のことになった。しかし、禍福は糾える縄の如し。根っからの自由人のように見えて律儀な鶴丸は、日本号にきっちり借りを返した。このお陰で日本号は、珍しく相棒に「まあ何だ。こう言ったらおかしいのだろうが、助かった。今日はよく休め」とぶっきらぼうな礼と労いの言葉を受け、久々に二槍と無礼講を楽しむことが出来た。
 果たしてそれで、日本号の溜飲は下がったのか。それについては、あれからも「party knight」前の路地で時折黒田節が聞こえるとだけ言えば、十分だろう。




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NA ★ N ★ ZA ★ N

でも終わりが見えてきた(気がする)