三槍阿保話【腐】⑤

※刀です。腐です。にほへしです。ご注意。今回にほおてにほとんっぽいの(CPではない)もあるのでなおさらご注意。

 

 

 

 

⑤戦闘二回目

 

 本丸に、また今日も洗い立ての朝日が昇ってきた。蜻蛉切は障子を大きく開け放つ。暴力的なまでに清々しい陽光が男だらけの寝所を暴き、まだ中身の詰まって丸まったままの布団を照らしだした。

「起きろ、御手杵」

「んん、ふぅあぁぁ」

 丸まった毛布から、緑のジャージに包まれた長い手足がにょきりと生えた。さらにそこから御手杵の頭が生えて、大きな欠伸をする。彼は重そうに瞼をこじ開け、日の差し込む方に立つ男士を仰ぐ。

「おはよー、蜻蛉切」

「うむ、おはよう」

 御手杵は反対側に頭を向ける。だがそこに、本来いるはずの男士はいなかった。

「日本号は?」

「それが、だな」

 訊ねてから、御手杵は室内に敷かれている布団が二組しかないことにやっと気付いた。一組は自分が今まで寝ていたもの。もう一組は、蜻蛉切が今まさに片付けようとしているもの。

 それ即ち。思い当たった可能性に、御手杵はさっと蒼褪める。

「午前様、だと……?」

「そういうことのようだ」

 蜻蛉切が重々しく頷く。眠気が飛んだ御手杵は上体を跳ね起こした。

 いつもならば、日本号が朝帰って来ない程度の事でこんなに動揺したりしない。奴が帰って来ないなんて、よくあることだ。だが今日に限っては、昨夜の行先が行先なだけに非常に気にかかる。

「夕べは長谷部と酒盛りだって言ってたよな?」

「そうだが、いやまさか」

「まさか、え、早くないか? まだ二回目だぞ?」

「いやいや、早過ぎるだろう」

 二本は俄かに焦り始める。

「いつもみたいに、大広間で寝てるんじゃねえ?」

「そうでなければ大太刀部屋か」

「でもそれはそれで困ったことになってそうで……うぇぇ」

「だがあの二口に限ってそのような、いやでも正直ありえそうで怖い……!」

「仲悪そうで本音ではお互いの事えらい信頼してるもんな、どこに一歩踏み出すか分からねえ怖さがあるよな」

「そうだ、爆発的な機動力が本来なら踏み越えないだろう一戦まで踏み越えそうで」

「それが今朝か、今朝発揮されたのか!?」

「なァに朝っぱらから騒いでんだ、お前ら」

「うおおおッ!?」

背後から噂の片割れが登場して、御手杵と蜻蛉切は揃って野太い悲鳴を上げた。朝日を背にした日本号は怪訝な顔をして二本を眺めている。御手杵が上擦った声で叫ぶ。

「にっ日本号! アンタ今までどこにっ」

「どこって、長谷部の部屋だよ」

 簡潔な答えに、御手杵はやっぱりと目をこれでもかと見開く。蜻蛉切は何も言わず、一心不乱に赤飯の炊き方を思い出そうとしていた。

「あの野郎、やっぱりよく分からねえ」

だが日本号は癖の強い髪を掻きながら独りごちる。それを聞き留めてしまった御手杵が、好奇心に負けて尋ねた。

「今度は何があったんだ?」

「あ? あの野郎、自分で他人を閨に引きずり込んどいて起きた途端罵声を浴びせやがった」

「うひぇっ」

 うまく発声できず、喉から潰れた蟇のような声が出た。蜻蛉切の頭から、思い出しかけていた赤飯の作り方が完全に飛ぶ。しかし日本号は眉間に皺を一本刻んだのみで、冷静に訂正した。

「勘違いすんなよ、何もしてねえ。ただ、また酔い潰れたアイツが布団に寝かせてやっても離そうとしやがらなかったから、しょーがねえ一緒に横で寝てやっただけだ」

「いやおかっむン」

「面倒見がいいのだな」

 素直にすぎる御手杵の口を押さえ、蜻蛉切は感心した口調でそう言った。御手杵が何をするんだと目だけで非難する。だが蜻蛉切は鋭い眼差しを返して彼を咎めた。

(下手にツッコミを入れてみろ、この自尊心の強い男は何も話してくれなくなるぞ)

(それは困る)

 御手杵とて、日本号と長谷部の行く先には非常に興味がある。御手杵は大人しく、良い聞き手へと転身した。

「まったくな。我ながら笑っちまう」

 日本号は苦笑した。二本のアイコンタクトには気付いていないのか、それとも気付いていないふりをしているのか。どちらにしても、昨夜の出来事は話してくれるようだった。

「何でデカい図体した男二人で、仲良く手ぇ繋いで寝てんだかな。長谷部もよっぽどくたびれてるんだろ」

 いや、どんなに疲れていても普通そんなことはしない。

そう言いたいのを抑え、「ソーダナ」と御手杵は同意する。若干棒読みになってしまった感が否めないが、幸いにも日本号は何か物思いに耽っているらしく気付かない。

「懐かしいな、昔もああして寝てた時期があった。鋼の身のみの頃はよく隣り合って寝ていたんだ。あの頃はあいつがいるのが当たり前だったから何とも思わなかったが、こうして本体を自由に動かせる身となって同じことをすると、妙な気分になるもんだ」

「妙な気分って、ムラムルァっ」

 日本号の言葉を曲解した御手杵の背中を蜻蛉切の太い指が抓った。痛い。思わず御手杵が涙の滲んだ目で振り返ると、蜻蛉切は莞爾と笑みを向けてきた。 その目に軽率にシモに繋がる話題を振ったことを咎める風はなく、「この槍の気分を損ねて折角の楽しい話題を逃すことがあったら許さんぞ」とにこやかに牽制している。蜻蛉切ってこういう槍だっただろうかと御手杵は真剣に考え込む。

 しかし日本号は別に気分を害された風もなく、呆れたように言った。

「ムラムラはしてねーよ。どっちかっつーと、手触りのいい猫と寝てるのに近いぜ」

「ネコ」

 蜻蛉切の発音は、ちょっと聞いただけなら単に復唱したように聞こえる。しかし戦において幾度となく流星の如く降り注ぐ矢や礫の下を共に潜り抜け、何度となくどちらが屠った敵をより高き山と出来るかを競い合って来た御手杵には分かる。

(そうか蜻蛉切。お前の頭の中は、既に出来上がってるんだな)

 何が、とは聞かないで欲しい。

 しかし何故こうなったのだろう。思えば御手杵達は、先日睡魔に負けたせいで今回の飲みに至る流れさえ認識出来ていないのだ。

「そもそも、何でそんな展開になったんだよ? 前回の後どうやってまた飲むことになったかも俺達聞いてねえんだから、話を聞くにもそこから話してくれないと分かんねえぞ?」

「おっと、そうだったか」

 日本号は眉を上げ、説明のため回想し始めた。

 

 

 

 本丸に来て初めて互いの顔を眺めながら飲んだあの日の翌朝、二人は厨で顔を合わせた。奇しくも両者とも水を求めてきていたために、誰もいないまだ薄ら暗い厨にて二人並んで同じ硝子の杯を干している光景は、まるで昨夜の続きのようだと日本号は思ったという。

 そして、きっと似たようなことを考えたのだろう。顰め面で水を飲みながら、長谷部が口火を切った。

「俺はゆうべ、見苦しい姿を見せた……のか?」

「のか、って。お前覚えてねえのかよ?」

「ああ」

 実に苦々しげな表情で肯定する。どこまで覚えているのだろう。日本号がそれを問おうとする前に、長谷部は水を一息にあおって流し台に向かった。必然的に、日本号から顔を背ける形になる。

「思い出せないが、どうせ楽しい酔い方はしなかったのだろう?」

流し台をせわしなく叩く水音のせいか、声がやや曇って聞こえた気がした。蛇口をきつく締める音。乾かすため伏せられたコップ。次いで、昨夜のことは忘れてくれ、と硬い一言。

 そしてそのまま顔を見せずに立ち去ろうとするから、咄嗟にその腕を掴んだ。途端不満を隠さない顔で睨みつけられたが、その程度で怯む日本号ではない。にやりと口の端を吊り上げてやる。

「決めつけんなよ。俺はまだ、何も言っちゃあいねえぜ?」

「聞く必要などないだろう」

 長谷部は吐き捨てる。しかしその目は日本号ではなく、斜め下を睨んでいた。

「最後まで、俺はちゃんと酌をしなかったんだからな」

 日本号は噴き出しそうになるのを堪えた。

 なんだなんだ、何に引っかかっているのかと思えばあの約束を律儀に気にしていたのか。先の出陣で傾いていた日本号の機嫌は既に昨夜の晩酌で直りかけていたが、このやりとりで完全にもとに戻った。しかし知ってはいたつもりだったが、何とまあ四角い刀だろう。堅真面目もここまで極めると、寧ろいじらしくなってくる。

「なんだ、そんなことを気にしてんのか」

 嘲けるつもりは微塵もなかったのだが、声に笑みが滲んでいたらしい。長谷部は急に眉を吊り上げて怒りだした。

「そんなことだと? 貴様が言い出したことだろう! 大体貴様が酒に強すぎるから俺が先に潰れる羽目になったんだ。おい、何を笑っている! 聞いてるのか!」

「おうおう、悪かった」

 喚く長谷部の頭を、日本号は機嫌よくぽんぽんと叩く。

「そんなに悪ぃと思ってんなら、また付き合えよ。今度は俺の酒で。どうだ?」

 長谷部はぴたりと口を噤んで、おずおずと日本号を見上げた。普段は冷笑を浮かべることの多い彼が惑う様は、意外なほどいとけなかった。つと開かれた瞳の輪郭が丸みを帯びたからだろうか。はたまた、素直に感情を露わにする瞳孔の藤が、あまりに淡く儚い色合いだからだろうか

「また、潰れるかもしれんぞ」

「潰れる前提なのかよ」

「仕方ないだろう。貴様と飲むと、ペースが分からなくなるんだ」

 一転、長谷部はぶすくれる。くるくると表情のよく変わる男だ。

 しかしどうりで酒の進みが早かったわけだ。ものの見事に、こちらの調子に狂わされていたらしい。日本号はくつくつと笑う。自分が惑わされるのはあまり好まないが、自分に惑わされる他者を見るのは気分がいい。

「いっつも言ってんだろ? うわばみと飲む時は飲まれないようにしろって」

「うるさい! 嫌なら俺などと飲まなければいいだろう!」

「嫌じゃねえよ」

 否定しようと出した声色が存外優しかったことに、自分自身驚いた。それは長谷部も同様であったらしく、きょとんとしている。日本号は誤魔化すように咳ばらいをして言葉を続けた。

「うちの国宝様が飲み取られちゃあ困るからなあ? 仕方ねえ、この正三位様がうわばみと飲むペースってやつを教えてやろう」

「ふん。余計なお世話だが貴様に飲まれっぱなしなのも癪だからな」

 受けて立つ、と長谷部は勇ましく顎を上げて言い放った。何で教えられる側がそんな態度なんだとは、さすがの日本号も言い返さなかった。

 こんな流れから二度目の酒盛りが昨夜開催されたわけだが、しかしあの宣言はどこへやらで長谷部はまた潰れた。途中までは前回に比べ明瞭に平生の長谷部らしく飲んでいたのだが、また次第に目の縁がとろりと垂れてきた。そして子の刻を回る頃、日本号に寄りかかって完全に寝た。

「なァにが受けて立つ、だよ」

 日本号は寄りかかって寝息を立てる長谷部を抱き上げて、彼の室内に足を踏み入れた。整然としているというよりも物のない長谷部の部屋には、既に布団が一組敷かれている。前回の反省を踏まえた長谷部が、今回は寝落ちても大丈夫なように敷いておいたのだ。

 敷布と掛布の四隅をきっちりと揃えた、敷いた者の性格を如実に表している布団を乱雑に足で捲る。そこへ抱き上げていた男を横たえて毛布を掛けてやってから、さあ帰ろうと踵を返すはずだった。

 出来なかった。また、長谷部に引きとめられたのだ。

 布団に横にされた長谷部は、眠ったまま日本号の襟を掴んで離さなかった。屈みこんでいた日本号が上体を起こそうとしても、決して浴衣の袷を掴む指を緩めない。剥がそうとすると指を痛めそうなので無理矢理距離を取ろうとすれば、かえって日本号の浴衣が脱げそうになる。

 このまま浴衣だけ、こいつに掴ませておいて帰ろうか。そんな考えもちらりと頭の隅を過ったが、そうなった場合には「己の浴衣を抱えて眠る長谷部」という対処に困る図が出来上がってしまうことが想定されて日本号の思考回路が止まった。そんな図が完成するなぞ万が一、憶が一にも考えられないが――完成したら、困る。何がどう困るのかと聞かれたら日本号自身にも答えようがないのだが、困るのだ。

 それ以上に、この肌寒い夜の本丸を下穿き一丁で歩くのはやめたい。この本丸は完全なる男所帯だが、もしもそんな姿を目撃されて「寒々しい深夜に下着一丁で徘徊する変態」のレッテルを張られることになったら。それだけは矜持が許さなかった。

 仕方ないので、日本号は長谷部をやや奥にずらして自分も布団に滑り込んだ。大きめの日本号の布団に比べて一般的な一人用のものだから収まりきらない広い背中が肌寒いが、耐え切れないほどではない。幸か不幸か、眼前ですやすやと寝入る男の体温は常に比べて高い。きっと酒に温められたのだろうその身体が、湯たんぽの代わりに早くも布団をぬくくしてくれていた。

 日本号はしばし、この眠りに落ちた昔馴染みの寝顔を見つめていた。眉間に皺の寄っていない穏やかな表情は、彼の生来持つ透けるような美しさを日本号に思い出させた。

 よくよく見れば、綺麗な男なのだ。体格こそ日本号ほどではないにしても立派だが、尖った顎にしなやかな首筋から肩にかけての線、苛烈な刃を巧みに操る腕に天を刺すべく真直ぐに伸びた胴、締まった腰から素直に伸びた脚、その先の淡く色付く丸みを帯びた踝から足先の桜貝の如き爪の造作まで、彼を成す部位それぞれの形に無駄がなく細かな造りが精緻で、更にそれらを繋ぎ合わせれば猶の事美しい。

 綺麗な男なのだ、よくよく見つめなくたって分かる。知っていた。鋭利かつ強烈かつ複雑な性格のせいで最初ははっきりそう認識出来ない者も多いらしいが、そうなのだ。日本号自身遥か昔初めて目にした時、まあ整った刀もいたもんだと思った。華美というより清廉、しかし儚げというより危うい印象を抱かせたこの魔王刀の一振とまともに会話をするようになったのは互いに「元」魔王の刀という肩書がついた後、即ち黒田家でのことだったが、実際に話してみた長谷部は予想していたより難儀で口うるさくて面白かった。

 長谷部を気に掛けるようになったのはこの頃からだったように思われる。そして不思議な縁から何百年と持ち主を同じにして、つかず離れずの関係を続けてきた。その間、日本号は彼を何とはなしに眺めてきた。

 だから日本号は、長谷部の容姿の美しさなんてすっかり気に留めるのを忘れていた。彼にとって、長谷部の容姿が整っていることなど意識するまでのことではなく自明の事柄だったのだ。

 思い返せば長谷部は、顕現する前日本号の「当たり前」に相当組み込まれていた。長谷部が日本号の傍にいるのは当たり前、他愛のない口喧嘩も当たり前、泰平の退屈しのぎに徒然話をするのも当たり前、夜になれば隣り合った本体にならって並んで寝るのも当たり前。

 日本号と長谷部は、付き合いの長い隣人だった。特別な関係ではないがどういうわけか巡り合って傍にいる腐れ縁。それがどう転んでか、一度も戦場で共に振るわれたこともなければ戦う様も見たことがないのに、この変な刀に一抹の情というか信頼のようなものを覚えるようになっていた。

 それがまあ、何でまた、人の身など得て添い寝をすることになったのだか。日本号は過ぎ去った時と奇妙な縁を思って小さく笑った。奇奇怪怪奇妙奇天烈、ここに極まれりである。

「ん」

 眠っている長谷部の眉間に、一本皺が寄った。起こしてしまっただろうか。日本号が注視する先で、長谷部はむずがるように首を左右に振った。いやいやという動作に似ているが、何か夢でも見ているのだろうか。日本号が更に息を潜めた時である。

 おもむろに胸倉を掴む力が強まった。ガッと日本号は長谷部に引き寄せられて、身体がぴたりと寄り添うことになる。

「おいおい」

 呟くが、この男の眠りは深いらしい。日本号の襟を掴んだそのままにすり寄って来て、胸元に額を押し付けてきた。ぐりぐり額が押し付けられれば、前髪が首元を擽ってこそばゆい。細い絹糸のようなそれが肌の上を滑るのは、まるで愛でる意図を持った指が戯れに触れているようで。

 そっと、丸い後頭部を片手で包んで撫でる。顕現して初めてまともに触ったかもしれない髪は、鋼の身体に刻まれた記憶にあるより遥かに指通りがよい。癖になる。

 頭を撫でていると、長谷部が尚も頭を胸に押し付けてくる。彼の強情な手のせいですっかり乱れた袷の狭間に、長谷部の頭が潜りこんで頬が胸につく。日本号の硬い胸板に反して長谷部の頬は柔く、吸い付くような弾力があった。

 日本号は半ば唖然として眠る刀を見下ろした。片腕がいつの間にか日本号の背に回ってひしとしがみついている。まるで甘える子のような昔馴染みの姿に、槍は言葉を失っていた。

 いや。お前。あんな。お前。普段あんな。何で。

 予想外の事態に、彼の頭は半ば混乱していた。混乱して、何を考えたかその頬に手を伸ばした。そしてこれまた何を考えたのか、白いそれを撫でてみた。

 気持ち良かった。女子供の頬とは流石に違うが、肌はたった今清冽な水の流れに晒されたが如く滑らかで、しかも酒気を帯びたせいかしっとりとぬくい。温泉水滑らかにして凝脂を洗う。ふとそんな句が頭を過った。いわゆる珠肌というやつだ。事実そうなのだろう。美女ではないが、美しくはある。

 まずい、これは癖になる。そう思いながらも頬を撫でる指が止まらない。日本号の節くれだった指が、酒に色付いた白皙を撫で続ける。しかし長谷部は起きる素振りもなく、時折微笑んではくすくすと笑いを零す。それから擽ったそうに身を捩り、そのくせもっとと言わんばかりに日本号の手に頬をすりつける。愛嬌ある犬猫のような仕草で、甘えてくる。

(…………)

 日本号は考えることを放棄した。意を決してがばりと長谷部の頭を抱き込み、硬く目を瞑り現実とそれによってもたらされる一切を無視する。幸い腕の中にあるものが好い加減にぬくかったので、すぐに眠くなった。だから日本号は、眠りの世界へ旅立った。

 

 

 

「――で、さっき棚ごと圧し斬られた茶坊主の断末魔みてえな声で叩き起こされたってわけよ」

 日本号は肩をすくめて締めくくった。日はもうすっかり昇っていて、部屋も暖かくなっている。反対に先程まで好奇に輝いていたはずの二槍の目は、やや熱を失っていた。その眼差しは、眼前にあぐらをかいた日本号よりやや遠いところを見つめている。

「健全……だな?」

「健全、だな」

 御手杵と蜻蛉切は、同じ方角を眺めながら確かめ合った。朝日を浴びて目を眇めているように見えるその表情は、まるで後光に照らされた修行僧のそれである。

「だが、ヒワイだ」

「ああ、やっぱりヒワイなのか」

「状況とやっていることが大してヒワイではない分、ヒワイさが増している」

「言葉が乏しいのに何となく意味が分かっちゃうからすげえ怖ぇ」

「夕べの俺もそんな気分だった」

 蜻蛉切と御手杵の具体性の乏しい会話を聞いて日本号も同意する。流石我ら三名槍、通じ合う心を今まさに感じ取った等と友好を深めている余裕は、三本ともない。

「何もやらしいことはしてねえんだよ。やらしい気持ちなんてもんもねえよ。けどあんだけ密着してて、全く不快にならなかったんだよ。寧ろ逆なんだよ」

「うぇー怖ぇ」

「何ということだ」

 御手杵と蜻蛉切は呆然としている。実はあの時更に少し動悸が早まってドキドキもしたのだが、それは自分でもまだ認められないので日本号は報告しなかった。

 蜻蛉切が躊躇いがちに訊ねる。

「ちなみに、今朝方の長谷部殿の反応は?」

「大絶叫した後即抜刀。からの『貴様ァ状況を報告しろ! 怠慢は許さんぞッ!』だ」

「バリバリ戦闘モードじゃねえか」

「安心しろ。『てめえが! 帰らせなかったんだろうがッ!』ってきっちり言い返したら固まったまま動かなくなったんで、その隙に脱出してきた」

「それ大丈夫なのか?」

「ちなみにその時の長谷部殿は、どんな顔を?」

「キレてたせいか、顔から首まで真っ赤だったぜ」

 日本号が答える。何故か蜻蛉切は顔を覆い、御手杵は手で額を打った。日本号はしかし他に考え事をしているらしく、俯いて彼らの不審な所作に目もくれない。

「なあ、お前ら」

「何だよ」

「どっちでもいいや。ちょっと身体貸せ」

「は? 何言ってうわっやめっ」

日本号が唐突に、座ったままの状態で御手杵の腕を引いた。不意を衝かれた御手杵がその太い腕の中に倒れ込む。日本号はその茶色い頭を抱き締めて撫でまわした。

「うーん。別に、楽しくはねえや」

「当たり前だろ離せバッぐええええ」

「御手杵ぇぇぇッ!」

日本号の手が頭から頬に移り、更に首筋を指でなぞる。ただでさえも寝乱れていた御手杵の浴衣が、日本号の拘束から逃れようとして更に乱れる。

日本号の行動は、長谷部相手にやった行動を反復してのものだろう。恐らく比較したいのだ。だが暴れすぎてほぼ浴衣が脱げかけている御手杵を流石に見ていられなくて、蜻蛉切は日本号の肩に手をかけて揺さぶった。

「落ち着け日本号! さては酒を飲んでいないな!? お前の場合酒を切らしたらまずいのだから、早く飲っ」

蜻蛉切が硬直した。急に振り向いた日本号が、片手で彼の顎を引いたのである。

「お前らも槍とは言え、あいつと同じ男士ではあるが」

 真摯な表情で呟く日本号の親指が、するりと頬を撫でた。蜻蛉切は内心冷汗をかく。

 この触れ方がそっくりそのまま長谷部に触れた時と同じであるのだとしたら、それはとんでもないことだと蜻蛉切は思った。何故ならばたった今触れた日本号の指の動きは、明らかに愛玩動物を撫でるそれとは違ったからだ。このような慈しみながら触れた対象を堪能するかのような指の動きをする関係性の名を、蜻蛉切は一種しか知らない。

「別に何てことねえな。進んで触ろうとは思わねえ」

 日本号は己の気持ちを入念に確かめているのか、蜻蛉切の喉を人差し指でちょいちょいと軽く引っ掻く。蜻蛉切は彼の顔を凝視した。まずい、目が虚ろだ。酒が切れて正気を失いつつある。

「日本号落ち着けぇ! 今足音が!」

「みんなおはよう元気だね! 朝食の準備が」

 最悪のタイミングだった。御手杵が叫んだのと障子の向こうから華やかな美男子が現れたのとは同時だった。右目を眼帯で覆った伊達男は、快笑を浮かべたまま絶句した。

 彼の目の前には、如何にも乱暴されましたといった風情で腰に浴衣を引っかけただけの御手杵が日本号にしがみつき、その日本号が不敵に片膝を立てて座ったまま片手で反対側に身を乗り出した正座の姿勢で侍る蜻蛉切の顎を人差し指で軽く持ち上げている――燭台切は現代の漫画という絵巻の知識で、それが「顎クイ」というものであることを知っていた――という、漢だらけの灼熱地獄が広がっていた。

「ぬわーーっ!?」

 燭台切が、にこやかな笑みを浮かべていたはずの口から野太い絶叫を迸らせた。伊達男らしからぬ、焼け爛れたような割れた叫びだった。

「長谷部くん長谷部くん長谷部くぅぅぅぅぅんッ!! 大変だよーッ槍部屋が朝一から大乱交し――」

「キエェェアァーッ!」

 本丸の検非違使の異名を持つへし切長谷部を求めて走り出した燭台切の背に、御手杵が親しい打刀そっくりの奇声を上げながら突撃した。伊達男は百九十越えの男に飛びつかれて堪えきれず、顔面から床に突っ伏した。

「燭台切殿」

 重々しく呼ばれて、燭台切はハッと顔を上げた。そこには眉を凛々しく引き締めた蜻蛉切が聳え立っていた。

「驚かせてすまなかった。今我らは、モテる男士の色気を追求するために刀剣男士専用ファッション雑誌『不免殴(めんずなっぐる)』の真似をしていたのだ」

「嘘だよね!? こんな朝っぱらからそんなテンション高すぎることするわけないよね!?」

「してたんだよ! ほら、迦具土命が俺たちにもっと輝けって囁いてるからな!」

「そんなこと言う御手杵君なんて、僕知らないよ!?」

 燭台切は騙されてくれない。蜻蛉切と御手杵は、焦って視線を交わらせた。こういう時頼りになるはずの日本号は、まだ酒不足のため一人部屋に留まり虚ろな目を宙に漂わせている。

 燭台切は、無理に引き攣った笑みを浮かべて背中にのしかかる御手杵を見上げる。

「べ、別に隠さなくていいんだからね? 僕は三人が幸せなら全然、全然いいと思ってるからね本当に!」

「違ぇってば! 勘違いすんなよ頼むからやめてくれ!」

「ただその、TPOは大切にしてほしいなというか出陣前出しそれ以前にまず致す時は障子を閉めて――」

「燭台切殿」

 蜻蛉切がしゃがみ込んだ。伊達男の金色の目を見据えて、低く尋ねる。

「先程貴殿が口にした悲鳴を、伊達の皆に教えると言ったら?」

「オーケー分かった。やっぱり誰しも格好良くありたいよね!」

 燭台切は一瞬で話を飲み込んでくれた。

結局その後、徒歩五分の位置にあるはずの食堂からものの三十秒もしないうちに駆け付けた長谷部に、「槍部屋でTVゲーム『大乱闘島津兄弟(しまつぶらざーず)』が大盛り上がりし過ぎて現実に乱闘騒ぎになり、朝餉のために呼びに来た燭台切が不幸にも巻き込まれて波留魂拳(ふぁるこんぱんち)を喰らった」という説明を燭台切がしてくれたために事なきを得た。だがそれからというものの、燭台切が槍部屋を見る目がどうにも「近所の噂話に精通していることを生きがいとしている主婦の眼差し」になってしまったので、蜻蛉切と御手杵は、早く日本号に成果を出させて燭台切にきちんと詫びと訂正をさせようと、固く誓い合うのであった。

 

 

 

 

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イケメンスパダリ号さんなんて、ここにゃあいねえのさ……。