HQでⅥパロ-2話⑦

 

 

 

「食料が尽きました」

 ハナマキが正座して告げた途端、連日の野宿続きの上に寝起きであるせいでこの世の終わりを目前に控えたようだった場の空気が、この世の終わりを三度見てきたような重さにまで落ち込んだ。

 食料が尽きることは、ゆうべから知っていた。知ってはいたが、改めて言われると気分が沈む。

「存じておりました」

 もう何と答えたらいいものか分からないがとりあえず何か言った方がいいだろうと判断したオイカワが、膝を詰めて正座して答える。ハナマキは落ち込んだ気色さえ見せない、完璧に意思の抜け落ちた表情で言う。

「このままだと俺は今すぐこのクソほども役に立たねえ渡り鳥の目を使って最寄りの屋外に飛び出して、その勢いのまま考えうる限り一番簡単な母なる大地への帰還を果たそうと父なる天に願いを込めてこの身をもってこの壁を爆破させ――」

「マッキーお願いだからやめて!! マッキーのせいじゃないからっ! 誰もマッキーのこと責めてないからっ!!」

 オイカワがひしとハナマキに抱き付く。その拍子に二人して地面に倒れ込んだが、ハナマキの三白眼は洞窟の暗がりを見つめるでもなく漂うだけで何の反応も示さない。見かねたイワイズミが「ハナマキがかわいそうだからよせ」とオイカワを引き剥がして起こした。それでもなお身を起こそうとしないハナマキを、マツカワが引っ張り起こして自分の肩にもたれかけさせる。この間、ハナマキはゴム人形のようにされるがままだった。

 連日身を清められていない薄汚れた男達がランタンの照らす狭い橙色の中でかたまる光景はむさ苦しいことこの上なかったが、それを端から濁った眼で見守るダテコー出身の三人にそんなことを指摘する心のゆとりはない。と言うより、三日前マウントを取りあって喧嘩し始めたオイカワとイワイズミのコンビに既に指摘したのだが、オイカワに「俺っていうイケメンがいる空間はむさ苦しくならないの! ヒゲだってみんな俺が持ってきた剃刀のおかげで剃れてるんだからムサくないデショ!?」と返され反論するのも馬鹿らしくなったので、もう言わないことにしていた。

「なあ。今日で運命の壁に入ってから何日経った?」

 イワイズミが訊ねる。彼に手首を掴まれていたオイカワがぱっと手を振りほどいて、腰に下げた懐中時計を見て溜め息を吐く。

「五日だよ。俺たちが知らないうちに丸一日以上寝込んだりしてなければね」

 正直なところ、外に出て太陽の光を浴びることが少ないので時間の感覚はほとんどなくなっていた。だがたまに時計を確認してみている限りでは、少なくとも五日が経過していることは確かだった。

「食べ物はどうにかなるだろ。食べられそうな植物とかキノコとかむしってきたのが、結構溜まってきたぞ」

 ササヤが革袋に詰まった色味の暗い草やキノコを示して見せる。それを幼馴染コンビとダテコー組とが覗き込んで、頷き合った。

「問題は水だな。カマチどう? 作れない?」

「この辺りからじゃあ作れそうにねえよ。いざとなったら、尿をもとに再生成するしかねえ」

 カマサキの潔すぎる発言に、全員が呻いた。これまで反応の薄かったハナマキでさえ、両手で顔を覆って血を吐くような声を漏らす。

「そんなことするくらいなら、自分の魔法で水出して飲む……っ」

「魔法で出した水って、飲んで大丈夫なの?」

「知らないけど、大丈夫だったら今頃水を革袋に入れて持ち歩く魔法使いはいないと思う」

 マツカワは、オイカワの答えに納得したように首を縦に振った。彼に肩を抱かれたハナマキが、顔を覆ったまま首を横に振る。

「それなら、岩スライムを飲むっ……!」

「ハナマキ」

 小刻みに震えるように横に揺れるココア色の頭を、マツカワの手があやすのに似た手つきで軽く叩いた。オイカワは困って眉を寄せる。

 分かってはいたが、ハナマキの消耗が激しい。彼は精神的疲労を負いがちな呪文職である上に、ここの攻略を始めてからずっと渡り鳥の目を頻繁に使いっぱなしだったのだ。しかもその渡り鳥の目を駆使しながら地図を作りつつ進んできたのに、一向に頂上にも帰り道にも辿り着ける気配がないのである。

 ハナマキの憔悴している様子から、彼が自分を責めはじめているのは明白だ。無論彼に責任はなく、むしろ謝りたいのは他に道筋を探る技術を持たない自分たちの方なのだがハナマキはきっと聞くまい。

 食料や体力的な問題も心配だが、ここで彼に精神的に折れられてしまうと今後がキツい。どうにかして解決方法を探さなければ。

 オイカワはこれまで作ってきた地図を取り出し、見直す。道が間違っている様子はなかった。ワープスポットも全て飛び込んで繋がりを把握している。それでも、頂上へ登るための道が見つからない。

「もう外に出て登ろうぜ。根性出せばどうにかなるだろ」

「そうだそうだ! クライミングしようぜ、上に道が続く限り」

「あれが道に見えるのはお前らだけだと思う」

 無茶を言うイワイズミとカマサキに、マツカワが冷静な言葉を返す。彼の言う通りだ。昨日ようやっと頂上に一番近いと思われる洞窟の入り口に辿り着いたが、そこから仰ぎ見た視界に映ったのは、雲に飲み込まれる岩壁だけだったのである。あれには全員、足の力が抜けた。

 だが、しかし。オイカワは刹那躊躇ってから口を開いた。

「もう、そうしちゃおうか」

 誰もが反射的に、胡乱な目を向けてきた。この精根尽き果てようという時に無駄な冗談は止せとでも言いたげな視線である。けれども、この秀才の顔に笑みの一片もないことを見て取ると、胡乱な眼差しは次第に驚愕と疑い、そして懸念に色を変えた。

 マツカワが眉を跳ね上げて尋ねる。

「正気か?」

「残念ながら、超正気」

 オイカワは視線をダテコーの面々へと移した。

「ここの頂上へ続く道が立ち入り禁止になったのは、何でだっけ?」

「何でって、前にも言っただろ」

 モニワは完全にオイカワの気が触れはじめたものと思っているのか、労わるような調子で言い聞かせる。

「この山の頂上に登ろうとした人間が、ことごとく命を落としたからだよ。誰が言いだしたのか、俺たちの街には古くからこの山のてっぺんには黄金の楽園があるという言い伝えがあった。それを信じたたくさんの人間がこの絶壁を登って、そして帰って来なくなった。ある者は魔物に襲われて、ある者は崖から滑り落ちて、またある者は道に迷って衰弱して――だから身元が分かるようなキレイな身体で帰って来られた人は、稀だったって」

「そう、誰一人として命のあるまま帰ってくることはできなかった。でも一人だけ、頂上に着くことができたんじゃないかと言われているヒトがいた。そうだよね?」

 オイカワの尋ねる意図が分からないまでも、モニワは頷く。

「うん。百五十五年前、第五次人魔大戦で防衛軍が壊滅寸前までいった時に、防衛軍入りもさせてもらえなかったとある身体の弱い若者が、不滅の防具の素材を求めて単身この運命の壁に挑んだ。後日それを知った彼の養成学校時代の友人たちが、心配して彼を探しにこの山まで来た。そしたら」

 戸惑いがちだった表情は、話すにつれ熱い気色を濃くしていく。前のめりになったモニワは一呼吸置いてから、まるで自分もその光景を見たかのような少し上擦った声で語った。

「あの、俺たちも入って来た洞窟の入り口に、その若者が倒れてたんだ。うん、うつ伏せで片手を前に伸ばした状態で事切れていたらしいよ。身体もすり傷に切り傷だらけだったけど五体満足の綺麗な状態で、顔はいい夢でも見てるみたいに、ちょっと笑っててさ。そこまででも十分異常だけど、驚きだったのはその後」

 語り手の円らな瞳に、ぎらつく輝きが宿る。

「彼の荷物袋から、見たことのない鉱物がたくさん出てきたんだ。さらに伸ばされた掌の中には、不思議な力を帯びた石が硬く握られていて――それをもとにして今のダテコーの魔工防具が作られて、第五次人魔大戦を生き延びることができたんだけど、今肝心なのはそこじゃない。彼の袋の中には、伝説の真珠金も入ってたんだ」

「だから、運命の壁で真珠金が摂れると思ったんだよね?」

 だが熱くなる語り手に対して、聞き手は事務的に感じられるまでの冷静な口調で確認する。その温度差に、モニワは熱くなっていた自分にやっと気づき、つと丸い目を見開いてから照れたように苦笑する。

「うん。この状況だとあんまり信じられないかもしれないけど、これはダテコーの公式な記録にも俺たちの祖先の記憶にもある確かな話で――」

「信憑性は今更疑わないよ。今気になるのは、それじゃない」

 モニワは口を噤んだ。オイカワの端麗な面立ちに、笑みはない。容姿の美しい人間の無表情が、その端正さゆえにこちらが一歩後退りたくなるような迫力を醸し出すこともあるという例を、モニワは初めて体感した。

 このダンジョンに潜る前からずっとへらへらしていたオイカワの雰囲気が、がらりと変わっている。その変化が笑みが消えたことだけに起因しているのではないのは明らかだが、だからと言って他にどこが変わったとは言い表しづらい。だが強いてその変化を形容するならば。

 ――空気が、鋭い。感情とは全く違うところで、何かにひどく集中しているかのような。

「そのヒトの職業って何だった?」

「聖騎士だ」

 オイカワの事務的な質問は続く。カマサキが答え、その簡潔な回答にササヤが付け足す。

「そうは言っても身体が弱かったから、晩年は白魔導士同然だったらしいけどな」

「何か閃いたのか」

 イワイズミが察する。オイカワは頷いて、再び眼差しをダテコーの三人へ向ける。

「ねえ。どうしてそのヒトは、その特別な石を握って倒れてたんだと思う?」

「え?」

 突拍子もない質問に、モニワたちは顔を見合わせた。

「そりゃあ、戦況を一気に覆せるような凄ぇもんだったからじゃねえの?」

「大事なモノは手に持っておきたいって思ったんだろ」

「そのヒト、自分が戦力になれないことをすごく気にしてたらしいし……」

「そこまで大切なものなら、俺だったらなおさら懐にしまっておくな」

 カマサキ、ササヤ、モニワと続いた回答を、オイカワはばっさりと切った。

「戦闘に慣れてない聖騎士なら、きっと片手にモノを持ったまま上手に襲ってくる魔物をいなすことなんてできないよ。そうできる自信もなかっただろうし」

「じゃあ、どういうことなんだ」

「必要だったんだ……」

 問うたマツカワは思わぬ方向から返答が来て、驚いた風にそちらを見る。しかし答えたハナマキは、焦点の定まりきらぬ瞳をオイカワの方へ向けたまま、虚ろな声色を響かせた。

「わざわざ命取りになるかもしれないような隙を作ってまで、そんなモノを手にしてる理由なんて、それしかない。その石がないと、先に進めなかったんだろ」

「俺もそうだと思う」

 オイカワは首肯した。

「ここまで歩いて来た感じ、この運命の壁が聖騎士なのに白魔導士同然になっちゃってたような体力も戦闘手段もないヒトに攻略できるところだとは思えない。運だけで切り抜けるなんて、もっと無理だ。だからきっとそのヒトは、過度に力を使うこともなく頂上まで登る方法を見つけたんだ。そうに違いない」

 語るオイカワの脳裏を、ある映像が掠める。それは五日前運命の壁に突入したばかりの頃、岩スライムに襲われた記憶だった。

 ゲル状の砂じみた魔物は、オイカワを追いかけその剣を弾き返すことはできた。しかしモニワの鎧を登ることや、己を蹴飛ばしたカマサキを追いかけることはできなかった。

「絶対警戒されるだろうけど、命がかかってるから単刀直入に聞くよ。その――」

 オイカワの人差し指が、ダテコーの面々が纏う鎧を指す。

「魔工防具って、どういう仕組みになってるの? この運命の壁から生まれた岩スライムは俺たちの剣や鎧には干渉できてたのに、魔工防具にはうまく干渉できてないみたいだったけど」

 

 

 

(続く)