HQでⅥパロ-1話⑧

※HQでDQⅥパロディだからとりあえずアレ注意。

 

 

 

 

 

 底が浅いように見えるなんて、とんだ錯覚だった。夢見の泉は見た目こそ清らかな泉だが実態は底なし沼で、踏み出した彼の足を捉えて引きずり込み、離そうとしなかった。

 底へ底へと沈んでいき、ついにおぼれ死ぬかと思った。しかしその時、何故か呼吸ができることに気づく。一瞬前までなかったはずの空気が吸える。そんな不思議に驚く間もなく、瑠璃色の水の世界に囲まれた自分の前に、仄暗い影が現れた。顔もなければ髪と頭部の境目も定かではないようなシルエットだったが、何故かオイカワは、それが自身であることを知っていた。

 ――よく来たねえ、勇者志望のオイカワ君。

 影はにやりと笑う。口なんて見えないが、そうしたのだろうとオイカワは思った。何せ自分なのだ。声の調子と仕草で察せられる。

 ――そんなに身構えないでよ。今日はハナムケに来ただけなんだから。

「お前は、何?」

 口を開けば、水が入って来ることもなく声が出た。

 ――分かってるデショ? 俺だよ。お前自身さ、オイカワ君。

 からかうように影は言う。

 ――まさかお前が本当にこの世界に降りてきて、こうして現実に適応しようとするとはね。俺はダメかなって思ってたんだよ? だってお前は、意外と情に流されることもあるからね。争いもなく命を取り合うこともしなくていいアオバ城砦で、微睡み続けるんだろうと思ってたけど。

 夢はさぞ快適だっただろうと囁く声は吐き気がするほど甘く、思わずオイカワは目元を顰めた。

「もしかしてお前は、この世界の俺?」

 ――往生際が悪いな、オイカワトオル。

 明らかに嘲っている。この性格の悪そうな喋り方、我ながらなかなか腹が立つ。

 ――まっつんやクニミちゃんが、あんなに頑張って説明してくれたのに。仕方ないかな。お前は俺の夢であり一応魂でもあるから、俺はお前をよーく知ってるよ。お前は恐ろしくストイックでいながら適応能力が高い。けど、その芯が迷いにこじれてしまうとウロボロスの輪のように堂々巡りし始める。今のお前は、その一歩手前。

 一転、影は猫撫で声で語りかけてくる。

 ――迷うことはないよ、俺のところへおいで。そうすれば全部分かる。それだけじゃない。俺ならお前を、勇者にしてあげられる。

「どういうこと?」

 ――とぼけすぎるのはよくないよ。俺はお前なんだから、お前の願いなんて知ってるんだよ。

 オイカワは舌打ちをした。冗談めかしていつも口にしてきたその願いが本気であることは、イワイズミ以外知らないのに。

 ――まあ、いいよ。肉体と魂は精神の糸で結ばれている。遅かれ早かれ、お前は俺のところへ来ることになるだろうからね。

 じっくり考えな。影はそう囁いて、ふと消えた。それと同時にまた呼吸ができなくなって、必死に水面まで泳いで上がる。何故か今度は、水底へと引きずり込まれなかった。

 

 

 

 

 

 鏡のような水面が揺れる。波紋の中央からまず現れたのは、ココア色の頭だった。

「――ッはあっ、うっ、は……」

 四つん這いになって泉の水を吐き出しながら、ハナマキは背後を睨み付ける。泉の青い煌めきは、全身ずぶ濡れになった彼を嘲笑うように揺らめいていた。

「ったく、ふざけんなっての」

 悪態を吐く。まったく、清楚なフリして荒々しい泉だ。いきなり引きずり込まれるわ、おぼれ死にかけるわ、挙句の果てに幻覚を見るわで、もう駄目かと思った。これで帰っても姿が見えないままだったらどうしてくれよう。

 そうだ、他の二人は? 見回してみるが、まったく影も形もない。マツカワは壁に寄りかかって、頭を垂れている。

 ハナマキの眉間に皺が寄る。マツカワは淡白なようではあるが意外と面倒見のいい男で、いつも姿が見えないために苦労するハナマキや、職務に励む後輩たちの世話を焼いてくれる。しかしその彼が、こうしてハナマキが苦しそうにしていても、何も言わない。つまりきっと、疲れたどころではなく本当に具合が悪いのだ。

「マツカワ、大丈夫?」

「寄るな」

 伸ばした手は、剣呑に払いのけられた。ハナマキはぎょっとする。マツカワが、見たこともないような険しい顔つきをしていた。

 彼は元々十代とは思えないような風格のある顔立ちをしているのだが、そのさばけた性格のために、平素はすっとぼけた印象の方が強い。なのにそれが今、いつもはやる気なさそうに垂れている太い眉は寄せられ、吊り上がった双眸はぎらついている。これはただごとではない。

「どうしたんだよ、お前」

 しかしマツカワは呻き、両手で顔を覆った。

「頼む、その杖で俺を殴ってくれ」

「え、何で?」

 錯乱しているのだろうか。しかし錯乱の呪いをかけられているにしては、目の焦点も喋り方もしっかりしている。

「何でも。頭がおかしくなりそうなんだ。早く」

 ハナマキは近くに転がっているマツカワ愛用の杖へと視線を移す。

 マツカワは意外と冗談をよく口にするが、この手のものは言わない。殴るにしても、パーティーの残り二人――まだ泉から出てきていないのか、またはどこに行ったのか知らないが――に任せれば、その怪力でマツカワが死ぬとも限らない。それは嫌だ。

「痛かったからってキレんなよ!?」

 覚悟を決めたハナマキは杖を握り締め、マツカワの頭を殴りつけた。

 鈍い音。好き勝手跳ねる黒髪は、殴られた方向に泳いだまま動かない。ハナマキはハラハラしながら、彼の頭を見守る。

 やがてマツカワの頭がゆらりと動き、正面を向いた。その眼差しがいつもの気だるげな様子であることを確認して、ハナマキは安堵の溜め息を漏らす。

「悪ぃ、人心地ついた」

「どうしたんだよ、いきなり」

「多分な、その泉の水のせいだわ」

 マツカワが泉を凝視するのにつられて、ハナマキもちらりとそちらを窺う。

 蒼玉のようでありながら取れたての果実のように柔らかく瑞々しい煌めきが踊っている。

「実体のないお前らには分かんないかもしれないけど、それすごいイイ匂いがするの。最初は匂いとも気付かねえんだけど、だんだん吸ってるうちに、その泉から匂ってくるもんだって分かるんだよ。そうなるともう、飲みたくて飛び込みたくてたまんなくなる」

 常に穏やかなマツカワの声がざらついている。ハナマキは息を飲む。

「飲んだのか?」

「飲まねえよ。俺も一応呪文職だから、この泉が源だって分かった時に、これはやべえヤツだって気付いた」

 けどおかげで、いいこと思い出した。マツカワはハナマキを見上げる。

「クニミの話だ。アイツはこの泉が毒ともなりうるって言ってたよな。その意味と、気を付けろって言ってた魔物の話がやっと繋がった」

 マツカワは後輩の言葉を回顧し、なぞる。

「夢見の泉は、不可視の者を可視にしてくれる。だが可視の者には、そいつらが見なくてもいい不可視を見せてしまう」

 ハナマキはひたと彼を見据える。何かを思い出しそうだった。

 マツカワは首を左右に振る。

「この辺にいるあのヤバい感じの魔物たちは、生きてるクセにどっか別のものを見てた。俺は飲んでないから分からねえ。でも多分、あの魔物たちが見ていたのは夢見の泉が見せてくれる、何らかのトッテモイイモノなんだろう」

「そうだ」

 ハナマキがその三白眼を瞠り、呟く。

「クニミが言ってた。『泉周辺の魔物は、夢見の泉の中毒になっておかしくなってます。だから、泉に入った後は要注意です』って」

「よし、これで失われたと思われた俺たちの記憶力が健在だったことが証明されたな」

 二人はにやりと笑い合う。ハナマキが頷いた。

「なるほどな。夢見の泉は肉体があるヤツにはとーってもいい夢を見せてくれるから、下手にその水を飲むと、夢の虜になっちまうのか。で、さっき見てきた魔物どもはあの泉の水を飲んじまって、泉の見せる夢にハマりこんであの気持ち悪ぃガンギマリ状態になったと」

「そう。そしてあの魔物たちは何度もその夢を求めて泉の水を飲むわけだが、決して夢は現実にならない。幻は幻だからな。だが」

 マツカワは語りながら、ハナマキに殴られたあたりをさすりつつ立ち上がり杖を手に取る。入口あたりのざわめきを察した吊り目が、先程とは異なる物騒な光を宿す。

「お前らは、具体化した夢だ。奴らにとってはずーっと夢見続けてきたものだから、欲しくて欲しくてしょーがないだろうな」

「やだぁ、どうしよう」

 ハナマキは眉を八の字にひそめて困った風の笑みを浮かべ、わざとらしくしなを作りながら己の両肩を抱く。

「俺ったら、襲われちゃう」

    面白がるような口ぶり。肩に添えられた両の袖口から仕込みナイフが滑り出る。薄刃は泉の輝きと入口から迫りくる魔物達の姿とを映して、猛禽の双眸のごとく爛々と輝いた。

 

 

 

 

 

 

 

 オイカワが岸辺に這いあがった頃には、戦は既に幕を開けていた。泉の水を飲み込んで噎せる彼の頭上を、何か物体が飛んで過ぎていく。反射的にその正体を確かめたオイカワは、ギャッと叫んで水から上がった。先程も見た熊鳥が、頭部だけになってずぶずぶと泉に沈んでいった。

「待ってたぞモテ男!」

 そう言ってオイカワの腕を掴んで引き起こしたのは、ハナマキである。オイカワが座り込んでいた場所に血走った目の鮫頭人間が突っ込んできて、地面に食いついた。ハナマキがその頭をブーツで踏み潰し、オイカワをマツカワに押しこくる。マツカワは彼に精霊の加護をかけながら、真顔で問いかける。

「俺たちにモテる男の極意、押し寄せるオンナノコの躱し方を教えてくれ」

「なに、どこからツッコんだらいいの!? 俺こんなに個性あふれるオンナノコたちに囲まれたの初めてだけど!?」

 オイカワは叫びながら辺りを見回す。見渡す限り魔物、魔物、魔物! 足場がある場所には魔物がひしめき合い、こちらを目指した押し合いへし合いの末に泉に落ちる者までいる。しかし泉に浮かぶ落ちた者たちは一様に幸せそうな顔で水面を漂っていて、その異様な光景にオイカワはゾッとした。

 ハナマキは虫唾が走るといった顔つきの彼に構わず、魔法使い専用の投げナイフを操っている。投げつけられた薄い刃はブーメランのように滑空し、傷つけた者をことごとく燃え上がらせ、持ち主の手の中に戻って来た。

「俺たち今、この洞窟で最高の水も滴るイイ男になっちゃったんだよねー。だから夢見の泉ヘビーユーザーのオンナノコたちに大人気ってわけ」

「なるほど、この泉の水のせいなのか。じゃあ出口まで突っ切るしかないね!」

「察しが良くてマジ助かるわ」

 ハナマキの適当な説明にも納得してみせたオイカワに、マツカワが呟く。また彼らに向けて、継ぎ接ぎの魔物が五体襲い掛かってくる。マツカワが表情を変えぬまま杖を一閃させると、皆糸が切れたように倒れ伏した。

 オイカワは戦いに加わろうと背中の長剣を抜きかけて、ハッと我に返り周囲を窺う。

「あれっ、イワちゃんは?」

「まだ出てきてないみたいだけど?」

「えーっ何してんのイワちゃん! 制限時間だってあるのに――ってもう時間半分過ぎてるよ! ヤバいよ、ここまで来るのに半分くらいかかったのに!」

 時計を見たオイカワがぎゃあぎゃあと喚く。マツカワもハナマキも戦えとも言わず、黙って大挙する魔物を処理していく。

「もう、イワちゃんのぐずっ! のろま! あんぽんたんンギャアっ!」

「手を動かせボゲェッ」

 オイカワは背中に衝撃を受けてつんのめりそうになる。だが振り返って衝撃と共に聞こえた声の主を視界に収めるなり、不敵に唇の端を吊り上げた。

「遅いよ。置いて行こうかと思った」

「そういうことは、背中のソレ抜いてから言えよ」

 いつの間にか水辺から上がったイワイズミが、幼馴染の言葉にやんちゃな笑みで応える。その手には、既に大剣が握られていた。

 彼の左右から魔物が飛びかかる。イワイズミは動じることなく剣を振るい、彼らを斬り捨ててからパーティーメンバーに問う。

「すげぇ数だな。とりあえず、蹴散らしていきゃあいいんだよな?」

「めっちゃ急ぎでね! あと半刻もないから!」

「キャーイワイズミサンオトコマエー」

「キャーイワイズミサンシビレルゥー」

 急かすオイカワ、囃し立てるマツカワとハナマキの声を背負い、イワイズミはさっさと入口に向けて大剣片手に突き進んでいく。その背中にオイカワが叫ぶ。

「あっ、一列じゃ危な――」

「おい、守りくらいちゃんと固めて行こーぜ」

「道案内役もお忘れなくー」

 マツカワが戦士の横に並びながら加護をかける。さらにその後ろにハナマキも並び、イワイズミが武器を振り抜いたのと逆方向から迫って来た敵をいなす。その切れ長の瞳が、ちらりとオイカワに視線を流す。

「キャプテンは殿から、ご指示をどうぞ?」

「お前らがしっかりしすぎてて、キャプテン仕事ないくらいなんですけど」

 オイカワは苦笑しながらも、不安とは異なるものが鼓動を高鳴らせていることに気づいていた。力強く脈打つ心臓は熱く新鮮な血流を送り出し、血が湧き立ち肉が踊りだす。

 それはオイカワがこれまで熱情を傾けてきた、戦いへの渇望からくるものだった。

「ボゲェ! 俺たちは前を切り開くのに集中しなきゃなんだから、おめーは後ろから舵を取るくれーしろ!」

「そうそう」

「俺は道順しか言わねーから」

 イワイズミが叫び、マツカワとハナマキが合わせる。会話しながらも続く武器がぶつかり合う音、戦士たちの熱い呼気と緊迫感、自分の前に晒された無防備な背中。戦場の空気に、オイカワの気分が否応なしに昂揚していく。

 命を奪うことが好きなわけじゃない。ただ、武器や魔法を己の手足のように振るい、己の内外に全集中を神経させ、仲間の力を引き出し自分の情熱を駆り立てられるこの時間――己が仲間とも敵とも一体化したような倒錯を覚える、この自分が命を振り絞る瞬間が、どうしようもなく好きだった。

「うん、分かった」

 オイカワは一人微笑む。弧を描く双眸と唇は美しく艶めいて、強い愉悦を露わにする。

 まったく、昨日会ったばかりの人間に背中を任せるなんて。イワイズミもそうだ。これまでの経験の蓄積があるにしても、この危機的状況で、何を根拠に自分に任せきっているのか。

 そんな命綱なしの綱渡り同然のことを、余裕を繕った冗談のような調子でされたら。

    自分だって、全力で答えたくなってしまう。

「全員ガンガン攻めろ、サポートは俺がやる!」

 オイカワの声から甘さが削ぎ落ちる。背を向けたまま戦う三人は相槌こそ打たないが、耳を傾けている気配が感じられた。

「ひたすら生きて、アオバに辿り着くことために必要なことだけを考えろ!」

「おうッ!」

 野太い声が返って来る。オイカワの口元が弛む。

 ああ、もうこうなってしまえば彼らの言葉や自分のこれまでの人生が嘘か真かなんてどうでもいい。

 やっぱり、言いたい。

「信じてるよ、お前ら」

 いつものように囁けば、前を行く三人が振り向き笑った。

 

 

 

(続)

 

プリーズキブミーマツカワアンドハナマキ。