HQでⅥパロ-1話②

※HQのDQⅥパロディ。捏造とか捏造とか捏造とか、色々注意。

 

 

 

 

 

 

 ●

 

 

 

 夢を見ている。暗い暗い、森の中で俯いている夢。伸び放題の草や、浅黒い木の幹が滲んでいる。子供のすすり泣きが、どこか近くからひっきりなしに聞こえる。

「帰らねえのかよ」

 懐かしい、高い声が聞こえた。

 視点が草だらけの地面から、上へと移動する。質素な布のズボンを穿いた足が仁王立ちしている。半袖から伸びるのは日焼けした腕、その手には木刀。移動する視点は、その身体の主である少年の吊り上がった眉と大きな目、口をへの字に曲げた顔を映して止まった。

 イワちゃんだ。子供の頃のイワちゃん。

 俺がそう認識した時、ちょうど近くでハジメちゃん、とぐずるような子供の声が聞こえた。

 おれ、帰りたくないよ、とその声は続けた。

「何でだよ」

 イワちゃんがぶっきらぼうに尋ねる。

 だって、みんなおれをいじめるから。見えない子供は答えた。

「お前、強いだろ。なのに何でやり返さないんだよ」

 おれ、ユウシャになるんだもん。ユウシャは子供と戦ったりしないもん。

「お前だって子供だろ」

 呆れたようにイワちゃんが言う。

 それにね。見えない子供は言葉を区切り、か細く震える声で語った。

 やり返す気持ちになれなくて。だってみんな、おれはユウシャにはなれないって言うから。

「…………」

 イワちゃんは、顰め面をした。

「あんな奴らの言うこと、真に受けるなよ」

 おれはユウシャになれないの? 何で?

「お前は、勇者になりたいのか?」

 うん、なりたい。

「じゃあ、なれるだろ」

 本当に? だって、おれ――

「お前、魔法も剣も得意だろ。なら、本当に勇者になりたければ、いっぱいいっぱいシュギョーすればなれるんじゃねえ?」

 なれる……かな。

「おう。おれはなれると思う」

 ハジメちゃんがそう言うなら、なれるね。

「帰ろう、トオル。俺、チャンバラしたい」

 イワちゃんがこちらに向かって手を差しのべる。視界の下から、その腕に比べると大分色の白い手が伸びて、彼の手を取った。

    うん、帰ろ!

 イワちゃんにひっぱりあげられてから、俺はその声が己の口から出ていたことに気付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 霧の立ち込める森に、二人の若者が倒れていた。二人ともよく似た白と灰の鎧姿であるが、兜は被っていない。その片割れ、柔らかそうな茶髪を軽く遊ばせている男がうっすらと瞼を開けた。夢を見ているようなぼんやりとした表情から、彼がまだ現状を把握できていないことが分かる。だがその明るい色の瞳がつと開かれたかと思うと、上体を跳ね起こして周囲を二度三度と見回した。そして傍に倒れている鋼の鎧を発見した途端、その肩を揺さぶり始めた。

「イワちゃん、イワちゃん!」

 男の黒い短髪が数回地面を擦り、やっとその吊り目が開く。イワイズミはがばりと身体を起こした。

「オイカワ、怪我ないか?」

 相棒の問いかけに、柔らかい茶髪が縦に振られる。

「俺は平気。イワちゃんは?」

「何ともねえ」

 二人は立ち上がり、周囲を険しい眼差しで眺める。

 森ではあるが、彼らの見慣れているアオバのものではない。佇む木一本一本の間が狭く、好き勝手伸びた葉枝が重なり合って空を閉ざされてしまっている。そのせいか、ひどく薄暗く寒々しい森だった。

「何が起こった?」

「さあ……俺が覚えてるのは、知らない人に穴に突き落とされたところまでで」

「知らない人? そんなのいたか?」

「あー、あの時はイワちゃんの後ろにいたから見えなかったかも。黒いツンツンした頭の、目が細くてニヤニヤした男」

「見なかったな。そいつがお前を突き落としたのか? いつ出てきたんだ、そいつ」

「分からない。知らないうちにいたんだ」

 オイカワは、あの大穴に突き落とされる寸前のことを思い返す。

 あの男、服装こそ違ったがやはり自分に急務を伝えに来た男だった。体格が優れていると言われるオイカワと同等かそれ以上に逞しいのに、妙なしなやかさを持つ佇まい。底の知れない笑み。初めて会った時、その得体の知れない雰囲気に引っかかってはいたのだ。

「なに、アオバの人間か?」

 それを伝えると、イワイズミは険しい目つきを更に鋭くした。

「そうかもしれないし、違うかも。防衛軍も人が多いから、思い出しようがない」

「他市のモグラかもな」

「ありえるよね。身のこなしがウチの戦士っぽくなかったし」

 オイカワは盛大な舌打ちをした。

「あークッソ! よく注意しとくべきだった!」

「今さら言っても仕方ねーべ。それより、何とかアオバ城砦に帰らねえとな」

 ここはどこだろう、とイワイズミは呟く。さあ、とオイカワが相槌を打つ。

「俺あの穴から落ちたわけだし、単純に考えるとあの穴から見えてた世界に落ちてきちゃったってことなのかな?」

「その可能性が高いな」

「なら、ここは夢の大地?」

 オイカワとイワイズミは、そろって空を見上げる。自分たちの落ちてきた大穴が見えないかと思ったのだ。しかし天を仰いでも、見えたのは不気味に背の高い木々と黒い葉だけだった。オイカワは眉をひそめる。

「ねえ、この森変じゃない?」

「そうだな」

 同意を求めれば、イワイズミも頷いた。

「やけに木の背が高すぎるし、枝が詰まりすぎだ。普通、樹海だって空なんて隠れねーよ」

   だよね、とオイカワも同意する。天井を覆う枝葉は、よくよく注視するとまるで蜘蛛のように張り巡らされ、みっしりと絡み合っていた。

「なんか、自然のものじゃないみたい。木の様子だって、ちょっとおかしい気がする」

 オイカワはそれとなく、近場にあった木の幹に触れる。普通ならガサガサゴツゴツしているだろう表皮は、形だけはささくれているように見えても、指を滑らせてみるとやけに滑らかだった。岩ででもできてるみたいだ、とオイカワは思った。

「て言うか、よく考えたら何でイワちゃんまでここにいるの?   穴に落ちるような場所には、いなかったよね?」 

「そりゃ、お前を引っ張りあげようとして俺も落ちたからだ」

「はあ!?」

 さりげなく告げられた事情に、オイカワは目を瞠った。次いでその柳眉を吊り上げて叫ぶ。

「何危ないことしてんの! 副隊長に何かあったら、誰が衛兵部隊を引っ張るんだよ!」

「こっちの台詞だボゲ。隊長に何かあってくれちゃってどうすんだ、アア?」

「ご、ごもっともデス……」

 メンチを切られた上に至極真っ当な返しをされて、オイカワはしゅんと項垂れる。しかし怒ったような態度を見せても心中はそこまででもなかったらしく、イワイズミはすぐ仕方なさげに溜め息を吐いた。

「まあ、こうなっちゃ仕方ねえ。早くもとの世界に帰る方法を探さないとな」

「うん、そうだね」

 キンダイチとクニミちゃん、大丈夫かな。オイカワは心配になる。二人とも実力はあるしただの子供ではないから無用な心配かもしれないけれど。いやいや。でも、得体の知れない男だっていたのだ。無事ならいいのだが。

 彼らの安否が気になる。早く帰らなければ。しかしどうやって?

「誰かに聞けば、帰り方分かるかなあ?」

「聞くったって、ここヒトもいるかすら分からねえじゃねえか」

「そうなんだよなー。街、見つかるかなぁ? クニミちゃんがいてくれればなーっ。あと『渡り鳥の目』が使えばなー! あーもー! 異世界ヤダぁあー――」

 あ。

 オイカワの嘆きを全て込めた溜め息が、途中でぴたりと止まった。

「……ヒトだ」

「え、嘘だろ?」

「いや、ホントホント。ほら」

 指を差す。イワイズミがその方向へ目を凝らすと、闇の奥に不自然に移動する赤い何かが見えた。どうやら、ベストのようなものらしい。よく見れば、ちゃんと手足が四本伸びた人間らしい輪郭も備えている。

「今度は、幻じゃねえだろうな?」

「もうちょっと近づいてみないと、幻惑解除はできないよ」

「とりあえず着いていってみるか?」

「他に行くあてもないし、ねえ」

 二人は頷き合い、遠ざかっていく赤い影を追って走り始めた。

 ある程度近づいてみると、その影は赤いベストを羽織った小太りな男のものであることが分かった。背に負った薪、手にした斧、腰に提げた道具からして、どうも樵であるらしい。途中オイカワが幻惑解除の呪を唱えてみたが消えなかったので、実体を持ったものであるようだ。

 やがて、樵の行く手に小さな煉瓦造りの家が現れる。彼の家だろうか。

「すいませーん!」

 樵がドアの横に薪を下ろし中へ入ろうとしたので、オイカワは声を張り上げて手を振る。しかし赤いベストは、振り返りさえせず開いた扉の向こうへと消えてしまった。

「あれ、聞こえなかったのかな?」

「耳遠いんじゃね?」

 二人そろって首を傾げる。樵と彼らの距離はせいぜい離れていても三十メートル程度で、オイカワの声は決して小さくはない。うるさいことにかけてはイワイズミのお墨付きである。

「ごめんくださーい、こんにちはー!」

 仕方なく扉の前まで走って来て、今度は大きくドアをノックしながら叫んだ。

 しかし、返事がない。訝しんだイワイズミが、壁にはめ込まれたガラス窓を覗き込んだ。

「……全く反応ねえぞ」

「すいませーんこんにちはーっ! 聞こえますかぁーっこんにちはー遭難者でーすぅっ助けてくださぁぁぁぁぁい!!」

 オイカワが長く模擬演習で培ってきた大声と腕力でもって、木製のドアに向かって精一杯のアピールを始めた。隊長としての実力と生来の押しの強さが互いを高め合い、立派な騒音となっている。

 イワイズミは、迷うことなく耳を塞いだ。さりげなく、もう一度窓から中の様子を窺ってみる。暖炉のあるごちゃごちゃとした部屋の中心で、驚いた表情でドアを凝視している中年が見えた。今度こそ聞こえたようだ。

「開けてくれないとっアオバ城砦のプリンスがタイヘンなことになりますぅっ! 俺に何かあっちゃうとミャギ中の四万八千五百人の女の子たちが泣き叫び悲嘆に暮れっ! 街から笑顔が失せっ! 空は闇に閉ざされ山は吼え大地が裂け花は枯れ鳥は喚き狂い俺のせいで世界が崩か痛ァッ!」

「それがヒトにものを頼むときの台詞か」

 樵が扉に向かう様子を確認したイワイズミが、オイカワの傍に戻って来てその背中をどつく。ちょうどその時、扉が開いた。戸と煉瓦の隙間から顔を覗かせた男に、一転オイカワは好青年然とした笑みを浮かべて頭を下げる。

「突然お邪魔してすいません、俺たち――」

 柔らかな茶髪が持ち上がり、樵の様子を窺った唇が言葉を切る。

 彼は、途方にくれたように周囲を見回していた。その円らな瞳の焦点は、オイカワとイワイズミのどちらにも定まる様子が見られない。

「あ、あの?」

「ドアを叩かれた気がしたけど、気のせいかな」

 オイカワが声をかけても、樵はそう呟くなりまた戸を閉めてしまった。ぴしゃりと閉ざされたそれを、オイカワとイワイズミは唖然として眺める。

 ドアを叩かれた気がした? あの、張り切ったゴリラのドラミングよりも戦場の戦太鼓よりも騒々しいアレが、気のせい?

「いやいやいや待っておじさんッ!」

「そりゃねーだろおい!」

 二人は同時に叫びながらドアを押し開けた。硬い木の扉が、ちょうど鍵を閉めようとしていた樵の頭に激突し跳ね飛ばした。吊り上げられたマグロよろしく地に打ち付けられ巨体を跳ねさせた彼を、イワイズミが慌てて助け起こそうとする。

「わ、悪ぃ。大丈夫か」

 しかしイワイズミの手が男の肩に触れた途端、彼は霞むほどの素早さで後ずさり、我が身を抱いてやや上方の虚空を凝視した。さすがのイワイズミも、これには思わずぽかんと口を開けてしまう。男の丸々とした顔には、脂汗が浮いていた。

「なっ何だ、何かいるのか!?」

 その引き攣った声に、紛れもない恐怖が滲んでいる。立ち尽くしていたオイカワが我に返り、足下を見おろす。そこには、彼が使おうとしたのだろう南京錠が落ちていた。オイカワはそっとそれを拾い上げる。

「はい、これ」

 しかし、またもや彼は口を噤むことになってしまう。樵はオイカワの差しだした南京錠を見て、ガタガタと震え出したのだ。

「ヒィィィッ、幽霊だあ!!」

「あっ、おいコラおっさん待てッ!」

 イワイズミが手を伸ばすもむなしく、樵は一目散に外へと駆けていってしまった。

    転がるように逃げていくその後姿を眺め、オイカワとイワイズミは顔を見合わせる。

「幽霊だってさ」

「んなもん、ここにはいねえだろ」

「そうじゃないよイワちゃん。俺たちが幽霊なんだ」

 オイカワの整った形の双眸が、何かを考え込むかのように狭められる。

「今のおじさん、俺たちがどんなに呼びかけても声は聞こえてなかった。けど、ドアを叩く音や触った手、持ち上げた鍵には反応してた。つまりこれって、俺たちの姿や声だけ認識されなくなってるってことじゃないかな?」

「ってことは、あのおっさんにとって俺たちはポルターガイスト的なもんに感じられたと」

「そうそう」

「んな馬鹿な」

 イワイズミがきゅっと眉根を寄せ、己の首筋に手を当てる。

「俺の身体はちゃんと生きてるぞ。脈がある」

「うん。俺もさっきイワちゃんにどつかれたり殴られたりした時、ちゃんと痛かったから生きてる」

 オイカワが背中をさすりながら頷く。しかしすぐ、その大きな両手を目の前に翳して言った。

「でもまさか、俺たちが生きてるように感じること自体が錯覚なんてないよね? もしここが冥界だったら……」

「だったらあのおっさんが幽霊だ、ってあんなにビビるわけねえだろ」

「あ、そっか。さっすがイワちゃん! 今日は珍しく冴えてるね!」

 イワイズミの拳が、オイカワの頭にめり込んだ。痛い。俺生きてる。物理的な生の実感に顔を顰めるオイカワとは反対に、イワイズミは開けっ放しになったドアの外を見て目を丸くした。

「おい。さっきのおっさん、戻って来たぞ」

「あれ、本当だ」

 オイカワも外へ視線を移し、声を上げる。

「しかも、誰か連れてきたね」

 入口の縦になった長方形の向こうに、果てなく続く森を背景に三人の男が歩み寄って来ていた。先頭を歩くのは、先程この家を飛び出して行った樵である。まだ怯えているのか、こちらをまっすぐ見つめようとはせず、後ろの人物をちらちらと見つめていた。

 彼の背後を歩くのは大柄な男だった。その黒髪は好き勝手跳ねており、顔立ちは昔絵本で見た水辺の魔物にどことなく似た、太い下がり眉に吊り目のアヒル口である。全体的に覇気のない雰囲気であるが、何となく油断できないな、とオイカワは思った。それはきっと身に纏うたっぷりした僧服でも隠し切れない聖職者らしからぬ逞しい体つきや、その肩にもたせかけている身の丈よりなお長い杖のせいだろう。杖の上部五分の二程度は、船のオールのように頑丈そうな平たい装飾となっている。

「あの天パの方、きっと僧侶だよね」

「しかも、ただの僧侶じゃねえな」

 イワイズミもオイカワと同じように思っていたのか、彼の武器から目を離さず低く言う。その巨大な得物は、遠目にもよく使い込まれていることが明らかだった。

 一方、その大柄な男のやや斜め後ろに追随するのは、彼より僅かに背の低い、ココアのような淡い茶の髪をベリーショートに整えた男である。前を歩く男の顔は総じてパーツが肉厚気味であるのに対して、こちらは薄い。細く短い眉を凛々しく引き締め、下三白気味の切れ長な目を周囲にあてもなく彷徨わせていたが、ふと前方を向きオイカワとイワイズミを捉えた途端、冷めた印象のポーカーフェイスを崩さないままにひらひらと手を振った。二人はまたお互いの顔を見る。こちらに対して振っているのだろうか? 釈然としないまま、二人は正面を向く。やはり彼はこちらを見つめていた。

「知り合いか?」

「うーん。この世界に知り合いはいないはずだし、もとの世界でもああいう人は見た覚えないな」

「見たところ、盗賊っぽいな」

 腰の皮ベルトの右に短剣一本、左に同じものがもう一本と偃月刀が吊るしてある。加えて背中側の腰に括りつけられたポーチ、ガタイがいいのに細身な印象のある上半身に似合うベスト、その二つのどちらもそのまま街に遊びに行けるような洒落たデザインではあるが、見る者が見れば分かる、収納とスリ対策に安心な盗賊スタイルのものである。イワイズミの言う通りだった。

 前二人は、何か喋っている。樵がオイカワたちのいる家を指さして、まくしたてる。

「おおお、お願いします、さっきドアを激しく叩いたような音がして、何かが入って来たような気配が――ヒィッ、ままままだ鍵がッ!」

 愛しの我が家の戸口に立った樵には、未だ中で佇んだオイカワが手にしている南京錠が、どのように見えたのだろうか。悲鳴を上げて、今にも泡を噴きそうである。

「はあ、そうですか」

 僧侶は気のない返事をした。しかしその双眸は、南京錠ではなくオイカワの顔に定まっていた。

 もしかして、この人は自分たちのことが見えているのでは? オイカワとイワイズミの胸に、淡い期待が戻って来る。男は尖った唇を開いた。

「あー。確かにいますね」

「どっどどどこに!?」

 樵が頭をぶんぶんと振り回した。僧侶はオイカワと視線を合わせたまま、真面目な顔で言う。

「そこにスケコマシっぽい男が一人と」

「え、まさか俺――ねえイワちゃん今笑ったよね? ちょっと今噴きだしたよね? どういうこと?」

「黙れ」

「そっちに、目つきの悪いゴリラっぽいのが一人」

「イワちゃんっ、それはダメ! 家壊れる!」

「るっせー止めんなッ!」

 イワイズミが大剣を抜こうとしているので、オイカワは慌ててその利き手に縋りついた。ここで物理攻撃力トップクラスが暴れたら目も当てられないどころか、煉瓦の下敷きになって二度と故郷の陽射しを浴びられないことになってしまうかもしれない。それは勘弁だ。

「すいません、俺たち幽霊じゃないです! 人間だから! ゴリラでもないからっ!」

「おう、分かってる分かってる」

 イワイズミにしがみついたまま訴えるオイカワに応えたのは、盗賊風の男の方である。口調こそ軽いが、その瞳は値踏みでもするかのように抜け目なく二人を見据えていた。

「二人とも、俺の声聞こえる?」

「え? うん」

 オイカワが首を縦に振り、イワイズミが暴れようとするのをやめると、盗賊風の男は唇の片側をにっと吊り上げた。クールな印象に反した、悪童のような笑みである。

「よし、初めて同類に会えたわ」

   同類?   自分たちのことだろうか。彼の台詞を訝しく思いながらも、オイカワは奇妙なことに気づいた。この男の隣に佇む樵は、先程から僧侶の方を縋るように見たり自分の恐怖を訴えるばかりで、盗賊の方には見向きもしなければ話を聞くことさえしないのである。いくら得体の知れないものに出くわして動揺しているにしても、もう一人いる人間に一度でも一瞥をくれないなんておかしい。

「嬉しいねえ。じゃあ、お二人さんはちょっと外に出てて俺とお話ししようぜ。長いことコイツ以外とほとんど話せてねえから、俺お喋りに飢えてるんだよな」

「えっ、えっ?」

 盗賊はオイカワとイワイズミの背後に回り、その背を押しながら僧侶らしき男に目くばせする。僧侶は微かに頷いて、家を出た三人に代わって家の中へ入る。樵もオイカワの手――正確にはその握った南京錠だが――を恐る恐る眺めながらそれに続き、戸が閉まった。

 再び、暗い森の中に逆戻り。イワイズミが盗賊の手を振りほどき、背中の柄に手をかけた。警戒心露わな目つきで睨まれているにも関わらず、盗賊は両手を顔の横に挙げた。

「まあまあ落ちつけよ。俺たち、怪しいモンじゃねえから」

「誰だよ、お前」

「あ、やっぱり知らないんだな? 本当に俺と一緒だ」

 盗賊の双眸が細まる。何となく嬉しそうだ。

「俺はハナマキ。ハナマキタカヒロ。お前らが、オイカワトオルとイワイズミハジメ?」

 フルネームを言い当てられた二人は、そろって鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をした。一呼吸おいて、オイカワが返事をする。

「そう、だけど」

「あ、マジ? どっちがどっちか知らねえけど、お前がイワイズミでお前がオイカワかな?」

 そう言いながらハナマキは、二人を順に指さして当てて見せる。知らないと言うくせに言い当てた怪しい男を睨み付ける目はそのままに、今度はイワイズミがぶっきらぼうに応じる。

「だとしたら、何だよ」

「ふーん。大体聞いてた通りだな」

「聞くって、誰から」

「まだ家の中にいるアイツ。お前らのことスケコマシとかゴリラとか呼んでたヤツ」

 マツカワって言うんだけど、と言いながらハナマキは二人の反応を窺うようにじいとその顔を見つめる。だがイワイズミはあまり嬉しくない呼び方をされたことを思い出して顔を顰め、オイカワはこの男の正体を掴もうと無表情に彼を注視していた。

「まー許してやってよ。アイツも大変なんだよ。トモダチが三人も記憶喪失のユーレイになっちまってさ」

「それは大変だね」

「おい」

 オイカワの形だけの同情に、イワイズミが得体の知れない男と気軽に会話をするなと諌める。しかしハナマキは気にせず、まったくだと軽く応じながら眼前の二人を指さした。

「その三人のうち二人は、お前らなんだけど」

   ちなみにあと一人は俺な、とハナマキは自分を親指で示す。

 いよいよワケが分からない。警戒と混乱とが入り混じった幼馴染二人は、ちぐはぐな表情筋を持て余している。すると、背後から低く落ち着き払った声が聞こえた。

「こら。まだまともに説明してないのに、混乱させるなよ」

 振り返れば、僧侶風の男が家から出てきたところだった。ごめんと大して悪びれた風もなく、ハナマキが答える。僧侶はオイカワとイワイズミをしっかり見つめて、語りかけてきた。

「お待たせ。まあ、本当のところ待ってたのは俺の方なんだけどな」

「え?」

「その話は後でいいんだ。俺はマツカワイッセイ。改めてよろしく」

 僧侶ことマツカワは、その大きな手を差しだしてきた。幼馴染二人は戸惑う。

 この男たちは正体こそ知れないものの、こちらに対する敵意は抱いていないらしい。そう判断したオイカワが先にその手を握り、次にイワイズミが目つきの鋭さはそのままに手を取った。

「とりあえず、行くか。詳しい話はぼちぼちしてくからさ」

 マツカワが言って、おもむろに歩き始めた。その隣にハナマキが並び、顔をこちらに向けて手招きをする。二人は、おずおずと後について歩き出した。

 少なくとも今すぐこちらを害するつもりは、まったくなさそうだ。オイカワは前を歩く二人の無防備な背中を見つめ、考える。ひとまず、道先案内人ができたと喜んでおくべきか。

「あの、マツカワさん」

 オイカワがそう呼ぶと、マツカワは振り返った。大きく表情を動かしてはいないのだが、どことなくしっくり来ないと言いたげな顔だ。

「お前にサン付けで真面目に呼ばれるとか、すごいゾッとするわ」

「ちょっ」

 初対面の人間に思いの外貶されて、さすがのオイカワも何と返したものか分からなくなった。しかしすぐに、マツカワが微笑みを浮かべて言う。

「マツカワでいいから。俺ら同い年だし、そんなかしこまった関係じゃなかったからな」

 穏やかな声色にどこか寂しさを感じた気がして、オイカワは彼の顔をよく見ようとした。しかしその前に、マツカワは前を向いてしまった。

「なあ、マツカワ。ここはどこなんだ?」

「お、そこから聞く? そうな、その方がいいかも」

 イワイズミの問いにマツカワが答え、直後問いを返した。

「お前らは、ここがどこだと思ってる?」

「夢の大地じゃないの?」

「俺たち、自分の世界に空いた穴から落ちてきたんだ」

「ふーん。そっちではそういう認識になってるんだな」

 そっち。その言い方は、自分たちの世界を知っているということを意味する。

 しかしオイカワが帰り方を聞こうとするより早く、マツカワが口を開いた。

「あのな、混乱すると思うけど正直に言うわ。それ、逆なんだ」

 ――ん?

 オイカワとイワイズミは、彼の言ったことが頭に入らなかった。

 マツカワが首を回し、幼馴染二人を見据えて告げる。

「お前らが夢の世界だと思ってる、今お前らがいるこの世界が、本当は現実の世界なんだ」

 その吊り目は、まったく笑っていなかった。

 

 

 

(続)