HQでⅥパロ-1話①

※HQでDQ6パロディ(九割捏造)というとんでもないものです。

 気が向いた方のみ、お付き合いください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人の男が、焚火を挟んで向かい合っている。 

 左手側の男は眠り込んでいるらしく、こちらからは盛り上がった毛布から覗く、赤みがかってくすんだ色合いをした淡い茶髪の頭頂部しか窺えない。

 対して右手側の男は、多少眠そうではあるもののしっかと目を開いていた。くるくると跳ねる黒髪の、どことなくつまらなそうな顔つきをした男である。太く短い眉も尖った唇も端が下がりがちで、そういったパーツ一つ一つが、彼のアンニュイな雰囲気の要因となっている。胡坐を掻き猫背で座ってこそいるが、それでも十分大柄な人間であることが分かる。腕も肩幅も戦士のように鍛えられているが、その纏う衣装は鎧ではなく簡素な僧服だった。

 男は燃え盛る火を見つめていたが、やがて重たげな瞼はそのままに顎を上向けて天を仰いだ。鬱蒼と生い茂る樹海の空には、月はおろか、星一つさえ窺えない。曇っているのだろうか。それにしては、黒が濃いように感じられた。

 ぱち、と薪が爆ぜる。するとその音で目が覚めたのか、左手側の男がおもむろに上体を起こした。起きていた男の目が彼へと戻り、その尖った唇が開く。

「眠れた?」

「いや。正直、あんまり」

 横になっていた男は苦笑まじりに答え、身体の正面を焚火へ向けた。燃える橙が彼の横顔を照らし出す。涼し気な目もとがクールそうであるものの、白い歯を見せて笑う口元はどこかやんちゃな印象を抱かせる。身につけた立て襟の外套は上質な黒い天鵞絨で、男の日に焼けない肌によく似合っていた。

「しょうがねえよな。魔王との決戦前となっちゃあ」

 僧服の男が言うと、茶髪の男は僅かに肩を跳ねさせた。しかしそれは、眼前の男が口にした台詞のためではない。何故なら彼の細い瞳は既に向かって奥、曲がりくねった木々のさらに先、光が届かず輪郭を失った木々の凝縮された、乾留液のごとき暗闇を凝視していたからである。

 彼の不穏な気配を察した僧服の男が、即座に左手に置かれた巨大な杖を掴む。しかし武器を持ち上げる前に、茶髪の彼がふと表情を緩めた。 

 彼らが見つめる先、暗がりから輪郭を現したのは鎧姿の男だった。まだ若く、焚火を囲む二人に比べるとやや小柄なように映るが、短い黒髪の下の双眸は、よく切れ味の良い刃物のごとき鋭利さを宿していた。 

「お疲れ、イワイズミ」

「どうだった?」

 茶髪、僧服がそれぞれ彼に語り掛ける。イワイズミは二人の間、こちらから見て炎の向こうへと座る。背中に負われた大剣が、ガチャリと音を立てた。

「間違いねえ。あれが、アイツの城だ」

 ふ、と。

 その場の音が全て消え失せた気がした。

 茶髪と僧服は、それぞれイワイズミを見つめている。イワイズミは己の正面に横たえた大剣を、じっと見下ろしている。誰の表情も窺えなかった。

「いよいよだな」

 僧服が低く告げる。

「俺たち、やれるのかな」

 茶髪がどこか不安そうに尋ねる。

「やるしかねえだろ」

 イワイズミは腹の底から絞り出すような、しかし芯の通った声で答える。

 誰からともなく立ち上がった。速やかに荷物を整え、装備を確認する。最後にイワイズミが、その手にした巨大な業物を未だ燃え盛る焚火へと振り下ろした。

 まるで、迷いを断ち切ろうとするかのように。 

「行くぞ」

 毅然としたイワイズミの声。辺りが暗闇に包まれる。

 俺は彼らの背中を見つめながら、ゆるゆると溜め息を吐いた。

「ああ……やっと、この時が来たんだね」

 

 

 

 

 

 

 

 

「イワちゃん、俺勇者になるっ!」

 澄み切った青空に、燦燦と輝く太陽。その暖かな光を浴びてのびのびと緑の葉を茂らせ、枝を伸ばす木々。その枝に留まった小鳥のさえずりも、何となく嬉しそうだ。

 そんなこの佳き日に、かねてからの夢を幼馴染に告げた。しかし彼から返ってきたのは、この日にまったくそぐわないのに、その吊り目にはよく似合ってしまう絶対零度の眼差しだった。

「いまさら、何だよ」

「え?」

「何度目だよ、それ」

 幼馴染は言いなおした。丁寧に言い直されても、眼差しが先程から一向に温度を上げないどころかどんどんマイナスになっているために、余計怖い。

「オイカワ」

「はい」

「俺たちは何年の付き合いだと思ってる?」

「じゅ、十七年?」

「そうだな。ほぼ人生の長さだな」 

 イワイズミは淡々と話す。

 オイカワは知っている。いつも自分の発言を一文で一蹴する癖のある彼が何度も言葉を重ねるのは、「そろそろマジでキレるぞ」のサインであるということを。

「その十七年間、お前は俺に、何度勇者になりたいって言った? え?」

「いやその、でも俺も最初の二年くらいはまともに喋れなかったと思うんで、十五年くらいだと思いま――ったァッ!」

「聞き飽きたっつってんだよボゲェっ!」

 オイカワの悲鳴とイワイズミの怒号が、天然城砦都市アオバ特有である玉のごとき白壁とペールグリーンの屋根からなる家並みに反響し、青空へと抜けていく。美しき森の都と称されるその景色が、オイカワの視界で歪に滲んだ。

 痛い。幼馴染に殴られたり蹴られたりするのはもはや通例というより習慣となっているが、それにしてもその鋼の鎧フル装備の状態で容赦なく蹴り飛ばすのはどうかと思う。その鋼で覆われた脛がどれほどの威力を叩き出すのか、この衛兵部隊エースは分かっているのだろうか。この馬鹿。筋肉馬鹿。 

「痛いよっ、イワちゃんの筋肉ゴリラ! 脳みそスライム!」

 うっかりして、罵倒の最後の方は口に出して言ってしまった。しかしイワイズミは聞こえなかったのか、なおもオイカワを罵る。

「そもそも今は任務中だろうが! これから森に入るんだぞ? 今じゃなくたっていいだろ」

「森なんていつも入ってるじゃん! 魔物だって最近特にまったりしてるし」

「油断すんなボケカワ。魔物との戦いだって、大会前の貴重な実戦練習なんだぞ」

「分かってるよ!」 

 分かっている。それはよぉく分かっている。だが、オイカワはさらに言い募る。

「でも俺、ゆうべすっごいカッコいい夢見たんだよ! イワちゃんと知らない人と、魔王を倒しに行く夢」

「知らない人って誰だよ」

「知らないよ。もう顔だってまともに覚えてないし」

 オイカワは唇を尖らせた。

 そう。残念なことに、既に夢の細部が思い出せないのだ。ただ自分たちがどこか知らない夜の森にいて、目の前に焚火があって、それをイワイズミと知らない男二人とで囲んでいたことは覚えている。

「だけど、すっごくカッコよかったんだよ!」

「はいはい良かったな」

「イワちゃん棒読み! せっかくオイカワさんが褒めてあげてるのにっ。夢の中のイワちゃんは、今の三倍くらい女の子にモテそうなほどカッコよかったのにっ。あ、でもゼロに三かけても結局ゼ――」

 あいたァっ!

 再度イワイズミの脛が急襲し、オイカワは悲鳴を上げた。後続の後輩二人が、片方は呆れたように、片方は案じているような狼狽えているような顔つきで、前を歩く二人を見ている。

 道行く人々は、騒々しい彼らが通り過ぎていくのを白い目では眺めなかった。むしろ、年配の者は育ち盛りの孫を見守るような温かい眼差しで、若い男は興味深げにちらちらと、そして娘たちは好奇心剥き出しな目くばせと浮足立った囁き声を交わし合いながら、彼らを凝視している。

 無理もない。オイカワとイワイズミは、アオバにおいてちょっと有名なコンビだった。彼らは城砦都市アオバ防衛軍における花形、衛兵部隊の隊長と副隊長なのである。

 

 防衛軍というのは、東の島国、連合国家ヤマトの四十七国、その中の細かな都市ごとに存在する、警備隊のことである。この世界は太古より都市に住む人類と、平野や森、水辺等ありとあらゆる自然に生息する魔物とが、激しい争いを繰り返していた。だから、どんな小さな町にさえ魔物と戦うための組織が発生し、時代と共に発展してきた。

 しかし今から百五十年前、第五次人魔対戦が勃発。過去に類を見ない悲惨な大戦争の末、消耗した両者は遂に、平和協定を結ぶに至ったのである。

 それから、時折小競り合いこそあるものの、現在ではほとんど戦争など起こらなくなった。警戒の念から残された防衛軍も、今日ではこの通り。深夜帯に知能の低い魔物が迷い込んできた時でもなければ、戦う機会もなくなってしまった。最近などは、防衛軍を廃止してもいいのではないかという話も出ているような状態である。

 そのために、長らく戦場の荒野に生きてきた防衛軍も、次第に形を変えつつあった。軍備縮小の名目のもと、それまで大幅に与えられていた予算も減り、昨今一番の見せ場は、一般市民に公開する実戦模擬演習になった。実戦を積めない少年戦士達に少しでも経験を積ませる目的のもとに、防衛軍養成学校の精鋭を集めた衛兵部隊というものを作った。そして全国規模の「武道大会」として、若い少年戦士たちを競い合わせるようになった。

 この衛兵部隊と武道大会は、平和に退屈した市民たちに大いにウケた。地方で行われる予選大会には多くの地元の民が訪れ、実際にはその戦力を発揮することがないにも関わらず、汗と血の滲むような訓練を行い、必死に切磋琢磨する若者たちへと、熱い声援を送った。 

 かつて己の生を守っていた術が、生を謳歌するための娯楽に変わった。世界は、確実に平和になっていた。

 

「暴力はんたーい、暴力はんたーい! ひゃああっ」

「うるせークズカワ! 口縫うぞ!」

「ひえっ、この人キケンです! 衛兵サーンっ助けてー!」

 そういう次第だから、市民からの人気も高い衛兵二人は、このような一回り年下の子供じみた言い合いをしながら追いかけっこをしていても、白い目で見られないのである。

 さらに、オイカワが走って追いかけてくるイワイズミから逃げ回った末に、後ろにいた後輩の背に隠れるという十七歳の青年とは思えないようなことをやっても、道端の女の子たちは「カワイー」としか言わなかった。

 その黄色い声を耳にしながら、後輩の背後から顔を覗かせてあっかんべえをして見せた幼馴染を睨み付けるイワイズミの額に青筋が浮く。これでまた、この幼馴染が本当に「アオバ衛兵部隊きっての歩く広告塔」と呼ばれるような優男であるのが、非常にムカつく。

「自分もそうじゃないですか……」 

 オイカワに背中を取られた後輩が、その長い顔をオイカワとイワイズミとどちらに向けたものかと迷いながら、背後へと一応ツッコミを入れる。長身を厚い鎧で覆い、自らの頭身ほどもある盾を腕に提げた彼は、名をキンダイチという。オイカワとイワイズミとは、アオバ城砦衛兵部隊に入る以前、キタガワ中等養成学校第一時代から先輩後輩の関係を続けている。

 キンダイチは、依然として言い争いを続けるイワイズミとオイカワの間で視線を行ったり来たりさせ、やがて助けを求めるように隣を歩く同期を窺った。見開くことを知らない大ぶりの瞳が眠そうな、濃紺の法衣を纏う少年である。彼は癖のない黒髪を揺らして、ふいとそっぽを向いた。キンダイチの顔が困惑に染まり、クニミ、と声もなくその同期の名を呼んだ。

「お前な。夢も叶えたきゃ叶えりゃいーけどよ、もうすぐ武道大会が近いんだから忘れんなよな! 今年は厄介なんだぞ!」

「よーッく知ってますぅ! ダテもワク南もシラトリザワも絶好調だし、ジョーゼンジも調子上げてるし、カラスノとかいうダークホースも出て来ちゃったし!? まったく腹立つよねえ!」

 オイカワとイワイズミが、ぴったり同じタイミングで舌打ちをする。

 彼らの住む国ミャギは、どの都市の衛兵部隊も強力だった。

 「ダテの鉄壁」と称される屈強な騎士団を保有する、ダテ工業都市衛兵部隊。

 剣、魔術、戦術、統率力、全てにおいて安定した土台を築き上げている、ワクタニ南都市衛兵部隊。

 遊撃に秀でる悪戯好きの魔族のみで形成された、ジョーゼンジ魔界都市衛兵部隊。

 かつて空中戦において無敵と称され、現在も攻撃力をめきめき上げている古豪、名将ウカイを師に仰ぐカラスノ都市衛兵部隊。

 そしてヤマト全土をして天才と名高い皇帝勇者ウシワカを擁する、シラトリザワ王都衛兵部隊。  

 オイカワたちが所属するアオバ城砦都市衛兵部隊は、これまでこうした猛者たちを蹴散らし、武道大会ミャギ国予選において四強の中に必ず数え上げられるほどの戦績を残してきていた。

 だが、どうしても頂点――王者シラトリザワを倒すことができないのである。

「こっちはさっさとウシワカをぶっ飛ばして、全国に行きたいっていうのに!」

 オイカワは唇を尖らせ、忌々しそうに首を振る。シラトリザワのウシワカは、キタガワ第一から雪辱を晴らせずにいる因縁の相手でもあった。 

「でも、カラスノはきっと大したことないですよ」 

 これまで無言だったクニミが呟いた。彼もキタガワ中等養成学校第一の卒業生である。だから、どうして先輩がカラスノを警戒しているかを察していた。

「カゲヤマはどうせ、またカラ回ってるでしょうし」

 キンダイチが顔を顰めた。

 カゲヤマとは、彼らのキタガワ第一時代のチームメイトである。魔術も含めた戦闘技能全般に優れており、特に弓においては天才的な腕前を持っていた。

 しかし優秀な彼は、それゆえにひどく独善的な性格でもあり、常に他者を己の手駒として捉え、自らのために戦うことしか考えていなかった。その癖が、カラスノに行って少し名将の指導を受けたところで、すぐ直るとは思えない。かえってこじらせそうだ、とオイカワも考えていた。

「まあそうだろうけど、用心するに越したことはないからね。今度監督にお願いして、演習組んでもらおうかな」

「おう」

「あ」

 クニミが突如、声を上げた。 

「もう、森ですね」

 後輩の言う通り、白い街並みの向こうに森が見え始めていた。ツートップは先ほどの言い争う様が嘘だったかのように、速やかにもとの位置に戻った。

「いいよね、三人とも」

 オイカワは、隊員をして「隊長用の声」と呼ばれる、軽やかなようでいてヒトの警戒心を刺激する、特有の低い声で語り掛ける。

「今回の任務は、昨日見覚えのない大穴が出現したという報告があった、B地域を見回ること。そしてその大穴を発見し次第、その周囲をよく観察、立ち入り禁止区域に該当するかどうか判断し、上に報告すること」

 後輩二人がはい、と。イワイズミがおう、と無愛想に応じる。どの声にも、先程まで感じられなかった緊迫が含まれている。

「ないとは思うけど、魔物が襲い掛かってきたら身の安全を優先すること。単独行動は避け、はぐれたりした遭難したりした時はすぐに救助信号を挙げること」

「気ィ抜くなよ」

 オイカワが森に立ち入る際の注意事項を挙げれば、イワイズミが念を押す。後輩二人が、引き締まった表情で首を縦に振る。それらを振り返って確認したオイカワは、ふと奇妙な感覚に襲われた。

 これまで森に入る度何度も何度も繰り返してきた、この行為。それが、やけに今日は新鮮に感じられた。新鮮と言っても、初めてやる行為に対しての感情とは違う。

 まるで、しばらくやっていなかった日課を、久しぶりにこなす時のような。

「行くぞ」

 イワイズミの告げた言葉が、ゆうべの夢と重なった。オイカワは動揺を押し隠し、森へ――アオバの天然要塞へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 アオバに育つ者は、皆森に通じている。

 アオバ城砦都市は、深い森の中央に位置する小高い丘の上に建っていた。だからアオバの民は、日常生活における森の恩恵をよく知っていたし、同時にその恐ろしさも重々承知していた。

 森は、当然だが生きている。生きているから、刻一刻と顔を変える。先日まで道標にしていた樹が倒れている、鳥の巣がなくなっているなんて頻繁に起こることだ。

 だからアオバの民でも、森に入る機会のあまりない者は、不用意に足を踏み入れない。仕事で出向く者だって、必ず救助信号など非常事態に備えたものを持っていく。

 そして一番森に入る回数の多い自分たち、防衛軍とその見習いは、森で生き抜くための術と、アオバの森についての知恵という知恵を叩き込まれている。

「天気のいい日で、よかったよね」

 森に分け入って結構経った頃、オイカワが木々の狭間から覗く碧空を仰いで、仲間たちに語りかけた。

「最近は雨も降ってなければ、大きな嵐も来てない。なら、道が大きく変わってるとは考えづらい。太陽の傾きと地図とアオバ磁針があれば、さっさと済ませられるだろう」

「今回はクニミも来てくれてるから、心強いな。頼むぞ」

 イワイズミがそう声をかけると、クニミは頷いた。彼は周囲の生体の様子を察知し、分析することを得意とする、占星術師だった。彼の読みは的確で、彼がいれば大概のダンジョンでは迷わずに済んだ。

 オイカワは周囲を見回す。一見すると、いつも通りの景色だ。天高く幹を伸ばした木々、その葉の隙間から差し込む木漏れ日は暖かく、長閑な陽気を醸し出している。

 まったくもって、平穏。平穏だ。平穏すぎるかもしれない。

 いつもなら小動物の葉をかき分ける音や、風に揺れた草花が囁く声が、もう少し聞こえてもいいはずなのに。

「なんか、静かすぎませんか」 

 キンダイチが、気味悪そうに呟いた。その隣のクニミも、平時は気力の一片もない半眼に警戒の色をちらつかせている。

「おかしいですね。やけに、生物がなりを潜めています。風さえ、この森に入って来るのを躊躇っているような……」

 イワイズミが、背中に負った大剣を抜き放った。オイカワも白金の鎧を整え、腰に帯びた剣に手をかける。

 弱く樹の幹に反射する日差し。ようやく暖かくなり始めた、うららかな朝。清々しい木々の呼気に満ちた、森の空気。柔らかな土の香り。

 こんなにも心地よく安らかな空間なのに、まったくの無音。

 静寂が、痛いほどに耳を刺してくる。

「今日入ったばっかりの頃は、こんなじゃなかったよな?」

 己の発した声しか、耳に届かない。 

「はい。ちゃんと鳥が飛びまわってました」

「なら、B地域に近づいたことが原因なのかな」

 イワイズミの問いかけとキンダイチの答えを聞き、オイカワは双眸を鋭くする。

「クニミちゃん、B地域はこっちで間違いないよね」

「はい、もうすぐさしかかります」

「何か変なものがないか、ここから分かる?」

 オイカワが足を止めると、全員がその場に立ち止まる。クニミは目を瞑り、周囲へと集中し始める。夜空の色をしたローブが、風もないのにふわりと広がり――その眼を、かっと見開いた。

「何だ、これ」 

 クニミが独り言ちる。残り三人は目を瞠った。中等学校の頃から冷静で、どんなに危機的な局面でも平静を保っていたクニミの顔から、血の気が失せている。

「何があったの?」

「分かりません。分からないんですが、これは」 

 オイカワの問いに答える声が、僅かに震えている。

「異世界への、扉――いや、穴です」

「穴?」

「はい。それも、ぽっかりとそこにあったはずの空間が抜け落ちてしまったような……魔物の気配はありません、でも危険です。近づきすぎたら、吸い込まれそうだ……」

 クニミは咳ばらいをして唇を湿らせ、一呼吸置いてから答えた。 

「俺レベルの占星術師じゃダメです。もっと、俺より時空魔術に詳しい人がいないと」

 オイカワはちらりと視線を横に流す。イワイズミもちょうどそうしたところで、視線をかち合わせた二人は再びクニミへと目を戻した。

「それは、どこにある?」

「ここをもう少し、まっすぐ行った場所に」

「どうする、引き返すか?」

 イワイズミが隊長に訊ねる。オイカワは少し考え込んでから、首を横に振る。 

「もう少しだけ近づいて、ちょっとだけ様子を見て引き返そう。その方が、報告した後に動きやすい」

「俺、一応シールド張っときます」

「うん、よろしく」

 キンダイチが両手で盾を握り締め、口の中で何事か呟く。白金の盾が燐光を放ち、それと同時に同じ輝きがオイカワ、イワイズミ、クニミの周囲で舞った。

 騎士の特技「シールド」である。身の守りの硬さを磨く彼らは、熟練するに従い、仲間に防護壁を張れるようになるのだ。 

「何か怪しい気配を感じたら、教えてくれ」

「はい」

 イワイズミにクニミが頷いて見せ、準備を整えた彼らは再び歩を進め始めた。 

 森は、依然として沈黙している。四人が土や枝を踏みしめる音が、明瞭に聞こえる。

 普段そこまで気にもならないはずの音が、こんなにも大きく感じられる。その事実は、彼らにさらなる緊張感を与えていた。 

 さあ、何が来る? 魔物? 人間? 未知の怪物?

 それとも先に、穴のところへ着いてしまうのか?

 ――そもそも、穴ってどんなものなんだろう。 

 ふと、オイカワの張りつめた思考回路の片隅で、そんな問いが発生する。

 今朝、急務だと言ってこの仕事を持ってきた防衛軍本部の人と話した時は、「大穴が空いた」としか言われなかったように思う。だからてっきり、また厄介な魔物の巣でもできたのではないかと予想していたけれど。 

 くそ、もっと詳しく教えておいてもらいたかったな。オイカワは内心で舌打ちをした。大体、前情報が曖昧すぎたのだ。もちろん自分達は、この職が常に命の危険に晒されるものであることを承知した上で、日々職務に励んでいる。けれど、事前に命に危険が及ばないよう尽力することは、そういった覚悟云々の前にヒトとして当然ではないだろうか。

 これで万が一のことがあったら、どうしてくれるのだろう。帰ったらこの仕事を持ってきた人間に文句を言ってやろうと、オイカワはその顔を思い出そうとした。そう言えば、あまり見たことのない人だった。黒い髪を独特な形に突っ立て、前髪を顔の右側へと流した背の高い男。常に目を糸のように細めてにこやかな笑顔を絶やさなかったが、一瞬だけその双眸が薄く開いた時があって、瞳孔が日光を照り返して赤く輝いたように見えたっけ――

「オイカワ」

 イワイズミの硬い声で、オイカワは我に返った。隣を見やると、イワイズミは吊り上がった眦を裂かんばかりに目を見開いて、足下にある何かを凝視していた。

「これが、穴ってヤツなのか……?」

 彼の指がさす先を辿る。そして、見たものが把握できなくてイワイズミと全く同じ顔をしてしまった。

 延々と続いていた森が彼らの足下で途切れ、急に穴が空いていた。

    いや、正確に言うならば「先程まで木々の群しかなかったはずの森の中央に、急に靴下の穴を何憶倍も拡張したような空虚な空間が空いて、しかもその穴から、まるで上空から世界を覗いたかのように、小さな大陸や海の景色が見えていた」。 

「なッにあれ!? 意味分かんないんだけど!」 

 オイカワはついそれまでの緊迫感も忘れて、思ったことを思ったままに叫んだ。イワイズミは眉間に皺を寄せ、吐き捨てる。

「うるせえ。頭悪ぃギャルみたいな反応すんな」

「イワちゃんそっちじゃない!    俺の反応なんか今はどうでもいいデショ!」

「だが確かにわけが分からん。クニミ、あれが異世界ってヤツなのか?」

 イワイズミが指さしたのは、穴の中央から見える小さな大陸や海だった。クニミは青ざめた顔のまま、それを睨みつつ頷いた。

「そうだと思います。どうもこの世界に穴が空いて、下に並んでた世界が見えるようになってしまったようですね。しかもあれって、もしかして『夢の大地』なんじゃないでしょうか?」

「えっ、夢の大地って存在してたのか!?」

 キンダイチが驚いた声を上げる。 

「ああ。俺たちが眠っている時に、魂が彷徨っている場所――それを『夢の大地』って呼ぶクセはどんな小さな子供にだって染みついているけど、これはお伽話じゃない。れっきとした、実在する異世界なんだよ」

 クニミは冷静に説明して聞かせながら、辺りへ素早く目を配る。オイカワもそれにならう。穴が空いている箇所以外は、四方八方見やってもこれまで通りの森だ。戦闘の名残も、何者かが細工したような痕跡も見当たらない。

「でも、どうしてこんなことが起こったんだろうね?」

「想像もつきません。一刻も早く、調査団を」

 言いかけたクニミが、背後を振り返ってハッと息を飲んだ。穴の存在に夢中になっていた他三人も後方を見やりぎょっとする。

 木々をすり抜け、大岩ほどの巨体を持つ芋虫型の魔物の大群が迫っていた。

「森蟲っ? 嘘だろ、気配なんて何も感じなかったのに!」

 クニミが、瞬きを繰り返す。森蟲はまったり這っている時は安全だが、走っている時は危険だ。人間でもそれ以外の生物でも、さらに同類でさえ、進路を阻むものは轢き殺し食い散らかす。

 森蟲の進行方向は、明らかにこちら向かっていた。占星術師の前に、イワイズミとキンダイチが飛び出す。

「原因を突き止めてるヒマはねえ。片づけるぞ!」

「はい!」

 イワイズミが先行し、先頭を走ってくる森蟲に向けて大剣を振り回す。巨蟲の体躯がまるでバターでも切るかのように、滑らかに切り裂かれる。一振りで五体の森蟲が絶命し、瀕死の個体が残ったうじゃうじゃと生えた足を動かして、こちらへ迫ろうとして来る。その前へキンダイチが氷の防壁を築いて撥ね返し、止めを刺す。

「おお、いい感じだねー」 

 オイカワはキンダイチの後ろで、クニミと共にアオバ城砦の誇るエースと防壁の活躍を見守る。 

 キンダイチは武器を使った戦法にも優れているが、この盾を活用した攻撃もとても上手い。彼は実直な性分が裏目に出ることも多いが、それでも騎士としての実力は申し分ないのだ。

 一方、イワイズミは反対に盾を持つことを決してしない。それより、大ぶりな得物一つで攻守ともにこなしてく戦闘スタイルを好む。普通あれだけ大きな武器を振り回すのならば、鎧や盾もそれに合わせて工夫を凝らし、しっかりと身に着ける者が多いが、岩泉はそれもしない。彼は命綱代わりに適当な鎧一つを身にまとってさえいれば、鍛え抜いてきた身のこなしだけで己が体を守ることができた。

 この攻守ともに手堅い二人が揃っていれば、大概の難所は切り抜けられる。

 しかし。現在の戦況を眺めていたオイカワは、目を眇める。

「キリがねえ! どうなってんだこれ!?」

 依然として森蟲の群の中央で大剣を振るうイワイズミが、魔物の濃緑の血をまき散らしながら叫ぶ。

 そう。オイカワが彼らに加勢するのを待った理由は、そこにあった。森蟲の群は、いくら大群であるにしても、数の減る様子が一向に見られなかった。どこか、様子がおかしいのである。

 オイカワはいずこからともなく湧いてくる森蟲たちを眺め、思案する。

 クニミは、「気配を感じなかった」と言っていた。

「みんな、聞いて!」

 隊長の張った声に、全員が一瞬彼へ目を留めた。オイカワの海老茶色の瞳孔が、淡い魔力の光を帯び始めている。

「≪目を覚ませ≫」

 形の良い唇が動き、しめやかに精霊の言葉を紡いでいく。

「≪迷える者に太陽神の導きを。汝が真に見定めるべきものを、その眼に映せ≫」

 ――パキン。

 硝子の割れるような音が、空間に響いた。

 キンダイチが防壁を解き、イワイズミが着地して、己が得物の刀身を見下ろす。

    鈍く輝く刃には、血の一滴たりとも付いていなかった。

「幻、だったのか」

「みたいだね」

 オイカワは整った目もとを顰め、周囲を窺う。まだ、あの不気味な沈黙が続いている。

   背中に、じっとりと冷たい汗をかいている。嫌な予感がした。

「みんな、撤退するよ。早く本部に報こ――」

「それは別にいいんだが」

 聞きなれない男の声がした。

    指示を出そうとしたオイカワの首が、急に締まった。首を押さえようとするも、身体が後方へと投げ飛ばされる。

 急速に遠ざかっていく、森の景色。硬直するキンダイチ、大きな目を限界まで開いたクニミ、口を大きく開けて地を蹴り、こちらに手を伸ばすイワイズミ。 

 彼らの中央に、先程までいなかったはずの男が佇んでいた。

「アンタを逃がすわけには、いかねえんだよな」 

 上下揃えた黒装束に、赤いマントを羽織っている。オイカワはこの服装こそ知らないものの、その男の独特に突っ立った黒髪には見覚えがあった。

 アイツだ。この任務を急に依頼してきた、あの男だ。 

「悪ぃな。頑張ってくれ」

 男の薄い唇がニィと吊り上がり、肉食獣めいた二本の犬歯が覗く。 

 視界が、くるりと回転した。碧空が、先刻己が覗き込んでいた穴の形にくり抜かれている。

 いや、違う。そうじゃない。

 ――あ。俺、落ちてるんだ。

 その事実を認識した時、上昇する気流と共にオイカワの意識は飛んだ。

 己の名を呼ぶ誰かの声が、聞こえた気がした。

 

 

 

(続)