Ⅲ長編「闇の眷属の事」少し更新

こんばんは。

拍手ありがとうございます! 励みになりました…助かります!


「闇の眷属の事」、また新たに5000字程度更新しました。

昨日が3000字ちょっとオーバーくらいだったので、合計して8000字くらいですね。

更新としては、それなりの量になったと思われます。

よろしければお楽しみくださいませ。


以下、本編と関係あるようなないような語りです。

お暇な方だけどうぞ。













こういう話を書く度に思うのですが、「工口グ口を見られる(or好き)=人間性の成熟」という考えはいかがなものかと思います。

「俺工口グ口好きだから~!そういうの見れちゃう俺、そういうのが好きな俺スゲ~つえ~!」なんて、見当違いも甚だしい。

老若男女関わらずこの思想の持主を見かける度、そう思います。



確かに平和な社会で生きていると、そういったものから人々が目を逸らしているように感じられるようなことも多々あります。某有名戦争漫画を「子供がショックを受けるから」って理由で云々したり、同じテーマを展示している某所を「ショックを受ける内容だから展示をやめてほしい」なんていう声が上がるのを見た時は、それってどうなんだろうと考えてしまいました。ショックを受けることって、そんなにいけないことばかりなんだろうかって。


けれど一方で、刺激を受けることばかりがいいことではないとも思っています。

工口にしてもグ口にしても、ショック度数だけで扱うものじゃないでしょう。

「えっお前らダメなの?私どんなヤツでも大体平気だから!」?

あなたのショック耐性なんて知りません。そういうことを言われて私が興味を持てるのは、真摯な研究者だけです。研究者は物凄い情報量を蓄積したうえで、主観も客観も交えた緻密な分析をする必要がありますからね。



そういったことより、大切なのは「私達が今見ているこれは何なのか」ということじゃないかと。

その工口は愛からなるものですか、コミュニケーションですか、それともただのエゴのぶつかり合いですか。

そのグ口は何故そんな描写をする必要があるのですか、題材は実話ですか、実話ならば何故これを書いたのでしょう、創作だとしても、何故?

そこから学ばないと、私達は同じ過ちを何度も繰り返すように思うのです。



その題材は、誰かのステータスを証明するためにあるものでもないし、私が知りたいのは不特定多数の「ショックに強い俺たち」のことじゃなくて、その題材です。と思います。



どうしても扱うものの関係でこういうものに触れることが多いので、つい話し過ぎてしまいました。

このことは私自身も、肝に銘じておきたいと思います。