お詫び+妄想

こんばんは。拍手ありがとうございました。なのに火曜日更新しなくてすみませんでした…。


言い訳がましいですがなかなか執筆にまとまった時間を取れていません。今週も更新できるか怪しいです。期待しないでください。



お詫びにもなりませんが、先程頭が沸騰してメモがわりについったーで呟いてた魔物と人間、闇と光ひとりトークをあげさせてもらいます。わりと私の世界観に基づいたものです。お暇でしたら続きからどうぞ。







あのですね、普段DQにしても魔族サイドのことさっぱり呟かないんでそういう印象ないかもしれませんが、私こう見えてそれなりに魔族に愛着持ってるんですよ。だから魔族=闇=正すべき悪役=殺すのが当たり前っていうのを正義として書くのはあまり好きじゃないというかなんというか



なんかね、DQの魔物ってボスにしてもどこかマスコット的で憎めなくて。雑魚キャラなんかは特に作業的に倒しては場面から消えてっていうのをずっと見てるとなんかちょっと寂しい気持ちになるんです



まだうまく自分の気持ちが理解できてないんですけど多分これは食事の時に覚える感傷と似てるんじゃないかって思う。たとえば焼き肉を食べている時に下手したら皿の上の肉と自分とは逆の立場になる事だってありえたんじゃないかって想像する。わけのわからない感情移入と投影と恐怖を感じるそれと似てる



勿論まず肉となった動物が自分と似た思考と感性を持ってるとは限らないわけですから、これは全く根拠のない妄想ですよ。恐れやら悲しさやら抱くのは筋違いかもしれない。けど今食べた動物や殺した魔物がもし自分や親しい人だったらと考えると恐ろしいわけで、それを考えると改めて魔物って何だろうって



言うまでもありませんがDQの戦闘は好きです。うまく攻撃が決まって魔物を一掃できた時はすっきりする。でもその反面そう感じたことが恐ろしく、あのゲームの中でその魔物を殺すことに良心の呵責を覚えないのかと言う人間がいない点に改めて着目するとまた違った目線でDQについて考えられて面白い




整理する。私は今魔族とは何かについてDQの主役である人間との関わりから考えようとしているわけです。これについては

①魔族とは本来どんな生物か

②人間にとっての魔族とはどんなものか

ってところに着目して考えるものなのかなって思うんだけど、そのためにある程度原作を振り返ってみたい



例えばⅤに魔物と人間の関係性についての興味深いエピソードがありますね。マーサさんは邪悪な魔物を改心させることができるとゲーム中で誰かが言ってました。改心した魔物は人間になり、また邪心の強すぎる人間は魔物になることもあったわけです。前者はジャハンナの民たち、後者はミルドラースです



改心した魔物は町を作って共存できるほどに性格が軟化され人を襲うことがなくなります。逆に魔物になった人間はミルドさんのように他者に対して攻撃的な傾向にあるようです。

…本当はミルド以外に魔物になった人間の例が欲しいところなのですが、今いい例が、またはこれに反する例が思い浮かびません



仕方がないので短絡的ではありますがこれを土台に話を進めます。

この例を見ますと、魔物というのは破壊性の強いもの、対して人間は何相手にも生き延びられるような共存性の強いものとしての性格があるという解釈ができると考えられます



ですが、ここで「待て待て」と思った方もいらっしゃるでしょう。「侵略的な破壊性なら魔物に限った話じゃないじゃないか」と、きっと思われるはずです。

その通りです。人間だって他種を侵略します。エルフ絡みのイベントやらⅣのロザリーなどがいい例ですね。あと日常的に魔物殺してますし



さらに人間は身内同士でも争います。DQ世界でも国同士の戦争はよくあることです。Ⅳのエンドールとボンモール、Ⅶのマーディラスイベントなどを思い起こしていただきたい。この様子から人間も破壊性、侵略性の強いものであることが分かるかと思われます



また、同族殺しは人間に限った話じゃありません。いちれいとしてピサロ軍を振り返ってみましょう。ピサロは魔族のカリスマとして多くの魔物を従え共に戦った一方、腹心の部下として信頼していたエビルプリーストに裏切られ争いました。つまり魔物も共存性、侵略性ともに兼ね備えていると



「ナニナニ?それじゃ人間も魔族も同じじゃないですかー!」とお思いでしょう。その通りです。恐らく、やっていることは一緒なのです。

じゃあ何が魔物と人間の決定的な違いなのか。それはきっと、性格思考です。ずばり闇か光か、どちらに属しているかということに違いは由来するんだと思います



このあたりから私の妄想が羽ばたきはじめます。すみません。

思うに闇か光かというのはパワーとかエネルギーとかそういうのとはちょっと違いまして、先程言いました通りここでは思考が一つの鍵になってるのではないかと思います。安直な言い方をしますと闇とは負の思考、光とは正の思考です



何で思考に基づいて考えるのかと言われますとマーサさんが魔物を変身や進化させるのではなく「改心」させていたことにヒントを得ているのですが、きっと魔物と人間の違いは思考のベクトルにあるのではないでしょうか。

例えば闇側は憤怒悲嘆嫉妬と認識するものを光側は義憤哀切羨望と認識するみたいな



憤怒-義憤/悲嘆-哀惜(前投で漢字打ち間違えた)/嫉妬-羨望は適切な喩えとは限らないので悪しからず。現に憤怒は憎悪、羨望は憧憬でもいいんじゃないかって思い始めてる。

要は、思考の性格がほぼ同じものをもとにしてるのに真逆なんです。闇の感情はやや攻撃に転じやすく、光は共存にいきやすい



だからそういう意味では最初に言った魔物と人間の違いもあながち間違いではないわけです。闇属性の代表的な生物である魔族は負的な思考傾向にある生物で、一応光属性の人間は正的な思考傾向にある生物であるということでいったん魔物とは何なのか人間との関係性から考える問題の結論は出たとしましょう




さて、ここでちょっと話題を転じたいと思います。

先程言った「正の思考」「負の思考」について掘り下げます。これは一般的にいう「正の思考=正しい思考」「負の思考=悪い思考」ではありません。そもそも正誤の定義なんて決められるわけがないのでこれらは言い替えとして不適切であると私は考えます



では正の思考、負の思考とはどのようなものなのか。DQの諸例から、私は正の思考とは「正す思考」、負の思考とは「負い込む思考」だと考えています。前者の例は主人公とその協力的な仲間達、後者の例はライバルキャラ(敵対していたものの仲間になる人間キャラや魔王陣)です



負の思考は負い込む、つまり自分で背負い込んじゃう考え方をするのです。「姉さんを救えなかったから俺は世界一の剣士になる!」とか「ロザリーのために私が人間を根絶やしにする!」とか「自分が自分が!」っていう人達がコレ。「死に逝くものこそ美しい」等も強い自分の美学への拘りだからここに入る



ある物事に強く強く、純粋一途にぶつかっていくので、このタイプの人達はとんでもない偉業を成し遂げられる実力者になりやすいように思います。また総じて強大な力やら高潔な思想やらといったような高い目標を持ち理想や夢に焦がれ、ある意味ではリアリストなロマンティストと言えます



ですがあまりに理想を追いすぎ、また強烈なほど真剣にその物事に執着してしまっているため周囲への配慮は二の次と考えたり、寧ろ周りや自分は崇高なる理念のための贄だくらいに考えてしまう傾向にあるため、だから魔族に魂を売ってしまったり魔王ポジを張ったりするようなことになるのだと思います



一方正の思考こと「正す思考」ですが、これは生産的なのです。自分の正しいと思う道を歩くのです。その道を遮った者とは話し合いなりタイマンなりで自分の道を通そうとします。主人公達なんてまさにこれ。自分と違う道を通る者が立ち塞がったら即バトルして押し通るか回り道してでも己が道を通すわけで



正す思考の道は様々です。世界平和、親しい人の救済、自分の目的を達成など。負い込む思考と似ているようですが違います。彼らの思考には他者を見る余裕があり、また目的は自らに即すとは限らず他者に拠る場合もあります。だからこの人達は味方と判断した相手には協調的でその力を借りることもできる



基本的に正の思考の人達は物事に前向きです。根や性格のどこかしらがおおらかなのです。(さあ皆さん、主人公その他仲間キャラの行動を思い起こしてみてください。これは例が多い上にケースバイケースだからあげきれないです…)



だからたとえば躓いたら、躓いた原因や痛みはちょっと確認したくらいですぐに立ち上がり先へと進みます。躓いてしまったことなんて気にしても仕方ないわけですから、振り返らないのです。後ろ向きなことを見ないこともありえるロマンティストなリアリストなのです



うーん、私はDQってゲームの特徴からすごくこの正の思考の方が理解が難しいと思うんですけれども、今言ったこと以外にこの人達は自分より他者を立てやすくもあるんだと思います。この正の思考の人達は、色んなタイプがいる。本当に献身的な人、自分がないだけの人、優しいように見せて我の強い人とか



プレイヤーによって主人公は様々ですから置いといて。仲間キャラは敵サイドにいたことのない仲間は大抵この正の思考タイプだと思います。負の思考の人が背負い込むような理不尽を、正の人たちは無視したり消化したり認識はしても流したりと、色々な方法でさほど負わずに対処できるのです



だからね、正と負の思考はそういうことなので善悪正誤とは別物なんじゃないかと思うのです。正の思考の人は視界が良いので他者と共存しやすい光側に多く、負の思考の人は視界が狭まりやすいからつい攻撃的な方に転じてしまって闇側に多い。そういうことなんじゃないかと思うわけです



どういうことだってばよ…



正はものとの距離の取り方を模索する、負は至近距離で向き合っちゃうのかな



だから光:闇/人:魔物/善:悪/正:誤はどれかを絶対的な=で結ぶことはできず、どれ同士でもかけ算できると私は考えています