「本当にこっちなのかなー?」
「でもSICURAが言うんだし他に手掛かりねえし、行くしかねえだろ」
「まあそうなんだけどぉ」
「うるさい! お前達、ここがどこだか分かってるのか!」
サトリがついに怒鳴った。だが彼の前を歩く緑の双子は、気を損ねた様子もなく声を揃えて答える。
「光の教団総本山」
「なら静かにしないか!」
「静かにすればいいってもんでもねえだろ」
「どっちかって言うと見つけて欲しいし」
「騒いだら逆に逃げられる可能性は考えないのか!」
サトリは額を抑えた。彼は自分が実戦慣れしていないことを自覚していて、合わないなりにも実践慣れしているこちらを立てようと思っているのだろう。だが、どうにも能天気なように見えるから口出しせずにはいられないのだ。ヨハンはにやりと笑った。
「まーそんな心配すんなよ。敵さんの耳や鼻よりこっちのが上なんだからな」
「サトリもあんまり大きい声出すと警戒されちゃうよ?」
「誰のせいだ!」
サトリは更に文句を言おうとして、咄嗟に口を噤んだ。辺りに死臭が漂い始めていた。
彼らが今いる道は、普段信者たちがあまり出入りすることが少ないだろう深層に近い位置にある。無機質で飾り物一つない白壁づくしで、SICURAの案内がなければ迷っていたに違いない似たような風景ばかりが続いていた。
ヨハンがボストンバックを担ぎ直し、二丁拳銃を行く手に向けて構えた。ソフィアのチェーンソーが唸りを上げる。
急に、左右の壁が崩れた。ついでに目先に見えていた四つ角からも死体が溢れ出して来る。死体と言っても勿論、動く方である。
どうやら敵は、こちらの追跡に気付いていたらしい。左右前後から襲い来るゾンビの群れを、スーザンのチェーンソーが大きく円を描いて薙ぎ取る。その隙にヨハンは二丁拳銃から機関銃に持ち替えて前方へ銃弾の嵐を巻き起こす。
ふと、覚えのある冷気を感じた。振り向かずとも分かる。この力は自分達には使えない。
白熱灯に照らされた世界が遠のく。勿論錯覚である。自分達がいつもの生者の世界にいることに変わりはない。ただ光が照らしたものに影が生じるように、隣に寄り添う世界の存在が身に迫って感じられるようになっただけなのである。
骨の髄に冷気が忍び寄る。濃くなる死の気配に、ヨハンは思わず己を取り巻く敵から一歩二歩と後退った。
ゾンビたちの足下に無数の白くか細い手が伸びている。亡者の群れだ。温もりのない指がたるんだ肉の塊に絡まりついて、悲鳴を上げる間も与えず冥府の淵へと引きずりこんでいく。
「あーっ! またザラキ使ったあ!」
電灯さえ凍りつく薄暗闇に侵された世界で、怒ったような声が上がる。気のせいか、暗がりが和らぐ。沈んでいく死者達を掻き分けて先を行っていた片割れが帰って来た。目を吊り上がらせた彼女を前にしても、冥府を呼び出した主は悪びれた素振りも見せない。
「お前達がぐずぐずしてるのが悪いんだろう」
サトリはツンと胸をそびやかしている。あの恐ろしい亡者の群れに冥府まで引きずり込まれたらさぞ寝心地悪かろうとヨハンは思うのだが、彼はそうは思わないらしい。腐りきった肉の寝床に縛り付けられるよりはマシだろうというのが彼の主張だ。まあ、ヨハンには分からないこともない。だがそれにしても、死の感覚というのは心臓に良くないと思う。だからつい文句の一つも付けたくなる。
「それよりあれを見ろ」
サトリの指が更に怒りを口にしようとしたスーザンの背後を指した。振り返った途端、憤懣やるかたないといった風だった表情が一変する。ザラキで開けた視界の四つ角の先を、ちらりと見覚えのある神官服が過っていったのだ。
「みーつけたっ」
満面の笑みを浮かべたスーザンの手の中で、ドゥルルンと得物が嘶いた。彼女はそのまま神官服の消えていった方――すなわち、四つ角の右側へと駆けだした。
「待て、勝手に行くな!」
サトリが怒鳴りながらも後を追う。ヨハンもそれに続きながら、機関銃を愛用する自動式のレーザー銃に持ち替える。
『教祖と接触したみたいね』
「ああ、後を追う」
携帯電話から聞こえて来たキラナの声に答えて、ヨハンはずかずかと進むサトリの前に出る。彼は苛立ちを隠そうともせず、教祖とスーザンが進んでいった方を指さして言った。
「おい、あのじゃじゃ馬を止めろ」
「ああ? んなこと言ったって、もう止まんねーよ」
冥界の力に蹂躙された分不思議と静寂に満ちた廊下に、二人分のブーツの音が響く。時折遠くでくぐもった悲鳴と勢いのいいエンジン音が聞こえるから、それさえ辿っていけば前方の安全性も道筋も問題ないだろう。
「アイツの性格分かってんだろ? チョトツモーシンっつーかよ、いっぺんハマると止まんねえんだこれが」
「馬鹿か! そういう問題じゃない。ここは敵の陣地だぞ? 先ほどのように罠が用意されていても、敵が待ち構えていてもおかしくない」
「おっ? おめーアイツのこと心配してくれてんの? 優しいトコあるじゃん」
違う! そう言おうとしたのだろうサトリの口が、曲がり角を右に折れようとしたところで止まった。彼の目に映ったものを見て、ヨハンは思わず笑み崩す。
曲がった先は、まさに死屍累々という表現がふさわしい有様だった。有象無象の魔物が倒れ伏し、それだけでなくそこらにゾンビのものと思しき青黒い液体がぶちまけられている。凹凸なくまっさらだったのだろう壁は、巨大なトラバサミやら岩石がめり込んで最早もとの整然とした気配を感じ取るのが難しい。まるで、巨大な幼子が欲望の赴くままに大暴れして遊んだ後を彷彿とさせるような風景だった。
「ご覧の通りだ。精密性はともかく、火力なら多分俺より上だぜ。止めるんなら対空ミサイル数本ぶち込む覚悟で行った方がいい」
「分かってはいたが……」
サトリは歩を進めながら辺りを見回す。その端整な顔立ちは呆れに染まっている。
「聖職者とは思えないな」
「お互い様だろ」
ヨハンは飄々と言うが、サトリは横を歩く彼をまた睨み付けた。
「聞き捨てならないな。僕のどこが聖職者らしくないと言うんだ」
「ザラキー魔なトコ」
一瞬、冥界の空気を肌に感じた。ヨハンは小走りに数歩先へ行き、身体を反転させておどけた調子で肩を竦める。
「おいおい、そうキレんなって」
「お前の言い方はいちいち癪に障る」
「いい加減慣れろよ。田舎モンにゃ雅な喋り方なんてとんと無理でよ」
サトリは何も言わず、ただ足音を荒くして歩調を早める。彼はマイペースだから、自分のペースを崩されるのが嫌いなのだ。だがそれを知っていても合せてやるほど、自分も妹も優しくはない。それに何やかんや不満を言いながらも彼がこちらを気遣ってくれることは分かっているので、それに甘えている。
「別におめーのザラキ大好きなところは否定しねえよ」
「誰がザラキが好きだと言った」
「宗教に対しても俺らよりよっぽど真面目だしな」
「おい、聞いてるのか」
一歩踏み出す度に、足の裏でぷちりと肉が弾ける音がする。ああ、なんて嫌な音だろう。鮮度のある肉、ついさっきまで己と同じ命を持っていたものを足蹴にしていることを痛感させられる。
だが、今に始まったことではない。自分達は毎日、屍の上を歩いている。地面なんて、かつて地表で確かに生を享受したはずの先人の屍の堆積物だ。しかもそれだけでなく、自分達は神から等しく命を授かった同胞を日々殺して取り込んで生きながらえている。
生きることの、なんと罪深いことか。
「ま、そんなこたぁどうでもいいんだ」
ヨハンは独り言ちる。一度遠のいた喧騒が近づいてきていた。死体の数も増えている。
彼らは示し合わせたように、ある場所でぴたりと足を止めた。眼前に、極楽を偽った魔界への扉を模したのだろう大扉が聳え立っていた。本物の魔界への扉ではないと分かるのは、その先にあの魔界独特の空気を感じないからだ。扉は黙って両腕を広げ、灯りの一切ない漆黒へと彼らを誘う。観音開きになった扉の前には死体の山が積もっているが、その先には全く侵食していない。血飛沫一つさえ、床に飛んでいない。ただ、がらんどうの闇からチェーンソーの音が響いてくる。
いつもなら話題を急に転じたことに突っかかっているに違いないだろうサトリも、珍しく黙っている。物分かりが良くてありがたい。
『その先は、教祖の祈祷の間だヨン』
沈黙を察したか否か、SICURAが告げる。サトリが分かっている、と返した。彼にしては大人しい声だった。
「結界は張られてないんだろうな?」
『何もないヨン』
『教祖がいる割には無防備すぎる。気を付けて』
キラナが警告する。ヨハンは笑った。もう既に一人入り込んでいるのだから、気をつけるも何もない。男達は迷うことなく、扉の先へと足を踏み入れた。
暗がりは予想よりも広い。彼らが廊下の灯りが完全に届かない位置についた時、扉が音もなく閉まった。チェーンソーの喚き声を耳に強く感じる。亡者を相手取るのに慣れた聖職者たちの目が暗闇に慣れるのは早かった。
ぼんやりと墨を掃いたような中で、二対の影が向き合っては離れを繰り返している。彼らがいる場所だけが周囲に比べて少し高くなっていて、よく見ると頭上から微かだが光が差し込んでいるのが分かった。
小柄な影の中で、一対の丸いものが光を反射して鈍く輝いた。黒い小さな瞳孔と白目は間違いなく人間のものである。しかしヨハンは、気付いたら銃口を向けていた。
直線状に赤光が走り、小柄な影が避けて飛びのいた。釣りあげられた小魚が地面を跳ねるように、しかし勝手知ったる縄張りを飛ぶ猿のような身のこなしで二度三度と跳躍して距離を置く。射程圏内から逃れた。重そうな神官服を纏っているのに、とヨハンは警戒心を強める。
頭身の高い方が背を向けたまま、こちらへ大きく飛んで近くへ着地した。スーザンだった。ライダースーツに包まれた全身が元とは違う色合いで染まっているが、本人にさして怪我はないらしい。
「もう、二人とも遅い! 待ちきれなくて始めちゃったじゃん!」
予想を裏切らない明るい声が上がる。ヨハンは噴き出し、対してサトリはここぞとばかりに反撃する。
「勝手に進んだのはお前だろう。何だお前は。バーサーカーか?」
「酷いっ、せっかく道を拓いてあげたのに他人を魔物みたいに!」
スーザンは頬を膨らませる。ヨハンは笑いながら妹のふわふわ髪を手で掻き交ぜる。そうしながらも、部屋の最奥からこちらを凝視する視線からは目を逸らさない。それは他の聖職者たちも同じだった。
「スー、アイツが教祖か?」
「うん」
彼女はたちまち表情を真摯なものに変えた。
「命のリングは?」
「見当たらない」
「本当か? 気配はあるぞ」
サトリがそう言うので、双子はそろって彼を見た。
「分かるのか?」
「僕を誰だと思っている」
彼は小柄な神官服を睥睨している。眉間に皺が寄り、ジャスパーグリーンの瞳は険しく狭められている。
「アイツ、中に取り込んだな」
「え?」
「命のリングを体内に取り込んでいる。愚か者め、どこまで生命を冒涜すれば気が済むんだ」
神父は盛大に舌打ちをした。ヨハンは目を眇める。小柄な男を取り巻く空気が淀んでいる。生命を表す光が黒ずんで、いや。ヨハンは瞳を見開いた。男の魂の周囲に、無数の覚束ない暗然たる光がうようよと蠢いていた。
「ヨハン、ゾンビより酷い匂いがするよ」
スーザンが声を潜める。彼女も敵の不穏な気配を感じ取っているらしい。ヨハンは頷いて、改めて銃の照準が男に定められていることを確認した。
「教会の手の者か」
神官が声を発した。齢を重ねた男らしい渋みと掠れがあるが、それにしては声がくぐもっている。まるで似た声を持つ複数の者が、影から同じセリフを囁いているかのようだ。
「見て分からないのか?」
サトリが高飛車に返す。教祖は低く笑った。やはり、声が重なって聞こえる。
「教会のサトリ神父とお見受けする。本物の蘇生使いは邪魔だとかねがね思っていたところだ。わざわざ出向いてくれるとはありがたい」
「お前の頭の巡りはよほど悪いらしいな。この期に及んで、まだ教団がやっていけると思ってるのか」
サトリは歯に衣を着せることを知らない。だが今はその方が胸がすく。
教祖は怒る素振りなんて見せない。妙な落ち着きようがやけに不気味だ。
「全ては神の意向通り。矮小な信者共が、教団がどうなろうとも神には関係ない。大いなる意思は必ず成し遂げられる。そして、世界は生まれ変わるのだ」
これにはヨハンが鼻を鳴らした。宗教は生者のためにあるのに、その生者を軽んじるなんて。所詮宗教の方は真似事だということか。
「私、イブールは神の代行者。貴様らはここで神の偉大さを前に、ひれ伏すのだ」
イブールは疎かに告げ、両腕を掲げて祈った。前に出ようとしたスーザンを、ヨハンは片手で制する。教祖の身体に変化が起こっていた。眦と口が裂けて顎にまで届く。頭の形は細長くなり、鼻と口が伸びる。皮膚が泥のような光沢のある緑に変わっていく。体躯が盛り上がって、人の身には大きすぎた神官服が適していると窺えるサイズへと変貌した。
「でっけーワニだな、こりゃ」
ヨハンは見上げて思わず溜め息を吐いた。教祖はワニのような怪物へと姿を変えていた。距離が少々あるというのにやや見上げなければならないという事実が、その大きさを物語っている。
先ほど感じた不穏な気配の正体はこれだろうか。否。ヨハンは問うてすぐ自分で否定した。恐らくただ肉体を強化しただけではない。まだ何かある。
「よーし、やっちゃうよーっ」
恐れ知らずのスーザンが、チェーンソーを両手持ちして飛び出した。ヨハンはその援護のために前へ出ながら、もう一人の聖職者に声をかける
「サトリ、お前は引っ込んでろ」
「は?」
蜂蜜色の細い眉がぴくりと跳ねた。ヨハンは振り返って唇の端を吊り上げて見せる。
「教会の大事な坊ちゃんに死なれたら、後々厄介だからな」
「余計なお世話だ。僕は僕のやり方でやる」
邪魔をするなと堂々と言い放つ若き神父に、ヨハンはへーへーといい加減な返事をする。
暗がりで人の背ほどある細長い楕円が燦然と輝く。スーザンのチェーンソーだ。聖なる力を宿した刃が、禍々しい音を立てて教祖に迫る。教祖は大きな図体に似合わぬ機敏な動きで攻撃を躱した。その素早さに、ヨハンの放った光線弾も目当てを逃して背後の壁を抉った。
スーザンが軽い掛け声と共に刃を振り回す。自分と同じ大きさの得物を扱っていると言うのに、身のこなしは至って軽やかである。彼女はハイスクールのチアガールのようにテンポよく教祖の攻撃を躱し、チェーンソーを突き込む。
一方教祖は、さして戦いに慣れているわけではないらしい。高性能な身体のおかげでスーザンの動きについていけてはいるようだが、いかんせん丁寧すぎる。これなら簡単なひっかけにもかかりやすいだろう。
ヨハンは後ろから銃弾を数発放ち、双子の妹に攻撃を支持する。彼女は戦いながら微かに頷く。豊満な肢体が教祖の足下へ向けて突進し、足に向かって斬りつけるように見せかけながら体の左後ろへと回り込んでいく。教祖もつられて次第にそちらを向く。その目が完全に狙撃手から逸れた一瞬を、ヨハンは見逃さなかった。
一筋の光が、高い位置にある教祖の片目を撃ち抜いた。激痛に悶絶する怪物の隙をついて、スーザンが高く跳躍する。光輝く刃が、片口から怪物の腕を落とした。
「あっ――」
スーザンが何か叫びかけた。しかしその声は中途に途切れる。完全に断たれた腕とは別に、新たな腕が断面から急速に生えてきてまだ宙を舞っていた彼女を殴ったのだ。
「スー!」
妹の名を呼びながら、ヨハンは信じられないものを見た。つい先ほど自分が撃ち抜いた目の空洞に、新たな目玉が内側から盛り上がって来たのだ。それも一つではない。二個だ。
ヨハンは倒れる妹のもとへ振り下ろされようとする鋭い鉤爪を撃ち抜いた。だが少し軌道をずらしただけで、腕は無情にも倒れる彼女の元へ落ちる。
しかし、その動きが寸前で止まった。目を凝らせば、鈍い光沢を放つ腕の周りに無数の白い腕が巻き付いている。
「やはり、ザラキが効かないか」
サトリが忌々しげに呟く。その間にスーザンは腕の下を抜け出し、こちらに駆け戻って来た。
「ありがとサトリ。助かった」
スーザンが礼を言うが、サトリはそっぽを向く。ヨハンは妹の全身を見てから確認する。
「怪我は?」
「アバラちょっといった。でも動ける」
彼女は口に溜まった血を吐き出してから笑って答えた。目がギラついている。今の一撃で負けず嫌いのスイッチが入ったらしい。頼もしいことだ。
『信じられない。命のリングを黄金の腕輪代わりに使ってるんだわ』
携帯電話からキラナの声がした。一部始終を見ていたらしい。全員が携帯電話を見る。ヨハンが声を上げた。
「おいおい、進化の秘法なんて都市伝説じゃねえのかよ」
進化の秘法とは、どんな生物でも従来の進化の過程を無視して究極生命体に変えてしまう禁忌の術のことである。黄金の腕輪という、実在さえ怪しいが神話や伝説にも登場しこれまでの戦争の影に見え隠れしてきた、錬金術の賜物を使って施されるものらしい。この術を施されたものは、神の支配下を逃れ死ぬことのない強靭な肉体を手に入れるのだという。
「そんなことはどうだっていい。問題はああやって真似してる奴がいることだ」
サトリが不愉快そうに怪物を見やる。奴はまだ呼び出された亡者の呪縛から逃れられずにいる。だが、捕まれば即冥府行きの腕に捕まって持ちこたえられているというのは信じられないことである。
「ザラキが効かないのも命のリングの影響だろう。あれはどんな相手であれ、死の影から遠ざけ加護をもたらす」
「まったくお優しいこった」
ヨハンは皮肉って怪物を眺める。
斬っても撃っても再生する化け物。再生が止まるまで破壊し続けたら命のリングが壊れてしまう。全身を完膚なきまでに破壊すれば、かの秘宝も巻き添えを喰らう。せめて秘宝の位置さえ分かれば。
「あたし、さっきアイツの身体の中にキラって光るもの見たよ」
その時、スーザンがあっけらかんと言った。ヨハンは眼光鋭く彼女を一瞥する。
「マジか」
「心臓に近い肩の辺りにあった。斬った肉の中に見えたもん」
解決口が見えて来た。ヨハンは教祖を睨み付ける。
「サトリ、手ェ貸せ」
「随分偉そうだな」
「手を貸してください」
「ふん、自分から頭を下げるとは分かってるじゃないか」
妹がそれでいいのかという目でこちらを見てくる。いいんだよ、お前と違って俺は負けず嫌いじゃないからな。ヨハンは心中で呟いて携帯電話に向かって語りかけた。
「キラナ、あれは命のリングが核なんだよな?」
『そう。進化の秘法における黄金の腕輪ならともかく、ただの真似事だもの。スージーの見た通り、命のリングが原型をとどめて体内にあるのなら、それさえ分離させられれば再生は止まるはず』
キラナがきびきびと答える。ならばこちらの目的を考えても都合がいい。ヨハンはまずサトリに目を移した。
「サトリ、お前のザラキが肝だ。アイツの再生と動きを止めろ」
「そんなことできるの?」
スーザンが訊ねる。サトリは嫌そうな顔をしているが、文句を言ってこないあたり理解しているのだろう。
「ああ。て言うか、ザラキでもなけりゃ止めらんねえだろう。サトリの能力は冥界への干渉、対して命のリングはそれから保持者を守る。だが完全に逃げることはできねえ。亡者共は俺らの昇天能力でもなけりゃやられねえし、ついでに強ぇ冷却効果もついてくる。アイツがどう暴れようが、実体のねえもんで抑えてカッチンコッチンにしちまえば動けねえさ」
「力技だな」
「しょうがねえじゃん。他に案あっか?」
サトリは不快そうな表情のまま、首を縦にも横にも振らない。彼は前衛後衛以前に戦闘に慣れていないからあまり無理はさせられないのだが、今回は他に適任がいないので仕方ない。力仕事になるが頑張ってもらう。
次いでスーザンの方を向く。彼女はまっすぐこちらを見つめ返してきた。
「スーはアイツから命のリングをぶんどって来い。間違っても壊すんじゃねえぞ」
「はーい」
「俺はお前の援護だ。だから安心してありそうな場所を散々ほじくりまわしていいし、思い切りぶった斬って命のリングごとテイクアウトしたっていい」
スーザンは繰り返し頷く。そして教祖がまだ亡者の群れに捕まっているのを見ると、そちらとこちらをそわそわと窺っている。
「そしたらもう行っていい? 行っていい?」
「ああ、行って来い」
ライダースーツを身に纏った戦乙女は、脇目もふらずに走り出した。亡者の群れを一跳びに越えて、太い刃を敵に浴びせにかかる。教祖の人離れした口から、冷たく細かい礫の嵐が噴きだされた。彼女はそれを幅広の刃で防ぎ、髪にこびりついた礫を犬のように頭を振って払う。
「おい、頼むぞ」
「言われなくても分かっている」
サトリが死の詠唱を口にした。もう随分闇に慣れた目が、さらなる暗黒を感知する。教祖の足下が漆黒に染まり、そこからしなやかで優美、しかし腹の底が冷たくなるような不気味さを漂わせた夥しい腕が新たに伸びる。白い腕がびっしりと鱗に覆われた身体と神官服にこびりつき、爬虫類じみた顔が恐怖に侵されつつあるのをヨハンは感じた。
そこへ、ヨハンは容赦なく標準を合わせる。まずは厄介な息を吐き出す口を。次に妹を叩き落とそうとする右の拳を。レーザー銃も拳銃も機関銃も駆使して、怪物の動きを妨害する。ただ、亡者に弾丸が当たらないようにすることにだけは気を配った。
スーザンの刃は敵に届くものの、なかなか目当ての場所に到達しない。何度も何度も体勢を立て直す彼女に、遂に繰り返し冥界との接触を持ち続けていたサトリが辺りの寒さにも関わらず額から汗を流して声を飛ばした。
「しっかりしろ! あまり手間取らせるんじゃない!」
「うっるさいなあっ!」
女ハンターは振り返って怒鳴った。彼女自身も敵のあまりの硬さに苛立っているらしかった。その顔つきを見ながら、ああこれは来るなとヨハンは予感した。
不意に担いだチェーンソーの刃が燃え上がった。否、天から光の柱が降りてくるように、刀身が伸びたのである。大剣なんて表現では生ぬるいそれを両手持ちして、彼女は叫んだ。
「アッタマ来た! 殺すなって言われてたけど殺してやる!」
そして聖職者二人が止める間もなく、彼女は大教祖に向かって大胆に斬りかかっていった。
「……あれ、いいのか?」
「いいんじゃねえの」
問いかけてきたサトリに、ヨハンは銃を肩に担ぎながら答える。こうなったらもう援護はいらない。
「万が一殺しちまったら教会に助けてもらおうぜ。神サマのお情けだってことで――あ、心配なかったみてえ」
サトリが振り返る。大教祖の右肩の付け根から股間にかけて、光が迸った。聳え立っていた影がぐらりと揺れ、眩いばかりだった刀身が消え失せる。
分断された右肩から半分が地に落ちた。するとそれが合図だったかのように、肩の辺りで肉が盛り上がり存在を主張するように点滅し始める。
「あっ、あれ!」
スーザンが点滅する肉に飛びついて手刀だけで切り開いた。その中から、眩く輝く小さな円が見える。
途端、大神官の巨躯が煙を上げて溶け始めた。命のリングがなくなったせいだろうか。視界一面が灰色の薄もやに覆われて、ヨハンは思わず腕で目を庇った。
「あれ、どこ行ったんだろう!?」
煙が晴れた時、そこにはもう巨大な魔物の姿はなかった。スーザンが辺りをきょろきょろと見回す。どんなに目を凝らしてももう敵の姿はなく、代わりに確かに背後で閉まっていたはずの大扉が開いていた。
「大方逃げたんだろう、逃げ足は速ぇみたいだな」
「おい、命のリングは無事なんだろうな?」
サトリが訊ねるので、スーザンは軽く教祖の身体から発掘したリングを放ってよこす。サトリは慌てて両手でそれをキャッチし、軽率な彼女に向かって怒鳴った。
「この粗忽者! 命のリングを何だと思ってるんだ!」
「それくらいじゃきっと壊れないよ。大丈夫大丈夫」
スーザンは大きく伸びをして、いててと顔を顰めた。あばら骨が折れていることを忘れていたらしい。
一方サトリはまだブツブツと口の中で文句を言いながらも、リングをとくとくと眺める。しばらくそうしていたかと思うと、急に踵を返してもと来た道を辿り始めた。
「おーい、どこ行くんだよ?」
「僕はもう帰るぞ。こんな場所にもう用はない」
「教祖は?」
「俺達が倒したらダメだろ。公安の案件なんだからよ」
「そっかー」
スーザンはヨハンが言って聞かせると素直に納得する。だが、兄の隣に並んでサトリの後ろを歩きながら血がこびりついた頭を傾けた。
「ねえ、これからどうする?」
「どうすっか」
「なんかまだゾンビの匂いする気がするし、狩っとく?」
「そうすっか。やることもねえし」
「でも先にサトリ送ってく?」
「マジで?」
「出口くらいまで。だってこれで死なれたらどうするよ?」
「げっ、まず呪われるな」
「毎晩枕元でネチネチ言われてさ」
「しょーがねえなあ。送ってくか」
「結構だ! ついて来るな!」
サトリは振り向いてぴしゃりと言った。しかし双子はどこ吹く風で、どの辺りにゾンビが潜んでいそうかについて話し合っている。仕方ないので若き神父は溜め息を一つ吐き、そこで今回は単独の任務ではないことを思い出した。持たされた携帯電話に向かって呼び出しをかけ、相手が喋る前に用件を述べる。
「僕だ。命のリングはもらったぞ。後は勝手にしろ」
何故こんなに戦闘執筆ともに苦戦したのか私にも分かりません……。もういっそ手直し通り越してネタの段階からリメイクして頂きたいくらいです。
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