※賢勇
1
アリアハンの勇者が極秘裏に旅立っていたことを知ったダーマ神殿の驚きようと言ったらなかった。
とは言ってもそれは空の上の話だけで、報告の義務が果たされていないだの、勇者の候補生だから問題ないだの、そんな話が天井からたまに漏れ聞こえてくるのにはうんざりした。
どうでもいい話だ。勇者なんて何人目だ。それより業務回してくれよとか、まだ転職者のリスト出来ねえのかよとか、そううんざりしてた頃にまさか自分にかの問題が落ちて来るなんて、神っていうのはどうかしているとしか思えない。
「勇者の監視役をお願いしたい」
メレゾフ神官長が言った。僕は耳の穴をほじった。
「なんて? リスト、出来たんですか」
「はい」
デスクに地鳴りのような音を立てて紙の山が落ちてきた。くそ、言うんじゃなかった。
舌打ちをこらえて紙を束ねていると神官長がもう一度言った。
「アリアハンの勇者一行が来る。君にはその監視役として旅に同行して欲しい」
神官長を見上げた。真顔だった。
「本気で言ってます?」
「当たり前だ」
「何で僕なんですか」
「不真面目だからだ」
「喧嘩売ってます?」
自慢じゃないが、真空呪には自信がある。
「そうじゃない。お前、アリアハンの勇者のことをどれくらい知っている?」
「ちょっとしか知りませんよ」
アリアハン生まれアリアハン育ち。十六歳。剣と魔法に秀で、そのために成人する前から王の覚えもめでたかった。
言うと、神官長は首肯した。
「間違いのない情報だな。ちなみに勇者は女なのらしい」
「へえ、勇ましいですね?」
「ああ。お陰でうちの僧侶どもの妄想が止まらなくてな」
「は?」
つい、雑な聞き返し方をしてしまった。しかしさすがはメレゾフ神官長、怒りもせずに続きを語る。
「すでにまだ見ぬ勇者様に恋をするような輩まで出てきて、僧侶内の秩序が乱れて困っている」
「おキレイなマダンゴ野郎どもが」
反射的に吐き捨ててしまった。神殿の半人前僧侶共はいつだってそうだ。そうやって僕にお鉢が回ってくる。
「それでもと遊び人、不良魔導師の僕の出番ってわけですか」
「それが他の長の判断だ」
「ははあ」
「私個人としても、ついて行くならば君だろうと思っている」
「へえ」
片眉を上げると、神官長は変わらぬ無表情で言う。
「勇者の仲間は手練れらしい。二人いるのだが、うち一人はアリアハンの宮廷魔法使いでな」
それだけでもうピンときた。
「アリアハン王の目ですか」
「そういうことだ」
思わず繰り返し頷いてしまった。なるほど、スパイ合戦をせよというわけか。信仰の道だけを追求する童貞たちには荷が重い。
「君ならば世慣れしていて度胸もある。冷静に連中を観察して、ダーマの利となる動きができるだろう」
「お世辞なんて珍しい」
「本音だ」
まあそうだろうな。メレゾフさん、あんまり口上手くないから。僕は肩を竦めた。
「良いですよ、行きましょうか」
「本気か」
「あんたがそれ言うんですか。本気ですよ。内勤も飽きてきた頃でしたし、仕事も増えてきたし、そろそろ外をぶらぶらしたいなーなんて」
「お前らしい」
メレゾフさんは笑って、大神官に伝えておくと言って去って行った。一人残され、椅子にもたれかかる。
「勇者かあ」
魔王退治、するつもりなんだろうか。
正気じゃない。アリアハン王の意図なんて知らないけど、魔王なんているかどうかも分からない、庶民に至っては存在すら知らないものだっていうのに、何で倒そうなんて言えるんだろう。そして、どうして勇者はそれを実行しようと思えるんだろう。
庶民は、目先の生活だけで精一杯なのになあ。デスクに積んだ紙の山を眺めているとうんざりしてきた。
まあ、堅実な生活にも飽きてきたし、勇者について行けばちょっとは息抜きできるかな。根っからの遊び人の僕はそう考えて、大きく伸びをした。
2
「アリアハンの勇者、アレクサンドラ・ブレスです」
女は言った。髪は短く、ざんばらで、少年のようだった。
「この度はダーマ神殿にご協力頂けることになり、誠にありがたく──」
身なりこそ構わないようだが、述べる挨拶は淀みなく、声も高すぎず低すぎずで聞き取りやすい。話す内容もそつなく過不足なく、冒険者として及第点だろう。
「此度の魔王討伐の路に、我が神殿の精鋭をつけましょう。賢者ハロルドです」
ひとしきり挨拶が終わってから紹介された。勇者はこちらに向かって会釈した。
「契約書は──」
「血印で──」
「アリアハン王は──」
「人類の幸福とアリアハンダーマの発展に──」
非常にそれらしい会話が交わされている間、僕は勇者の率いる仲間を見ていた。盗賊の女と魔法使いの爺さんである。爺さんの方がアリアハンの目付役だろう。
「では、賢者様。どうぞよろしくお願いします」
全ての手続きが済み、勇者は僕に頭を下げた。賢者様って呼ぶのはやめてよと言ったが、でも賢者様なのでと返された。
こうして魔王討伐の旅は、恐ろしく事務的に始まった。
3
勇者の旅は行き先の分からない無謀なものになるのかと思っていたが、いつでも目的地は具体的で明確だった。
「何でわかるんだ?」
「神々の目的のもと動いているから、歩けば自ずと道が拓けます」
勇者がそんな調子だから、他の仲間に聞いてみた。彼らも何も先のことは知らず、ただ勇者の言うままに進んでいるとのことだった。
「遠いですが、次の目的地はランシールにしましょう。テドンの方が近い上にグリーンオーブがあるので早く手に入れてしまいたいところですが、そのために最後の鍵が必要です。エジンベア城地下のカラクリを解いて、渇きのツボを手に入れたら、樹海大陸の東にある海の祠を干上がらせましょう。最後の鍵はそこにしまってあります。エジンベア城にスムーズに入るためには消え去り草が必要です。そう考えるとやはりランシールにまずは向かわないといけませんね。ブルーオーブも獲得しましょう。レベルは適正レベルプラス五程度上げる目標でお願いします」
「君、エジンベア城に入ったことあるの?」
「無いですね」
しかし、実際に行ってみるとだいたいその通りにことが運ぶ。自ずと道が拓けるどころではない。
4
勇者はよく旅先で人の話を聞いた。前承諾なく人の家にまで上がり込んで話をする。だが、誰一人として気にする様子はない。
勇者は時折奇妙な動作をした。誰かと会話した直後、空中に人差し指を押し込むのである。
「今聞いた話を、深く記憶に刻んでいるのです」
そう説明するが、僕は納得できなかった。何故なら記憶を深く刻んでいると言う彼女の目の前で、先ほど話した人物が、頼んでもいないのに同じ話を繰り返すのである。
催眠術でも使えるのと聞いたら、そうかもねと言われた。
マジですか。
5
勇者が死んだ。戦闘でもいつもと同様、何事もそつなくこなすのが常なのだが、運悪くザラキが効いてしまったのだ。しかも相次いで僕以外皆沈んだ。でも幸いなことに後一息で敵が倒れるところだったから、戦線が安定してから蘇生させようかと考えていたら、声が聞こえてきた。
──早く生き返らせてください。
「幻聴?」
──幻聴ではありません。賢者様、私は勇者です。早く生き返らせてください。
勇者様は、直接脳内に話しかけてきた。
僕は蘇生させた。起き上がった勇者はさっさと敵を屠り、蘇生呪文があると教会に行く手間が省けて有難いですと言った。世界樹の葉になった気分だ。
「勇者って死んでても思念で話せるんだな。びっくりした」
「勇者は魔王を倒すまで死ぬことはありません。繰り返し蘇るのです」
勇者は急に倒立をして、こうすると血の巡りが早く治り、浮かびかけた死斑も消せると言う。僕は他二人を復活させにかかった。
6
勇者の家はなんだか落ち着かない。
行けば俺たち全員をタダで泊めてくれる。食事を出して、暖かい風呂に入れてくれる。それでも落ち着かない。
勇者の母は基本的にいつも家にいるようだ。昼はリビングにおり、夜は家の前で娘の帰りを待っている。暖かい親心だと最初は考えていた。しかし一度深夜を回った頃にアリアハンを通りかかったら、母親が家の前にいてゾッとしたことがある。
「お帰りなさい、サンドラ。大変だったでしょう。ずっと待ってたのよ。さあ、中へお入りなさい」
彼女の目を、なんと形容したらいいのか。熱に浮かされたようでありながら怯えている。彼女はいつも娘に気を遣っていたが、これは度を越していた。
実の親子ではないのか。一度仲間の一人に聞いたことがある。実の親子だと返された。しかし養子のようなものでもあるかもしれないとも言われた。
「彼女は、勇者を信仰してるのよ」
勇者の昔馴染みだという盗賊は言った。
「昔はもっと熱心に世話を焼いてたわ。でもサンドラが一度突き放してから、あんな感じよ」
常に淡々としたあの勇者が、誰かを突き放す。想像出来なかった。
7
アリアハンの目らしい爺さんはほけほけしてて、一番接しやすかった。魔法使い一筋で生きてきた奴はもっと食えないか、おかしいか、どっちかのことが多いんだが、爺さんは本当に気のいい爺さんだった。
「サンドラちゃんはええ子じゃのう」
「ビスケットがあるよ。食べるかの?」
「ほれ、ぱふぱふやさんに一緒に行こう」
そんな感じの爺さんだった。最後のは若い勇者にいかがわしいことをしたいわけではなく、純粋に様々なことをさせるのが楽しいだけなのらしい。僕も心配になってついて行ったのだが、マッサージをしてもらって、嬢達と茶を飲んで帰ってきていた。勇者は美少年のような外見をしているので、嬢達にひどくモテた。
爺さんとはよく話した。互いの出自から背後にいる組織の話までした。
「ハロルド君は手品が上手いのぉ」
「これで稼いでたからな。アッサラームは嘘っぱちの街だけど、僕の手品だけは本物だっていう評判で、それがきっかけでダーマにも行けたんだぜ」
「いいのう。わしも若かったら手品でぶいぶい言わせたいわい」
「まあ、修業に入ってからは手品の荒稼ぎは禁止されたけどな。爺さんなんて、勇者の目付役なんかやってるんだから、今からだってできるだろ」
「いやいや、目付役なら誰でもなれたぞい。アリアハンの王宮では、勇者の目付役なんぞ誰もしたがらなくてのう。手間がかかるわりに利も少ない、危険じゃいうて、上から下までたらい回しにされとった」
「爺さん、なんで受けたんだよ」
「わしゃ年じゃからの。今更どこで死のうが生きようがどうでもええじゃろ。若い女の子が旅先でしなくていい苦労をするのも可哀想じゃと思うてな」
「本人は気にしてなさそうだけどな」
「サンドラちゃんは器用すぎるだけに、不器用な子なんじゃ。あの子は生まれた時から聖人扱いじゃった。城の中で迷子になっても、助けての一言も言えず、無言で歩き回っとるような子じゃった。良い勇者としての立ち振る舞いを幼くして知っておって、それを崩すようなことを一切せんかった。出かける場所は城か教会かという、そんな生活でな。アメちゃんをあげると、次の日に評判の菓子屋の箱を持ってくるような子じゃった」
「…………」
「今はもう、ほれあの通りで、道に迷うことなぞまず無くなったがの。どうも聖戦に通じる道だけはよく知っているようで、視えるのだと言っておったな」
「そういうわけだったのか」
「聡い子じゃった。周囲の思惑やら空気やらすぐ読んで、最適な答えを出すのが早かった。だが、自分のことには一等疎い」
爺さんは勇者について語ると、いつも最後にこう言った。
「わしは、サンドラちゃんの味方でいたいと、いつも思うとるよ。でもサンドラちゃんは自分のことを考えないから、味方にもなってあげられん。ただのお節介ジジイじゃの」
8
一度、勇者に聞いたことがある。
「旅に出る前は何をしてたの」
「修業です。勇者になるためには剣も魔法もできないといけなかったから」
「どうして勇者になったんだ」
「なれたからです。私が生まれた日、アリアハンには大きな嵐が来たといいます。これは勇者誕生の証なのです。母は喜びました。私を魔王討伐に推薦したのも母だと聞きます」
「父親は」
「死んだと聞きました」
「修業以外には、何してたの」
「何も。眠っていました」
「そういえば君、よく寝るよな」
「起きていてもすることがないからです」
「僕たちと話せばいい」
「こうして話してるじゃありませんか」
「そうだけど」
「賢者様は多趣味ですから、私のようなものは理解し難いでしょう」
「まあ確かにそうだな」
「私は勇者として生まれました。勇者として生きる以外にすることはありません」
「探せばあるよ」
「探してやってみてどうなるのでしょう。暇を潰す必要は、私にはありません」
「何かしたいこととかないの」
「ありません」
「まるで人形だな」
すると勇者は微かに笑った。
「人形でいたいのです。人間でいることは疲れるから、私は人形でいたいのです」
その時ちょうど呼ばれて、勇者は立ち去った。俺は一人、ぼうっとしていた。
初めて勇者が笑うところを見た。結構可愛いと思った。
9
僕にとって蜃気楼みたいなものだった魔王は実在してて、さらに言うと大魔王なんてものもいた。でも我らが勇者様は神に申しつけられた仕事を成し遂げる人形なので、臆することなく両方に勝つための戦略を練って挑んで勝った。僕達お供は何も怖くなかった。何故なら勇者様は魔王はおろか大魔王のステータスまでよくご存知だったからだ。この人はどこからこういう情報を仕入れてくるんだろう。
それより怖かったのはその後で、大魔王を倒したら勇者が消えた。祝宴の最中に気付いた時には、文字通り、影も形も失せていた。
僕達はあちこち探し回った。盗賊も爺さんも僕も本気で探した。あの勇者が何も言わずに去るなんて、悪い予感しかしないからだ。
勇者は僕が見つけた。ゾーマの城の跡地にいた。父親の墓を作ったらしく、その前に座り込んで眠っているかのように見えた。祝宴の時にはなかった不自然な血糊が、首筋にべったりと付いている。
首を切ったのだ。顔を触ると冷たかった。勇者は魔王を倒すまで死ぬことはありません。繰り返し蘇るのです。そう言われたのを思い出した。
よりによってこのタイミングに、ふざけんなよ。
すぐに蘇生呪文を唱えた。勇者の体がふわりと浮き、目が開いた。
「起きなよ」
僕が声をかけても、しばらく固まっていて動かなかった。
「魔王を倒したんだから、勇者は終わったはず」
やっと声を発したかと思ったらこれである。
「どうして生き返ったの。もうやることはないわ。大魔王を倒したのに、まだ死ねないの」
初めて聞く勇者のタメ口は、ひどくアンバランスだった。少年のような話し方なのに、口調は女性なのである。盗賊の話し方を真似しているのだろう。しかし不思議と、不愉快には感じなかった。
「何で死んだんだよ」
「もうやることがないもの……ないから、です」
「今更改まるなよ。生き返ったってことは、まだ何かやることがあるんだろ。何か心当たりは?」
「大魔王は間違いなく倒したはず」
「そっちはもういいから」
勇者は眉根を寄せて考え込んでいた。こんなに困った顔をしているのを初めて見た。
「僕には分からないけど、人形のアンタは死んだんだから、これからは人間として生きろってことじゃないの」
「そんな適当な」
「何か死ぬ前に心残りだったこととかない?」
「そう言われても」
「じゃあ、どうしてお父さんのお墓を作りに来たんだ?」
勇者はしばらく黙った。
「家族だから、かな」
「家に帰りたい?」
「帰りたい家なんて無いわ」
これは早かった。
「帰れないし、帰りたくもない」
「じゃあどうする?」
また黙り込んでしまった。何も思い浮かばないようだ。または思い浮かんでいるけど、どう言ったらいいか分かっていないのか。冒険の旅ではあんなに迷いの無い頼れるリーダーだったのに、目標がないとからきしらしい。
これなら、提案してみてもいいかな。
「帰れないなら、一緒に住む?」
10
魔王退治なんて正気じゃない。庶民は、目先の生活だけで精一杯なのだ。
でも堅実な生活にも飽きてきたし、勇者について行けば、ちょっとは神殿の内勤の気分転換になるかな。
そんなことを考えて気楽に旅に出たのに、魔王と大魔王を倒してしまったためにもう神殿へは帰れなくなり、さらに何故か僕は勇者と同棲した。勇者としての仕事をなくした彼女は何度か自害を繰り返したが、その度に僕が生き返らせた。気分はすっかり世界樹である。彼女の自害癖──自傷癖なんてものではなく、彼女のは毎回本気の自害だった──は、不思議なことに子供ができたら止まった。何でやめたのかと聞くと、他人の命は奪えないとのことだった。以来、甲斐甲斐しく子供やら僕やらの世話を焼いている。ただし自分のことは全くしないので、彼女の面倒は僕が見ている。
そう、それより子供である。彼女と見知らぬ誰かの子ではない。彼女を放っておくとどこへ行って自害するかわからないので、僕は彼女を家に閉じ込めておいた。だから、彼女の子の父親として該当する人間は、恐らくアレフガルド中僕しかいない。誰かが忍び込んだ可能性はほぼ無い。勇者であった彼女の足元にこそ及ばないが、もういい腕なのである。
とにかく、僕と彼女の間には子供ができて、しかもそれが無事生まれて、僕らはなしくずし的に所帯を持ってしまったわけだ。
「結婚する?」
「それって何かメリットがあるの?」
「住民権を持ってればある。税金が軽くなる。それから稼ぎ頭な奇術師で家事万能なスーパーダーリンを公的に自分のものにできる」
「じゃあ、税金の計算から始めるわ」
「僕は?」
そんなわけで結婚した。今では五児の親である。
これで良かったのかな。
僕はたまに考える。ダーマにいたら今頃どうだったか、もとの世界は今どうなってるんだろうか。
もと勇者様は子育てに関しても如才ない。僕もたまに子供たちの世話を見るが、全体的によく母親に懐いている。僕は結構子供が好きなので少し寂しい。モンスター格技場ごっこをすると僕は十中八九五人の子供達からタコ殴りにされる。理不尽である。
それでも僕は今日も子供達にぼこぼこにされる。何故か? 決まっている。ある程度のところになると、彼女が必ず止めに来てくれるからだ。
「ほら、やめなさい。お父さん痛そうでしょ」
そう言って、少し困ったように笑う。
その笑顔が非常に可愛いので、まあもとの世界に戻れなくてもいいかなと思ってしまうのだ。
20190429