夜の腕に抱かれ、さしもの大都会セントシュタインも微睡み始める刻限。街一と名高い宿を目指して直走る小さな影があった。

 月光が人影の、ぴょこぴょこと弾むポニーテールを白く煌めかせる。ポニーテールはまるで白うさぎのように跳ねながら、やがて宿へと辿り着く。


キラナ「聞いてッ! すごいの見ちゃった!」


 人影こと商人キラナ、扉を開け放って叫ぶ。

 時刻は深夜で、場所は宿屋である。宿主も酒場の女主人の姿もなければ、銀行も世界宿屋協会の受付も閉じているためにフロアは閑散としている。だが、ルイーダの受付の隣にあるバーカウンターに三つの人影があった。

 その声に反応し、賢者アリアが落ちつけていた腰を上げる。


アリア「どうしたの?」

ルネ「何事?」


 白い彼女の隣、赤い魔女ルネも身体の向きを変える。残る一人、武闘家カノンはちらりと振り返ったが、自分とそっくりな姉の顔が喜色満面に輝いているのを認めるとカウンターの方へ向き直る。


カノン「どうせまた、特価安売りでも見たんでしょ」

キラナ「違うってば!」


 キラナは膨れる。だがすぐに笑顔に戻ってカノンの隣の椅子に腰掛け、語り始める。


キラナ「さっきセントシュタインの城門を通って来た時のことなんだけどね? 城門の脇にイケメンがいて」

ルネ「スランちゃんより?」

キラナ「スランより男らしくて逞しい感じのイケメンが、二人」


 「二人」と言う用語が発された途端、アリアは姿勢を正し、ルネは飲みかけのグラスをカウンターに置く。カノンは二人の様子を見て、溜息をつく。


カノン「またか」

アリア「それで、どんな感じの見た目なの?」


 アリアは聞こえなかったのか、キラナに続きを促す。キラナは頷く。


キラナ「片方は金髪オールバックで、真っ赤な戦士の服に負けない良い体つきしてた。顔はこっちを向かなかったからあんまりよく見えなかったけど、目鼻立ちははっきりしてるみたいだったかな」

ルネ「もう片方は?」

キラナ「日に焼けた黒髪の戦士。地味な鎧着てたし兜も被ってたけど、顔は見えた。結構シャープに整ってる感じ。人によっては取っつきづらいって思いそうな、ちょっと怖そうなタイプ」

ルネ「年齢は?」

キラナ「だいたい二十後半」


 ルネはどこからともなくメモとペンを取り出し、さらさらと何かを書き留めていく。


アリア「それで、その二人は何をしてたの?」

キラナ「門のすぐ傍で、ぼそぼそ何か話してるみたいだった。私は入都の手続きを待ってて、だから近くに寄って行って何を話してるのか聞くことは出来なかったんだけど」

ルネ「けど?」


 ルネが続きを促す。途端、キラナの瞳が爛々と輝き、ここぞとばかりに身を乗り出す。


キラナ「急に金髪の方が『いい加減にしろ!』って怒鳴って、黒い方の腕を掴んで」

ルネ「あらまあ」


 ルネの唇が、薔薇の花弁が開くごとく綻ぶ。


キラナ「『身体は大事にしろ、君だけのものじゃないんだぞ!?』って言ったかと思ったら、相手の首元に顔を寄せてそのまま――」

アリア「きゃあっ!」


 アリアは嬉しそうな悲鳴を上げ、両手で口元を押さえる。


アリア「それ、現実なの?」

キラナ「間違いなく、さっき実際に起こったことだよ」


 キラナ、至って真剣な表情で言う。


キラナ「だって私、ガン見しようとしてたら門番さんに止められたもん」

ルネ「貴女の夢の中の人物なら、止めないものね」


 ルネが間違いないと言いたげに、繰り返し頷く。


キラナ「しかも門番さん、今までにないくらい優しい顔で『二人きりにしてあげなさい』って」

アリア「まあっ、紳士だわ!」

キラナ「ああに優しく言われると、逆らえなくなるよねー」

カノン「『お前怪しいから早くいなくなれよ』ってことじゃないの?」


 カノンは言うが、三人は感慨に耽っておりまったく聞いていない。


キラナ「どういう状況だったんだろう……私、キメラの翼使って来てすぐ門に向かっちゃったから、二人がいるのに気付いたの、手続き待ちの時だったんだよね」

ルネ「もう少し早く振り返ってみるべきだったわね」

キラナ「ホントだよー。でも周りに魔物の死体が散らばってたから、戦闘後だったのかも」

アリア「そんな戦闘の後、急に、くっ首に……だなんて……」

キラナ「お盛んだよねー」


 アリア、頬をぽっと赤らめる。

 キラナはにやにやと笑っている。


カノン「いや、おかしいでしょ」


 カノン、冷静に指摘する。


カノン「こんな夜中に外で戦闘してしかも盛るとか、変態だから。ねえ、聞いてる?」

ルネ「確かにおかしいわね」


 一同、仰天して魔女を見る。

 放火魔一歩手前、魔法の玉が服を着て歩いてると言われる彼女がまともなことで同意している。

 ルネは、真面目な顔をして首を捻る。


ルネ「戦って昂ったならもっと雰囲気ある前戯から始めるでしょうし、大事な彼の体を傷付けた魔物に嫉妬したなら、もっと言うべき台詞が他にあるはず……」

キラナ「あっ、良かったいつも通りだった」


 ルネ、しばし何か考えていたようだったが、つと双眸を瞠る。


ルネ「もしかしたら、戦う前に喧嘩してたのかもしれないわ」

アリア「喧嘩!?」


 アリアが目を見開き、キラナが椅子を蹴倒して立ち上がる。


キラナ「そうか、だから戦いが終わるなり『いい加減にしろ』って言ったのねっ!」

ルネ「喧嘩して気まずかった仲も、戦いで相手が失われそうになったらそれどころじゃなくなるものよ」

アリア「危機的状況が、二人のよりを戻させたのね……!」


 アリアは愕然と呟き、ルネは我が意を得たりと首肯する。


ルネ「たとえ喧嘩していても、愛し合う二人ならば恋しくなり互いを求め合うもの。離れていた分、二人はあの後、隙間を埋めようとしたのでしょうね」

キラナ「そうだったんだ……私が見たのは、そういう事だったんだ」


 キラナ、感極まって天を仰ぐ。


キラナ「一度すれ違った二人が、再び一つになろうとしてたのね。心と、そして――」


 キラナは口を噤み、隣に並ぶ二人を見る。彼女らはその先を察し、頷く。

 三人、固く熱い握手を交わし合う。


カノン「いや、仲直りも何も……まずその相手の方、一言も喋ってないけど?」


 カノンは呟くが、ルネはにっこりと笑って言う。


ルネ「黙ってることが了承って、よくあることでしょ? 特にお相手の彼は、ツンデレ系の見た目してるもの」

カノン「…………」


 カノン、ホトケの脈を測った医師のごとく、黙って首を横に振る。

  キラナ、蹴倒した椅子を元に戻しながら、恍惚とした表情で言う。


キラナ「私、さっき見たネタをもとにして、今度出す新刊が書けそう」

アリア「今度のって、確か三人で出す合同誌よね?」

キラナ「そう! 付き合いたての二人が些細なことから喧嘩して、散々すれ違うの。でも戦いの中で相手を失う可能性に気付いて、平原で箍が外れてそのまま――」


 商人の瞳が、ギラリと輝く。


キラナ「そうと決まってたら寝てられないよねっ! マスターっ、強いお酒持ってきてー! マスターっ!」

ナイン「何ですか、失恋ですか?」


 バーテン服の従業員がふらりとバックヤードから現れ、一同に加わる。

 一段と華やいでいく場を眺めながら、カノンは一人呟く。


 カノン「て言うか、何で『そのまま』だけで通じ合ってるのさ? 『そのまま』って、何?」



 

 


 

 その頃、セントシュタイン外。

 森の中で二人の男がうずくまり、焚火に手をかざしている。


アレフレッド「寒い」

アレフ「当たり前だ。外なんだからな」

アレフレッド「何でさっき、街の中に入らなかったんだ? セントシュタインには安くて良い宿が多いだろう」


 アレフ、じとりと向かいの男を睨む。


アレフ「お前が言うか」

アレフレッド「え?」

アレフ「お前のッ! せいだって言ってるんだよッ!」


 アレフ、突如荒々しく叫ぶ。


アレフ「お前があんなに焦って毒抜きなんてしようとするからッ! 通りすがりの人間にはすげえ見られるし、門番にはあからさまに気を遣ったような作り笑いで目を逸らされたんだろうがッ!」

アレフレッド「何だ、俺のせいか?」


 アレフレッド、ムッとして言い返す。


アレフレッド「君が勿体無がらないで毒消し草をもっと買っていれば、マホトーンにかかった俺が毒抜きをしなくても良かったんじゃないか」

アレフ「あのくらいの毒なら、街の教会まで歩いても問題ねえッ!」

アレフレッド「君が問題なくても、君の奥方には問題だろう。君はもう妻帯者なんだ、もっと君の身は君一人のものじゃないと自覚を持ってーー」

アレフ「うるせえッ! むしろさっきの行動の方が問題だ!」


 アレフ、頭を掻きむしって唸る。黒髪が乱れて、首元についた赤紫の小さな痣が露わになる。


アレフ「くそ、通りすがりには致してると勘違いされるわ門番には物好きの露出狂ホモカップルに見られるわ、首にこんな痣はついちまうわ……何なんだ、厄日なのか?」

アレフレッド「しっかり重心を保ってれば、押し倒されずに済んだ話だろ」

アレフ「お前の馬鹿力と毒にかかった俺の身体をよく思い出してからモノを話せ」

アレフレッド「そんなに押し倒されたように見えたことが心配か?」


 アレフレッド、労わるような笑みを浮かべる。


アレフレッド「心配しなくても、誰にも言わないよ。君の男の沽券は俺が守ろう」

アレフ「どの口が言うか。お前が言わなくてももう他人に見られてるわ」


 アレフ、頭を抱える。アレフレッド、心底困ったように彼の顔を覗き込む。


アレフレッド「なあアレフ。機嫌を損ねさせちゃって悪かったよ」

アレフ「…………」

アレフレッド「君にそのまま仏頂面でいさせるのは忍びない。頼むから、俺の男としての意地のために責任を取らせてくれないか?」


 ーーガサッ。


 茂みの擦れる音がして、二人のアレフは音のした方を向く。

 茂みの向こうには、猛スピードで走り去るセントシュタイン兵の背中が。


アレフレッド「あ、ちょっと待っ」


 アレフレッドは呼び止める。だが兵は振り返りもせず、城門の仲間がいる所へ駆けていきながら叫ぶ。


兵「大変だーッ! プロポーズしてるぞーッ!」

アレフ「……アレフレッド」


 アレフはむっすりとして言う。


アレフ「朝まで黙って寝るのとブン殴られて寝るの、どっちがいいか選べ」

 








20170205